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ライバルの助言
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彩音が新堂と会って数日が経つと、伊吹丈二対フアン・カルロス・ロブレスの世界タイトルマッチの報道が大々的になされた。
場所は有明にある大会場で決まった。ネットニュースだけでなく、一般的なテレビ報道でも伊吹の記者会見は放送された。
「当然知っているとは思いますが、ロブレス選手はボクシング史上でも屈指のハードパンチャーであり計量をたびたび失格することでも知られています。そういった選手と世界戦になるにあたり、何か気を付けているところはありますか?」
記者の質問を意訳すると「ロブレスはものすごい強い王者な上に契約体重を平気でオーバーする常習犯だが、それに勝つつもりなのか?」という意味になる。
マイクを持った伊吹が答える。
「そうですね……。まあ、強い選手だっていうのは前から知っていたことだし、体重超過の件も知ってたって言えば知ってたんでね。でも、勝つ時はそれもひっくるめて勝つわけだし、『彼が計量を突破出来ると思いますか?』って言われてもそんなのはこちらの知ったことじゃないわけだし……」
会見場に笑いが起きる。記者は質問を続けた。
「また、ロブレス選手はサウスポーの選手ですけど、それについては気になることはありますか?」
「サウスポーねえ……。別にアマチュア時代に腐るほど闘っているし、この前は新堂ですか。あいつもサウスポーでしたね。だからそこまで苦手意識はないですよ」
「恐れながらですが、ロブレス選手は今まで試合をしてきた選手とはレベルが違うと思います。加えてあの強打です。何人ものボクサーが倒されてきています。そんな相手が怖くなったりしませんか?」
「うーん。どうしても俺が怖がっているストーリーを作りたいのかな?」
伊吹が口角は上げつつも、目つきは鋭くなった。刹那、会場の空気が一瞬で張りつめた。
「確かに怖いかと訊かれたら怖さはありますよ。あのパンチ力にあの野性ですからね。でもね、今までの相手だって怖さはあったわけで、それを『今までの選手とはレベルが違う』って丸ごと否定するのは失礼なんじゃないですかね。俺じゃなくて、他の選手達に」
「失礼しました」
「まあ、このまんまだと空気が悪くなりますよね。要は相手が誰だろうが全力で挑むしかないんです。今のスーパーバンタム級で世界王者になろうとしたら、どうあがいたって井上尚弥選手と闘うしかないじゃないですか。正規チャンピオンが強すぎるという理由で暫定王座戦をすぐにやる団体もいますけど、それで戴冠しても納得しない人はいるでしょう? だったら誰でも納得する相手を倒すしかない。理由はシンプルです」
そこまで言うと、威勢の良かった記者は自分の武器である言葉にKOされたかのように引き下がっていった。
このやり取りで大方の質疑は完了していた。後は他の記者が地雷を踏まぬよう、当たり障りのない質問だけをして会見が終わった。
◆
帰宅してからしばらく経つと、伊吹のスマホが鳴った。表示されている名前は新堂だった。
「よう、どうした」
「見たよ、記者会見」
「おお、見たか」
「かましてやったな」
スマホの向こうから笑い声が聞こえる。
「ああ、さすがに失礼な野郎だなと思ったんでさ」
「珍しいな。まあ、ありがとよ」
新堂がいくらか真面目な口調で言った。伊吹が自分の名誉を守ってくれたのは理解していた。
「で、何があったんだよ?」
「いや、そんなに深い意味はねえんだけどさ」
「無いのかよ」
伊吹が思わず吹き出すと、新堂がいくらかしどろもどろになって答える。
「まあ、なんだ、アレだ、その……そう! フアン・カルロス・ロブレスって強豪だから、今日の記者会見みたいに色々と外圧ってやつがあるだろ?」
「おう、難しい言葉を知ってるな」
「やかましいわ。話を戻すけど、外圧っていうのはネットでも色々飛び交うものなんだ」
「まあ、そうだろうな」
「だから、世界戦をやるまではあんまりボクシング系のニュースはネットで見るな。間違いなくクソみたいなコメントで溢れているから」
ボクシングに限らず、現在は誰でもどこからでも世界中へとメッセージを発信出来るようになっている。そのために、わざわざ本人へと届けなくてもいいメッセージがファンから本人へと届いてしまうことがままある。余計なことを伝えようとしている側は、なぜか自分が正しいことをしていると信じ切っているから厄介だ。
