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第二章 青色の魔法
8話 世界の在り処
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「はあ……」
雨上がりの空を見上げて、アランは小さくため息を吐いた。
いつの間にか夜は明けて、山々の稜線の向こうには、桃色に染まった雲が浮かんでいる。ぼんやりと雲を見つめるアランの肩では、アルテが目を瞑って羽を休めていた。彼女もずいぶん頑張ってくれたのだから、今くらいはゆっくり眠らせてやろう。
どうせ全身ずぶ濡れだからと、未だ雨に濡れた路傍に座り込んでいると、湿った濃い土の匂いが鼻をついた。
あの後、ウォルターに引きずり下ろされて来たダドリーと共にヘクターを拘束し、トラヴィスの手当をしているうちに、気づけば外は朝になっていた。そうして現在は、予定通り王都から派遣されて来た土の魔術師達が作業に当たっている。エレイアが使っていた古代の魔術は失われてしまったとはいえ、それでも彼らの力は強大だった。
普段は王宮の中で植物の研究をしている彼らは、木々に魔力を与えて自在に成長させる事が出来る。その力を利用し、土砂に押し流されて折れた樹木を再び成長させて、あっという間に人が通れるだけの道を作ってしまった。
と言っても、一部の土砂を押し分けて隙間を作っただけなので、再び街道を使えるようにするには、やはり地道な作業が必要になる。本当に、あのヘクターという男は、面倒な事をしてくれたものだ。
崩壊しかけた宿屋の外壁にもたれかかって、地面に座り込んだままアランが放心していると、そのそばに近づいてくる足音があった。
「団長……この度は肝心な時にお役に立てず、本っっっ当に申し訳ありませんでした!!」
そう言って腰を直角に折り曲げて頭を下げたのは、部下であるダドリーだった。
アランがウォルターを追って宿屋を出た後、ヘクターは邪魔者を排除するため、ダドリーとトラヴィスの二人に襲いかかった。その際ダドリーは、水没する部屋からどうにか脱出して二階までヘクターを追い詰めたそうだが、彼の操る水の塊に頭を殴られて昏倒し、そのままずっと気絶していたらしい。その事をまだ気に病んでいるのだ。
「もういいと言っただろう。お前はやるべき事をやったじゃないか」
顔をあげようとしないダドリーに向けてアランがそう言うと、さらにこちらへ向かって来る気配があった。
「そうですよ。何もせずにへたりこんでいただけの誰かさんに比べれば、戦おうとしただけ貴方はマシな方ですよ。まあ結果を出せていない以上、役立たずに変わりはありませんが」
そう言って、呼吸をするように嫌味な言葉を吐き出すのは、ようやく自分の体に戻ったウォルターだった。この皮肉な言い回しに懐かしさすら感じてしまうあたり、自分はかなり疲れているのかもしれない。
覇気のない表情でウォルターを見上げていると、途端に虫けらを見るような目を向けられた。
「なんですか、その腑抜けた顔は。さっきからみっともなくぼんやりして、血が足りていないんじゃないですか」
「ああ……まあ、それはそうだな」
寝不足と疲労と貧血で、体も頭も限界だった。何も考えずに今すぐ眠りたい。けれど、それはまだ許されない。
ヘクターの身の上と犯した罪を考えれば、彼はこれから王都へ連行されて、そこで直接裁きを受ける事になる。だが、彼の身柄を王宮に預けて、それでお終いとはいかない。現場になった土地の領主であり、事件の当事者でもあるアランも、裁きの場には立ち会う必要がある。
そして何より、ヘクターの妻にこの状況を説明してやるのも、アランの役目だ。……貴女の夫は国を揺るがすような罪を犯し、これから罪人として裁かれるのだと。この口で、そう伝えなくてはならない。
「…………」
ウォルター達には聞こえないよう、再び小さくため息を吐く。考えただけで気が滅入るような事ばかりだ。
「……そういえば、トラヴィスはどうした?」
ふと、あの青年の姿が見えない事に気づいて、アランは目の前の二人に訊ねた。
結局、この大変な夜に重傷を負ったのはヘクターとアランの二人だけで、あとの二人は軽い打ち身だけで済んだ。トラヴィスもダドリーのすぐ後に目を覚ましていたはずなのだが、彼は一体どこへ行ったのだろう。
「さて。彼もつい先程まで、その辺りにいたはずですが……」
「レックス!」
首を傾げるウォルターの声を遮るように、いかにも嬉しそうな青年の声が聞こえてきた。
声は街道の先、アスタルの方面から聞こえてくる。アラン達は、一斉にそちらへと視線を向けた。
「あれ、トラヴィスじゃないですか?」
ダドリーが言った通り、道の先を駆けていく背中は、間違いなくトラヴィスのものだった。彼が向かって行く先には、トラヴィスとは真逆の雰囲気を持つ、筋骨隆々といった見た目の青年がいる。
