君と君の好きな子の幸せ

くんくん

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7話・大切なもの

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「…よっ」

「よっ、じゃない。…一体何なんだよ…。」

中庭で虎を待っていると、思ったより早く虎が姿を現し、間の抜けた笑顔で軽い挨拶をする。
その態度があまりにも拍子抜けで、俺は少し腹を立てる。

「他人に授業サボらせといて、全く…。」

二年の夏休み明けなんだから、当然受験勉強はスタートダッシュが掛かっている。
なのに虎は簡単に、授業を抜け出す始末だ。

いくら本人に大学に行く気が無くっても、何だかその行動は俺を不安にさせる。
俺と仁は近場の大学を選択したけれど、一番頭が良い虎が自分の将来を放棄している。
何だかとても、不安になる。

『まさか…俺達と離れる事を望んでる?』

仁命の虎がまさか。
…そんな事を考えていると、いつの間にか虎は噴水の縁に腰掛けて、その横をポンポンと叩く仕草を見せる。

『ここに座れって事か…。』

他人の不安を他所に、マイペースな虎の指示に従って腰を下ろすと、虎は満足そうに一度微笑み、ポケットを弄り少し形がひしゃげた箱を取り出した。

「あっ…こら!ここ、学校だぞ?」

俺が慌てて制止すると、虎はことも無さげに制止を振り切り、それを薄い唇で咥える。

「授業始まってっからへーきへーき。」

「そういう問題じゃない…っ!」

とは言いつつ、俺の言う事など虎が聞く耳を持つとは思っていない。
それに…不謹慎な話だけれど、煙草を咥える虎の姿は、男の俺が見ても様になっている為、不快感は持っていない。

「まあまぁ、良いじゃねぇの。」

そう言って意地の悪い笑を見せると、虎はお気に入りだと言うライターを取り出す。
カキンッと小気味よい音が響く、そのデュポンと言うライターは、高校生の持ち物にしては高級な代物だと姉から聞いた事がある。

『そんな高い物、どうして虎は…。』

虎の実家は金持ちだ。
と言うか、由緒正しい一家の一人息子だから、一見ボンボン風情に見える。
…が、虎は実家との縁を反故にしている為、高校に入ると同時に一人暮らしをしている。

勿論実家からの支援はなく、普段は学校が終わると内緒でバーでアルバイトをしている。
家はお爺さんの持ち物らしいけど、それにしたって金銭の支援がないと、生活も苦労するだろうに。

『考えれば、虎の事何も知らない。』

改めて二人で会うと、気付くのは何時も、虎がいかに俺に優しく振舞っていても、その縁は仁によって齎された物だと言う事だ。

『……仁。』

心中でも、その名を口にするのは辛い。
胸が痛み鼓動を走らせ、不思議な切なさを感じる。
あれからと言うものの、仁とは全くの疎遠になったしまったからだ。

「…で、あれからどう?」

そんな俺の心中を察したか、何度か紫煙をくゆらせていた虎が口を開く。
左の眉尻に付けた鈍い輝きを纏ったボディピアスが、まるで威圧する様に俺を見ている。

「…どうって。…知ってる癖に。」

俺が未だ仁を避けている事を、虎は一番よく知っている。
寧ろ、2・3度来た後ピタリと止んだまま、俺に連絡も絶っている仁の気持ちや今の様子も、誰よりも良く把握している事だろう。

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、虎は方端だけ口角を上げながら続ける。

「知ってっけど。…そんで、この期間でお前の考えは纏まったわけ?」

「……それは。」

改めて突き付けられると、ぐうの音も出ない。
仁の事は自分で考えるし、応えも出すと宣言しておいて、結局何一つ考えは纏まっていない。

「ふーん…。そっか。」

独特な紫煙の香りが鼻をくすぐる。
虎は何かを考え込むようにして、煙草を口に咥えたまま空を見上げた。

あれから何度と無く、俺なりに冷静に考えようと努力した。
この1連の出来事に、ちゃんと決着をつけようと模索したのだけれど、その度に感情は昂り、冷静な思考を遮断してしまう。
まるで出口のない迷路のように。

「あんま難しく考える必要なくね?」

俺が考えあぐねていると、またもお察しと言わんばかりに虎が口を開く。
慌てて虎の方を見遣ると、虎もまた俺の方に視線を送っていた。

「難しく考えてなんか…!」

「じゃあ聞くけど。…お前、仁が好きかよ?」

「好き…?どんな意味かわからない…。友達としてなら好きだったけど…。」

俺が曖昧な発言をしたからか、虎はつまらなさそうに視線を戻すと、煙草を深く肺に吸い込み、それをゆっくりと吐き出す。

「そうじゃねぇだろ。好きか嫌いか、だ。」

「だから友達としては…。」

「…頑固頭。好きか、嫌いかしかねぇんだよ。」

話の通じない相手に、俺は少し苛ついていたが、虎は更に苛ついているようだ。
無機質な表情に現れなくとも、その声色で解る。

「もうここまで来たら、後は好きか嫌いかしかねぇんだよ。」

虎は言葉を続ける。
俺は虎の言わんとする事の意味を計り兼ねていて、黙ってその言葉に耳を傾けるしかない。

「仁は何年も前から、お前を好きだった。…まぁ、始めは女みてぇに儚い存在のお前を、ただ守りたいだけだったと思う。」

「だけど今は…立派な恋愛対象だ。」

「きっとお前に触れる事を期待している。誰にも触れさせないお前を、自分のモノにしてぇと思ってる。」

胸がツキンと波打つ。
…男同士で体に触れ合う?想像がつかない。
だけれど、だからと言って俺は女が好きなのかと言われれば…恋をした事がない以上、それも言い切る事が出来ない。

