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最終章 輝く花にくちづけを
5話 誤解と亀裂
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ユリナさんの様子がおかしい。
この二日ほど、彼女から露骨に避けられている気がする。……いや、気がするなどという次元の話ではない。声をかければ目を逸らされ、近づこうとすれば逃げられる。これ以上無いほど明らかに距離を置かれていた。理由は分からない。
「…………はあ」
執務机にぼんやりと座ったまま、アランは大きくため息を吐き出した。思い当たる事と言えば、ユリナからの誘いを断ってしまったことくらいだが、あの後も彼女は普通に接してくれていた。少なくとも、こんなにもはっきりと避けられてはいなかったはずなのに、それがどうしてこんな事になったんだ。
ユリナの様子が明らかにおかしくなったのは、双子の服を仕立てるために、マドリーンを屋敷に招いたあの日……より正確に言うならば、マドリーンの付き人の男性と彼女が二人で話し込んでいた直後からだ。
そもそも普段の彼女なら、マドリーンを介さずその弟子に直接依頼するなどという、下手をすれば無礼と取られかねないような事はしないはずだ。
だったら、あの時の二人は一体何の話をしていたんだろう。まさか……
知らず手に力を入れてしまい、右手に持ったままのペンがミシミシと音を立てる。
馬鹿な、彼女があの男と一緒にいたのは、ほんの僅かな時間だった。それだけの間に何が起こり得るって言うんだ。
そうやって必死で言い聞かせながらも、頭の奥では疑念が拭えないままだった。人が恋に落ちるのに時間は必要無いのだということを、なにより自分自身が、この身をもって知っている。
その想いを、今日まで伝えずに来てしまった自分が悪いのだと言うことも分かっている。
けれど、だったらどうする? このまま彼女を手放す事なんて出来やしない。だけど彼女に辛い思いをさせる事だって本意じゃない。
もしも本当に思っている通りの事が起きているのなら……自分は身を引くべきなのだろうか。
そのことを想像しただけで、息が出来なくなりそうだった。隣にいて、ただ笑っていてくれるだけで良いと思っていたのに、それすら許されないのなら、僕はまた、進むべき道を見失ってしまう。
居ても立ってもいられなくなって、勢い良く席を立つ。その途端、ノックもなしに扉が開いた。
「なんです、落ち着きのない……書類にまみれて苦労しているかと思えば、黙って座っている事も出来ないのですか貴方は」
「ウォルター……」
突然部屋に現れた男の嫌味な言い回しに、思わず苦々しい声が洩れる。このまま無視して部屋を飛び出してしまいたいところだが、そういう訳にもいかないので、仕方なく再び腰を下ろした。
「……お前がわざわざ顔を出すとはな。何かあったのか」
平静を装って訊ねると、ウォルターは机の前まで歩み寄ってきて軽く肩をすくめた。
「先日、オース街道で事件を起こした魔術師の処遇について、全く何の進展もしていないという事をお伝えしに来ました」
「そうか……」
アランの命を狙う為だけに、天候を操り、街道を破壊し、国を混乱に陥れた男。宿屋ではヘクターと名乗っていたが、結局はそれも偽名だった。彼の本当の名は、ローランというらしい。
「彼……ローランの身柄についてですが、魔術師団の幹部達の間でもかなり持て余しているようです。なにしろ、我が国でも類を見ないほどの使い手ですからね。師団に引き入れて戦力にするべきだと言う者、即刻処刑してしまうべきだと言う者……『私』という実例があるので、危険因子でも使いようによっては有用だろうと、これはラヴェイルの言ですが。全くあの男は、何を言わせても不愉快極まりないですね」
そう言ってウォルターが口元を歪ませる。