その青年は、走る勢いのまま飛びついてきたトラヴィスを軽々と受け止めたかと思うと、そのまま思い切り抱き締めた。少々距離があるので、二人が何を話しているのかまでは聞こえないが、ずいぶん親しげな様子である。
「もしかして、彼がトラヴィスの待ち人か?」
あの二人の雰囲気からして、おそらく間違い無さそうだ。どうやら待ち人は、無事にアスタルからここまで辿り着けたらしい。
「……あれ? でもトラヴィスは、駆け落ちの為に恋人を待っていると言っていませんでしたか?」
首を捻るダドリーの隣で、ウォルターが軽く肩をすくめる。
「人それぞれ、いろんな事情があるという事でしょう」
遠回しなウォルターの言葉に、ダドリーはさらに首を捻って……それからハッとした表情になって、顔を上げた。
「……あ、ああ、なるほど……故郷で結ばれなかったと言うのは、そういう……」
ひとりで得心したように頷くダドリーを横目に、アランは遠くで幸せそうに微笑み合う二人を見つめていた。
これから彼らは、二人きりで遠い街へ向かうのだろう。彼らの旅路の果てがどうなるのか、アランには知る由もない。けれど、願わくば彼らの行く末が、穏やかなものであればいい。
もう二度と、彼が自らを傷つけるような事が無いように。
……などと、そんなお節介な事を考えてしまうのは、アラン自身にも会いたいと思う人がいるからなのだろう。
ふと見上げた空は、いつの間に顔を出した太陽によって、目を射るほどに鮮やかな青へと染め変えられていた。
帰りたい。あの人の元へ。
そう思える事こそが、きっと何よりも幸せな事なのだと思う。
*
窓から差し込む眩しい光に目を細めながら、ユリナは屋敷の廊下をひとり歩いていた。先日まで降り続いていた雨が嘘のような、気持ちの良い天気だ。
彼女は今、アランのいる執務室へ向かっていた。別に何か用事がある訳ではないけれど、あの人が無理をしていないか、ただ様子を見られればそれでいい。お仕事の邪魔になりそうだったら、すぐに引き返そう。そんなつもりだった。
三日前、オース街道から帰って来たアランの姿を見た時は、本当に心臓が止まるかと思った。血と雨で酷く濡れた体は傷だらけで、それでも彼は「大丈夫です」などと言って笑っていた。
けれど、そんな言葉はどう聞いたって嘘に決まっている。それが証拠に、帰宅した数時間後に彼は熱を出し、丸二日ほど寝込むことになった。それが少し熱が下がった途端に起き出して、今度は書類仕事に追われているのだから呆れてしまう。
ユリナが後々聞いたところによれば、オース街道で起きた出来事は、やはりただの自然災害などではなく、人為的な物だったそうだ。それゆえに、事件を起こしたという魔術師の処分や、街道の復旧作業など、迅速に進めなくてはいけない手続きが山ほどあるのだという事は理解できる。
けれど、それは本当に、アラン一人でやらなくてはいけない事なのだろうか。ユリナには、何かあったらウォルターを頼れ、なんて言ったくせに。
「アラン様、いらっしゃいますか」
執務室の扉をノックして返事を待つ。しかし、その場でしばらく待ってみても、一向に答えは返ってこない。
「……アラン様?」
再び呼びかけてみるが、結果は同じ。もしかして、アランは席を外しているのだろうか。いや、それなら良いが、もしかしたら中で倒れているのかもしれない。
ユリナが慌てて扉を開くと、やはりアランは部屋の中に居た。大きな窓の前に設えた執務机に向かったまま目を閉じているアランに気づいた瞬間、ユリナは顔を青くした。
しかし、急いで駆け寄ったユリナの耳に届いたのは、大柄なアランの体躯に見合わない、小動物のように静かな寝息だった。その表情も見た事が無いくらいに穏やかで、どうやら具合が悪くて倒れたのではなく、ただ居眠りをしているだけらしいという事がわかった。
ほっと安堵の息を吐いて、ユリナはアランから一歩離れた。出来ればちゃんと寝室で休んで欲しいけれど、せっかく眠れているのなら、しばらくはこのままでいて欲しい。
何もかもを独りで背負い込んでしまうこの人も、夢の中でくらいなら、きっと安らかでいられるだろうから。
なんとなく離れがたくて、アランの寝顔をじっと見つめる。
そういえば、彼が眠っているところを見るのは、これが初めてかも知れない。一緒に夜を過ごした事なんて数える程しかないし、その時だって、アランはいつも後に眠って、先に起き出してしまうから。
それなりの時間を同じ家で過ごしてきたはずなのに、彼のことは結局、何ひとつ知らないままだ。
けれど、こうして少しずつ『初めて』を重ねていけるのなら、それは案外悪い事ではないようにも思える。
「ん……」
小さく吐息を洩らして、アランが身動ぎをする。起きてしまうだろうか。そう思った直後、閉じていた瞼がゆっくり開かれ、その奥の色素の薄い瞳がユリナを捉えた。
