俄雨の恋

六十月菖菊

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概要という名の蛇足(おまけ)

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 全ては、リヴィニの一目惚れから始まった。
 怪物に恋したなどという事実を、当の本人は苦しいほどに自覚しながら否定した。
 認めたくない。認められない。
 あんなものに恋をしたなんて、絶対に認めない。

 ────そうして選んだのが、自害である。

 リヴィニは調合師である。
 その腕を認められて宮廷調合師として王宮へ出仕していたほどで、あらゆる薬に精通していると同時に────彼女は毒の調合にも長けていた。

 怪物との遭遇後、彼女は自身が好きなフィアルカの種子と根茎とで調合した毒を飲んで死んだ。
 我ながら潔い死に方だったとリヴィニは笑って語っていたが、怪物は泣きそうになった。



 遭遇したあの夜。
 怪物も、リヴィニに一目惚れをした。
 リヴィニとは違い、怪物は自覚できなかった。
 捕食対象である人間を見て、初めて「食べたらひどく後悔しそうだ」と、思った程度である。
 リヴィニが死ぬところを彼は見ていた。
 不味いのかどうか試したくて、彼女の死体に喰らいついた。

 ────よく分からない味がした。

 美味くも、不味くもない。そんな感想を抱いた彼の目からは涙が溢れた。



 怪物は森の最奥に住む「青い魔女」を訪ねた。
 そこで、魔女からとある呪法を試さないかと唆されることになる。



 一度死んだリヴィニは、呪法により蘇った。
 正確に言うならば、死ぬ前の過去に遡ったのである。
 記憶のある状態で生を取り戻した彼女は大いに困惑し、今までのは予知夢だったのではと推測した。

 その後、未来を変えるべくリヴィニは行動を開始する。
 怪物に恋をするという未来を回避するため、怪物に遭わぬようにと計画を立てた。

 ────結果、その目論見は失敗した。

 リヴィニの前に、怪物は再び現れた。
 初めの遭遇では何もしなかった怪物が、リヴィニの腕を引きちぎった。
 そのときに、彼女は絶望した。

 ────人間と怪物とでは、やはり分かり合えないのだと。

 その後に事切れたリヴィニは、再び生きている過去に遡った。
 そしてまた、怪物と遭わぬために策を練った。
 しかし、怪物は何度も彼女の前に現れた。

 ────その度に、リヴィニは自害を選んだ。



 呪法の内容を知るのは青い魔女ただ一人である。
 リヴィニと怪物が、互いに知っていることを照らし合わせた結果分かったのは、リヴィニが記憶を持ち越して覚えている一方で、怪物は繰り返す度に記憶を消されているらしい、ということだった。

 それならば何故、怪物は毎度リヴィニのもとへ来てしまったのか。
 疑問に思って彼女が怪物にそう聞くと、彼自身もよく分かっていない様子で、ただ一言答えた。

「そこに行きたくて、行かなきゃいけないと思ったから」

 記憶を消されていながらも、リヴィニに会いたいと身体が動いた。
 そして何度も彼女に会いに行き────その度に彼女が死ぬところを見た。


 リヴィニが死ぬ度に、怪物は思い出すのだ。
 以前も自分と会った彼女は死を選んだことを。
 自分を置いて、ひとりで逝ってしまう彼女のことを。
 怪物である自分に、花の名前を与えてくれた彼女のことを。
 消されていた大切なこと全てを、一番大切な存在が死んでようやく、思い出すのだ。



 それが、どうしようもなく悲しくて、苦しくて。
 彼は情けなく泣きながら、何度も魔女に希った。


 ────「もう一度、やり直させてくれ」と。



 何が魔女の琴線に触れたのか。
 何回目かも分からない繰り返しで、魔女は呪法の内容を少し変えた。
 今までとは反対に、リヴィニの記憶を消し、怪物の記憶をそのままにしたのである。

 記憶を保持したまま遡った怪物は、恐れた。
 リヴィニに会いに行きたい。
 しかし、会ったら彼女は死んでしまう。
 また、置いて逝かれてしまう。
 彼女が死ぬことを、人喰いの怪物であるはずの彼は、ひどく恐れた。