グランツ亡き今、再び立場が危うくなりつつあるウォルターを、なんだかんだ一番庇っているのはラヴェイルだ。その事を分かっているからこそ、この男もますますラヴェイルに突っかかるのだろう。他人事ながら、なかなかに面倒くさい関係だ。
「まあ彼の今後については、お偉方に任せておけばいいでしょう。それより、街道の宿駅の方はどうなったんですか」
「……ああ、ヘクター……いや、ローランの妻が、彼女の弟夫妻と共に再開すると言っていた。道の工事も大分進んでいる」
「そうですか、それは重畳です。あそこの宿屋は旅人にとって重要な拠点ですし、いつまでも閉められていては困りますから」
ローランが起こした事件について、彼の妻に説明しに行ったところ、驚いた事に彼女はほとんど動揺せずにそれを受け入れた。
いつもどこか遠くを見ているような不安定な人だったから、いつかはこうなるのではないかと思っていたのだそうだ。さすがにこんな大事をやらかすとは思っていなかったけれど、と冗談めかして笑いもした。
ずっと、夫の中に別の誰かがいることも、彼女は分かっていた。分かっていて、それでも、いつか来る終わりの時まで、彼のそばにいると決めたのだ。
ローランは……あの男は、とんでもない愚か者だ。すぐそばに支えてくれる人がいたのに、それに気づかないまま全てを投げ出してしまった。師団に引き入れられるにしろ、このまま処分されるにしろ、彼が宿屋の主人として妻の元へ帰れる日は、もう二度と来ない。
……いや、愚かなのは自分も同じか。
大切な人の気持ちが離れようとしているのに何も出来ず、こうして一方的な想いを拗らせているだけの自分に、ローランを批判する権利はない。
再びため息を吐き出したくなったが、その前にウォルターが口を開いた。
「書類の山がまるで減っていないところを見るに、貴方また何か余計な用事を抱えているのではありませんか? 困りますねえ。貴方が勝手に忙殺されるのは構いませんが、少しは骨のある仕合をしていただかないと、観光客は満足しませんよ」
その言葉を聞いて我に返った。そうだ、いろいろな事が重なり過ぎてすっかり頭の隅に追いやっていたが、三日後の夜光祭では、この男と手合わせをしなくてはいけない。
「わざわざ言うまでもないと思ってこれまで黙っていましたが、私は貴方の事が嫌いなので、一切手加減しませんよ」
「……本当に嫌な奴だな、お前は」
グランツに向けていた大き過ぎる感情の反動か、アランが見習いの頃から、ウォルターは過剰なくらいに厳しかった。父に殴られた事は一度もないが、ウォルターに修行と称して蹴り飛ばされた事は何度もある。アランが十二、ウォルターが二十六の頃の話だ。今思うとかなり大人げない。
「お前に心配されなくても、日頃の分までやり返させてもらう。覚悟しておけ」
「おや、それは楽しみですね」
アランのはったりなど見透かした様子で、ウォルターが軽く笑う。
咄嗟に強気な事を言ってしまったが、正直なところ全く自信はなかった。単純な力で言えばウォルターよりもアランの方が勝っているのだが、如何せんウォルターには迷いというものが一切無い。そのうえ細身ながらも鍛え上げられた体躯はどこまでもしなやかで、どんな攻撃も舞のように優雅な動作で躱してしまう。そんなウォルターの戦いぶりが非常に見栄えするがゆえに、その姿を見るためだけに遥々グレストへとやって来る女性もいるというのだから呆れた話だ。
ともかく、そう言った意味合いでも、ウォルターを相手にするのは気が重かった。
「さて、それではお楽しみのためにも、やるべき事は全て終わらせてしまってくださいね。アラン団長」
明らかにこちらをバカにした口調に、ムッとして顔を上げる。だがトムに頼まれたとはいえ、自らの意思で余分な仕事を抱え込んでいるのは事実である。どうにか今のうちに解決の手立てを見つけたいところだが……
「なあウォルター。少し訊いてもいいか」
「なんです?」
机の上に頬杖をついて、上目遣いにウォルターを見上げながら訊ねる。
