80日間宇宙一周

田代剛大

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第三章 銀河の歌姫――Galaxy Minerva

26日目AM8:15

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ことの良し悪しは別として、今日の社会において最も重要な事実は、大衆が完全な社会的権力の座に登ったということである。
                    ――オルテガ



芸能ニュース:史上最大のアイドル、パトラ・ジュリエッタ、ライブ初日でサプライズ

天王星で大人気のアイドル、パトラ・ジュリエッタのライブツアーがついに先週始まった。
ライブ初日の入場希望者数は定員の2000倍に達し、45万枚のチケットはわずか7分で完売。
ファンがひしめき合う会場は、熱狂の渦に包まれた。
また本日発表された新曲“マイリトルスター”は配信初日で12億5000万ダウンロードを記録。
これは所ジョージの“泳げたいやき屋のおじさん”の記録――6億2000万ダウンロードを抜きギネス世界記録認定。

パトラ・ジュリエッタは、天王星の27番目の衛星ファーディナンド出身。
13歳の頃に田舎の星から夢を追って天王星へ単身上京、首都ポープの安クラブでピアニストとして働きながら地道にキャリアを積み、3年後メジャーデビューに至る。
そのシンデレラストーリーは多くの少女に夢を与えている。



「アイドル」とは、その知名度とは裏腹に、大変つかみどころのない職業である。

歌手なのか女優なのかテレビタレントなのか、広告モデルなのか・・・

なんにせよ、アイドルがマスメディアの発展と切っても切り離せない存在であることは確かだ。

アイドルの語源は、人々の信仰心を可視化した存在――偶像である。

つまり信仰には布教がつきものであり、その装置として今日のマスメディアは、活版印刷以来のエポックメイキングを成し遂げた。

「英雄は時代が作る」と言うが、ときに時代は、神や救世主の役割をひとりの少女に課してしまう。

全宇宙に20億人以上もファンがいるパトラ・ジュリエッタは、まさにマスメディアが支配する情報化社会が生んだ女神なのである。

これは単なるシンデレラストーリーではない。

パトラ・ジュリエッタは、誰よりも音楽の才能に恵まれ、誰よりも努力を重ねたが、それだけでは、この爆発的な人気は説明がつかない。

パトラ・ジュリエッタはインタビューで必ずこのように答えている。

「私が成功したのは、ただ単純に運が良かっただけだと思います。

私は自分よりもずっと可愛くて、ずっとずっと性格がよくて、ずっとずっとずっと音楽の才能があって、ずっとずっとずっとずっと努力をしている人を何人も知っている。

私は、とにかくタイミングが良かったんですね。

私がデビュー当時、芸術大学を出て本格的に音楽を習った人は、ポップカルチャーを敬遠していた。

それがこの星の音楽界の常識だったんです。

でも私は、ハイカルチャーが優れていて、ポップカルチャーが取るに足らないものだとは思っていなかったし、ハイカルチャー、例えばクラシックが時代遅れの産物だとも思っていなかった。

そもそも、今日のポップソングの源流はバロック期のカノンコードなわけで、ちょっと気取った言い方を許してもらえるならば、私はハイカルチャーとポップカルチャーの融合を試みたわけです。

周囲には、せっかく掴んだ一流ピアニストの道を自分から捨てるのか、とか、鍵盤のたたき過ぎでついにパトラはいかれた、とか色々言われたんですけど・・・(笑)

クラシックの素晴らしさをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。

そのために私が思いついた、最も合理的な選択は、つまらないエリート意識にこだわって大学に残ることではなく、市場が急拡大していくポップカルチャーに乗り込むことだと思ったんです」

