怪物コルロルの一生

秋月 みろく

文字の大きさ
上 下
3 / 73
■笑顔を持たないリーススと、笑顔を盗まれたレーニス

3

しおりを挟む



「なんで?」

「知らないわよ。小さい頃に会ったことある人なんだけど、覚えてる? お腹がでかくて、髭の長い……私たち、7才くらいだったかな」

 ちら、とこちらを見るリーススの目は、なんだかちょっと不安げで、でも観察してるような奥行があった。その人には、覚えがある。

「たしか、同い年くらいの子供がいたよね。男の子の。コルロ……やつに会うちょっと前くらいに遊びに行ったんだっけ? けっこう広い家だったような」

「覚えてるの?」、リーススは目を大きくする。

「覚えてるよ。つまらなかったよね、あの時」

「ええ、そうね」

「父さんたちばっかり喋ってて、ガルパスおじさんだっけ? すごい大声で喋るんだよね。すぐ近くにいるのにさ。あたしたちはすることもなくて、隣に座ってるだけだった」

「その通りよ。よく覚えてるじゃない」

 リーススは準備途中のバッグにタオルや着替えを放っていく。

「あの人、ライアンが本当にコルロルを殺しちゃったらどうするの? どんぐりあげないといけないじゃない」

「なんでこのどんぐり人気なの? ライアンといい、おじさんといい。本物の金ってわけでもないんでしょ?」

「本物ならこんな暮らししてないわ。それと、マニュアル本は持った?」

「……覚えてるからいい」

「ダメよ。ライアンも一緒に行くなら必要だし、おじさんのところに行ってからは、もっと必要よ」

 マニュアル本というのは、感情を盗まれた際に父がつくってくれたものだ。感情を盗まれて、日常生活で最も困ったのは、人への反応だった。

 例えば、眉目秀麗な男性に、ダンスに誘われたとき。嬉しいとは感じないから、あたしは笑わないしダンスにも応じないと思うんだけど、それじゃあダメだってことで、起こりうるあらゆる場面に応じ、人への対応をすべてマニュアル化した本が、マニュアル本だ。

 ダンスに誘われた例でマニュアルを引用してみると、『にっこりと微笑み、差し出された手に自分の手を重ねる』が正解とされている。こんな例と回答が何百何千……当然マニュアル本にはそれなりの厚みがあるが、ほぼ暗記している。

 はい、とマニュアル本を押し付けられる。

「おじさんの前では、くれぐれも言動に注意してね。とくにコルロルを仕留めに行くとか、感情を盗まれたとか、あのバケモノに関する話題は避けること。それと、あなたからいくつかの感情が失われているとしても、理にかなった人間らしい対応を心がけて」、リーススは櫛と髪飾りを手にとった。「後ろ向いて。どこが準備できてるの? 髪ボサボサじゃない」

 髪をとかれながら、あたしはマニュアル本を見下ろす。

「これってさ」、渋い赤色の革カバーの表紙を開き、ぱらぱらとページをめくる。「書くのにどれくらい時間かかったんだろうね?」

「あなたには感謝の気持ちもないの?」

「嬉しくなくても、感謝ってできるものなの?」

 最後に、左側の髪を耳にかけ、そこに髪飾りが付けられる。リーススは呆れた顔をして、自分の髪にも髪飾りをつけた。あたしとお揃いの髪飾りだ。あたし達がお揃いにしているのは、この髪飾りだけだった。

 双子だと、よく髪型や服装を同じものに揃えるらしいけど、あたし達はバラバラだ。リーススは髪を長く伸ばし、上品なスカートを身につけることを好んだが、あたしは動きやすいズボンを履いて、髪は肩につかないくらいに切りそろえている。あたし達が身に付けるもので一緒なのは、この髪飾りだけだった。

 リーススは荷物を持つと、最後にどんぐりの一升瓶を手に取り、念を押すように言った。

「いい? これはライアンに渡せないわよ。おじさんへの手土産なの」

 バッグに瓶をしまい、彼女は出て行く。ドアが閉まってしまう前に、あたしも外へ出た。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

形だけの正妃

杉本凪咲
恋愛
第二王子の正妃に選ばれた伯爵令嬢ローズ。 しかし数日後、側妃として王宮にやってきたオレンダに、王子は夢中になってしまう。 ローズは形だけの正妃となるが……

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

処理中です...