自分のことを検索する「エゴサーチ」は一般的にしない方がいいとは言われるものだが、実際に自分の提供してきたものがどれだけの反響があるかを知りたいと思うのは人の性だろう。そのため、芸術家でもスポーツ選手でもエゴサーチをする者は多い。
だが、ネット社会には誰が見ても危険な人物もいる。加えて、気遣いがないために必要以上に辛辣な意見を「私見ではありますが」の前置きを免罪符にして書き連ねるアホも多数いる。
そういった心無い言葉を見ても全く気にならない人もいれば、ひどく傷付く人もいる。伊吹の性格からして、そういった匿名の暴力に精神が蝕まれる可能性を感じた新堂は、前もってその芽を摘んでしまった方がいいと判断していた。
「そういうわけで、情報収集は日崎に任せろ。それから良い情報だけを聞け。悪い情報なんか聞かされても士気が下がるだけだ」
「なるほど。確かにそうだな」
「日崎にもそう言っとくよ。まあ、あいつはそんなことは言われなくても分かっているだろうけどな」
電話の向こうで新堂が笑う。
「なんだか、悪いな。気を遣ってもらって」
「そりゃあ、世界を獲った後は俺が指名してもらうんだからな。手厚くもなるぜ」
「分かった。それじゃあ雑音はシャットダウンして、試合に集中する」
「少なくとも俺はお前が勝つって信じているぜ。後はしっかり練習して、しっかり休むだけだ」
「ありがとう、頑張るよ。じゃあな」
通話を終える。しばらく物思いに耽った。
明日からも、さらに自分を追い込んで練習しないといけない。才能だけで何かを得る者もいるが、何かを成し遂げる者の多くは果てしない血の滲む努力の積み重ねで栄光を掴んでいく。
あれだけ不遜に振舞い一部の人間から嫌われ続けたフロイド・メイウェザーも裏では誰もマネできないほどの練習をしていたというのは有名な話だ。
才能だけで上へと上がってきた者は、一度攻略されてしまうと能力値が頭打ちになる傾向がある。今までより良い仕事をしようとした経験が無いからだ。
もしかしたら今日の会見はあの記者の関係者あたりから炎上させられるかもしれない。だが、知ったことか。
リングの正解は一つだけ。それは、勝つことだ。
伊吹は今一度、フアン・カルロス・ロブレス戦の勝利を誓った。
場所は有明にある大会場で決まった。ネットニュースだけでなく、一般的なテレビ報道でも伊吹の記者会見は放送された。
「当然知っているとは思いますが、ロブレス選手はボクシング史上でも屈指のハードパンチャーであり計量をたびたび失格することでも知られています。そういった選手と世界戦になるにあたり、何か気を付けているところはありますか?」
記者の質問を意訳すると「ロブレスはものすごい強い王者な上に契約体重を平気でオーバーする常習犯だが、それに勝つつもりなのか?」という意味になる。
マイクを持った伊吹が答える。
「そうですね……。まあ、強い選手だっていうのは前から知っていたことだし、体重超過の件も知ってたって言えば知ってたんでね。でも、勝つ時はそれもひっくるめて勝つわけだし、『彼が計量を突破出来ると思いますか?』って言われてもそんなのはこちらの知ったことじゃないわけだし……」
会見場に笑いが起きる。記者は質問を続けた。
「また、ロブレス選手はサウスポーの選手ですけど、それについては気になることはありますか?」
「サウスポーねえ……。別にアマチュア時代に腐るほど闘っているし、この前は新堂ですか。あいつもサウスポーでしたね。だからそこまで苦手意識はないですよ」
「恐れながらですが、ロブレス選手は今まで試合をしてきた選手とはレベルが違うと思います。加えてあの強打です。何人ものボクサーが倒されてきています。そんな相手が怖くなったりしませんか?」
「うーん。どうしても俺が怖がっているストーリーを作りたいのかな?」
伊吹が口角は上げつつも、目つきは鋭くなった。刹那、会場の空気が一瞬で張りつめた。
「確かに怖いかと訊かれたら怖さはありますよ。あのパンチ力にあの野性ですからね。でもね、今までの相手だって怖さはあったわけで、それを『今までの選手とはレベルが違う』って丸ごと否定するのは失礼なんじゃないですかね。俺じゃなくて、他の選手達に」
「失礼しました」