「そこまで来てる仁を、それでも好きでいられるか。若しくはキメェから、もう二度と顔も見たくねぇか。」

「…事態はもうそこまで来てんの。」

いつの間に吸い終わったのか、煙草を携帯灰皿に捻りながら虎が言う。
その言葉は冷酷に、俺へと現実を突きつける。

「…なぁ、虎。男同士で、恋やら愛やらって…どういう事なのかな。」

口をついて出てきたのは、素朴な疑問だった。
虎は小さな溜息を吐くと、俺の疑問に誠実に返答する。

「わかんねぇ。…けど、理屈でどうとでもなるなら、それは恋やら愛じゃねぇんじゃね?」

…確かにその通りなのかもしれないと、妙に納得する言葉だった。
問題は、そんな理性すら関与出来ない程の熱い感情を、俺自身が体験した事がない事にある。

「やっぱり、俺が女顔だから…そういう風に思えちゃうのかな。」

「…お前さ、何でもかんでも顔のせいにし過ぎ。俺はお前が美人でも、だから何だよとしか思わねぇよ。」

虎なら、そう言ってくれると思っていた。
…それは仁にとっても言えることなのかもしれない。

「ま、仁の気持ちや考えは…アイツにしか解んねぇ事だが。」

「だからこそ答えを出す前に、もう1回…アイツの話を聞いてやれば?…と、俺は思う。」

そこまで言うと虎は、未だ戸惑うばかりの俺をジッと見つめ、そして笑顔を見せながら言う。

「受け入れきれねぇって思うんなら、それはそれで仁が受け止めなきゃいけねぇ現実だ。…お前が気に病む必要もねぇ。」

「そん代わり、お前だって失う物はある。…恐らく今までの様に、何も無かった風に過ごす事は出来なくなる。…それは仁にとってもお前にとっても罰だ。」

そう言って、虎はもう1本煙草を取り出して咥える。
俺が視線を厳しくすると、悪戯っ子のように肩を竦めて、人差し指を立てて無言で笑った。

それっきり、虎はどこへ行くともなく、かといって口を開くでもなく、そのままその場で煙草をふかしていた。
だから俺も、その隣にただ座って、己の考えと気持ちを整頓する事にした。

「恋…か。」

解らない。…それがどんな物かが。
だけど虎の言うように、このまま仁を拒否する事にも抵抗がある。
幼い頃からずっと、ありのままの俺を受け止めてくれていた仁を、これっきり顔を合わせたくないと思う程に嫌いにはなれない。

寧ろ、好きな仁をこんな事で失うと思うと胸が苦しくなる。

けれども仁が望むように、俺も仁を愛する事が出来るのかと言えば…それも違う気がする。
だって、仁が俺を好きになった理由が不純だから。

『…いや、不純かどうかも…本人に聞いていないのだから…解らないのか。』

全くその通りだと思う。
虎は恋や愛を“理屈が通せる物じゃない”と言った。
だから俺が嫌悪感を抱く、その起因そのものが、仁からしたら全くのお門違いなのかも知れない。

『…とにかく、仁と話さなきゃ。』

正しい行動は、それしかない。
今度こそ、仁の言葉をしっかりと聞きたい。
何かがすれ違ったまま、このまま関係が解消してしまうのは、やっぱり辛い。

まだ恋愛が何なのか、仁が俺に対してどう思っているのか、そして俺が仁を受け入れられるのか。
全部解らない事ばかりだから、虎の言うようにもう少し話をしておきたい。

「ねぇ、虎。」

あれから暫く経ったが、未だに俺の隣で座っていてくれる虎に声を掛ける。
自分が思っている以上に声が上擦って、少し羞恥心が生まれる。

「…話すか、仁と。」

「……ん。」

すると又しても虎は俺の心を読み取ったように言った。
俺はそんな敏い虎にある種の劣等感に似た感情を抱き、そして連動するように返答する声が小さくか細く響いた。

「うっし!…なら善は急げ、だ。俺今日シフトだから、この後俺の家に来い。仁を連れてってやる。」

「えっ…でもっ。」

唐突に組まれる予定に戸惑うと、虎は二の語を言わせず“絶対来いよ”と俺に念を押して去ってしまった。

虎の居なくなった噴水の縁を、何気なく右手で撫でる。
…もしかしたら少し心細くて、もう少し虎と居たかったのかも知れない。

『甘えんぼ…。』

何時までも虎の姿に縋って、道を示してもらうばかりではいけない。
それは恐らく、仁にも言える事かも知れない。

『ここまでお膳たてしてもらったし…ちゃんとしなきゃ。』

仁とあれ以来、初めて話をする。
…そう思うと色んな感情がまぜこぜになる。

「…きっと大丈夫。」

なんの事を指したのか、自分でもよく解らない。
けれどそうやって自分に言い聞かせて、俺もその場から立ち上がった。

教室ではまさに授業の途中だったので、俺は体調の悪いふりをして保健室に暫し置いてもらう事にした。
目を閉じると何故か、鼓動が騒がしかったけれど、あまり意識しないように努めた。
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