怪異探偵 井ノ原圭

村井 彰

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第一章

1話 夏の思い出は怪異と共に

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 ペンキで塗りたくったような青空と、手で掴めそうなほどの存在感を放つ雲。冷房の効いた室内とガラス一枚隔てた向こうの空は、すっかり真夏の様相だ。
「……太」
 早坂は、夏という季節が嫌いではない。景色の輪郭がはっきりと濃くなるこの時期は、世界の色がいつもより鮮やかに見える。
「…………奏太そうた
 そういえば、もうすぐ夏休みの時期だ。とはいえ例年通りバイト三昧の予定なので、たいして休みという感覚はないが、
「おいっ!返事しろよ早坂奏太ぁ!」
「うわあっ?!」
 真横からかけられた声に驚いて、椅子から転げ落ちそうになる。バクバクと暴れる心臓を押さえて声の主を見上げると、そこにはくすんだ色の金髪頭があった。
「なんだ優也か……突然大声出すなよびっくりするだろ」
 早坂が苦言を呈すると、金髪頭の友人―樋山優也ひやまゆうやは、むっと頬を膨らませた。小柄な優也がそんな表情をすると、もはやゴールデンハムスターにしか見えない。
「突然じゃないって!さっきから何回も呼んでただろ!」
「そ、そうなのか?悪い、ちょっと考え事してた。なんか用か?」
 早坂が問うと、優也は膨らませていたほっぺたを引っ込めて真顔になった。この気のいい友人は、ころころと表情が変わるので見ていて飽きない。
「ん。あのさぁ、もうすぐ夏休みじゃん?でさ、夏といえば、やっぱアレだよな?」
「……なんだよ、はっきり言えよ」
 一応そう促したものの、優也の言いたいことには概ね予想がついている。
 案の定、優也はにやりと笑ってこう言った。
「そんなの決まってるだろ?肝試しだよ、肝試し!やろうぜ心霊スポットツアー!おれ兄貴から車借りてくるからさぁ」
 やっぱり。優也の口から飛び出したのは、予想通りの台詞だった。
 そう。実は何を隠そう、優也は生粋のオカルトマニアなのだ。もっさりした黒髪に銀縁メガネという、高校時代のいかにもな風貌から一転。大学デビューと称して金髪ピアスのチャラ男に生まれ変わったのにも関わらず、中身の方は今も変わらぬ心霊オタクっぷりである。
 そうして優也が一人で楽しんでいる分には勝手だが、こうして定期的に早坂を巻き込もうとしてくるあたりが本当に困りものだった。
「悪いけど、休み中はびっちりバイト入れるつもりだから……」
「バイトっていつもの居酒屋だろ?一日くらいどうにかなんないのかよ」
「いや、深夜シフトで入る予定だからさ。オフの日はしっかり休みたいし」
 優也には悪いが、せっかくの休みにわざわざ怖い目に遭いに行くなんてお断りだ。
 そう思って早坂が断り文句を重ねると、優也はそれ以上食い下がることはしなかった。
「そっかぁ、じゃあしゃーないな。木崎きさき坂上さかがみにも言っとくわ、奏太は不参加だって」
「……今なんて?」
 聞き捨てならない名前が聞こえた気がして、思わず優也に問い返す。
「木崎と坂上。あの二人も誘ったんだ。坂上の方は嫌がってたけど、木崎が行く気満々だから渋々参加するって。失礼しちゃうよなー」
「…………やっぱ俺も行こうかな」
 急に手のひらを返した早坂に、優也は嫌な顔ひとつ見せず嬉しそうに笑ってみせた。
「お、まじで?じゃあまた予定詰めて連絡するわ」
「おう、頼む」
 早坂が軽く手を挙げて応えると、優也はビシッと親指を立てて、軽やかな足取りで部屋を出ていった。優也はオタク気質のわりに、コミュ力が高くてフットワークも軽いという稀有な人種である。
 ちなみに今早坂がいるのは、自らが所属する"光都こうと大学・大衆文学研究会"の部室である。……と説明すると何やら大層だが、勝手に占領した資料室へと集まって、だらだら本を読むだけのゆるいサークルだ。しかも研究会といいつつ、メンバーは早坂を入れて二人しかいない。
「いいねえ若人たちは。青春だねえ」
 早坂もそろそろ帰るべきかと腰を浮かせた直後、机の向かい側から間延びした声が聞こえてきた。
「いたんですか安曇あずみさん」
 並べた椅子の上に横たわっていたせいで、積まれた資料に埋もれて見えなかったが、どうやら彼も初めから部屋の中にいたらしい。
 ゆっくりと体を起こした会長の安曇清春きよはるは、寝癖だか天然パーマだか分からないぐしゃぐしゃの頭を掻き毟りながら、大きな欠伸をひとつ洩らした。
「いやはや、夏休みに友人達とドライブの約束とは、これを青春と言わずに何とする?名前に"青春"と入っているのに、僕にとっては全く縁のないものだからねえ。いやあ羨ましい」
 光都大学に入学し、安曇一人しかいなかったこのサークルに入って一年以上経つ。昔は戸惑うことも多かったが、今となってはこの回りくどい言い回しにもすっかり慣れてしまった自分がいる。
「安曇さんは自分から青春捨ててるようなもんじゃないですか。ていうか、行きたいなら優也に言えばどうです?たぶんあいつ断りませんよ」
「いやだよ心霊スポットツアーなんて辛気臭い」
「どっちですか……」
 この安曇という男は、四回生にして御歳二十四才。早坂からすれば四つも歳上だが、こういったふわふわした言動が多いせいであまり敬う気にはならない。いつ来ても資料室にいるので、ここに取り憑いている妖怪か何かなのかもしれなかった。
「早坂くんこそ、よく肝試しなんて参加しようと思ったものだね。君、霊感体質なのに」
 不意にそういった安曇の口調に、からかうような気配はまるでない。それが余計に厄介だ。
「……別に、霊感とかないですから」
「でもいわく付きの場所に行くと、必ずと言っていいほど原因不明の悪寒や頭痛に襲われる」
「風邪引きやすいだけですって。だからこうして体を鍛えてるんです……全然意味なかったですけど」
 幼い頃から、よく分からない理由で体調を崩しては、そのたび母親に心配ばかりかけてきた。だから少しでも丈夫になろうと多少の体力作りに取り組んだりしてきたが、結局今日まで体質の方は何も改善されていない。
「そりゃあ霊的なものが原因ならば、体の外側がいくら丈夫になったって意味はないだろう。医者だけでなく、一度そちらの専門家にも相談してみたらどうだい?樋山くんに聞いたのだが、うちの大学の近くにもいるそうだよ。そういう生業なりわいの……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 そちらの専門家?霊媒師にでも相談しろというのか。冗談じゃない、オカルトの話は優也だけで間に合っている。
「霊とかそういうの、俺信じてないんで!もう帰ります」
 これ以上ここにいたら、もっと面倒な話になりかねない。早坂は脇に置いていたリュックを掴んで、挨拶もそこそこに部屋を出た。
 一人残された安曇は軽く肩をすくめた後、何も言わずにすぐ傍の本を手に取ったのだった。