「ん……?」
アランは状況を確認するかのように何度か瞬きを繰り返して、
「…………えっ?!」
事態が飲み込めた途端、ものすごく驚いた様子で体を震わせた。
「ゆ、ユリナさん……? な、ど、どうして……」
なんだか分からないが、かなり動揺させてしまったらしい。アランが驚いているところを見るのも『初めて』かも知れないな……などと考えながら、ユリナは小さく頭を下げた。
「驚かせてしまってごめんなさい。お体の具合が心配で、様子を見に来てしまいました」
「あ……そ、そうですか……すみません、心配させてしまって」
驚きがやや薄れると、今度は顔を赤くしながらアランは目を逸らした。今日はなんだか、いろんな表情が見られて少し楽しい。けれど、あまり呑気な事ばかり考えてもいられない。
「……差し出がましいようですが、少しお休みになった方が良いのではありませんか? 私に出来ることでしたら何だってお手伝いいたしますし、それこそウォルター様にお願い出来ることは無いのですか」
と言ってみたものの、簡単に聞き入れられるくらいなら、アランは初めからこんな無茶はしないだろう。ユリナにもそのくらいの事は察しがつく。
案の定、アランは目を逸らしたまま、けして首を縦には振らなかった。
「これは……私がやるべき事ですから」
アランはそう言ったきり、黙り込んでしまう。
なんて強情な人なのだろう。いつだって、そうして何でもかんでも抱え込んで、傷だらけになって。
そばで見ている私の気持ちなんて、考えもしない。
「……どうして、そんなふうに自分を追い詰める事ばかりするのですか」
「……え?」
つい溢れ出た言葉に、アランがまた驚いたように目を見開く。余計なお世話なのだと分かっているが、それでも止められそうになかった。
「いつもいつも、あなたはそうやって、わざとご自分を痛めつけているように見えます。そうまでして、あなたが守らなくてはいけないものなんてあるんですか。どうしてそうやって、ひとりで背負い込もうとするんですか。……私には、まるで分かりません」
感情のままに吐き出される言葉を黙って受け止めていたアランだったが、ユリナの言葉が途切れると、少しムッとしたように眉を寄せた。
「分かって貰おうとは思いません。理解されなくても、私にとっては必要な事なんです。こうでもしなくては……いや、この身を全て削って埋めても、まだ足りない。私のような人間が、あの人の代わりを務めるには、こうするしか無いんです」
畳み掛けるような言葉の数々と、聞いた事も無いような強い口調に、今度はユリナの方が驚く番だった。
「あの人? ……それって、お義父様のことですか」
アランは何も答えない。ただ、琥珀色の瞳の奥が、ほんのわずかに揺れた気がした。
「代わりなんて……そんなこと、出来るわけ無いじゃありませんか。だって、お義父様とあなたは、違う人なんですから」
「そんな事は、言われなくても分かっています。……けれど、世間の人は、そんなふうには見てくれない。父と同じだけの……いいえ、それ以上の働きを期待される。家名を継ぐというのは、そういう事ですよ」
「そんな、こと……」
そんなことないですよ。なんて、そんな無責任な事は言えなかった。
以前、アランはユリナに言ってくれた。「貴女という存在には替えがきかない」のだと。なのに彼は、自ら進んで誰かの代わりになろうとしている。そしてそれはきっと、彼自身の意志で選んだものではなくて、彼の前には初めから、それ以外の道が用意されていなかったのだ。だから。
「……あなたの世界には、それが全てなのですね」
「そうですよ。私が父の……グランツの息子として産まれた時から、私の生きる道は全て決まっていました」
いつもの平坦な口調に戻ったアランが、無表情に言う。
ああ、だけど。その気持ちは、ユリナにも分かってしまう。
産まれ落ちた瞬間から、お前はこう生きるべきなのだと周囲に教えられてきた。だから、それ以外の世界があるなんて知らない。想像する事すら出来ない。
だけど、それでもユリナは知っている。閉ざされた場所からでも、広い世界を見る術がある事を。
自分自身は変えられなくても、世界は案外簡単に変えられるものだと。……どうすれば、彼にそれを伝えられるだろう。
「ねえ、アラン様。お義母様が、あんなにもたくさんの本を集めておられたのはなぜか、お分かりですか」
「……突然、何の話ですか」
ユリナが何の前触れもなく話題を変えると、アランが困惑したようにそう言った。しかしユリナは構わず、アランの背後にある大きな窓へと歩み寄る。アランも少し体をずらして、戸惑った表情のままでこちらを振り向いた。
