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第一章

番外編(ロセウス) 前編

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 最初に覚えたのは違和感だった。

 いつも繋がっていた糸が急に色を失い、透明になってしまったような感覚に陥る。

 ベルとの繋がりは強固なはずだった。契約獣と契約術師の時から、召喚獣と召喚術師の間柄になってもそれは変わらずつい先程まであり続けた。そう、つい先程までは。

 嫌な予感がして、ベルが休んでいる部屋へ足を運ぶ。ベルの部屋の前には、同じくベルの召喚獣であるアーテルとアルブスがいた。二人もロセウスと同じく違和感を感じたのだろう。

「ベル? ベル?」

 扉をノックして、ベルの名前を呼ぶ。

 アーテルとアルブスもロセウスと同じように、お嬢、起きてる? と扉越しにベルへ呼びかけていた。しかし何度声をかけても中からの返事はない。次第に焦りを覚えたロセウスたちの呼び声が大きくなっていっても、扉の先からは物音すらしなかった。眠っていたとしても、これだけ大きな声でずっと呼んでいれば、さすがのベルとて起きないはずがない。異常事態だと判断して、ロセウスがドアノブに手をかけた。

「ロセウス、ここの扉はお嬢しか開けることができない扉だ」

 アルブスに言われるまでもなく分かっていた。

 ベルの個室である目前にある部屋は、なぜかベルしか入室できないようになっていた。一度不思議に思って尋ねたことがあるのだが、ベルからはそういう仕様なのだと曖昧な返答しかもらえなかったことがある。しかしこれはこの家を建てる前からそうだった。ベルが契約術師の時から、ベルの部屋には基本的に入ることができなかった。

 ベルは元々輝人になる素質を持っていて、前の輝人に教えを乞うていた。輝人という選ばれた存在だからこそ、誰も侵入することのできない空間をナツゥーレの大地から与えられているのかもしれない。

 扉が開かないことは頭ではしっかりと理解していた。それでも開けようとする己の行動を止めれないのは、一重にベルの顔が見たいからだ。

 決して回らないと思っていたドアノブを回せば、その予想を裏切ってあっさりとドアノブが回った。そのことに目を見開け、希望が見えたと言わんばかりに扉を開ける。扉はすんなりと部屋の中を様子を見せるかのように開くが、ロセウスの手は見えない何か、まるで自身が張る結界のような物に阻まれたかのように部屋の中に入ることが出来なかった。どうにかして入ることができないものかと、結界をぶつけてみたり、炎で攻撃したりしてみるが、びくともしなかった。

 ロセウスと同じく、アーテルとアルブスも得意な魔法を放っていたものの、傷一つつけることができなかった。室内ということや、ベルが魔法を放つ先にいたので本気で魔法を放てない、ということもあったが、本能的にベルを部屋全体事包む結界のようなものは破壊不可であることを感じていた。

 悔しい気持ちを抑えきれず、目に見えない壁をドン、と拳で強く叩く。

「ベル……」

 まるで自身の声ではない、どこか弱弱しい声だった。

 ベルが眠るベッドは扉の真正面にあって、その横顔だけが見えた。

 いつも笑っていた唇は真っすぐに結ばれていて、笑いかけてくれた瞳は、瞼の下に隠れている。ロセウスの名をいつも呼んでくれたのに、透明な壁があるせいで寝息すら聞き取ることができない。ベルを感じ取ることができない。

 視界で唯一確認できる、微かな胸の動きで辛うじてベルが生きていることがわかるだけ。

 その頬を撫でたいのに、それすら叶わない。

 ベルはいつもロセウスが強くて優しいから大好きだと言ってくれたけれど、透明な壁を破ってベルの元まで行けない自身は強いどころか、弱い存在だと思った。これほど悔しい思いをしたのは初めてかもしれない。

 知らずのうちに歯を噛みしめていたのか、口内に鉄の味が広がった。

「起きておくれ、ベル。お願いだ」

 すがるような声だった。

 ベルと出会って、恋に落ちるまで、まさか自身がこうなるとは思ってもみなかった。

 胸が張り裂けそうなほどに痛い。

 どれだけ呼びかけても、ベルは揃いの金の瞳をロセウスへ見せることはなかった。



 何日ベルの部屋の前にいたのか、記憶がなかった。

 ただひたすら、ベルの名前を呼んでいたことだけは覚えている。

 それはアーテルとアルブスも同じようで、ひたすらベルと呼ぶ声が聞こえた。

 寝もせず、食べもせずずっと呼び続けたからだろう。体力が低下し、気づけば眠りに落ちていた。夢の中でも、ロセウスはベルの名前をうわごとのように呼んでいた。

 それほどまでにロセウスが望んでいたからか、目の前にロセウスへと微笑みかけるベルが現れた。もちろん夢だとわかっていた。それでも涙が止まらなかった。

 夢の中のベルはお揃いの金の瞳を細めて、ロセウスの名前を呼んだ。

「セス」

「ベル、ベル、ベル!!」

 これがロセウスが生んだ夢の中のベルだとしても構わなかった。ベルを両腕にきつく抱きしめれば、ベルも負けじと抱きついてきた。

「セス。これは夢だよ」

「わかっているよ。でもね、私はベルがいない世界なんて耐えられないんだよ。お願いだ、ベル。目を覚ましておくれ」

「ごめんね、セス。まだ目を覚ますことはできない。でもね、いつか必ず目を覚ますから。だから待っていて」

「こんなに不安なのに? いつ目を覚ますかもわからないのに、この気持ちを胸に抱えて待っていろと? ベルは残酷な事を言うんだね」

「そうだね。残酷なことかもしれない。でもね、セス。私たちは繋がっているんだよ。目に見えない絆でちゃんと今も繋がっている。この絆が消えることは絶対にないから、だから信じて待っていて。お願い、セス」

 ベルはそう言うなり、ロセウスの腕の中で光の胞子となって消えてしまった。それを追うように手を伸ばしていると、そこは見慣れた家の廊下だった。

 いつの間にか目を覚ましていたらしい。はっと気づいて透明な壁越しにベルを見れば、そこには眠ったままのベルの姿があった。夢の中で見たベルの言葉が頭の中を反芻する。

「ベル、確かに君との繋がりはここにあるよ」

 瞼を閉じれば、微かではあれどベルとの繋がりを感じることができる。いつものように強固な繋がりではないけれど、確かにそこにあった。

「ベル、待っているから」

 ロセウスは一つの決意を心に刻むと、その場で同じように気を失うように眠っていたアーテルとアルブスを叩き起こす。

「なに、すんだよ」

「叩いてんじゃ、ねぇよ」

 二人の頬には涙の跡が残っていた。

「ベルとの繋がりは確かにここにある。二人とも、それは感じるだろう? ベルは私たちを置いてどこかに行ってしまったわけではないんだ。だからいつも通りに、ベルが起きて心配しないように待っていないといけない。目が覚めたら、いつも通りに笑顔で出迎えなければベルが悲しむだろう? 私はベルの悲しむ顔は見たくない」

 ロセウスが言わんとしたことを理解したのだろう。

 二人して胸に手をあてると、再び溢れる涙を拭くことすらせず、眉を寄せて笑っていた。

「そう、だよな」

「お嬢との繋がりは確かにここある」

 誰にも切ることのできない、ベルとの繋がり。それを感じ取ることができたことで、ようやく前に進むことができた。
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