 自転車に跨って夏の太陽の下を駆け出す。高校を卒業した際に、友人たちと共に車の免許も取りに行ったが、やはり小回りの効く自転車が一番便利だ。ガソリン代もかからないし、場所も取らない。
 早坂の自宅は大学から自転車で約十五分、入り組んた路地の先にある、築三十年の古いアパートだ。入学と同時に、ここで一人暮らしを始めた。
 日当たりはあまり良くないが、その分夏でもそこそこ涼しくて過ごしやすく、環境としては悪くない。
 アパートの二階、六畳一間の小さな和室が、今の早坂にとっての生活の全てだった。畳の上にリュックを投げ出して、冷蔵庫の中の麦茶を飲み干す。
 東向きの窓の向こうでは、目に痛いほどの緑が静かに揺れていた。

 *

 アパートの前の通りに、車が停まった気配を感じて顔を上げる。窓の外を覗くと案の定、少し離れたところに、暮れつつある空の下でも鮮やかなライトグリーンのワゴン車が停まっていた。それと同時にスマホが優也からのメッセージを通知する。
 『着いたぞー』という一言の下に、ブサイクなうさぎがスキップしているスタンプが押されていた。それに『今行く』とだけ返して、早坂は部屋を出る。
 優也に話を持ちかけられた日から、十日が過ぎた七月の末日。今夜は約束の心霊スポットツアーの日だった。
 駆け足で車の傍に向かい、運転席の優也に声をかける。
「お待たせ。優也の兄さん、すげーかわいい車乗ってんな」
「うん、なんか付き合ってた彼女の趣味だって。先月フラれたらしいけど」
 身内の悲しい話をしれっと暴露して、優也が助手席に座るよう促してくる。
 勧められるまま車内に乗り込むと、後部座席に座っていた二人の人物と、ルームミラー越しに目があった。
「木崎、坂上!なんか久しぶりだな二人とも」
 振り向いて、久々に会う友人たちにも声をかけた。
 二人は対称的な表情を浮かべて、思い思いの言葉を返してくる。
「ほんと、久しぶりだねえ早坂くん。会えて嬉しいよ」
「まあ、同じ大学とはいえ、学科もサークルも違ったらそうそう会わないでしょ」
 にこにこと可愛らしい笑みと共に、優しい言葉をくれたのは木崎芹莉せり。その隣で、窓の外を見ながら素っ気ない言葉を放ったのが坂上花耶かや。本来ならば早坂とはなんの接点もないはずの彼女たちだが、優也と同じ"映画研究会"に所属していたことを縁に、こうして休日に遊びに行く程度の関係になった。もっとも早坂としては、それ以上の進展を望む気持ちもあるのだが……。
「木崎、もしかして髪切った?」
「あ、気づいてくれた?夏だから、ちょっと思い切って短くしてみたの」
 そういって芹莉が微笑む。以前は肩にかかるほどの長さだった明るいブラウンの髪が、今はすっきりしたショートボブになっていた。
「いいじゃん、似合ってる」
 本当はここで「可愛いよ」と付け加えられればいいのだろうが、その一言がなかなか言えない。それでも芹莉は「ありがとう」と笑ってくれた。
「ねえ早坂。私は?」
 芹莉とのやり取りにほっこりしていると、その横から尖った声が投げられた。反射的に花耶の方を見て、まじまじとその姿を確認してしまう。
 しかし、花耶の市松人形を思わせる長い黒髪も、整ってはいるが能面じみた顔立ちも、普段となんら変わりないように見える。
「ええと……俺にはよくわからないんだけど、もしかして坂上サンも髪切りました……?話の流れ的に」
「そう。毛先を五センチ」
「わかるか!」
 思わず大声で突っ込んでしまった。それを聞いた優也が、エンジンをかけながらケラケラと笑って言う。
「ほんとお前ら仲良いなー。お似合いだわ」
「どこがだよ……」
 花耶のことは友人として好きだが、彼女に対してそれ以上の進展を望む気持ちはない。花耶の方だって同じだろう。いや、そもそも友人として好かれているのかも怪しいレベルだが。