そして、彼女は当時の音楽業界に携わる人間が、たとえ思いついたとしても、誰もやらなかったことを実行に移した。



「つまり、ジュリエッタは賭けに勝ったのです」

ウラノグラフィア大学のフランシス・パンチェッタ教授(芸術文化学)は、このように語る。

「ジュリエッタは、新たなニッチを開拓した。

彼女が発見した鉱脈に、多くのアイドル志望者や企業が群がりましたが、激しい競争を勝ち抜いて成功できる者は、ごくひと握りに過ぎません。

アイドルの夢を追う少女は、ジュリエッタが獲得したのは先駆者利益(ファーストムーバーズ・アドバンテージ)であることに気づかない。

反面、リアリストなジュリエッタは、自分が見つけた鉱脈は遅かれ早かれ枯渇することに気づいた。
この業界には、運良く競争を勝ち抜いた勝者ですら、“耐用年数”があるということです。

アイドルの寿命は、花の命ほどに短い。

彼女たちは常に選択に迫られている。

“どの時点で撤退すべきか”の。

この業界の本当の厳しさ、残酷さは、才能のあるものしか勝利できないことではありません。

それは、“誰に才能があるかも分からなければ、いつその才能が評価されるかもわからない”ということなのです。

20代半ばで爆発的に大ブレイクしたジュリエッタの“遅咲きの”シンデレラストーリーは、駆け出しアイドルにとっては希望でもあり、呪いなのです」




薄いエメラルドグリーンの空に太陽が輝く。

太陽系7番目の惑星――天王星。

その直径は50000キロメートルで、太陽系の惑星の中では3番目に大きい。

ガルフストリームがしばしば猛威を振るう海王星とは異なり、この星の気候は比較的穏やかであるものの、なんとこの惑星の地軸は98度も傾き、ほぼ横倒しの状態で自転を繰り返している。

従って季節と緯度によっては、一日中太陽が沈まない。

それが今だ。

太陽と二つの近隣衛星(ミランダとウンブリエル)によって、何週間も温められ続けたアルファルトは、太陽から遠い、本来ならば極寒の星を温帯気候に変えてしまった。

特にここ、首都ポープはヒートアイランド現象が激しく、軽く汗ばむくらいだ。

首をもたげた巨大なキリンのようなタワークレーンの群れ。

そこらじゅうで奏でられる、重機のガコーンガコーンという音と自動車のクラクションのシンフォニー。

その騒音に顔色ひとつ変えず、片手に握り締める携帯端末から片時も目を離さない、スクランブル交差点の歩行者。

まるでアリの巣のように、地下に張り巡らされた鉄道と、ラッシュアワー。

これらは首都ポープではお馴染みの光景だ。

だが、他の惑星からの観光客が、この未来都市を訪れた際に必ず感じるのが、この“実存が揺さぶられるような圧倒的な虚無感”だ。

これほどまでに人がいるのに、誰ひとりとして他人に興味を持たないと言う、この無機質な雰囲気は、まるで自分とすれ違う人間すべてが、感情を持たない機械であるかのような錯覚に、異邦人(エトランジェ)を陥らせるが、やがてその無関心さは、煩わしい人間関係の鎖から個人を解き放ち、ある種の心地良さに変わってしまう――

したがって、自分たちが横切る土木作業現場に、華奢な女の子が、がたいのいい男性に混じって働いていることに気づく者は、誰ひとりいなかった。



首都ポープは、いわゆる「ジュリエッタバブル」によって、再開発がさらに加速していた。

それを象徴するかのように、彼らが働く作業現場のすぐそばにある屋外マルチビジョンには、ジュリエッタの映像が繰り返し流れている。

そもそもこの現場も、ジュリエッタが所属する第7惑星プロの新しいオフィスビルが建つ予定だ。

それだけではない。

ポープは至るところにジュリエッタのビルボード広告があり、どこを向いても彼女の姿が視界に飛び込んでくる。

その様は、まるで社会主義国の独裁者であるかのようだが、これほどまでに街にジュリエッタが溢れたのは、独占禁止法の改正により、抱き合わせ商法が緩和されたことが大きい。

