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第二章 旅立ち
6話 罪人
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翌朝には出立しようと約束した二人だったが、結果として、それは叶わなかった。
「ゲホッ……ゲホッゴホッ……」
上着を着込んだまま、ベッドの上で体を丸めて咳き込んでいるアルフレッドの横に腰掛けて、ジュードは彼の背中を何度もさすった。
「う……ご、ごめんなさ……今日、出発できるはずだったのに……」
「謝ることなんてありませんよ。ここ数日の無理が祟ったんでしょう。俺こそ、今まで気づけずすみませんでした」
ジュードにとっては慣れたものだが、ろくに風呂にも入れず、まともな寝床もない中での生活など、アルフレッドにとっては負担でしかなかったことだろう。アルフレッド自身は気丈に振る舞っていたからこそ、もう少し気遣ってやるべきだったと、ジュードは内心で己の行動を悔いた。
「こうなったら、全快するまでここの連中にたっぷり世話になってやりましょう。あのリンという青年も『好きなだけ休んでいけ』と散々言ってましたからね」
多少の不安要素はあるが、ここが療養に最適の場所であることは間違いない。開き直るジュードを見上げて、アルフレッドはようやく落ち着いてきたらしい呼吸の間に小さな呟きを零した。
「……でも、ジュードさんは……ここにいるの、イヤ、ですよね……」
「なんでです? 俺は別に構いませんよ」
「だって、抹香臭いのは嫌いって……」
申し訳なさそうにこちらを見つめるアルフレッドの表情に、思わず苦笑が漏れる。
「あれはどうにか教会に連れて行かれるのを避けようと思って、適当に言い訳しただけですよ。別に俺個人としては、宗教そのものに思うところはありません。無闇に押し付けてくる輩は鬱陶しいとは思いますが……まあ、神にすがりたくなる気持ちってのも、理解出来ない訳じゃないですからね」
どうにもならない現実に直面した時、他者にすがって逃げ道を求めたくなるのが人間というものだ。しかし、宗教がその逃げ道になるのは、神を信じている者に限ってのこと。少なくとも、ジュードにとっては縁のない話である。
「ともかく、体が良くなるまで俺がそばにいますから、アルフレッド様は何も気にせず休んで……」
「失礼。もう起きているだろうか」
唐突に響いた硬いノックの音と、それに似つかわしい堅苦しい口調にを遮られ、ジュードはため息を吐きながら言葉を切った。
「そんな大きな声を出されたら、寝てたって起きるだろ」
上着についたフードを被ってじっとしているようにと、手の動きでアルフレッドに示しながら、ジュードはぞんざいな口調でリンの声に応えた。
「あ、その……すまない。お前は声が大きすぎるとよく言われるんだが、どうしても直らなくて……配慮が足りなかった」
ジュードとしては挨拶代わりの軽口のつもりだったのだが、言われたリンの方はやけに大袈裟に受け止めてしまったらしい。扉越しに聞こえる声は、顔が見えなくても明らかなほど落ち込んでいた。
「いや……あんたが心配してくれてることは分かってるよ。すまん、わざとキツい言い方をした」
薄々分かってはいたが、リンはずいぶん生真面目な性格のようだ。あまり軽口を叩いて良い相手でも無いらしい。
「その、アルの具合はどうだろうか……」
「残念ながら、あまり思わしくないな。今朝は咳まで出るようになった」
「そうか……それは心配だな」
リンの表情を窺うことは出来ないが、心からアルフレッドのことを案じている様子は伝わってくる。そんな若者を必要以上に邪険にするのも胸が痛い。
「あんた、なんでそこまで俺たちに……というかアルに気を配ってくれるんだ。盗賊の件だって、あんた個人に礼をしてもらうようなことじゃないだろ」
「それは……初めの無礼を詫びたい、というのが一番だが、その、普段は歳の近い相手と話す機会がほとんど無いものだから、つい気になってしまって」
