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人生初の告白
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「い、い、い、い、伊吹君……!」
「いや、何よそれ」
伊吹は不審過ぎる彩音のリアクションを訝しんだ。
鈍感を画に描いたような伊吹は、これから彩音が告白しようとしているなどとは夢に思っていなかった。ゆえに、声をかけただけでしどろもどろになった彩音は、伊吹の目にはただただ不審に映った。
「来ているなら、言ってくれたらいいじゃない」
「いや、遠くで『何やってるんだろうな』って思いながら見てた」
「見てたの?」
「ああ、話しかけていいか微妙な感じだったから」
彩音は顔から火が出そうになった。
――死にたい。
脳裏をよぎる四文字。自分史に爪痕を残す黒歴史となった。
本心で言えば「何で放っておくの!」と怒鳴りつけてやりたい気分になったが、今は怒っている場合ではない。そんなことをすれば、伊吹は将来を悲観して彩音をフるだろう。
だから、さっさと告白することにした。
「遠くから見ていたなら分かるかもしれないけどさ」
「うん」
「こうやって卒業式の日に呼び出される意味って……分かる、よね……?」
「んー……。んっ」
――こいつ、分かってねえな。
彩音の脳裏に、絶望的なテロップが流れる。
この鈍感男は、自分がどれだけのJKから好意を向けられていることも知らなければ、なぜ自分が同期の女子に二人きりで呼び出されたのかも分からないらしい。
リングの外になるとまるで無知な男に愛が冷めたら良かったのかもしれないが、一度誰かを好きになると不思議なもので、ダメなところでさえ魅力的に見えてしまうことがある。
今、彩音の中で起こっているのは、そういった残念な現象だった。
『仕方ない。直球で好きですって言うしかないか』
半ば諦めに近い境地。優れた遺伝子のお陰で数多の男から告白されてきたものの、その度に「好きな人がいるから」と断って来た。とうとうその好きな人に、自分から告白する番がやってきた。
「3年間ね、わたしはボクシング部の練習を支え続けて来て、君達のカッコいいところも、カッコ悪いところも見てきた」
「うん」
「それで、わたしなりに出来ることがあればって、色々頑張ってきたのね」
「おう、まあ、そうだな。そりゃ感謝してるよ」
伊吹がいくらか照れくさそうに返す。彩音へお礼を言うこと自体にそこまで慣れていないようだった。
「だから、伊吹君についても、本当に色々見てきたの」
「うん」
ここで、時が止まったような気分になった。彩音はその場で深呼吸する。
「君には、ずっと伝えたいことがあって……」
「……」
伊吹の表情が少しずつ変わっていく。鈍感を超えた鈍感でも、さすがに気付き始めているようだった。
あと一言。それだけをひり出せば、その先の未来が待っている。
その先が望ましいものなのか、それとも最悪な気分で一日を過ごすことになるのかは分からない。
ただ、言わなければ何も変わらない。
押し殺したこの気持ち――今ここで解放してやらなければ、一生後悔する。それだけは彩音にも分かっていた。
「伊吹君、わたし……」
「お、お前ら何やってんの?」
ふいに声のした方を見ると、不思議そうな顔で立っている新堂がいた。
フリーズ。三人同時に、その場で動けなくなった。
時間差で意味を理解した新堂が「ヤバい」という顔になる。彩音は全力で新堂を睨んだ。
彩音は咳払いして、次の言葉を発した。
「3年間マネージャーとして尽くしてきて、あなたの成し遂げてきた功績や努力には本当に尊敬しているの。新堂君、あなたもだよ」
どうしてか、本当に言いたいこととは全く別の言葉がスラスラと出てくる。
「だから、絶対に世界チャンピオンになってね。それが言いたかったの」
――全然、違う。
――本当に言いたかったのはそんなことじゃない。
だが、口をついて出るのは目撃されかけた告白を覆い隠す正当化だけだった。
いくら覚悟を決めてきたとはいえ、新堂の見ている前で伊吹に「好きです」と言う度胸までは無かった。
――あーあ。やっちゃったよ。
分離したもう一人の人格が言う。彩音は今、分かりやすい多重人格になっていた。
――だって、仕方ないじゃない。