 もう一度花耶に視線を向けてみたが、彼女はもうこちらに興味をなくしたのか、黙って窓の外を見つめている。仕方がないので花耶との会話はそこで切り上げ、優也や芹莉と近況を報告し合った。そうして、とりとめのないやり取りをしているうちに、車は市街地を離れ、少しずつ郊外に近づいてきたようだ。
 早坂は流れていく景色になんとなく目を向けながら、隣の優也に尋ねた。
「そういえば、最初はどこに行くんだっけ」
「黒河トンネルだよ。あの有名な」
「一般的には有名じゃないぞ、たぶん」
 黒河トンネルとは、市内でも指折りの心霊スポットで、その筋ではかなり有名な場所らしい。以前優也に聞かされたので、なんとなく覚えている。
 いわく、トンネル内を車で走っているとボンネットに女の首が落ちてくる。ハイヒールの足音がずっと着いてくる。高速で走る老婆が追ってくる。……など、統一性のない、ごった煮のような怪談話がたくさん伝わっているらしい。
「なんでこの手の怖い話に出てくる霊って、女の人しかいないんだろうな」
「いやいや、じーさんとか少年のパターンもあるって。俊雄くんとかさ」
「誰だよそれ」
 早坂が問い返すと、優也が何故か驚いた様子で言った。
「嘘だろ奏太、まさか『呪怨』観たことないのか?!」
「ないけど。だってめっちゃ怖いんだろそれ」
 自慢ではないが早坂はホラーの類が大嫌いである。娯楽であるはずの映画や小説に何故わざわざ怖さを求めるのか、まるで理解できない。今日の肝試しだって、芹莉に会えるのでなければ絶対来なかった。
 そして当の芹莉はというと、早坂の言葉を聞いた途端に後部座席から身を乗り出して、こちらに顔を近づけてきた。唐突に縮まった距離に胸が高鳴ってのも束の間、その可愛らしい口から飛び出したのは、ときめきの欠片もない言葉だった。
「まだ見たことないなら早坂くんも映研においでよ。今度みんなで観よ?」
 何を、とは聞くまでもない。すっかり忘れていたが、現・映画研究会には、やたらとホラー好きばかりが集まっており、活動日にはその手の作品ばかり観たり撮ったりしているのだという。早坂が映研に入らなかった理由だ。
「あー……せっかくだけど、俺はちょっと……」
 いくら芹莉の誘いでも、こればっかりはお断りだ。ただ心霊スポットに行って帰るだけならまだしも、映画の演出は確実に脅かしに来る。そんなの絶対見たくない。
 顔を引き攣らせる早坂を一瞥して、同じく後部座席の花耶が鼻で笑った。
「早坂ってほんと見かけ倒しだよね。黙ってればスポーツマンっぽい見た目なのに、中身はヘタレで根暗なんだから」
「あのな……見かけ倒しとか坂上にだけは言われたくないんだけど。見た目は貞子のくせに口は悪いし態度はでかいし」
 売り言葉に買い言葉で返した早坂に対し、花耶は顔を顰めて、
「ふん、そんなの言われ飽きたわ。ちょっと髪が長いだけで貞子とか幽霊とかバッカじゃないの?どいつもこいつも表現力なさすぎでしょ」
 と吐き捨てた。どうやら、貞子と言われたのが何より花耶の癇に障ったらしい。険悪になりかけた空気を察しているのかいないのか、のほほんとした雰囲気で優也が口を挟む。
「大丈夫だぞ坂上!原作では貞子ってめちゃくちゃ美人の設定だから!」
「……それフォローになってるか?」
 早坂の突っ込みをスルーして、小さな声で優也が呟いた。
「坂上はなー、もうちょい素直になった方がいいな」
「優也?なんか言ったか?」
「いーや、なんも。それより、そろそろ見えてきたぞ黒河トンネル」
 優也の言葉に顔を上げる。いつの間にか車は峠に差し掛かり、街の灯りはすっかり遠くなっていた。時刻は十九時半。女性陣もいるため深夜に集まることはしなかったが、すっかり陽の落ちた山道には、それでも十分な迫力があった。
「黒河トンネルって噂でしか知らなかったけど、思ってたより狭いんだねえ」
 興味深げにフロントガラスの向こうを覗き込みながら芹莉が言う。