ジュリエッタの経済効果が「計測不能」となったのは記憶に新しいが、メーカーや小売業者が、アイドルとタイアップすることによって増大した有効需要(※2)は、なんと年率換算でプラス7%である。

これは驚くべき数字だ。

特に、その商品を買うことによってしか手に入らないアイドルの限定グッズが、ファンのインセンティブを大きく刺激し、本来はおまけであるジュリエッタのライブチケットやトレーディングカード目当てに大量購入された商品が、封も切らずに捨てられるという社会問題すら発生したほどだ。

今や、どのアイドルも企業の広告塔である。

ジュリエッタクラスの大物になると、CM契約数は1000を超え、事務所側も契約企業を把握しきれずジュリエッタがライバル企業のCMに複数出ていたこともあったくらいだ。

この時ばかりは「お前は一体誰の味方だ」と突っ込まれ、それ以来宇宙最大の経済効果をもたらすアイドルは、CM契約数を大幅に制限することになった。

※2:非現実的な単なる欲求ではなく、貨幣支出によって実現可能な需要のこと。



さて、少女が働く作業現場では、アスファルトを固めるランマーの騒音が盛大に鳴り響き、マルチビジョンのディーヴァの歌声を遮っていたが、僅かに視界に入るその美貌は、少女の大きな瞳を釘付けにするには十分だったようだ。

「もうちょい土嚢持ってきてくれる~!?」

親ほどにも年齢が離れた先輩作業員が、ぼんやりとマルチビジョンを眺める少女に声をかける。

「あ、は~い!」

少女は、はっと我に返ると、首にかけたタオルで汗をぬぐってから、土嚢を持ち上げた。

両手で土嚢を抱えてヨロヨロと歩く少女。

「どこに置けばいいですか?」

「ありがとう、あっちに置いてもらえば・・・」

作業員が少女に振り返ると、驚いた顔をして

「2つも抱えて持ってきたの!?一輪車使えばいいのに!」

と、少女の土嚢に手を伸ばした。

土嚢はひとつ辺り20~30キロもの重さがあるのだ。

つまり彼女は、カブトムシのように自分の体重以上の物資を運んできたことになる。

「おじさんが持つから!・・・しかし意外と力あるんだね・・・」

少女の土嚢を受け取りながら、屈強な作業員はつぶやいた。

「レッスンで腹筋鍛えてますから・・・」

「さすが・・・」

「へ、平気ですよ・・・」

その割には息が荒い。

「実際のところは?」

「腕が引きちぎれるかと思いました・・・」

作業員は笑った。

型枠工の職人が声をかける。

「お嬢ちゃんは、夜中から働いてるんだから、もう無理しないで上がっちまいなよ」

「でも・・・」

「確かに今日は8時半までだからね。あとはおじさんたちがやるから」

そう言うと先輩作業員は、少女が持ってきた土嚢をおろした。

「すいません・・・」

「今日も予定がびっしりなんでしょう?」

「でも、お店が開くのにまだ30分あるんで・・・」

「いや、そっち行ったほうがいいって・・・!」

「ごめんなさい、ではお先に失礼します」

「歌、頑張ってね。おじさんたち見に行けないけど、応援してるから」

「ありがとうございます!」

そう言うと、少女は微笑み、事務所に駆け出した。

少女を見送りながら、型枠工が尋ねた。

「歌って?」

「知らなかったの?アリエルちゃんアイドルやってんだぜ」



しかし、「パンとサブカルチャーの星」とは、誰が言ったかはわからないが、言い得て妙だ。

その名の通り、天王星は都市に占める娯楽施設の割合が太陽系で最も多い。

劇場、映画館、アミューズメントパークにカラオケ、公衆浴場、フィットネスクラブ・・・

それらの文化の共通点は、そのどれもが――理解するのに高い教養が必要な崇高な芸術などではなく――大衆を対象にしたポップカルチャーであるということだ。

天王星が「太陽系で最も文化が豊かで、最も文化が貧しい星」と、たびたび言われる理由も、そこにある。

だが、芸術評論家がこぞって馬鹿にして一段下に見ていた、これらの低俗な大衆文化は、みるみるうちにハイカルチャーを圧倒していった。

ジュリエッタの例を見ればわかるように、市場経済においては、小難しい伝統芸術を好む少数の貴族を相手にするよりも、その何万倍もいる大衆をターゲットにしたほうが、はるかにリソースがいい。

