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狂気には凶器を【午後4時〜午後5時】

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 人というものは簡単に騙せる。実に簡単だ。俗に言う常識人というやつほど、その難易度は低くなる。目の前にいる黒縁は、その部類に入るだろう。なんとなくだが分かってしまうのだ。

「あぁ、何事かと思ってグラウンドに出てみたら火柱が上がっていた。で、その近くでこの人を見つけたんだ」

 ベッドの上で仰向けになっている彼女のことをチラリと見やると、比嘉は小さく溜め息を漏らし、そして首を横に振った。もちろん、これも演技である。

「気を失ってしまっているから、なにがあったのかは本人から聞けてはいない。放ってもおくわけにもいかなくて、こうして保健室まで連れてきたわけだ」

 さてさて、架空の話がもっともらしくまとまってきた。なによりも渦中の彼女がさっき気を失ってくれたことが大きい。なんでもかんでも自由に言いたい放題だ。仮に彼女が目を覚ましたって、グラウンドから校内に運び込んでやったのは事実だ。実際、まだ手を出したとは言えない段階であり、いくらでもごまかせるだろう。

「でも、ついさっき胸を触って――」

「こう見えて医大生なんだよ。正式な医者ってわけではないが、それなりの知識はある。本人は気を失っているし、どこか怪我でもしていたらいけないと思って触診してたところだ」

 比嘉自身が驚いてしまうほど、嘘がぽんぽんと飛び出す。とっさの判断とはいえ、よくも医大生などという設定を思いつくものである。そんな比嘉の言葉を微塵みじんも疑っていないのであろう。黒縁は「あっ」と声を漏らすと恐縮したように小さくなる。

「な、なんか勘違いしてたみたいで――すいません」

 黒縁は拳銃を降ろし、慌てた様子で頭を下げた。いやいや、頭を下げるだなんてとんでもない。むしろ比嘉のほうが頭を下げるべきだった。あなたが馬鹿正直に人を信じる方のようで助かりました。どうもありがとう――と。

「いや、事情を知らない人からすれば、勘違いしてもおかしくはない。俺は比嘉――比嘉涼という。そっちは?」

 追撃と言わんばかりに比嘉は自分ではない自分を演じる。言葉の最後にやや笑顔を浮かべ、そして握手を求めるべく手を差し出す。こういったことが自然にできてしまうから嘘も上手いのだろうと本人は思っている。

「あ、私は本間アガサです。下の名前はアガサ・クリスティーのアガサです」

 アガサと名乗った黒縁は、比嘉の手を握って握手を交わした。第一印象通り小柄であり、黒縁の眼鏡の奥にある瞳は、意外と切れ長で綺麗めの雰囲気だ。身長の割に胸はしっかりとある。どこぞへの登山の最中にここに連れてこられたような格好であり、どのようにやったのか分からないが、ショルダーバッグをリュックサックのように背負っていた。可もなく不可もなく――といった具合だ。
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