「アラン様。私はお義母様にはお会いした事がありませんけれど、本がお好きだった理由は、少しわかる気がするんです。……お義母様は、幼い頃から病弱な方で、亡くなるまでのほとんどの時間を家の中で過ごされたのだと聞いています。けれどお義母様は、他の誰よりも広い世界をご存知だったはず」
そう言って、目の前にある窓を一気に開け放つ。その途端、暑いくらいの日差しと共に強い風が吹き込んできて、ユリナの長い髪を吹き上げた。
本当に、今日はなんて良い天気なんだろう。
「本を読むって、すごいことなんですよ。本の中で、私は何にでもなれる。勇猛な戦士にも、可憐なお姫様にも、人間以外のものにだって。ありとあらゆる人生を体験できるんです」
空想の世界には、何の制限もない。現実には絶対にありえないような事だって、時には現実以上の存在感を持って伝わってくる。
「それにね、体験するだけじゃないんです。本を読んで、その中から言葉をひとつ知る度に、私自身の世界も広がっていくんですよ? それは、比喩なんかじゃなくて……」
窓枠に片手をかけて、アランの方を振り返る。その瞬間、少し驚いたように瞬いた瞳と目が合った。
「ねえ、アラン様。この空の色を、どう思いますか?」
そう問いかけたユリナを、きょとんとした表情で見上げたアランは、なんだか子供のようで。
「そ、れは……とても……そう、とても美しいと、思います」
ユリナの目をまっすぐに見据えたまま、ひとつひとつ、言葉を探るようにして紡がれた答えに、ユリナは嬉しくなって微笑んだ。
「ええ、私もそう思います。そして、その気持ちは、私達が『美しい』という言葉を知らなければ気づくことの出来なかったものです。……いえ、美しさだけじゃない。『空』という言葉を知らなければ、ここに青空が広がっている事にさえ気づけなかったでしょう。本当は、こんなにも近くに見えているのに」
そこにあったのに、ずっと見えていなかったものに気づくたび、自らの世界が少しずつ色づいていくのを実感できる。だからユリナは、本を読むことが好きだ。
この世界が、本当はとても美しいのだと、教えてくれるから。
「アラン様。今はまだ気づいていないだけで、本当はあなたの世界だって、もっともっと、どこまでだって広がっているはずです。そしてそれに気づくのは、思っているよりも簡単なことなんですよ」
アランの元に近づいて、彼の手にそっと触れる。その途端、アランの指先が、何か熱いものに触れたように、ぴくりと跳ねて……それから、躊躇いながらも、ユリナの手を優しく握り返してくれた。
私の“言葉”は、上手く伝わっただろうか。
今までたくさんの言葉を受け取って生きてきたはずなのに、自分から形にするのは、やっぱり難しい。
それでも、何かひとつだけでも伝わってくれたのなら。
それこそが、私がここに居る意味になるのかもしれない。
*
触れ合った手から伝わる体温を感じながら、アランはそっと目を閉じた。
思い出していたのは、かつての父の言葉だった。
アランがまだ見習いだった頃、少し冗談めかして教えてくれた事がある。自分が初めて剣を取った理由は、とても単純で身勝手なものだったのだと。
父と母がまだ幼くて、お互いに平民の身分だった頃。その頃は、本という物は今よりもずっとずっと高価な物で、庶民が気安く買える物では無かった。
『だから、俺はとにかく出世して、あいつに好きなだけ本を読ませてやろうと思ったんだよ。剣を取った理由なんてそれだけだ。俺は魔術師にはなれないが、腕っ節にだけは自信があったからな』
そう言って、父は快活に笑っていた。
どうして、今まで忘れていたのだろう。あの人はいつだって、大切な人のために生きていた。そんな姿に憧れていたはずなのに、光に眩んだこの目には、それが見えなくなっていた。
……今からでも、間に合うだろうか。
真っ暗な一本道を、光に向かってひた走ることしか出来なかった僕に、新しい道を示してくれたのは、いつだって彼女だった。
恋も、愛も、青空の美しさも。彼女と出会わなければ、そんな言葉達がこの世にある事さえ、知りもしなかった。
ああ、そうか。言葉こそが世界を作るというのなら。
僕にとっての世界はきっと、彼女と共にあるものなのだろう。
触れ合った指先に、少しだけ力を込める。
離したくない。僕だけの大切な人。彼女と共に生きるためなら、他の誰かにとっての悪になることだって、もう怖くない。
そうだ。きっと、あの人も同じだった。
父と同じようには生きられない。それでもせめて、自分にとっての大切な人達だけは、守りぬけるように。
──強くなりたい。
それは、流されるままに生きてきたアランの中に、初めて生まれた意思だった。
借り物じゃない。僕自身が、剣を取って戦う理由。
きっと、もう迷わずに進んで行ける。そうすれば、その先で伝えられる日が来るはずだ。彼女への気持ちを、本当の僕を。
触れ合った指先に、そっと誓う。
