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1章

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 葉桜はざくらが風に揺れる音が体育館に響く。
 外は爽やかに対し、体育館の中は緊張感が張り詰める。
 四月の中旬、一年二組のクラスで、初めての体育の授業。
 他のクラスはまだしてない。
 今回は集団行動の練習。
 今日は丸一日体育である。
 もうすぐしたら十五時半だ。
 体操服姿の生徒が三十人が、ロボットのように頭からつま先まで直立して、舞台前にいる体育教師の田丸たまるを凝視する。
 五十前で中年太りが目につく岩のようながっちりした体格。
 意地汚いような顔で生徒達を睨み付ける。
 休め、気をつけ、足並みを揃えて行進など田丸の号令に合わせて生徒達が動けるようになる。それも一糸乱れないように。
 これを朝からひたすらしているのである。
 田丸の気分次第で次に進められるか決まる。
 少しでも気を抜くと田丸の怒号がとどろ
 連帯責任れんたいせきにんで体育館を五周しなければならない。
 志村真凜しむらまりんは気をつけをしながらも、花粉症の症状をこらえるのに必死だった。
 目はかゆい、鼻水が出そう。
 昼休みに一回休憩があったので、花粉症の薬の服用と目薬を点眼した。
 午後はまだ一回も休憩していない。
 真凜はこらえきれず目を掻いた。
「おい、そこのお前!」
 真凜は田丸に指を差されびくつく。
「今、目元触ったな! 気をつけだろ!」
「・・・・・・は、はい、すみません・・・・・・」
「返事がちいせぇな、態度が気に食わねぇ! こっちこい!」
 呼ばれた真凜は恐る恐る田丸の所に行く。
 田丸は真凜の首を締めて「お前らが直立している間に、こいつは気が緩んで目元を触った! 足引っ張りやがって!」とみんなの前で罵倒する。
 田丸は体格がいい上、力もかなりある。
 真凜は痛みをこらえるのに必死で歯を食いしばらせていた。
「お前列にもどれ! これから全員で体育館五周だ! そこのお前もだ!」
 体育館の隅で見学をしていた神原千夏かんばらちなつも走るように言われる。
 千夏は激しい運動を禁止されている。喘息を持っているからだ。
「せ、先生、神原さんは喘息ぜんそく持っているから……と真凜が田丸に言う。
「担任の先生に話してますし、許可のハンコも・・・・・・田丸先生最初に分かったって言ったじゃないですか!」
 千夏は生徒手帳と小さく折りたたまれている診断書のコピーを田丸に見せる。
 生徒手帳には喘息で激しい運動を禁止されていること、かかりつけ医の診断書コピーを提出する、喘息の発作が出た時のために吸入薬を常備している旨を保護者の字で書かれている。
 担任の佐田のハンコもある。
 体育開始の時にこれらを見せたら「分かった」と田丸は承諾しょうだくした。
「俺に意見するなんか生意気な。お前ら足蹴りするぞ!」
 田丸は千夏が見せた生徒手帳を投げ捨て、診断書のコピーを勢いよく破った。
 「俺の授業では喘息だろうが診断書だそうが、担任のサインがあろうが関係ねえ! お前も走ってもらうぞ! この軟弱モンが!」
「ほら、おめえら走れ! 罰だ」
 中学を卒業したばかりの女子生徒達が体育教師に逆らえるはずもなく、体育館の中を走り始めた。
 午前中で三回、午後で三回。これで四回目だから、半日だけで七回位走っている。
 真凜と千夏は横に並んで走る。
 なんとか頑張るからと千夏が小声で真凜に言う。
 自分のせいでクラス全員どころか喘息を持っている千夏に走らせることに罪悪感しかない。
 それと同時に、連帯責任で罰する田丸に腹立たしさを感じるだけだ。
「たるんでるわよー! しっかり走りなさーい!」
 体育館の入り口からのんびりした口調で追い打ちをかける女性――ふじみや女子高校校長だ。
 集団行動の練習というのに、校長はかっちりとしたグレーのスーツ姿だ。
 一体何しに来たかよくわからない人だ。
 体育の先生は終始怒鳴ってて偉そう、校長先生はそれを助長するかのような存在。
 動きがキビキビしてなかったら、返事が小さかったらとなにかにつけて怒鳴る。
 そして暴力か連帯責任で体育館の中を走り回る。
 午前中はなんとか持ちこたえることができた。
 真凜は体を動かすことが好きで、小・中とバレーボールをやっていた。
 他の教科は普通だが、体育の成績だけはずっとよかった。
 体力自慢の真凜でも長時間緊張感を強いられるような研修は初めてだった。
 集団行動も中学の授業でやったが、怒鳴られたり、連帯責任をいられるような事はなかった。
 一方千夏は子供の頃から喘息持ちで激しい運動を控えるように医者から言われている。
 担任も知っているし、体育の先生に話しておくと言っていたが・・・・・・いざふたを開けてみると問答無用で走らされているではないか。