したがって、この星の企業が、ポップカルチャーで商売をするのは、ごく当然の流れだし、挙句の果てには “ハイカルチャーのポップカルチャー化”すら起こっている。

つまり、話題になるならば、歴史ある美術館に洋式トイレを飾ってしまうのが、この星のやり方なのだ。

これらポップカルチャーのコンテンツの最大の特徴は、高い流動性――つまり、蓄積された歴史のあるハイカルチャーとは異なり、大衆の移り気な興味に適応するかのように、凄まじい速度で大量に消費されては消えていくことだ。

この星では、熱病のように流行った人気コンテンツも半年経ったら、それはもう過去のものになってしまう。

よって、ポップカルチャーの世界で生き残るには、たった一つの戦略しかない――どれだけ直感的に大衆を楽しませることができるのか――どれだけキャッチーであるか、なのだ。

娯楽を楽しむのに、脳みそを使う必要などはない。

娯楽は娯楽であって、学問ではないのだ。

メディア界の寵児――惑星連合放送のハロルド・ケプラーは、この星の文化の現状を徹底的にリサーチしたことで知られる。

ケプラーは天王星についてこう語っている。

この星の大衆は“本質的に不安”なのだ。

なぜなら、連中には、節操や信念が――

自分の人生を貫く “物語”がないからだ。

そして、その不安を、間に合わせの――借り物の物語で埋め合わせる。

もちろん、それは偽物だ。

嘘っぱちの物語だ。

だからこそ、連中は決して満たされない。

常に新しい物語を欲している。

わかるか?オレたちはとんでもない永久機関を目の当たりにしている。

この星から学べ。

この星こそ我々のビジネスのサンプルケースだ。


以上のように考えると、この星は享楽的かつ退廃的な文化(デカダンス)を繰り返しているだけのようにも思えるが、それは天王星のある一部分を切り取っただけの、不十分な理解に過ぎない。

パンとサブカルチャーの星の現状は、もう少し複雑かつ、シビアだ。

なぜ、このような大衆文化がこの星で発展したのか?

その疑問の答えは、この星の社会システムにある――



プレハブの事務所で、汚れた作業服から私服に着替えると、アリエルは昼まで仕事をするほかの作業員のために、冷めても美味しく食べられるような簡単なまかないを作って、タイムカードにスタンプを押した。

そして小さなポシェットを肩から下げると、作業現場をあとにし、地下鉄に乗るために駅へ向かった。

アリエルは、パトラ・ジュリエッタと同じく、天王星から最も遠い「ファーディナンド」という衛星で生まれた。

ファーディナンドは貧しい星で、駐留する地球連邦軍基地(と、それに伴う補助金)によってなんとか辛うじて生計を立てているのが現状だ。

しかし、アリエルの親はファーディナンドのリゾートホテルを経営する実業家で、彼女は何の不自由もなく、両親の愛をいっぱいに受けて純粋に育つことができた。

さて、天王星特有の行政区分として「ポリス」というものがある。

ポリスとはいわば地方自治体のことだが、各ポリスは税制をはじめ、ありとあらゆる社会サービスが異なっている。つまり天王星は、徹底した地方分権体制をとっているのだ。

したがって住民は、自分の好きなサービスを提供する自治体(ポリス)を、自由に選択することができる。

夏は北半球のポリスへ、冬は南半球のポリスへ、と定期的に移り住む者もいるほどだ。

この制度において、ファーディナンドは決定的に割を食ってしまった星なのだ。

ファーディナンドで生まれた少女が、借金なしで生活費を稼ぐ最も手っ取り早い方法は、地球連邦軍相手の風俗営業だ。

キャバクラやホステス、ストリップ・・・その中でもっとも健全なのがスナックで歌を歌うことだった。



多くの少女と同じく、パトラ・ジュリエッタの歌声に魅了されたアリエルは8歳の頃、ファーディナンドで唯一の芸能事務所「テンペスト」にオーディションなしでスカウトされる。