貴女だけに、必ず伝えるから。だから、今はまだ、もう少しだけ、このままで──
……最終章へ続く
雨上がりの空を見上げて、アランは小さくため息を吐いた。
いつの間にか夜は明けて、山々の稜線の向こうには、桃色に染まった雲が浮かんでいる。ぼんやりと雲を見つめるアランの肩では、アルテが目を瞑って羽を休めていた。彼女もずいぶん頑張ってくれたのだから、今くらいはゆっくり眠らせてやろう。
どうせ全身ずぶ濡れだからと、未だ雨に濡れた路傍に座り込んでいると、湿った濃い土の匂いが鼻をついた。
あの後、ウォルターに引きずり下ろされて来たダドリーと共にヘクターを拘束し、トラヴィスの手当をしているうちに、気づけば外は朝になっていた。そうして現在は、予定通り王都から派遣されて来た土の魔術師達が作業に当たっている。エレイアが使っていた古代の魔術は失われてしまったとはいえ、それでも彼らの力は強大だった。
普段は王宮の中で植物の研究をしている彼らは、木々に魔力を与えて自在に成長させる事が出来る。その力を利用し、土砂に押し流されて折れた樹木を再び成長させて、あっという間に人が通れるだけの道を作ってしまった。
と言っても、一部の土砂を押し分けて隙間を作っただけなので、再び街道を使えるようにするには、やはり地道な作業が必要になる。本当に、あのヘクターという男は、面倒な事をしてくれたものだ。
崩壊しかけた宿屋の外壁にもたれかかって、地面に座り込んだままアランが放心していると、そのそばに近づいてくる足音があった。
「団長……この度は肝心な時にお役に立てず、本っっっ当に申し訳ありませんでした!!」
そう言って腰を直角に折り曲げて頭を下げたのは、部下であるダドリーだった。
アランがウォルターを追って宿屋を出た後、ヘクターは邪魔者を排除するため、ダドリーとトラヴィスの二人に襲いかかった。その際ダドリーは、水没する部屋からどうにか脱出して二階までヘクターを追い詰めたそうだが、彼の操る水の塊に頭を殴られて昏倒し、そのままずっと気絶していたらしい。その事をまだ気に病んでいるのだ。
「もういいと言っただろう。お前はやるべき事をやったじゃないか」
顔をあげようとしないダドリーに向けてアランがそう言うと、さらにこちらへ向かって来る気配があった。
「そうですよ。何もせずにへたりこんでいただけの誰かさんに比べれば、戦おうとしただけ貴方はマシな方ですよ。まあ結果を出せていない以上、役立たずに変わりはありませんが」
そう言って、呼吸をするように嫌味な言葉を吐き出すのは、ようやく自分の体に戻ったウォルターだった。この皮肉な言い回しに懐かしさすら感じてしまうあたり、自分はかなり疲れているのかもしれない。
覇気のない表情でウォルターを見上げていると、途端に虫けらを見るような目を向けられた。
「なんですか、その腑抜けた顔は。さっきからみっともなくぼんやりして、血が足りていないんじゃないですか」
「ああ……まあ、それはそうだな」
寝不足と疲労と貧血で、体も頭も限界だった。何も考えずに今すぐ眠りたい。けれど、それはまだ許されない。
ヘクターの身の上と犯した罪を考えれば、彼はこれから王都へ連行されて、そこで直接裁きを受ける事になる。だが、彼の身柄を王宮に預けて、それでお終いとはいかない。現場になった土地の領主であり、事件の当事者でもあるアランも、裁きの場には立ち会う必要がある。
そして何より、ヘクターの妻にこの状況を説明してやるのも、アランの役目だ。……貴女の夫は国を揺るがすような罪を犯し、これから罪人として裁かれるのだと。この口で、そう伝えなくてはならない。
「…………」
ウォルター達には聞こえないよう、再び小さくため息を吐く。考えただけで気が滅入るような事ばかりだ。
「……そういえば、トラヴィスはどうした?」
ふと、あの青年の姿が見えない事に気づいて、アランは目の前の二人に訊ねた。
結局、この大変な夜に重傷を負ったのはヘクターとアランの二人だけで、あとの二人は軽い打ち身だけで済んだ。トラヴィスもダドリーのすぐ後に目を覚ましていたはずなのだが、彼は一体どこへ行ったのだろう。
「さて。彼もつい先程まで、その辺りにいたはずですが……」
「レックス!」
首を傾げるウォルターの声を遮るように、いかにも嬉しそうな青年の声が聞こえてきた。
声は街道の先、アスタルの方面から聞こえてくる。アラン達は、一斉にそちらへと視線を向けた。
「あれ、トラヴィスじゃないですか?」
ダドリーが言った通り、道の先を駆けていく背中は、間違いなくトラヴィスのものだった。彼が向かって行く先には、トラヴィスとは真逆の雰囲気を持つ、筋骨隆々といった見た目の青年がいる。
その青年は、走る勢いのまま飛びついてきたトラヴィスを軽々と受け止めたかと思うと、そのまま思い切り抱き締めた。少々距離があるので、二人が何を話しているのかまでは聞こえないが、ずいぶん親しげな様子である。