 それでも、会いに行きたいという願望を抑えられずに、彼はリヴィニを遠くから見ていた。
 彼女が自分に与えた花の名前。彼女がその花を好きだということを覚えている彼は、その毒でいつも置いて逝かれているということを知りながらも、毎日リヴィニの家の前に贈り届けた。

 ────オレだよ、リヴィニ。
 ────お前が名付けた、花の名前を持つ怪物だ。

 家の前に毎日届けられる紫色の花を、いつも不思議そうに拾い上げていた。
 そして、普段はあまり表情の変わらない彼女が、ふわりと穏やかに笑う。
 怪物は、その瞬間が堪らなく好きだった。



 やがて、遭遇したあの日がやって来た。
 王宮勤めの決まった彼女を追って、怪物も王宮へと潜り込んでいた。
 彼女を見守りながら人々の噂話に耳を傾けて見れば、良からぬ話を聞いた。

 ────大臣の一人が、リヴィニ女史に懸想しているらしい。
 ────想いは告げたらしいが、断られたとか。
 ────どうやら寝込みを襲うつもりらしい。

 怪物の頭に血が上る。
 リヴィニが、下衆に襲われるかもしれない。

 ────彼女を守らなければ。
 ────不埒な輩を喰い殺さねば。

 オレからリヴィニを奪おうとする者は、誰一人として生かしてはおけない。



 とっぷりと更けた夜闇の中、紫眼がギラリと光を放つ。
 耳を済ませていれば、リヴィニの部屋へと向かってくる、ただ一人の気配を察知する。

 ────殺す。

 音もなく標的のもとへ向かうと、噂で聞いた人物が歩いてきていた。

 ────殺す。

 暗闇から這い出て、その首に躊躇いもなく噛みついた。
 男の悲鳴が、怪物の大きな手により封じられる。
 久々に喰らう人間の血肉は怪物の舌によく馴染んだ。
 初めは暴れていた身体も徐々に力を失い、やがてだらんと垂れ下がる。
 そのまま咀嚼を続けて味わっている内に、夢中になり過ぎたらしい。
 後ろの気配に、声をかけられるまで気付かなかった。



「こんばんは」



 そのたった一言を告げた声に、怪物は驚喜と恐怖を同時に体感した。
 やっと自分を見つけてくれたことへの喜び。
 自分に遭ってしまったことで彼女が死ぬことへの恐怖。
 嬉しくて恐ろしくて、怪物は身体を大きく震わせた。
 振り返って見てみれば、愛おしい彼女がすぐそこに居る。

 ────リヴィニ。

 我慢できずに、のそりのそりと近付こうとする。

「結局分からなかったことがあるんです」
「……?」

 彼女の言葉に動きを止めた。

「私、美味しかった? それとも不味かった? 気になって仕方が無くて、死のうにも死ねませんでした」

 怪物は身体をびくりと震わせた。
 これまでの繰り返しで、何も覚えていない自分は、何度かリヴィニを食べたことがある。 

 美味いか、不味いか────答えはどちらでもない。
 ただ悲しかっただけ。
 何も得られず、むしろ失っていく。
 何かが手の中から溢れ落ちていくようだった。


「……やっぱり、美味しくなかったんですね。だから残しちゃったんですよね」

 違う。違うんだ、リヴィニ。
 お前を失いたくないだけなんだ。
 ひとかけらだって、欠けさせたくない。



「私、あなたに言いたいことがあるんです」

 リヴィニが、怪物へと歩み寄る。

「フィアルカ、あなたが好きです。初めてお逢いしたあの時から、ずっと」


 ────気付けば、腕が伸びていた。

 その言葉を、ずっと待ち望んでいた気がする。
 出逢ったあの後に彼女が自殺した理由を知りたくて、ここまで繰り返して来てしまった。
 自分勝手に何度も何度も繰り返して、その度に彼女を傷付けてしまったことだろう。
 それでも知りたかった。リヴィニの心を。
 そして伝えたかった。怪物自身の心を。