「ほう。言われてみりゃ確かに、ここの修道士の中じゃ、あんた明らかに若い方だったな」
「そうなんだ。もちろん皆尊敬すべき兄弟たちなのだが、どうにも輪に入れないことが多くて…………いや、今のは口が滑った。忘れてくれ」
早口にそう言って、リンはそれきり押し黙ってしまった。
「ジュードさん……」
アルフレッドに軽く袖を引っ張られ、ベッドの方に視線を向ける。
「あの、ドアを……開けてあげてください。僕もリンさんと、話してみたいです」
「アル……」
アルフレッドがそう言うだろうことは、リンの発言を聞いた時点である程度予想が出来ていた。アルフレッド自身、兄でも使用人でもない同世代の人間と話す機会など今まで無かったはずだ。こればかりは、ジュードが代わりに埋めてやる事も出来ない。
「…………」
まだ小さく咳き込んでいるアルフレッドに水差しから注いだ水を手渡し、ジュードはひとり思案を巡らせる。今、天秤にかけるべきは何だ。起こるかもしれない災いからアルフレッドを遠ざける事と、アルフレッド自身の気持ち。ジュードにとって、どちらの方が重いのか。
「…………はあ」
答えの分かりきった自問に、思わずため息が漏れる。いくら守るだの支えるだのと嘯いてみたところで、そこにアルフレッドの気持ちが伴わないのなら、何の意味も無い。
「自分が風邪っ引きだってこと、忘れないでくださいよ」
小声で釘を刺して、ベッドから腰を上げる。そのまま扉を引くと、ジュードよりは少し背の低い青年が姿勢よく立っていた。
「あんたさえ良ければ、少しの間アルの話し相手になってやってくれないか。寝てばかりで退屈してるらしい」
「……良いのか?」
「ああ。ただし、あんた以外の人間は中に入れないようにしてくれ。あまり疲れさせたくないからな」
そう言って部屋の中を示しながら、ジュードはドアの横に立てかけてあった杖を手にした。
「貴方はどこに行くんだ?」
「街まで買い出しに行ってくる。長旅は何かと入り用なんでな」
半分は本音で、半分は建前だ。せっかく都市部に立ち寄ったのだから物資を整えておきたいと思ったのは事実だが、今はどちらかというと、気まずさから逃げる意味合いの方が強かった。この部屋に居座って、リンとアルフレッドの会話を邪魔する気にはどうしてもなれない。
「昼過ぎには帰る」
片手をひらりと振って、ジュードは振り返らずに部屋を後にした。この選択が、どうかアルフレッドを傷つける事がないようにと願いながら。
*
遠ざかっていく足音を聞きながら、アルフレッドは深く被ったフードに手を添えて、無意識に動いてしまいそうになる耳を押さえた。放っておくとアルフレッドの事ばかり優先しようとするジュードを解放するためにリンを呼んだはずなのに、結果としてただ追い出した形になってしまった。
「あー……その、すまない。なにやら邪魔をしてしまったようで……」
若干気まずい空気が伝わったのか、リンはベッド横の椅子に浅く腰掛けて、申し訳なさそうに体を縮こまらせている。
「邪魔だなんて、そんな……僕こそいきなり呼び込んでしまって、ごめんなさい。お仕事は大丈夫ですか?」
「ああ、それなら問題ない。巡回の交代時間にはまだあるし……というか、君の看病が出来るよう、クレイグ司祭が取り計らってくださったんだ」
「クレイグ司祭が……」
アルフレッドの脳裏に、昨夜会った壮年の男性の姿が過ぎる。アルフレッドには剣術のことなど分からないが、クレイグがかなりの実力者であろうことは、素人目にもなんとなく理解出来た。
「……昨夜は全然お話できなかったけど、立派な人なんでしょうね」
「それはもう! 強く、賢く、慈悲深く、誰よりも神に仕えるに相応しいお方だ。なにしろ、教会の前に捨てられていた私を受け入れて、ここまで育ててくださったのだからな。独り身で、己の職務を果たしながら見ず知らずの子供を育て上げるなんて、誰にでも出来ることではないだろう?」