「もしかして、彼がトラヴィスの待ち人か?」
あの二人の雰囲気からして、おそらく間違い無さそうだ。どうやら待ち人は、無事にアスタルからここまで辿り着けたらしい。
「……あれ? でもトラヴィスは、駆け落ちの為に恋人を待っていると言っていませんでしたか?」
首を捻るダドリーの隣で、ウォルターが軽く肩をすくめる。
「人それぞれ、いろんな事情があるという事でしょう」
遠回しなウォルターの言葉に、ダドリーはさらに首を捻って……それからハッとした表情になって、顔を上げた。
「……あ、ああ、なるほど……故郷で結ばれなかったと言うのは、そういう……」
ひとりで得心したように頷くダドリーを横目に、アランは遠くで幸せそうに微笑み合う二人を見つめていた。
これから彼らは、二人きりで遠い街へ向かうのだろう。彼らの旅路の果てがどうなるのか、アランには知る由もない。けれど、願わくば彼らの行く末が、穏やかなものであればいい。
もう二度と、彼が自らを傷つけるような事が無いように。
……などと、そんなお節介な事を考えてしまうのは、アラン自身にも会いたいと思う人がいるからなのだろう。
ふと見上げた空は、いつの間に顔を出した太陽によって、目を射るほどに鮮やかな青へと染め変えられていた。
帰りたい。あの人の元へ。
そう思える事こそが、きっと何よりも幸せな事なのだと思う。
*
窓から差し込む眩しい光に目を細めながら、ユリナは屋敷の廊下をひとり歩いていた。先日まで降り続いていた雨が嘘のような、気持ちの良い天気だ。
彼女は今、アランのいる執務室へ向かっていた。別に何か用事がある訳ではないけれど、あの人が無理をしていないか、ただ様子を見られればそれでいい。お仕事の邪魔になりそうだったら、すぐに引き返そう。そんなつもりだった。
三日前、オース街道から帰って来たアランの姿を見た時は、本当に心臓が止まるかと思った。血と雨で酷く濡れた体は傷だらけで、それでも彼は「大丈夫です」などと言って笑っていた。
けれど、そんな言葉はどう聞いたって嘘に決まっている。それが証拠に、帰宅した数時間後に彼は熱を出し、丸二日ほど寝込むことになった。それが少し熱が下がった途端に起き出して、今度は書類仕事に追われているのだから呆れてしまう。
ユリナが後々聞いたところによれば、オース街道で起きた出来事は、やはりただの自然災害などではなく、人為的な物だったそうだ。それゆえに、事件を起こしたという魔術師の処分や、街道の復旧作業など、迅速に進めなくてはいけない手続きが山ほどあるのだという事は理解できる。
けれど、それは本当に、アラン一人でやらなくてはいけない事なのだろうか。ユリナには、何かあったらウォルターを頼れ、なんて言ったくせに。
「アラン様、いらっしゃいますか」
執務室の扉をノックして返事を待つ。しかし、その場でしばらく待ってみても、一向に答えは返ってこない。
「……アラン様?」
再び呼びかけてみるが、結果は同じ。もしかして、アランは席を外しているのだろうか。いや、それなら良いが、もしかしたら中で倒れているのかもしれない。
ユリナが慌てて扉を開くと、やはりアランは部屋の中に居た。大きな窓の前に設えた執務机に向かったまま目を閉じているアランに気づいた瞬間、ユリナは顔を青くした。
しかし、急いで駆け寄ったユリナの耳に届いたのは、大柄なアランの体躯に見合わない、小動物のように静かな寝息だった。その表情も見た事が無いくらいに穏やかで、どうやら具合が悪くて倒れたのではなく、ただ居眠りをしているだけらしいという事がわかった。
ほっと安堵の息を吐いて、ユリナはアランから一歩離れた。出来ればちゃんと寝室で休んで欲しいけれど、せっかく眠れているのなら、しばらくはこのままでいて欲しい。
何もかもを独りで背負い込んでしまうこの人も、夢の中でくらいなら、きっと安らかでいられるだろうから。
なんとなく離れがたくて、アランの寝顔をじっと見つめる。
そういえば、彼が眠っているところを見るのは、これが初めてかも知れない。一緒に夜を過ごした事なんて数える程しかないし、その時だって、アランはいつも後に眠って、先に起き出してしまうから。
それなりの時間を同じ家で過ごしてきたはずなのに、彼のことは結局、何ひとつ知らないままだ。
けれど、こうして少しずつ『初めて』を重ねていけるのなら、それは案外悪い事ではないようにも思える。
「ん……」
小さく吐息を洩らして、アランが身動ぎをする。起きてしまうだろうか。そう思った直後、閉じていた瞼がゆっくり開かれ、その奥の色素の薄い瞳がユリナを捉えた。
「ん……?」
アランは状況を確認するかのように何度か瞬きを繰り返して、
「…………えっ?!」