責める自分に、本来の人格である彩音が反論する。もちろん、脳内だけで。
もっと早く、あと数十秒でも早く「好きです」って言えば良かった。
どれだけ後悔しても、取り返しのつかないことはある。
彩音はそれを最悪のタイミングで学ぶこととなった。
――死にたい。
同じ日に複数回死にたいと思ったのは初めてだった。
半ば抜け殻のようになった彩音に、伊吹が答える。
「ああ、俺は絶対に世界チャンピオンになる。そして、最初の挑戦者は新堂を指名する」
「おお、ガチか」
伊吹の言葉に、新堂ですら驚いた。
「んじゃ、俺が先に世界を獲ったら伊吹を指名するよ。その時ちゃんと世界ランキングで1位になっておけよ」
新堂がそう言うと、二人はガッチリと握手した。
――持っていかれた。何もかも。
もはやそこに、彩音の入り込む余地は無かった。
――新堂、憶えてろ。
脳内をよぎる呪詛。この怨みはずっと忘れまい。
だけど、もしかしたらこれで良かったのかもしれない。この二人は卒業してもライバルであり親友でもあるのだ。
ある意味、そんな二人を継続して見届けるための許可証をもらったような気分だった。
腐っていてもしょうがない。どうせわたし達はまた一緒に会って、一緒にくだらないことで笑い合っていけるんだ。
そう思ったら、いくらか気分は晴れやかになってきた。
「よっしゃ。じゃあ最後にやるぞ」
伊吹が手を差し出す。彩音や新堂も、伊吹の手に自分の手を重ねた。
三人で手を重ねて、「世界を獲るぞ」「おう!」と気合を入れる。体育会式メソッド。そこには別れて暮らしていくことの悲壮感は無かった。
もういちいち細かいことを考えるのはやめた。終わりよければ全て良し。伊吹に告白出来なかったことよりも、この瞬間を胸に刻んでいこうと思った。
そして、彩音は確信した。いつかきっと、またこうして集まれる日がやってくると。
だが、それと告白出来なかったことは別の問題だった。
二人と別れた彩音の胸に、それまで封じ込めていた悔しさや無念が押し寄せてくる。
一時的な高揚で意識の外へと追いやったものの、やはり自分の想いを伝えられなかった事実は、他の何かで充填出来るものではなかった。
人生初の告白に失敗した彩音は、その夜一人で密かに泣いた。
「いや、何よそれ」
伊吹は不審過ぎる彩音のリアクションを訝しんだ。
鈍感を画に描いたような伊吹は、これから彩音が告白しようとしているなどとは夢に思っていなかった。ゆえに、声をかけただけでしどろもどろになった彩音は、伊吹の目にはただただ不審に映った。
「来ているなら、言ってくれたらいいじゃない」
「いや、遠くで『何やってるんだろうな』って思いながら見てた」
「見てたの?」
「ああ、話しかけていいか微妙な感じだったから」
彩音は顔から火が出そうになった。
――死にたい。
脳裏をよぎる四文字。自分史に爪痕を残す黒歴史となった。
本心で言えば「何で放っておくの!」と怒鳴りつけてやりたい気分になったが、今は怒っている場合ではない。そんなことをすれば、伊吹は将来を悲観して彩音をフるだろう。
だから、さっさと告白することにした。
「遠くから見ていたなら分かるかもしれないけどさ」
「うん」
「こうやって卒業式の日に呼び出される意味って……分かる、よね……?」
「んー……。んっ」
――こいつ、分かってねえな。
彩音の脳裏に、絶望的なテロップが流れる。
この鈍感男は、自分がどれだけのJKから好意を向けられていることも知らなければ、なぜ自分が同期の女子に二人きりで呼び出されたのかも分からないらしい。
リングの外になるとまるで無知な男に愛が冷めたら良かったのかもしれないが、一度誰かを好きになると不思議なもので、ダメなところでさえ魅力的に見えてしまうことがある。
今、彩音の中で起こっているのは、そういった残念な現象だった。
『仕方ない。直球で好きですって言うしかないか』
半ば諦めに近い境地。優れた遺伝子のお陰で数多の男から告白されてきたものの、その度に「好きな人がいるから」と断って来た。とうとうその好きな人に、自分から告白する番がやってきた。
「3年間ね、わたしはボクシング部の練習を支え続けて来て、君達のカッコいいところも、カッコ悪いところも見てきた」
「うん」
「それで、わたしなりに出来ることがあればって、色々頑張ってきたのね」