 中学校からの同級生で友人である千夏がその場で言っているのに。
 全員走る体力がなくなってきている。
 一周走った千夏の顔が青白くなっている。
「せ、先生、や、休ませて・・・・・くだ、さい・・・・・・」
 列から出て千夏は田丸に訴える。
「そんなの知ったこっちゃねぇ、走れ!」
「そうよ。何甘えてるの! 喘息だかなんだか知らないけど。軟弱モンがこの学校にいるなんて恥ずかしいわ」
 問答無用で列に戻らせる田丸。
 さらに追い詰める校長。
 千夏は胸ポケットから吸入薬きゅうにゅうやくを取り出そうとした瞬間――。
「授業に関係ないものなんか持って来るな!」
 田丸が更に怒鳴る。
「これは彼女が応急処置おうきゅうしょちで持ち歩いてるんです」
 真凜は言い返す。
「さっきからお前はうるせーなー。俺様に逆らう気か? 失せろ!」
 田丸は真凜の右足に蹴りを入れる。そして、千夏の吸入薬を取り上げて、体育館の舞台袖に投げ捨てた。
 一同が凍りつく。
 千夏は体力を消耗し、座り込んだ。
「おい立て! このグズが!」
 田丸は千夏の頭を力強く叩いて、無理やりでも立たせた。
 一方痛い足をこらえながら、真凜は千夏の代わりに取りに行くため舞台に駆け上がる。
 舞台袖にある吸入薬を見つけた瞬間――体育館ににぶい音が響いた。
 真凜が振り向くと千夏が倒れてた。
 急いで吸入薬を千夏の所へ渡す。
「大丈夫?!」
「聞こえる?」
 クラスメイト達がわらわらと集まって、千夏に呼びかける。
 千夏の呼吸が荒くなっている。顔色も悪い。
「そんなのほっとけ! 走り続けろ」
「ほっとけません! ちな、大丈夫! 吸入薬よ」
「・・・・・・ちっ、今保健室の先生呼んでくるから」
 田丸と校長は体育館から出ていった。
 僅かな力を振り絞って千夏は吸入薬を吸う。
 しばらくすると入れ替わるかのように「何があった?」と男性がやってきた。
 青の警備服に胸には藤の花が刺繍ししゅうであしらわれているのを着ている。藤ノ宮女子高校の受付兼警備を担当している人だ。
 男性は六十代だろうか。白髪交じりで大きな四角い眼鏡が印象的だ。
 警備員の男性は千夏の姿を見て「誰か保健室の先生呼んで! 俺は救急車呼ぶから」
 委員長の和田紬わだつむぎが「えっ、今、田丸先生と校長先生が向かってるはずなんですが・・・・・・」と返す。
「えっ? あの二人が・・・・・・? 駐車場に向かってるのみたよ。まあいいや、念の為に保健室の先生呼んできて」と警備員に言われ紬は保健室に向かった。
 クラス全員が目を見合わせて「駐車場ってどういうこと?」「なにかあった時のために車を用意するつもりなのかな」のと不思議そうな顔をする。
 しばらくすると紬とともに紺色のナースウエアに聴診器と血圧計を持ってきた女性を連れてきた。
 保健室の高山たかやま先生だ。
 すぐに千夏の血圧や脈拍、呼吸状況こきゅうじょうきょうの観察と計測する。
「呼吸が荒いわ……何でこんな状態に?!」
 高山は強い剣幕で真凜に尋ねる。
 真凜は田丸から集団行動の罰としてみんなで走ったこと、喘息を持っている千夏にも無理やり走らせたこと、田丸と校長が保健室に向かったこと。
「分かったわ。さっきは責めてごめんね。田丸先生と校長はこっちにきてないわ」
「うん、いなかった」
 紬が保健室に行く最中も二人の姿はなかった。
「えっ? 何で?」
 真凜は思わず聞き返す。
 確かに「保健室へ行く」と言ったのを全員聞いている。
 紬曰く廊下ですれ違わなかったそう。
 体育館から保健室までは歩いて数分の所だ。
 しかもそんなに迷うような場所ではなく、体育館の向かいの校舎の中にある。
「さっきも言ったけど、あの二人駐車場に向かうとこみましたよ」
 石綿は十五時の定時巡回の最中に体育館から物音がしたので向かっていた。その最中に二人が駐車場に向かう姿を見たという。
 体育館の裏側に教師用とスクールバスの駐車場がある。
  高山と一年二組のメンバーに怒りと呆れが入り交じる。
 体育館にサイレンの音が近づいてくる。
 石綿が救急車を誘導し、救急救命士の男性二人がやってきた。
 担架に担ぎ込まれる千夏を真凜は黙って見ているしかなかった。
 千夏は病院に搬送され、高山から一年二組の担任の佐田さだ神原かんばら家に連絡。
 授業は中止、すみやかにホームルームして、藤ノ宮女子高校の生徒達は下校した。
 無関係のクラスは早く帰れて嬉しいと言わんばかりに下校する。
 最終的に校内にいる先生達と警備員達で探したものの、二人の姿はなかった。
 駐車場には田丸のワンボックスカーがなく、校長の白の高級車が残っていた。
 警備の石綿から聞いた佐田は虚しさと怒りで言葉が出なかった。
 職員室にいる他の先生方も同じようなリアクションだ。
 これを一体生徒や保護者になんて説明すりゃいいんだ。
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