事態が飲み込めた途端、ものすごく驚いた様子で体を震わせた。
「ゆ、ユリナさん……? な、ど、どうして……」
なんだか分からないが、かなり動揺させてしまったらしい。アランが驚いているところを見るのも『初めて』かも知れないな……などと考えながら、ユリナは小さく頭を下げた。
「驚かせてしまってごめんなさい。お体の具合が心配で、様子を見に来てしまいました」
「あ……そ、そうですか……すみません、心配させてしまって」
驚きがやや薄れると、今度は顔を赤くしながらアランは目を逸らした。今日はなんだか、いろんな表情が見られて少し楽しい。けれど、あまり呑気な事ばかり考えてもいられない。
「……差し出がましいようですが、少しお休みになった方が良いのではありませんか? 私に出来ることでしたら何だってお手伝いいたしますし、それこそウォルター様にお願い出来ることは無いのですか」
と言ってみたものの、簡単に聞き入れられるくらいなら、アランは初めからこんな無茶はしないだろう。ユリナにもそのくらいの事は察しがつく。
案の定、アランは目を逸らしたまま、けして首を縦には振らなかった。
「これは……私がやるべき事ですから」
アランはそう言ったきり、黙り込んでしまう。
なんて強情な人なのだろう。いつだって、そうして何でもかんでも抱え込んで、傷だらけになって。
そばで見ている私の気持ちなんて、考えもしない。
「……どうして、そんなふうに自分を追い詰める事ばかりするのですか」
「……え?」
つい溢れ出た言葉に、アランがまた驚いたように目を見開く。余計なお世話なのだと分かっているが、それでも止められそうになかった。
「いつもいつも、あなたはそうやって、わざとご自分を痛めつけているように見えます。そうまでして、あなたが守らなくてはいけないものなんてあるんですか。どうしてそうやって、ひとりで背負い込もうとするんですか。……私には、まるで分かりません」
感情のままに吐き出される言葉を黙って受け止めていたアランだったが、ユリナの言葉が途切れると、少しムッとしたように眉を寄せた。
「分かって貰おうとは思いません。理解されなくても、私にとっては必要な事なんです。こうでもしなくては……いや、この身を全て削って埋めても、まだ足りない。私のような人間が、あの人の代わりを務めるには、こうするしか無いんです」
畳み掛けるような言葉の数々と、聞いた事も無いような強い口調に、今度はユリナの方が驚く番だった。
「あの人? ……それって、お義父様のことですか」
アランは何も答えない。ただ、琥珀色の瞳の奥が、ほんのわずかに揺れた気がした。
「代わりなんて……そんなこと、出来るわけ無いじゃありませんか。だって、お義父様とあなたは、違う人なんですから」
「そんな事は、言われなくても分かっています。……けれど、世間の人は、そんなふうには見てくれない。父と同じだけの……いいえ、それ以上の働きを期待される。家名を継ぐというのは、そういう事ですよ」
「そんな、こと……」
そんなことないですよ。なんて、そんな無責任な事は言えなかった。
以前、アランはユリナに言ってくれた。「貴女という存在には替えがきかない」のだと。なのに彼は、自ら進んで誰かの代わりになろうとしている。そしてそれはきっと、彼自身の意志で選んだものではなくて、彼の前には初めから、それ以外の道が用意されていなかったのだ。だから。
「……あなたの世界には、それが全てなのですね」
「そうですよ。私が父の……グランツの息子として産まれた時から、私の生きる道は全て決まっていました」
いつもの平坦な口調に戻ったアランが、無表情に言う。
ああ、だけど。その気持ちは、ユリナにも分かってしまう。
産まれ落ちた瞬間から、お前はこう生きるべきなのだと周囲に教えられてきた。だから、それ以外の世界があるなんて知らない。想像する事すら出来ない。
だけど、それでもユリナは知っている。閉ざされた場所からでも、広い世界を見る術がある事を。
自分自身は変えられなくても、世界は案外簡単に変えられるものだと。……どうすれば、彼にそれを伝えられるだろう。
「ねえ、アラン様。お義母様が、あんなにもたくさんの本を集めておられたのはなぜか、お分かりですか」
「……突然、何の話ですか」
ユリナが何の前触れもなく話題を変えると、アランが困惑したようにそう言った。しかしユリナは構わず、アランの背後にある大きな窓へと歩み寄る。アランも少し体をずらして、戸惑った表情のままでこちらを振り向いた。
「アラン様。私はお義母様にはお会いした事がありませんけれど、本がお好きだった理由は、少しわかる気がするんです。……お義母様は、幼い頃から病弱な方で、亡くなるまでのほとんどの時間を家の中で過ごされたのだと聞いています。けれどお義母様は、他の誰よりも広い世界をご存知だったはず」