「お前達が持っているその魔導具や魔導石を紛失したり、あるいは修復不可能なくらいにまで壊してしまった場合はどうなるんだ?」
大抵の魔術師達には贔屓にしている魔導具職人がいて、定期的に修繕を依頼するのだという。けれど、いくら優秀な職人であっても、粉々に砕けた魔導石を元に戻すことは不可能だし、そもそも失くしてしまったら話にならない。
だからこそ、あの無色の魔導石の落とし主はどうしているのか。
アランが答えを待っていると、ウォルターは緑の目を怪訝そうに細めた。
「……戦時中は紛失や破壊など日常茶飯事でしたし、王宮側の供給も追いつかずに、多くの魔術師が魔力切れを起こして倒れました。けれど、今の世であれば、そんな事は滅多に起こらないでしょう。学生時代は、外出する際に学園の教師に預ける規則になっていましたし、卒業後は肌身離さず身につける事になります。石自体は壊れやすい物ですが、それを保護するための装飾でもありますから、普通に暮らしている限りは失くしたり壊れたりする事はありません。ただ……」
一度言葉を切って、ウォルターがちらりとこちらを見下ろした。
「万が一盗難などで紛失した場合は、それなりの騒ぎになるでしょうね。売り飛ばされて国外へ流出すれば、他国の魔術師に余計な力を与えかねない。アスタルとの戦争以来、マルレスタのような小国が大きな侵略を受けずに済んでいるのは、魔導石の採掘場をほぼ独占しているがゆえです。ですから、紛失した魔術師から徹底的に聞き取りをして探し回る事になるでしょうね」
「それでも見つからなければ?」
「流石に魔術師としての身分までは剥奪されないでしょうが、謹慎処分くらいは受けると思いますよ。なにしろ魔導石は、職人達に卸す前の時点で既に管理番号が決められています。失くしたからと言って、簡単に次が支給できる訳ではありません」
いくらマルレスタが自然に恵まれているとはいえ、魔導石が採掘できる量には限りがある。それゆえ、年間の採掘量と学園の生徒に配られる分は、王宮の書記官が厳しく管理しているはずだ。事実、エマの入学手続きで最も手間取ったのもそこだった。あの時は結局、国王であるソーマ・マラクベルに口利きを頼む事になったのだが……
「それで? これはどういう意図の質問なんですか」
いかにも不審そうなウォルターの声に思考を打ち切られ、アランは顔を上げた。
「別に、ただの興味本位だ。……ついでにもうひとつ訊くが、お前隠し子がいたりしないだろうな」
「はあ? なんですかそれは。ラヴェイルじゃあるまいし、そんな無責任な事はしませんよ」
「フレイモア卿には隠し子がいるのか?!」
十年前に客として娼館へ通っていてもおかしくない年齢で、身なりの良い色男と言えば、ウォルターもその条件に当てはまる。そう思って冗談半分に訊ねてみたら、返ってきたのはとんでもない答えだった。
しかし、動揺するアランとは対照に、ウォルターは平然としている。
「隠し子がいるかどうかは知りませんが、奥方との間に子供が六人いるそうです。あの男の計画性の無さが滲み出ていますね」
「…………仲が良くて結構な話じゃないか」
よもやラヴェイルが例の男なのかと慌てて損をした。よくよく考えてみれば、いくら王の側近で上級の魔術師とはいえ、勝手に魔導石を持ち出すことはラヴェイルにも不可能だろう。彼と書記官達では、単純に管轄が違うのだ。
「何をそんなに落胆しているのです? あの男の醜聞にそんなに興味がありますか。学園時代の話でよければ、いくらでもお聞かせしますよ」
「いい。要らない。それはお前の胸の中にしまっておけ。フレイモア卿の名誉のためにも」
がっくりと肩を落として、ウォルターに告げる。慣れない冗談を言ったせいで、余計な気疲れをしてしまった。
項垂れるアランを見て、ウォルターが意地悪そうに笑う。
「もしかして貴方……奥方以外の女性との間に子供でも出来たんですか? だから突然そんな事を聞いたのでしょう」