当時の触れ込みは、「事務所始まって以来の超大型新人ついに登場!」だったが、そもそもテンペストは業界最弱と言われる小さな事務所で、所属アイドルは彼女を含めたった3人、事務所が輩出したアイドルがものになったことは、これまで一度もなかった。

それでも、事務所の雰囲気はよく、テンペスト社長のタックスはアリエルたち所属アイドルを自分の娘のように可愛がった。

「あれでは芸能事務所ではなく、ただの孤児院だ」と、芸能記者に揶揄されたテンペストだったが、アリエルは自分を拾ってくれた社長の恩に応えるために、一生懸命働いた。

生まれながらの美声に恵まれたアリエルは、ファーディナンド中のスナックを巡業し、世に出たほとんどの演歌をマスターしてしまう。

アリエルが「ファーディナンドのスナック荒らし」「中高年のアイドル」の異名を得るのに、さほど時間はかからなかった。

そして、その噂はついに天王星本土に伝わることになる。

業界最大の芸能事務所、第7惑星プロからオーディションを受けてみないかと、持ちかけられることになったのは、アリエルが13歳の頃である。

自分が憧れ続けたアイドル、パトラ・ジュリエッタが所属する事務所からのオファーに、正直アリエルは面を食らったが、タックス社長はためらうことなく自分の事務所から彼女を送り出した。