そう言って、目の前にある窓を一気に開け放つ。その途端、暑いくらいの日差しと共に強い風が吹き込んできて、ユリナの長い髪を吹き上げた。
本当に、今日はなんて良い天気なんだろう。
「本を読むって、すごいことなんですよ。本の中で、私は何にでもなれる。勇猛な戦士にも、可憐なお姫様にも、人間以外のものにだって。ありとあらゆる人生を体験できるんです」
空想の世界には、何の制限もない。現実には絶対にありえないような事だって、時には現実以上の存在感を持って伝わってくる。
「それにね、体験するだけじゃないんです。本を読んで、その中から言葉をひとつ知る度に、私自身の世界も広がっていくんですよ? それは、比喩なんかじゃなくて……」
窓枠に片手をかけて、アランの方を振り返る。その瞬間、少し驚いたように瞬いた瞳と目が合った。
「ねえ、アラン様。この空の色を、どう思いますか?」
そう問いかけたユリナを、きょとんとした表情で見上げたアランは、なんだか子供のようで。
「そ、れは……とても……そう、とても美しいと、思います」
ユリナの目をまっすぐに見据えたまま、ひとつひとつ、言葉を探るようにして紡がれた答えに、ユリナは嬉しくなって微笑んだ。
「ええ、私もそう思います。そして、その気持ちは、私達が『美しい』という言葉を知らなければ気づくことの出来なかったものです。……いえ、美しさだけじゃない。『空』という言葉を知らなければ、ここに青空が広がっている事にさえ気づけなかったでしょう。本当は、こんなにも近くに見えているのに」
そこにあったのに、ずっと見えていなかったものに気づくたび、自らの世界が少しずつ色づいていくのを実感できる。だからユリナは、本を読むことが好きだ。
この世界が、本当はとても美しいのだと、教えてくれるから。
「アラン様。今はまだ気づいていないだけで、本当はあなたの世界だって、もっともっと、どこまでだって広がっているはずです。そしてそれに気づくのは、思っているよりも簡単なことなんですよ」
アランの元に近づいて、彼の手にそっと触れる。その途端、アランの指先が、何か熱いものに触れたように、ぴくりと跳ねて……それから、躊躇いながらも、ユリナの手を優しく握り返してくれた。
私の“言葉”は、上手く伝わっただろうか。
今までたくさんの言葉を受け取って生きてきたはずなのに、自分から形にするのは、やっぱり難しい。
それでも、何かひとつだけでも伝わってくれたのなら。
それこそが、私がここに居る意味になるのかもしれない。
*
触れ合った手から伝わる体温を感じながら、アランはそっと目を閉じた。
思い出していたのは、かつての父の言葉だった。
アランがまだ見習いだった頃、少し冗談めかして教えてくれた事がある。自分が初めて剣を取った理由は、とても単純で身勝手なものだったのだと。
父と母がまだ幼くて、お互いに平民の身分だった頃。その頃は、本という物は今よりもずっとずっと高価な物で、庶民が気安く買える物では無かった。
『だから、俺はとにかく出世して、あいつに好きなだけ本を読ませてやろうと思ったんだよ。剣を取った理由なんてそれだけだ。俺は魔術師にはなれないが、腕っ節にだけは自信があったからな』
そう言って、父は快活に笑っていた。
どうして、今まで忘れていたのだろう。あの人はいつだって、大切な人のために生きていた。そんな姿に憧れていたはずなのに、光に眩んだこの目には、それが見えなくなっていた。
……今からでも、間に合うだろうか。
真っ暗な一本道を、光に向かってひた走ることしか出来なかった僕に、新しい道を示してくれたのは、いつだって彼女だった。
恋も、愛も、青空の美しさも。彼女と出会わなければ、そんな言葉達がこの世にある事さえ、知りもしなかった。
ああ、そうか。言葉こそが世界を作るというのなら。
僕にとっての世界はきっと、彼女と共にあるものなのだろう。
触れ合った指先に、少しだけ力を込める。
離したくない。僕だけの大切な人。彼女と共に生きるためなら、他の誰かにとっての悪になることだって、もう怖くない。
そうだ。きっと、あの人も同じだった。
父と同じようには生きられない。それでもせめて、自分にとっての大切な人達だけは、守りぬけるように。
──強くなりたい。
それは、流されるままに生きてきたアランの中に、初めて生まれた意思だった。
借り物じゃない。僕自身が、剣を取って戦う理由。
きっと、もう迷わずに進んで行ける。そうすれば、その先で伝えられる日が来るはずだ。彼女への気持ちを、本当の僕を。
触れ合った指先に、そっと誓う。
貴女だけに、必ず伝えるから。だから、今はまだ、もう少しだけ、このままで──
……最終章へ続く
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