自らが敬愛する人について語るリンの瞳が輝いているのを目の当たりにして、アルフレッドは自分の感覚が間違っていなかったことを確信した。それは、クレイグが立派な人間であるということ……ではなく、リンが比較的信用のおける人間だという直感だ。
ジュードと共に屋敷を出るまで、ほとんど他人と関わる事のない暮らしを送ってきたアルフレッドだが、それでも人を見る目には自信があった。獣の本能とでも言うべき能力で、アルフレッドは他人の嘘を嗅ぎ分けることに長けているのだ。
それは例えば、瞬きの頻度であったり、呼吸の速さ、汗の臭い。そういった普通の人間には見分けられない些細な変化を、アルフレッドの五感は“嘘吐きの臭い”として感じ取ることが出来る。といっても、鼻がろくに効かない今は、主に目と耳に頼るしかないのだが。
「クレイグさんは、リンさんにとって大切な人なんですね」
「そうだな。父として、師として、誰よりも尊敬している」
そう言いきったリンから嘘の臭いは感じない。正直者が必ずしも善人であるとは限らないが、少なくとも、本心をひた隠しにする人間よりは、幾分か安心して接することが出来る。
「……なんだか、クレイグさんの方が、リンさんにとっての神様みたいですね」
ポツリと零したアルフレッドの言葉が予想外だったのか、リンは驚いたように黒い瞳を瞬いた。
「神様、か……そんなことは初めて言われたな。たしかにクレイグ司祭は素晴らしい方だが、私たちにとっての神は、アリエト様だけだよ」
「……そうですよね。すみません、僕は信仰には疎いので」
「別に謝ることでもないさ。そもそも、そういう人に教えを伝えることも、私たちの使命なのだからな」
そう言って、リンは自信ありげに笑う。迷いのないその生き方が、今のアルフレッドには眩しくも感じられた。少し目を伏せたアルフレッドに真っ直ぐ向き合って、リンはなおも語る。
「知らないことは何の問題でもない。救いを求める者に対して、アリエト様は常に平等に手を差し伸べてくださるからな。富める者も、貧しい者も、子供も、老人も、皆同じだ」
「…………ワーウルフも、ですか?」
余計なことを聞いている自覚はあった。ジュードがこの場にいたら、もっと危機感を持てと叱られることだろう。
それでも、聞いてみたかった。この“正しい”青年が、罪深い獣たちのことを、どう考えているのか。人では無い者に救いは無いと一蹴されるかとも思われたが、リンが発した答えは、アルフレッドの想像とは少し違っていた。
「救われたいと手を伸ばすのなら、ワーウルフたちだって例外じゃない。言ったろう、アリエト様は常に平等だと。それはどんな罪人であっても同じことだ」
罪人という言葉に、胸が一瞬焼けるようにジリリと痛んだ。やはりアリエト教の信者にとって、ワーウルフは疑いようのない罪人なのだろう。けれど、そう言われても仕方のない理由も確かにある。アルフレッド自身も、嫌というほど身に覚えのある理由だ。
「人も、獣も、その肉体はいずれ大地に……アリエト様の元へと還る。だが穢れた魂はアリエト様の元へ還ることが出来ずに取り残されてしまう。だから我々はこうして日々祈りを捧げ、己の中にある穢れと向き合っているんだ。ワーウルフでなくとも、罪を犯したことの無い人間なんていないからな」
「……祈れば、罪は許されるんですか」
「その心が本物ならな」
リンの答えには躊躇いも迷いも無い。幼い頃から育てて来たであろう信仰は、きっと彼の中に深く根付いているのだろう。だがアルフレッドにとっては、神を信じて心からの祈りを捧げるなど到底無理な話だ。そもそもアルフレッドが許しを乞いたい相手は、神様ではないのだから。
「アルにも、何か許されたい罪があるのか?」
「それは……はい」
小さく頷いたきりアルフレッドが黙ったからか、リンも何かを察してそれ以上は追求してこなかった。そのまま自然と話題は他のことへ移り、ジュードが帰ってくるまで、二人は取り留めのない会話を続けた。
この血筋に産まれたこと自体が罪なのだとしても、今のアルフレッドにはもう、生きていたいと思える理由がある。だから神様の前で懺悔はしない。