明らかに本気ではないその口調からして、からかわれているのだという事はすぐ分かった。けれど、さすがにこれは聞き流せない。
「冗談が過ぎるぞ、ウォルター」
「おや、貴方が怒るとは珍しい。そうやってムキになると、ますます怪しいですよ。貴方のような真面目で純情ぶったお坊ちゃんほど、道ならぬ恋にのめり込むというのが世の常ですから──」
ガタンッ
突如、何か硬い物がぶつかるような音がして、ウォルターの言葉はそこで途切れた。
一体何事かと、ウォルターとアランはほぼ同時に、音がした扉の方へ視線を向けた。その瞬間、
「ユリナさん……?!」
アランは己の目を疑った。
「これはこれは……」
さすがのウォルターも、若干気まずそうに言葉を濁す。なにしろ、半分開いた執務室の扉の向こうに立っているのは、最も今のやり取りを聞かれたくなかった相手だったからだ。
「あ、あの、ウォルター様がいらしたとラスタから聞いて、彼女がお茶の支度をすると言うのでお呼びしに来たのですけれど、その……ごめんなさい、盗み聞きのような事をしてしまって」
震える声で一気に捲し立てたかと思うと、ユリナはそのまま踵を返して部屋から出て行ってしまった。
その場に残された男達の間に、冷えきった沈黙が流れる。
「……ウォルター。お前、祭りの日は覚悟しておけよ」
「……甘んじて受け入れましょう」
目を逸らすウォルターの隣をすり抜けて、アランはそのまま部屋を飛び出した。廊下の先に、駆けて行く彼女の後ろ姿が見える。
「ユリナさん! 待ってください!」
彼女の名前を呼びながら、アランは迷うことなくその背中を追いかけた。
今ここで何もしなければ、自分はきっと死ぬまで後悔するだろう。その事だけは、はっきりと分かったから。
この二日ほど、彼女から露骨に避けられている気がする。……いや、気がするなどという次元の話ではない。声をかければ目を逸らされ、近づこうとすれば逃げられる。これ以上無いほど明らかに距離を置かれていた。理由は分からない。
「…………はあ」
執務机にぼんやりと座ったまま、アランは大きくため息を吐き出した。思い当たる事と言えば、ユリナからの誘いを断ってしまったことくらいだが、あの後も彼女は普通に接してくれていた。少なくとも、こんなにもはっきりと避けられてはいなかったはずなのに、それがどうしてこんな事になったんだ。
ユリナの様子が明らかにおかしくなったのは、双子の服を仕立てるために、マドリーンを屋敷に招いたあの日……より正確に言うならば、マドリーンの付き人の男性と彼女が二人で話し込んでいた直後からだ。
そもそも普段の彼女なら、マドリーンを介さずその弟子に直接依頼するなどという、下手をすれば無礼と取られかねないような事はしないはずだ。
だったら、あの時の二人は一体何の話をしていたんだろう。まさか……
知らず手に力を入れてしまい、右手に持ったままのペンがミシミシと音を立てる。
馬鹿な、彼女があの男と一緒にいたのは、ほんの僅かな時間だった。それだけの間に何が起こり得るって言うんだ。
そうやって必死で言い聞かせながらも、頭の奥では疑念が拭えないままだった。人が恋に落ちるのに時間は必要無いのだということを、なにより自分自身が、この身をもって知っている。
その想いを、今日まで伝えずに来てしまった自分が悪いのだと言うことも分かっている。
けれど、だったらどうする? このまま彼女を手放す事なんて出来やしない。だけど彼女に辛い思いをさせる事だって本意じゃない。
もしも本当に思っている通りの事が起きているのなら……自分は身を引くべきなのだろうか。
そのことを想像しただけで、息が出来なくなりそうだった。隣にいて、ただ笑っていてくれるだけで良いと思っていたのに、それすら許されないのなら、僕はまた、進むべき道を見失ってしまう。
居ても立ってもいられなくなって、勢い良く席を立つ。その途端、ノックもなしに扉が開いた。
