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涙の告解

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 遠野さんの予約してくれたお店はなかなかオシャレだった。

 照明はやや暗めで、二人の世界だけに入り込めるような場所で、白い壁にはセンスのいい絵がいくつか架かっている。

 遠野さんはわざわざ個室を予約してくれていた。

「ここ、結構高いんじゃないですか?」

「いや、それが庶民の僕にも手が届くところなんで、結構よく来ているんですね。せっかくだからお店の宣伝も兼ねて森さんに紹介しておこうかと」

 遠野さんはお店の人と仲が良いのか、慣れた感じでウエイターを呼び出すと色々と注文を出した。

「でも、まさかこうやって森さんと食事に来るなんて思ってもみませんでしたよ」

「わたしもです。遠野さんみたいな……その、誰でも憧れるような男性と食事をとる日が来るなんて……」

「よく言いますよ。はっは」

 遠野さんが笑う。ああ、こういう風に笑うこともあるんだ。普段はお仕事でしか付き合いがないから、考えてみたら遠野さんのことはほとんど知らない。

 そんなことを言っていると、遠野さんがまた口を開く。

「そうは言いますけどね、森さんや木下さんなんかも僕らの間では有名な美人さんというか、ツートップって言われているんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。もちろんご本人たちは知らないでしょうけど、お二人に会った話を他の男性社員にすると怒られるんですよ。こっちはただの役得なんですけどね」

 遠野さんがニコニコしていると、前菜とワインが来た。

「じゃあ、乾杯しましょうね」

 遠野さんに促されて、グラスを軽く当てる。お酒自体ほとんど飲まないんだけど、それでもこのワインは美味しかった。

 食事のコースは前菜が数種類あって、羊の肉料理が出た後にパスタ、その後にデザートのケーキが出た。どれも高いんだろうなっていう見た目で、味もそこいらのお店とは明らかに格が違った。

 夢みたいな時間。王子様みたいなビジュアルの遠野さんと映画を観て、その後にこんな食事までできるなんて。

 食事をとりながら、世間話から身の上話もした。

   ◆

「……というわけで、わたしは売れない地下アイドルだったんです」

「そうなんですか」

 ロキ君と起こしたスキャンダルの部分は省いて、ただ単に売れずに夢破れて故郷へと帰って来たことにした。

「うーん。森さんが。そうかそうか。でも、それならその容姿も納得できますね、はい」

 思わず唸る遠野さん。……なんかものすごく過大評価されてない?

「あの……わたし、全然大したことないんですからね?」

 念入りに釘を刺す。後で激しくガッカリされても嫌だし。

「いや、でもアレですよ。アイドルって、それこそ何人もの人と競争して勝った女性がなるものじゃないですか。そうやって人に生き甲斐を与えたり、誰かから推される存在になるっていうのは本当にすごいですよ」

 遠野さんは勝手にわたしの幻想を大きくしている。彼は知らない。アイドルと呼ばれる人種は、地下アイドルや弱小アイドルも要れると一万人ほどの女性が存在することを。

 だけど、そういうことを言うわけにもいかず、わたしはリアクションに困っていた。

 この時、お酒を飲み過ぎていたのか、それともわたしの頭がおかしくなっていたのか分からない。いずれにしても、わたしの脳裏にはあのコンプレックスが過ぎっていた。

「でも、わたし、まだ……」

「まだ?」

「あの、なんていうか」

 頬に温かい筋が走る。急に涙がこぼれ落ちてきた。

「どうしたんですか?」

 慌てる遠野さん。ハンカチを手渡してくれた。

「ありがとう。ごめんなさい。あの、わたしね」

「うん」

「無いんです」

「……うん?」

「男性と、そういうことをしたことが無くて」

 そう言った途端、涙が一気に溢れ出してきた。

 どうしてだろう。ただ性交の経験が無いことを告白するだけなのに、途轍もなくつらいことのように感じる。

 わたしはアイドル時代からプライベートでは男性から離されていたこと、そしてそのために男性を知らないまま三十路を迎えてしまったことを告白した。

 こんな話なのに遠野さんは聴罪師のように、何も言わずに聴いていてくれた。全てを話し終えると、まるで自分の裸体を晒したかのような気分になった。

 この年になって男性経験が無いなんて、圧倒的なマイノリティーなんだろうなって思う。でも、わたしにはそのチャンスが無かった。単にそれだけなんだよ……。

 今思えば、泣いた理由はこの話をしたことによって、遠野さんがわたしの所からいなくなってしまうと思ったせいかも。あれだけのイケメンが三十路の処女を前にしたら、そりゃあ引くよねって心のどこかで思っていたんだろうな。

 涙は拭いても拭いても溢れ出てくる。きっと今のわたしはひどい顔なんだろう。彼にとって、今のわたしはどう映っているんだろう。

 話し終わると、遠野さんの顔をじっと見つめる。

 真剣な顔。いや、引いているだけかもしれない。ああ、もしかしたら、彼との楽しい時間もこれまでなのかな。結局、わたしが欲しいものって、永遠に手に入らないのかも。

 そんなことを思っていると、遠野さんが口を開く。

「安心して下さい」

「?」

 少しだけ呼吸を整える遠野さん。決然とした顔。彼の中で、何か腹を決めたようだった。

「……僕も、童貞なんです」

「へ?」

 イタリアン・レストランの個室に、変な沈黙が訪れた。
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