 見たところトンネルの幅は一車線分しかなく、入り口では縦向きの信号機が青い光を放っていた。中で車がすれ違えないが故の措置だろう。
「まあ一応市内って言っても、わざわざこんな僻地まで来ないよなー。このトンネルだって、この辺に住んでる人達か、おれらみたいな暇な学生くらいしか通らないだろうし」
 そう。優也の言う通り、このトンネルは有名な心霊スポットである反面、周囲では普通に生活している人達もいる。この向こうにはごく普通の集落があり、バスだって日に何本も通っているのだ。
 だから、そもそもこの場所で心霊現象など起きるはずがない。毎日何人もの人が行き交っているというのに、その度に幽霊が出ていたらもっと大騒ぎになっている。
 ……と、そうやって早坂は半ば自分に言い聞かせるようにして覚悟を決めてきたのだが、優也は何故かトンネルには入らず、そのまま脇道に停車した。
「青信号だぞ。入らないのか?」
「入るけどさ、その前に……」
 優也はごそごそと脇に着けていたボディバッグを漁って、自分のスマホを取り出した。そして勢い込んで早坂の前にそれを突き出す。
「奏太に重大な役目を任せる!これで心霊写真を撮ってくれ。もしくはおれが撮るから運転代わってくれ」
「は?どっちもいやだ」
「なんでだよ!」
 食い気味に早坂が断ると、優也はスマホを振り回しながらお手本のような突っ込みを入れてきた。どうでもいいが狭い車内であまり暴れないで欲しい。
「ちょっとくらい考えてくれてもいいだろ!?おれの恋路に協力してくれよ!」
「恋路?心霊写真と恋愛になんの関係があるんだよ」
 呆れながら早坂が訊くと、優也は何故か急に頬を赤らめて口篭りだした。成人した男がもじもじしているところなど見たくないのだが。
「あのさあ、うちの大学の近所に霊媒師やってる人がいんの知ってる?」
「知らないけど……」
 いや、そういえば以前、安曇が言っていたような。
 考え込む早坂を無視して優也が先を続ける。
「おれどーしても気になっちゃってさあ……この間、その人の事務所の近くまで行ってみたんだよ。そしたらちょうど依頼人っぽい人を見送りに出てきたんだ、霊媒師が。それでさ……」
「……それで?」
 なんとなく嫌な予感を覚えつつ問い返す。優也はスマホを握り潰さんばかりに力を込めて、こう言い放った。
「その霊媒師がさあ……すっげー美人だったんだよ!」
 優也の熱量とは対称的に、車内になんとも言えない沈黙が流れる。
 我慢ならなくなったのか、最初に口を開いたのは花耶だった。
「……なにあんた、最近読んだラノベの話でもしてんの?」
「違う!妄想拗らせてるわけじゃないから!」
 優也が拳を振り上げて力説する。なるほど、今回の肝試しにおける本当の目的が見えてきた。
「ようするに、その美人霊媒師と知り合うきっかけにするために、心霊写真を撮りたいってことか?」
「そう!そういうこと!」
「お前な……」
 微妙に白けた空気が漂うなか、芹莉だけが楽しそうに手を合わせて言う。
「わあ、じゃああたしが撮影係やってあげる!いい写真撮れるといいね」
「木崎……!お前っていいやつだな!」
 にこにこと二人が笑い合う。とてもこれから心霊写真を撮ろうとしているようには見えない。
「俺帰っていいか……?」
「別にいいけど、ここから歩いて帰るのか?この時間バスほとんど来ないぞ」
 そうだった、夜にこんな峠道を歩いて帰れる訳がなかった。どうあっても、この茶番に付き合うしかないのか。いや、茶番なのは初めから分かっていたことだ。
 背後から花耶の大きなため息が聞こえてくる。気持ちは早坂も同じだった。
「さて、そんじゃ行きますか!」
 状況にそぐわない陽気さで、優也がハンドルを切る。ライトグリーンのワゴン車は、信号機が放つ青い光の中、薄暗いトンネルの奥へと吸い込まれて行くのだった。