たとえこの魂が大地へ還ることがないとしても、この肉体がある限り、あの人の傍にいられるならそれで良い。
「ゲホッ……ゲホッゴホッ……」
上着を着込んだまま、ベッドの上で体を丸めて咳き込んでいるアルフレッドの横に腰掛けて、ジュードは彼の背中を何度もさすった。
「う……ご、ごめんなさ……今日、出発できるはずだったのに……」
「謝ることなんてありませんよ。ここ数日の無理が祟ったんでしょう。俺こそ、今まで気づけずすみませんでした」
ジュードにとっては慣れたものだが、ろくに風呂にも入れず、まともな寝床もない中での生活など、アルフレッドにとっては負担でしかなかったことだろう。アルフレッド自身は気丈に振る舞っていたからこそ、もう少し気遣ってやるべきだったと、ジュードは内心で己の行動を悔いた。
「こうなったら、全快するまでここの連中にたっぷり世話になってやりましょう。あのリンという青年も『好きなだけ休んでいけ』と散々言ってましたからね」
多少の不安要素はあるが、ここが療養に最適の場所であることは間違いない。開き直るジュードを見上げて、アルフレッドはようやく落ち着いてきたらしい呼吸の間に小さな呟きを零した。
「……でも、ジュードさんは……ここにいるの、イヤ、ですよね……」
「なんでです? 俺は別に構いませんよ」
「だって、抹香臭いのは嫌いって……」
申し訳なさそうにこちらを見つめるアルフレッドの表情に、思わず苦笑が漏れる。
「あれはどうにか教会に連れて行かれるのを避けようと思って、適当に言い訳しただけですよ。別に俺個人としては、宗教そのものに思うところはありません。無闇に押し付けてくる輩は鬱陶しいとは思いますが……まあ、神にすがりたくなる気持ちってのも、理解出来ない訳じゃないですからね」
どうにもならない現実に直面した時、他者にすがって逃げ道を求めたくなるのが人間というものだ。しかし、宗教がその逃げ道になるのは、神を信じている者に限ってのこと。少なくとも、ジュードにとっては縁のない話である。
「ともかく、体が良くなるまで俺がそばにいますから、アルフレッド様は何も気にせず休んで……」
「失礼。もう起きているだろうか」
唐突に響いた硬いノックの音と、それに似つかわしい堅苦しい口調にを遮られ、ジュードはため息を吐きながら言葉を切った。
「そんな大きな声を出されたら、寝てたって起きるだろ」
上着についたフードを被ってじっとしているようにと、手の動きでアルフレッドに示しながら、ジュードはぞんざいな口調でリンの声に応えた。
「あ、その……すまない。お前は声が大きすぎるとよく言われるんだが、どうしても直らなくて……配慮が足りなかった」
ジュードとしては挨拶代わりの軽口のつもりだったのだが、言われたリンの方はやけに大袈裟に受け止めてしまったらしい。扉越しに聞こえる声は、顔が見えなくても明らかなほど落ち込んでいた。
「いや……あんたが心配してくれてることは分かってるよ。すまん、わざとキツい言い方をした」
薄々分かってはいたが、リンはずいぶん生真面目な性格のようだ。あまり軽口を叩いて良い相手でも無いらしい。
「その、アルの具合はどうだろうか……」
「残念ながら、あまり思わしくないな。今朝は咳まで出るようになった」
「そうか……それは心配だな」
リンの表情を窺うことは出来ないが、心からアルフレッドのことを案じている様子は伝わってくる。そんな若者を必要以上に邪険にするのも胸が痛い。
「あんた、なんでそこまで俺たちに……というかアルに気を配ってくれるんだ。盗賊の件だって、あんた個人に礼をしてもらうようなことじゃないだろ」
「それは……初めの無礼を詫びたい、というのが一番だが、その、普段は歳の近い相手と話す機会がほとんど無いものだから、つい気になってしまって」
「ほう。言われてみりゃ確かに、ここの修道士の中じゃ、あんた明らかに若い方だったな」
「そうなんだ。もちろん皆尊敬すべき兄弟たちなのだが、どうにも輪に入れないことが多くて…………いや、今のは口が滑った。忘れてくれ」