「なんです、落ち着きのない……書類にまみれて苦労しているかと思えば、黙って座っている事も出来ないのですか貴方は」
「ウォルター……」
突然部屋に現れた男の嫌味な言い回しに、思わず苦々しい声が洩れる。このまま無視して部屋を飛び出してしまいたいところだが、そういう訳にもいかないので、仕方なく再び腰を下ろした。
「……お前がわざわざ顔を出すとはな。何かあったのか」
平静を装って訊ねると、ウォルターは机の前まで歩み寄ってきて軽く肩をすくめた。
「先日、オース街道で事件を起こした魔術師の処遇について、全く何の進展もしていないという事をお伝えしに来ました」
「そうか……」
アランの命を狙う為だけに、天候を操り、街道を破壊し、国を混乱に陥れた男。宿屋ではヘクターと名乗っていたが、結局はそれも偽名だった。彼の本当の名は、ローランというらしい。
「彼……ローランの身柄についてですが、魔術師団の幹部達の間でもかなり持て余しているようです。なにしろ、我が国でも類を見ないほどの使い手ですからね。師団に引き入れて戦力にするべきだと言う者、即刻処刑してしまうべきだと言う者……『私』という実例があるので、危険因子でも使いようによっては有用だろうと、これはラヴェイルの言ですが。全くあの男は、何を言わせても不愉快極まりないですね」
そう言ってウォルターが口元を歪ませる。
グランツ亡き今、再び立場が危うくなりつつあるウォルターを、なんだかんだ一番庇っているのはラヴェイルだ。その事を分かっているからこそ、この男もますますラヴェイルに突っかかるのだろう。他人事ながら、なかなかに面倒くさい関係だ。
「まあ彼の今後については、お偉方に任せておけばいいでしょう。それより、街道の宿駅の方はどうなったんですか」
「……ああ、ヘクター……いや、ローランの妻が、彼女の弟夫妻と共に再開すると言っていた。道の工事も大分進んでいる」
「そうですか、それは重畳です。あそこの宿屋は旅人にとって重要な拠点ですし、いつまでも閉められていては困りますから」
ローランが起こした事件について、彼の妻に説明しに行ったところ、驚いた事に彼女はほとんど動揺せずにそれを受け入れた。
いつもどこか遠くを見ているような不安定な人だったから、いつかはこうなるのではないかと思っていたのだそうだ。さすがにこんな大事をやらかすとは思っていなかったけれど、と冗談めかして笑いもした。
ずっと、夫の中に別の誰かがいることも、彼女は分かっていた。分かっていて、それでも、いつか来る終わりの時まで、彼のそばにいると決めたのだ。
ローランは……あの男は、とんでもない愚か者だ。すぐそばに支えてくれる人がいたのに、それに気づかないまま全てを投げ出してしまった。師団に引き入れられるにしろ、このまま処分されるにしろ、彼が宿屋の主人として妻の元へ帰れる日は、もう二度と来ない。
……いや、愚かなのは自分も同じか。
大切な人の気持ちが離れようとしているのに何も出来ず、こうして一方的な想いを拗らせているだけの自分に、ローランを批判する権利はない。
再びため息を吐き出したくなったが、その前にウォルターが口を開いた。
「書類の山がまるで減っていないところを見るに、貴方また何か余計な用事を抱えているのではありませんか? 困りますねえ。貴方が勝手に忙殺されるのは構いませんが、少しは骨のある仕合をしていただかないと、観光客は満足しませんよ」
その言葉を聞いて我に返った。そうだ、いろいろな事が重なり過ぎてすっかり頭の隅に追いやっていたが、三日後の夜光祭では、この男と手合わせをしなくてはいけない。
「わざわざ言うまでもないと思ってこれまで黙っていましたが、私は貴方の事が嫌いなので、一切手加減しませんよ」
「……本当に嫌な奴だな、お前は」