 等間隔に並んだ照明の下、仄暗いトンネルの中を車は先へと進んで行く。ルームミラー越しに見た芹莉は、わくわくした表情で優也のスマホを窓の外に向けていた。どうやら撮り逃しのないように、写真から動画撮影に切り替えたようだ。
「木崎はこういうの怖いとか思わないのか?」
 早坂の問いに、芹莉は可愛らしく首を傾げて答える。
「もちろん怖いよ?怖いから楽しいの」
「…………そうか」
 早坂には一生理解できそうにない感覚だ。
 これ以上芹莉との間に溝を感じたくないので、早坂は何も言わず自分の腕を摩った。ずっと座っているせいか、妙に肌寒い。
「優也、ちょっと冷房きつくないか?」
「ん、そうか?ちょっと温度上げるか」
 優也が片手でエアコンを操作するのを横目に、早坂は座席に体を預けた。どうにも体がだるい。そっと息をついた瞬間、ふいに安曇の言葉が脳裏を過ぎった。
“君、霊感体質なのに”
 ……馬鹿馬鹿しい。ここ最近、バイトを詰め込みすぎて疲れが溜まっているだけだ。帰ったら風呂に入ってさっさと寝てしまおう。そう決めて目を閉じた。撮影なら芹莉がやっているし、そもそも自分は別に幽霊なんて見たくない。運転している優也には悪いが、少しくらい休んだっていいだろう。

