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梨乃ちゃんの涙

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 終電まで時間が微妙だったが、梨乃ちゃん宅の最寄り駅には着いた。とはいえ俺の乗って来た電車の次が終電だったはずなので、帰りはタクシーか。いや、そんな金はないので、どうにか考えないといけない。

 梨乃ちゃんにタクシー代を借りてもいいのかもしれないが、それはダサ過ぎる。オッサンになった今でも、俺には元ホストのプライドがある。最悪、帰宅難民みたいに道路標識を見ながら歩いて帰ることになる。だが、そっちの方が男としては正しい気がした。

 無駄口はいい。梨乃ちゃんの家を目指す。

 スマホをナビ代わりにして、梨乃ちゃんの家を目指す。深夜にスマホを持って人の家を探す姿は不審者だろうが、あいにく俺は地図を読むのが得意ではない。

 中学の頃からオリテンテーリングで同級生もろとも遭難させ、警察が探しにきたことが何度もあった。俺の方向音痴を舐めないでほしい。

 幸いにして梨乃ちゃんの住むアパートはすぐに見つかった。独居の派遣社員のいる物件だから小汚い建物を想像していたが、見た目には築年数もそれほど経っていなさそうなアパートだった。大家がスケベジジイだったのだろうか。

 階段を上がり、梨乃ちゃんの部屋へ。ドアフォンを押す。想像以上に愛想のない声で「はい」とだけ聞こえるので「織田です」とだけ答える。

「今行きます」

 いつもの元気な声ではなく、葬式のようなトーンだった。こちらの方が素なのかもしれない。

 扉がゆっくりと開く。ドアの隙間から顔を出す梨乃ちゃん。暗い玄関でも、その顔には泣きはらした痕跡が見られた。

「すいません、夜遅くに」

「こちらこそ悪いね。色々つらい思いをさせちゃって」

 梨乃ちゃんはチェーンロックを外すと「入ってください」と言った。俺は無言で頷いて、彼女の家へ上がった。

 梨乃ちゃんの部屋は綺麗だった。掃除はされていて、家具も整頓されていた。見た目は派手でも根が真面目なんだろう。それは日頃の会話でも感じてはいた。

 部屋着なのか、梨乃ちゃんは紺色のポロシャツと黄土色のショートパンツを着ていた。彼女が歩くたびに、肉感のある太ももがかすかに揺れる。

 振り向いた梨乃ちゃんと目が合う。どこを見ていたのかバレたかもしれない。かすかに視線を逸らしてごまかした。

 梨乃ちゃんに勧められて、小さいテーブルに着く。

「コーヒーと紅茶どっちにします?」

「悪いね。じゃあコーヒーで」

 梨乃ちゃんは二人分のコーヒーを淹れると、俺の反対側に座った。

 パッと見は二人で深夜のお茶会だが、なんとなしに長くなりそうな気がする。年を食って夜更かしがしんどくなっているが、今日がそうなるのであれば、それは仕方がない。

 しばらくはコーヒーを啜るのとカップを置く音だけが室内に響く。このままだと何も始まりそうにないので、俺から口を開いた。

「その……真理さんの件だけど、色々とごめん」

「いえ、いいんです。あたしこそ少し感情的になってしまってごめんなさい。あの後色々と考えたんです。考えてみたら、今までずっと仲が良かった人にいきなり無視され続けたらあたしだって耐えられないだろうし、同じ目に遭ったら辞めちゃうんだろうなとか、これまでに見えていなかったことがあったのが分かりました」

「ともかく、間に立ってもらったにも関わらず何も出来なくて申し訳ない。俺としても苦渋の決断だった。彼女のことは大切にしたいけど、本業の方では助けないといけない人が何人もいる。そういった人たちを差し置いて、彼女に全てを優先するわけにはいかない。ドライに思われるかもしれないかけど、それが俺の本音だ」

「いえ、童夢さんはドライなんかじゃないです。だって……」

 梨乃ちゃんはそこまで言って言葉を切った。彼女の片目から一筋の涙がこぼれ落ちる。梨乃ちゃんは「ごめんなさい」と言って指で拭った。

「ごめんなさい、本当に。でも、あたし、真理ちゃんをどうしても助けたくて」

 そう言ってまた瞳を潤ませる。涙はあっという間に溢れて、梨乃ちゃんはその場で倒れそうになる。慌てて俺は反対側へと回り、彼女の体を支えた。

 腕の中で声を上げて泣く梨乃ちゃん。スマホのやり取りだけで、ここまで悲しみに暮れるというのはおかしい。俺の知らない何かがあるようだった。

「梨乃ちゃん、何か俺に話していないことがあるんじゃないか?」

 そう訊くと、涙でボロボロになった顔の梨乃ちゃんが俺を見た。その目には迷い――自分の抱えている思いを話していいのか逡巡しているような目つきだった。

 間違いない。彼女は何かを隠している。

「何があったのか、詳しく話してもらえないか?」

 俺は梨乃ちゃんの話を聞かないといけない。直感だが、それには確信を持っていた。

「それは……」

 梨乃ちゃんが重い口を開きはじめる。俺は黙って耳を傾けた。
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