グランツに向けていた大き過ぎる感情の反動か、アランが見習いの頃から、ウォルターは過剰なくらいに厳しかった。父に殴られた事は一度もないが、ウォルターに修行と称して蹴り飛ばされた事は何度もある。アランが十二、ウォルターが二十六の頃の話だ。今思うとかなり大人げない。
「お前に心配されなくても、日頃の分までやり返させてもらう。覚悟しておけ」
「おや、それは楽しみですね」
アランのはったりなど見透かした様子で、ウォルターが軽く笑う。
咄嗟に強気な事を言ってしまったが、正直なところ全く自信はなかった。単純な力で言えばウォルターよりもアランの方が勝っているのだが、如何せんウォルターには迷いというものが一切無い。そのうえ細身ながらも鍛え上げられた体躯はどこまでもしなやかで、どんな攻撃も舞のように優雅な動作で躱してしまう。そんなウォルターの戦いぶりが非常に見栄えするがゆえに、その姿を見るためだけに遥々グレストへとやって来る女性もいるというのだから呆れた話だ。
ともかく、そう言った意味合いでも、ウォルターを相手にするのは気が重かった。
「さて、それではお楽しみのためにも、やるべき事は全て終わらせてしまってくださいね。アラン団長」
明らかにこちらをバカにした口調に、ムッとして顔を上げる。だがトムに頼まれたとはいえ、自らの意思で余分な仕事を抱え込んでいるのは事実である。どうにか今のうちに解決の手立てを見つけたいところだが……
「なあウォルター。少し訊いてもいいか」
「なんです?」
机の上に頬杖をついて、上目遣いにウォルターを見上げながら訊ねる。
「お前達が持っているその魔導具や魔導石を紛失したり、あるいは修復不可能なくらいにまで壊してしまった場合はどうなるんだ?」
大抵の魔術師達には贔屓にしている魔導具職人がいて、定期的に修繕を依頼するのだという。けれど、いくら優秀な職人であっても、粉々に砕けた魔導石を元に戻すことは不可能だし、そもそも失くしてしまったら話にならない。
だからこそ、あの無色の魔導石の落とし主はどうしているのか。
アランが答えを待っていると、ウォルターは緑の目を怪訝そうに細めた。
「……戦時中は紛失や破壊など日常茶飯事でしたし、王宮側の供給も追いつかずに、多くの魔術師が魔力切れを起こして倒れました。けれど、今の世であれば、そんな事は滅多に起こらないでしょう。学生時代は、外出する際に学園の教師に預ける規則になっていましたし、卒業後は肌身離さず身につける事になります。石自体は壊れやすい物ですが、それを保護するための装飾でもありますから、普通に暮らしている限りは失くしたり壊れたりする事はありません。ただ……」
一度言葉を切って、ウォルターがちらりとこちらを見下ろした。
「万が一盗難などで紛失した場合は、それなりの騒ぎになるでしょうね。売り飛ばされて国外へ流出すれば、他国の魔術師に余計な力を与えかねない。アスタルとの戦争以来、マルレスタのような小国が大きな侵略を受けずに済んでいるのは、魔導石の採掘場をほぼ独占しているがゆえです。ですから、紛失した魔術師から徹底的に聞き取りをして探し回る事になるでしょうね」
「それでも見つからなければ?」
「流石に魔術師としての身分までは剥奪されないでしょうが、謹慎処分くらいは受けると思いますよ。なにしろ魔導石は、職人達に卸す前の時点で既に管理番号が決められています。失くしたからと言って、簡単に次が支給できる訳ではありません」
いくらマルレスタが自然に恵まれているとはいえ、魔導石が採掘できる量には限りがある。それゆえ、年間の採掘量と学園の生徒に配られる分は、王宮の書記官が厳しく管理しているはずだ。事実、エマの入学手続きで最も手間取ったのもそこだった。あの時は結局、国王であるソーマ・マラクベルに口利きを頼む事になったのだが……
「それで? これはどういう意図の質問なんですか」
いかにも不審そうなウォルターの声に思考を打ち切られ、アランは顔を上げた。
「別に、ただの興味本位だ。……ついでにもうひとつ訊くが、お前隠し子がいたりしないだろうな」