「まあ、このまんまだと空気が悪くなりますよね。要は相手が誰だろうが全力で挑むしかないんです。今のスーパーバンタム級で世界王者になろうとしたら、どうあがいたって井上尚弥選手と闘うしかないじゃないですか。正規チャンピオンが強すぎるという理由で暫定王座戦をすぐにやる団体もいますけど、それで戴冠しても納得しない人はいるでしょう? だったら誰でも納得する相手を倒すしかない。理由はシンプルです」
そこまで言うと、威勢の良かった記者は自分の武器である言葉にKOされたかのように引き下がっていった。
このやり取りで大方の質疑は完了していた。後は他の記者が地雷を踏まぬよう、当たり障りのない質問だけをして会見が終わった。
◆
帰宅してからしばらく経つと、伊吹のスマホが鳴った。表示されている名前は新堂だった。
「よう、どうした」
「見たよ、記者会見」
「おお、見たか」
「かましてやったな」
スマホの向こうから笑い声が聞こえる。
「ああ、さすがに失礼な野郎だなと思ったんでさ」
「珍しいな。まあ、ありがとよ」
新堂がいくらか真面目な口調で言った。伊吹が自分の名誉を守ってくれたのは理解していた。
「で、何があったんだよ?」
「いや、そんなに深い意味はねえんだけどさ」
「無いのかよ」
伊吹が思わず吹き出すと、新堂がいくらかしどろもどろになって答える。
「まあ、なんだ、アレだ、その……そう! フアン・カルロス・ロブレスって強豪だから、今日の記者会見みたいに色々と外圧ってやつがあるだろ?」
「おう、難しい言葉を知ってるな」
「やかましいわ。話を戻すけど、外圧っていうのはネットでも色々飛び交うものなんだ」
「まあ、そうだろうな」
「だから、世界戦をやるまではあんまりボクシング系のニュースはネットで見るな。間違いなくクソみたいなコメントで溢れているから」
ボクシングに限らず、現在は誰でもどこからでも世界中へとメッセージを発信出来るようになっている。そのために、わざわざ本人へと届けなくてもいいメッセージがファンから本人へと届いてしまうことがままある。余計なことを伝えようとしている側は、なぜか自分が正しいことをしていると信じ切っているから厄介だ。
自分のことを検索する「エゴサーチ」は一般的にしない方がいいとは言われるものだが、実際に自分の提供してきたものがどれだけの反響があるかを知りたいと思うのは人の性だろう。そのため、芸術家でもスポーツ選手でもエゴサーチをする者は多い。
だが、ネット社会には誰が見ても危険な人物もいる。加えて、気遣いがないために必要以上に辛辣な意見を「私見ではありますが」の前置きを免罪符にして書き連ねるアホも多数いる。
そういった心無い言葉を見ても全く気にならない人もいれば、ひどく傷付く人もいる。伊吹の性格からして、そういった匿名の暴力に精神が蝕まれる可能性を感じた新堂は、前もってその芽を摘んでしまった方がいいと判断していた。
「そういうわけで、情報収集は日崎に任せろ。それから良い情報だけを聞け。悪い情報なんか聞かされても士気が下がるだけだ」
「なるほど。確かにそうだな」
「日崎にもそう言っとくよ。まあ、あいつはそんなことは言われなくても分かっているだろうけどな」
電話の向こうで新堂が笑う。
「なんだか、悪いな。気を遣ってもらって」
「そりゃあ、世界を獲った後は俺が指名してもらうんだからな。手厚くもなるぜ」
「分かった。それじゃあ雑音はシャットダウンして、試合に集中する」
「少なくとも俺はお前が勝つって信じているぜ。後はしっかり練習して、しっかり休むだけだ」
「ありがとう、頑張るよ。じゃあな」
通話を終える。しばらく物思いに耽った。
明日からも、さらに自分を追い込んで練習しないといけない。才能だけで何かを得る者もいるが、何かを成し遂げる者の多くは果てしない血の滲む努力の積み重ねで栄光を掴んでいく。
あれだけ不遜に振舞い一部の人間から嫌われ続けたフロイド・メイウェザーも裏では誰もマネできないほどの練習をしていたというのは有名な話だ。
才能だけで上へと上がってきた者は、一度攻略されてしまうと能力値が頭打ちになる傾向がある。今までより良い仕事をしようとした経験が無いからだ。
もしかしたら今日の会見はあの記者の関係者あたりから炎上させられるかもしれない。だが、知ったことか。
リングの正解は一つだけ。それは、勝つことだ。
伊吹は今一度、フアン・カルロス・ロブレス戦の勝利を誓った。
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