「────リヴィニ」
「はい」

 腕の中で名を呼べば応える。
 嬉しくてまた勝手に涙が出た。

「好きだ」
「はい」
「オレを置いて逝くな」
「はい」
「もう、あの毒は飲むな」
「はい」
「オレは、リヴィニを二度と喰わない」
「不味いですもんね」
「違う」

 強く抱き締める。

「リヴィニを喰っても、悲しいだけだ」
「……そうですか」

 悲しくて、どうしようもなくなる。
 損なうことや失うことが、こんなにも苦しいなんて。
 それを教えてしまった彼女を、恨めしく思った。






「────で? めでたく事態は収拾したんだろう。なんでまた私を訪ねてくるんだ」
「リヴィニとの子どもが欲しい」
「直球か!」

 相も変わらず青色をした魔女は、ゲラゲラと嗤い飛ばす。

「できるぜ、普通に。お前にだって立派な『ナニ』は付いてんだろ? 普通に穴に突っ込んでナカに注いでやりゃあ、子どもなんて簡単にできる」

 口では下品に大雑把に説明しながらも、怪物でも分かりやすいように図を描いて、子作りの仕方を伝授していく。
 その様子を魔女の膝の上で見ていた使い魔の仔竜は、始終顔を顰めていた。

「いいか、初めは絶対に痛がる。だからドロドロに蕩けさせてやってから挿れてやるんだ。分かったな?」
「分かった!」

 魔女から説明を聞き終えた怪物は、意気揚々と帰って行った。

「……お前、そんな知識をどこで身に付けた?」

 白銀の竜が怪訝そうに────どこか不機嫌そうに────魔女に尋ねる。

「なんだ、気になるのか?」

 対する魔女はニヤニヤと嗤っている。

「…………」

 今度こそ思い切り顔を歪めて、不機嫌さを隠そうともしない。無言で魔女の膝から立ち上がり、その首へと喰らいついた。
 多少の身動ぎはしたものの、魔女は抵抗せずにされるがままだ。首からは、血が次から次へと流れ落ちていく。

「いいぜ、このまま喰い殺しても」

 せせら嗤う魔女を、竜が横目で睨む。
 喰らいついていた首から口を離すと、その姿を瞬時に人の形に変えた。
 白銀の髪と瞳に美しい見目をした青年は、魔女の膝の上に乗り上げたまま今度はその口に噛みついた。

「ん」

 口内を舌で蹂躙しながら、血塗れの首筋に指を這わせた。

「ロズ」

 長く深い口付けを終えて、竜が魔女の名を呼んだ。

「なんだよ」
「その身を気安く売るな」
「お優しい竜だな」
「他の女はどうでもいい。お前の身体は、俺が喰らう」
「前言撤回。お前、意外とゲスい竜だなぁ!」

 再びゲラゲラと下品に嗤う。

「いいぜ、約束してやんよ! なんなら今から番おうか?」

 魔女の手が妖しく動き、竜の身体を這う。
 竜はその手をパシンと叩き落とした。
 膝の上から退き、人型から仔竜の姿へと戻る。

「いっけず~!」

 全く残念ではなさそうに、愉しそうに魔女が野次を飛ばす。
 それを背に、竜はパタパタと翼を羽ばたかせて外へと出て行ったのだった。




「あんなに分かりやすいのに、救えねぇ奴だな」

 首から血を流す魔女の足元から前触れもなく、青く濁った水が溢れ出した。
 晒されている白肌を這い上がり、首元から流れゆく血を下から舐めとるように拭い去る。
 血が無くなったそこには、噛み跡すら残されていなかった。

「何万回も生まれ変わってりゃあ、娼婦の経験なんていくらでもあるっていうのに。心が狭いなぁ、私の使い魔は」

 ただ一人だけの部屋で、飽きもせずに嗤い続ける。

「そうだな。次に娼婦と関わることがあれば、その時は娼館のオーナーにでもなるか────ははっ! 女が女を売るとか、悪趣味だなぁ?」

 軽薄な呟きは、誰にも拾われない。



 ────高級娼館のオーナーとなった魔女と、かつて使い魔であった竜が再会を果たすのは、幾度の生を越えた先のことである。

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