「おう、まあ、そうだな。そりゃ感謝してるよ」
伊吹がいくらか照れくさそうに返す。彩音へお礼を言うこと自体にそこまで慣れていないようだった。
「だから、伊吹君についても、本当に色々見てきたの」
「うん」
ここで、時が止まったような気分になった。彩音はその場で深呼吸する。
「君には、ずっと伝えたいことがあって……」
「……」
伊吹の表情が少しずつ変わっていく。鈍感を超えた鈍感でも、さすがに気付き始めているようだった。
あと一言。それだけをひり出せば、その先の未来が待っている。
その先が望ましいものなのか、それとも最悪な気分で一日を過ごすことになるのかは分からない。
ただ、言わなければ何も変わらない。
押し殺したこの気持ち――今ここで解放してやらなければ、一生後悔する。それだけは彩音にも分かっていた。
「伊吹君、わたし……」
「お、お前ら何やってんの?」
ふいに声のした方を見ると、不思議そうな顔で立っている新堂がいた。
フリーズ。三人同時に、その場で動けなくなった。
時間差で意味を理解した新堂が「ヤバい」という顔になる。彩音は全力で新堂を睨んだ。
彩音は咳払いして、次の言葉を発した。
「3年間マネージャーとして尽くしてきて、あなたの成し遂げてきた功績や努力には本当に尊敬しているの。新堂君、あなたもだよ」
どうしてか、本当に言いたいこととは全く別の言葉がスラスラと出てくる。
「だから、絶対に世界チャンピオンになってね。それが言いたかったの」
――全然、違う。
――本当に言いたかったのはそんなことじゃない。
だが、口をついて出るのは目撃されかけた告白を覆い隠す正当化だけだった。
いくら覚悟を決めてきたとはいえ、新堂の見ている前で伊吹に「好きです」と言う度胸までは無かった。
――あーあ。やっちゃったよ。
分離したもう一人の人格が言う。彩音は今、分かりやすい多重人格になっていた。
――だって、仕方ないじゃない。
責める自分に、本来の人格である彩音が反論する。もちろん、脳内だけで。
もっと早く、あと数十秒でも早く「好きです」って言えば良かった。
どれだけ後悔しても、取り返しのつかないことはある。
彩音はそれを最悪のタイミングで学ぶこととなった。
――死にたい。
同じ日に複数回死にたいと思ったのは初めてだった。
半ば抜け殻のようになった彩音に、伊吹が答える。
「ああ、俺は絶対に世界チャンピオンになる。そして、最初の挑戦者は新堂を指名する」
「おお、ガチか」
伊吹の言葉に、新堂ですら驚いた。
「んじゃ、俺が先に世界を獲ったら伊吹を指名するよ。その時ちゃんと世界ランキングで1位になっておけよ」
新堂がそう言うと、二人はガッチリと握手した。
――持っていかれた。何もかも。
もはやそこに、彩音の入り込む余地は無かった。
――新堂、憶えてろ。
脳内をよぎる呪詛。この怨みはずっと忘れまい。
だけど、もしかしたらこれで良かったのかもしれない。この二人は卒業してもライバルであり親友でもあるのだ。
ある意味、そんな二人を継続して見届けるための許可証をもらったような気分だった。
腐っていてもしょうがない。どうせわたし達はまた一緒に会って、一緒にくだらないことで笑い合っていけるんだ。
そう思ったら、いくらか気分は晴れやかになってきた。
「よっしゃ。じゃあ最後にやるぞ」
伊吹が手を差し出す。彩音や新堂も、伊吹の手に自分の手を重ねた。
三人で手を重ねて、「世界を獲るぞ」「おう!」と気合を入れる。体育会式メソッド。そこには別れて暮らしていくことの悲壮感は無かった。
もういちいち細かいことを考えるのはやめた。終わりよければ全て良し。伊吹に告白出来なかったことよりも、この瞬間を胸に刻んでいこうと思った。
そして、彩音は確信した。いつかきっと、またこうして集まれる日がやってくると。
だが、それと告白出来なかったことは別の問題だった。
二人と別れた彩音の胸に、それまで封じ込めていた悔しさや無念が押し寄せてくる。
一時的な高揚で意識の外へと追いやったものの、やはり自分の想いを伝えられなかった事実は、他の何かで充填出来るものではなかった。
人生初の告白に失敗した彩音は、その夜一人で密かに泣いた。
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