早口にそう言って、リンはそれきり押し黙ってしまった。
「ジュードさん……」
アルフレッドに軽く袖を引っ張られ、ベッドの方に視線を向ける。
「あの、ドアを……開けてあげてください。僕もリンさんと、話してみたいです」
「アル……」
アルフレッドがそう言うだろうことは、リンの発言を聞いた時点である程度予想が出来ていた。アルフレッド自身、兄でも使用人でもない同世代の人間と話す機会など今まで無かったはずだ。こればかりは、ジュードが代わりに埋めてやる事も出来ない。
「…………」
まだ小さく咳き込んでいるアルフレッドに水差しから注いだ水を手渡し、ジュードはひとり思案を巡らせる。今、天秤にかけるべきは何だ。起こるかもしれない災いからアルフレッドを遠ざける事と、アルフレッド自身の気持ち。ジュードにとって、どちらの方が重いのか。
「…………はあ」
答えの分かりきった自問に、思わずため息が漏れる。いくら守るだの支えるだのと嘯いてみたところで、そこにアルフレッドの気持ちが伴わないのなら、何の意味も無い。
「自分が風邪っ引きだってこと、忘れないでくださいよ」
小声で釘を刺して、ベッドから腰を上げる。そのまま扉を引くと、ジュードよりは少し背の低い青年が姿勢よく立っていた。
「あんたさえ良ければ、少しの間アルの話し相手になってやってくれないか。寝てばかりで退屈してるらしい」
「……良いのか?」
「ああ。ただし、あんた以外の人間は中に入れないようにしてくれ。あまり疲れさせたくないからな」
そう言って部屋の中を示しながら、ジュードはドアの横に立てかけてあった杖を手にした。
「貴方はどこに行くんだ?」
「街まで買い出しに行ってくる。長旅は何かと入り用なんでな」
半分は本音で、半分は建前だ。せっかく都市部に立ち寄ったのだから物資を整えておきたいと思ったのは事実だが、今はどちらかというと、気まずさから逃げる意味合いの方が強かった。この部屋に居座って、リンとアルフレッドの会話を邪魔する気にはどうしてもなれない。
「昼過ぎには帰る」
片手をひらりと振って、ジュードは振り返らずに部屋を後にした。この選択が、どうかアルフレッドを傷つける事がないようにと願いながら。
*
遠ざかっていく足音を聞きながら、アルフレッドは深く被ったフードに手を添えて、無意識に動いてしまいそうになる耳を押さえた。放っておくとアルフレッドの事ばかり優先しようとするジュードを解放するためにリンを呼んだはずなのに、結果としてただ追い出した形になってしまった。
「あー……その、すまない。なにやら邪魔をしてしまったようで……」
若干気まずい空気が伝わったのか、リンはベッド横の椅子に浅く腰掛けて、申し訳なさそうに体を縮こまらせている。
「邪魔だなんて、そんな……僕こそいきなり呼び込んでしまって、ごめんなさい。お仕事は大丈夫ですか?」
「ああ、それなら問題ない。巡回の交代時間にはまだあるし……というか、君の看病が出来るよう、クレイグ司祭が取り計らってくださったんだ」
「クレイグ司祭が……」
アルフレッドの脳裏に、昨夜会った壮年の男性の姿が過ぎる。アルフレッドには剣術のことなど分からないが、クレイグがかなりの実力者であろうことは、素人目にもなんとなく理解出来た。
「……昨夜は全然お話できなかったけど、立派な人なんでしょうね」
「それはもう! 強く、賢く、慈悲深く、誰よりも神に仕えるに相応しいお方だ。なにしろ、教会の前に捨てられていた私を受け入れて、ここまで育ててくださったのだからな。独り身で、己の職務を果たしながら見ず知らずの子供を育て上げるなんて、誰にでも出来ることではないだろう?」
自らが敬愛する人について語るリンの瞳が輝いているのを目の当たりにして、アルフレッドは自分の感覚が間違っていなかったことを確信した。それは、クレイグが立派な人間であるということ……ではなく、リンが比較的信用のおける人間だという直感だ。