「はあ? なんですかそれは。ラヴェイルじゃあるまいし、そんな無責任な事はしませんよ」
「フレイモア卿には隠し子がいるのか?!」
十年前に客として娼館へ通っていてもおかしくない年齢で、身なりの良い色男と言えば、ウォルターもその条件に当てはまる。そう思って冗談半分に訊ねてみたら、返ってきたのはとんでもない答えだった。
しかし、動揺するアランとは対照に、ウォルターは平然としている。
「隠し子がいるかどうかは知りませんが、奥方との間に子供が六人いるそうです。あの男の計画性の無さが滲み出ていますね」
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よもやラヴェイルが例の男なのかと慌てて損をした。よくよく考えてみれば、いくら王の側近で上級の魔術師とはいえ、勝手に魔導石を持ち出すことはラヴェイルにも不可能だろう。彼と書記官達では、単純に管轄が違うのだ。
「何をそんなに落胆しているのです? あの男の醜聞にそんなに興味がありますか。学園時代の話でよければ、いくらでもお聞かせしますよ」
「いい。要らない。それはお前の胸の中にしまっておけ。フレイモア卿の名誉のためにも」
がっくりと肩を落として、ウォルターに告げる。慣れない冗談を言ったせいで、余計な気疲れをしてしまった。
項垂れるアランを見て、ウォルターが意地悪そうに笑う。
「もしかして貴方……奥方以外の女性との間に子供でも出来たんですか? だから突然そんな事を聞いたのでしょう」
明らかに本気ではないその口調からして、からかわれているのだという事はすぐ分かった。けれど、さすがにこれは聞き流せない。
「冗談が過ぎるぞ、ウォルター」
「おや、貴方が怒るとは珍しい。そうやってムキになると、ますます怪しいですよ。貴方のような真面目で純情ぶったお坊ちゃんほど、道ならぬ恋にのめり込むというのが世の常ですから──」
ガタンッ
突如、何か硬い物がぶつかるような音がして、ウォルターの言葉はそこで途切れた。
一体何事かと、ウォルターとアランはほぼ同時に、音がした扉の方へ視線を向けた。その瞬間、
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アランは己の目を疑った。
「これはこれは……」
さすがのウォルターも、若干気まずそうに言葉を濁す。なにしろ、半分開いた執務室の扉の向こうに立っているのは、最も今のやり取りを聞かれたくなかった相手だったからだ。
「あ、あの、ウォルター様がいらしたとラスタから聞いて、彼女がお茶の支度をすると言うのでお呼びしに来たのですけれど、その……ごめんなさい、盗み聞きのような事をしてしまって」
震える声で一気に捲し立てたかと思うと、ユリナはそのまま踵を返して部屋から出て行ってしまった。
その場に残された男達の間に、冷えきった沈黙が流れる。
「……ウォルター。お前、祭りの日は覚悟しておけよ」
「……甘んじて受け入れましょう」
目を逸らすウォルターの隣をすり抜けて、アランはそのまま部屋を飛び出した。廊下の先に、駆けて行く彼女の後ろ姿が見える。
「ユリナさん! 待ってください!」
彼女の名前を呼びながら、アランは迷うことなくその背中を追いかけた。
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父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
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可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
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