「お前はこんな事務所にとどまっているような器じゃない。

せっかくありがたい話が来たんだ。気楽にやるだけやってみなさい。

そして・・・辛かったらいつでも戻っておいで」

テンペストの二人のアイドルも彼女を応援した。

「あたしたちは全然ダメだけど、アリエルちゃんならきっとすごいアイドルになるよ!」

「あんなこぶしを効かせられるアイドル天王星にもいないって!」



そしてー―競争率1800倍という狭き門を、田舎の衛星からやってきた無名の少女は、見事に勝ち抜けた。

多くの候補の中から、なぜ自分だけが選ばれたのかは、当の本人にもよく分からなかったが、とにもかくにも奇跡は起きた。

アリエルは第7惑星プロに移籍し、天王星で一人暮らしを始めた。

しかし、そこは数千人のアイドルが在籍する過酷な競争社会だった。

――あのジュリエッタさんだって3年間は売れなかったんだ。

そう自分に言い聞かせ続け、アリエルはジュリエッタを頂点とする巨大なヒエラルキーの最下層から、なかなか抜け出せずにいる。

アリエルは今年で16歳。

つまり、第7惑星プロで下積みを初めて、とうとう3年が経過してしまうということだ。

いくら業界最大手の事務所に所属しているからといえ、アイドルの卵の生活は言うまでもなく厳しい。

本業だけでは生活できないので、アリエルのようなアイドルはアルバイトをかけ持ちするのが普通だ。

今朝まで働いた、土木工事もその一つである。

地下鉄に揺られながら、土木作業でクタクタになったアリエルは、うつらうつらしだした。

薄れゆく意識の中で、必死に眠気と戦う。

――今日はスケジュールがびっしり詰まっているのに・・・

するとアリエルは、つり革につかまって立っているお年寄りを見つけ、席を譲った。

――このまま座っていたら熟睡しちゃう。

出入り口の方へ向かったアリエルは、車内に備え付けられた液晶テレビに、ジュリエッタが映っていることに気づいた。

背伸びをして、液晶テレビを覗き込む。

それは意外にも芸能ニュースではなく、政治のニュースだった。



「――しかしジュリエッタの言動は、アイドルの域を超え天王政府を動かす大問題にまで発展しています。

それが衛星ファーディナンドの領有権問題です」

ニュースキャスターの声が、地下鉄のモーター音と共に、アリエルの耳に入ってきた。

画面には、ジュリエッタの写真と共に、天王星とその衛星の軌道を示した図が表示されている。

「近年、ファーディナンドの領有権を土星が主張。

ファーディナンドの宙域に機動戦艦を送り、そこに駐留する地球連邦軍の艦隊と一触即発の状態になったのは記憶に新しいでしょう」

キャスターがそこまで言うと、すかさずジュリエッタの記者会見の映像が挿入された。

《私の故郷が土星になるのはとても悲しいです・・・》

「この発言が、ここまで政治的な意味を持つとは、彼女自身も思ってもいなかったでしょうが、ジュリエッタの涙は、シラけ世代や平和ボケと揶揄された天王星人のナショナリズムに、にわかに火をつけました」

「ジュリ様の故郷を守れ!」

「元老院は役たたず!」

「再軍備しろ」

などと書かれたプラカードを持つ運動家。

中には、土星の国旗を燃やす若者もいる。

アリエルは、自分の故郷でもあるファーディナンドのことが少し心配になってきた。

――おとうさん、おかあさん、事務所のみんなはだいじょうぶなのかな・・・

「この非常事態を受けて、天王政府はディクタトル(独裁官)を指名することを検討、強大な力を持つ臨時職ディクタトルがアイドル文化を規制する可能性もありますが、それはかえって大衆の心を逆なですることになると懸念する者もいます」

アッピア天王政府コンスル(執務官)「我々が言えるのは、たかがサブカルチャーといえども、それが国家の秩序を乱す信仰に発展した場合には、毅然とした対処を取らざるを得ないということです」

スッラ元老院議員「ジュリエッタがメシア?バカバカしい」

オクタヴィア平民派議員「私はアイドル文化規制に反対です。

それはこの国の自由主義、民主主義の精神に反しますし、政治と文化は本来全く関係のないものです。

よって、なにがあろうと、人々の表現の自由は守られなければなりません」

アリエルは、テレビに映っている30代半ばの美しい女性に見覚えがあった。

彼女、クーリエ・オクタヴィア議員は、ジュリエッタの大ファンとしても有名で、アイドルが社会的に認知されるようにいろいろな規制を緩和した、ジュリエッタバブルの立役者である。

元有名女優だった彼女は、働く女性の地位向上をマニフェストに掲げており、そのシンボルとしてジュリエッタの成功を大々的に賛辞した。

彼女は、アイドル業界を支える男性ファンが、フェミニズムとあまり相性が良くないことを踏まえながらも、自身が委員長を務める「天王星女性委員会」では、「この星で最も影響力のある人物が女性であるということを踏まえれば、この星が大きな転換期にあることがわかる」と、いった旨の発言をしている。

そもそも天王星は、ジェンダー問題に関してはかなり保守的な惑星で、一昔前まで女性には参政権すらなかった。

よって女性の社会進出は、天王星において重要なイシューとなっているのだ。

「色々な意味で今後も目が離せないジュリエッタ・・・ここで番組内容を一部変更してたった今始まったジュリエッタの全世界ライブツアーの様子を生中継します!」

――え?

アリエルは目を輝かせた。

画面が切り替わり、数え切れないファンの中心で、笑顔で手を振るジュリエッタが現れた。

「それでは私の歌を聴いてね!」

観客の大声援。

――やっぱり、この人はすごい・・・

そして、アリエルが数え切れないほど繰り返し聴いたお馴染みの前奏が流れ出した。

「マイリトルスター!!」

アリエルが降りるべき駅はとっくに通り過ぎていた。
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