ジュードと共に屋敷を出るまで、ほとんど他人と関わる事のない暮らしを送ってきたアルフレッドだが、それでも人を見る目には自信があった。獣の本能とでも言うべき能力で、アルフレッドは他人の嘘を嗅ぎ分けることに長けているのだ。
それは例えば、瞬きの頻度であったり、呼吸の速さ、汗の臭い。そういった普通の人間には見分けられない些細な変化を、アルフレッドの五感は“嘘吐きの臭い”として感じ取ることが出来る。といっても、鼻がろくに効かない今は、主に目と耳に頼るしかないのだが。
「クレイグさんは、リンさんにとって大切な人なんですね」
「そうだな。父として、師として、誰よりも尊敬している」
そう言いきったリンから嘘の臭いは感じない。正直者が必ずしも善人であるとは限らないが、少なくとも、本心をひた隠しにする人間よりは、幾分か安心して接することが出来る。
「……なんだか、クレイグさんの方が、リンさんにとっての神様みたいですね」
ポツリと零したアルフレッドの言葉が予想外だったのか、リンは驚いたように黒い瞳を瞬いた。
「神様、か……そんなことは初めて言われたな。たしかにクレイグ司祭は素晴らしい方だが、私たちにとっての神は、アリエト様だけだよ」
「……そうですよね。すみません、僕は信仰には疎いので」
「別に謝ることでもないさ。そもそも、そういう人に教えを伝えることも、私たちの使命なのだからな」
そう言って、リンは自信ありげに笑う。迷いのないその生き方が、今のアルフレッドには眩しくも感じられた。少し目を伏せたアルフレッドに真っ直ぐ向き合って、リンはなおも語る。
「知らないことは何の問題でもない。救いを求める者に対して、アリエト様は常に平等に手を差し伸べてくださるからな。富める者も、貧しい者も、子供も、老人も、皆同じだ」
「…………ワーウルフも、ですか?」
余計なことを聞いている自覚はあった。ジュードがこの場にいたら、もっと危機感を持てと叱られることだろう。
それでも、聞いてみたかった。この“正しい”青年が、罪深い獣たちのことを、どう考えているのか。人では無い者に救いは無いと一蹴されるかとも思われたが、リンが発した答えは、アルフレッドの想像とは少し違っていた。
「救われたいと手を伸ばすのなら、ワーウルフたちだって例外じゃない。言ったろう、アリエト様は常に平等だと。それはどんな罪人であっても同じことだ」
罪人という言葉に、胸が一瞬焼けるようにジリリと痛んだ。やはりアリエト教の信者にとって、ワーウルフは疑いようのない罪人なのだろう。けれど、そう言われても仕方のない理由も確かにある。アルフレッド自身も、嫌というほど身に覚えのある理由だ。
「人も、獣も、その肉体はいずれ大地に……アリエト様の元へと還る。だが穢れた魂はアリエト様の元へ還ることが出来ずに取り残されてしまう。だから我々はこうして日々祈りを捧げ、己の中にある穢れと向き合っているんだ。ワーウルフでなくとも、罪を犯したことの無い人間なんていないからな」
「……祈れば、罪は許されるんですか」
「その心が本物ならな」
リンの答えには躊躇いも迷いも無い。幼い頃から育てて来たであろう信仰は、きっと彼の中に深く根付いているのだろう。だがアルフレッドにとっては、神を信じて心からの祈りを捧げるなど到底無理な話だ。そもそもアルフレッドが許しを乞いたい相手は、神様ではないのだから。
「アルにも、何か許されたい罪があるのか?」
「それは……はい」
小さく頷いたきりアルフレッドが黙ったからか、リンも何かを察してそれ以上は追求してこなかった。そのまま自然と話題は他のことへ移り、ジュードが帰ってくるまで、二人は取り留めのない会話を続けた。
この血筋に産まれたこと自体が罪なのだとしても、今のアルフレッドにはもう、生きていたいと思える理由がある。だから神様の前で懺悔はしない。
たとえこの魂が大地へ還ることがないとしても、この肉体がある限り、あの人の傍にいられるならそれで良い。
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