 *

 遠くから響く車の走行音で、早坂は目を覚ました。どうやら夢を見ているらしい。
 目を覚ましたのにまだ夢を見ているなんて、どうにもおかしな感覚だ。しかし、今見えているものが現実の景色でないことは明白だった。
 なにしろ今トンネルの向こうからやってくるのは、早坂たちが乗っている車なのだから。
 あんな目立つ色の車、街中でもそうそう見かけない。遠目にもはっきりそうだと分かったが、車が近づいてくるにつれ、それは確信へと変わった。
 車の運転席には見慣れた金髪頭。そしてその隣には、目を閉じて眠っている様子の自分がいる。
 なるほど、これはなかなか面白い夢だ。こういうのを幽体離脱などと呼ぶのだろうか。もう一度目が覚めたら優也たちに教えてやろう。きっと羨ましがるに違いない。
 妙に呑気な気分で、早坂は通り過ぎようとする車のサイドミラーに手を伸ばした。そのまま引きずられるような形で並走する。夢なら何をしたって大丈夫だろうと思ったが、やはり空気の抵抗などはほとんど感じず、じっくり中の様子を覗くことができた。
 助手席に座る早坂は、身動ぎもせずに眠っている。自分を客観的に見るのは妙な気持ちだ。その後ろでは、芹莉がさっきと変わらない様子でスマホを外に向けている。今の自分があれに写れば、優也の望む心霊映像になるだろうか……なんて、夢でそんなことをしても意味はない。
 ふと、左手に触れたままのサイドミラーに視線を落とした。
 そこに写っていたのは、早坂とは似ても似つかない、痩せた若い男の姿だった。

「……うた……奏太!」
 深い海の底から引き揚げられるように、急激に意識が覚醒する。一瞬、自分がどこにいるのか分からずに、早坂は何度か目を瞬かせた。
 ここは……優也が運転する車の中だ。どうやら、今度こそ本当に目覚めたらしかった。
 気づけばすでに車はトンネルから出たようで、暗い山道の脇に停まっている。そして隣で運転していたはずの優也は、体ごとこちらに向いて早坂の様子を窺っていた。
「あ……悪い、優也。ちょっと寝てた」
「いや、それは別にいいけどさ。大丈夫か、奏太?顔色めちゃくちゃ悪いぞ」
 言われてルームミラーに写る自分の姿を確認した。たしかに優也の言う通り、死人のように真っ白な顔をしている。
「ああ……ごめん、車酔いかも。あと、なんか変な夢見てた」
「夢?よく分からんけど、具合悪いなら今日はもう帰るか」
「え?でも、この後も他のところに行くんだろ?」
 散々茶番だなんだと言ったが、さすがに早坂一人のために予定を変更させるのは申し訳ない。だが、お人好しの友人たちはそんなことはまるで気にしていないようだった。
「根暗とヘタレのうえに病弱まで追加されたら、あんたますます見かけ倒しになるでしょ。いいから帰って寝てれば」
 刺々しい口調で花耶が言う。だが言っている内容は優也と同じ、早坂への気遣いである。
「坂上ってわりと分かりやすいツンデレだよな」
「なにそれ、きもい」
 そういって花耶はプイと横を向いてしまった。口は悪いが、なんだかんだ花耶も良い奴だなと思う。
 結局、心霊スポットツアーはここでお開きとなり、四人を乗せた車はそのまま山道を迂回して帰路に着くこととなった。
 道中、撮影した動画を嬉々として見せようとする芹莉をいなしつつ、早坂は先ほど見た奇妙な夢について思い返していた。
 うたた寝の最中に見る夢にしてはかなり鮮明で、目覚めた今も細かい部分まで思い出せる。まるで本当に体験した出来事だったかのように。
(なんて、あるわけないよな)
 もうすぐ街に着く。今夜の出来事はひと夏の少し不思議な体験として、飲み会の話題にでもしよう。

 騒がしい車内の中で、サイドミラーにべったりとついた指紋に気づく者は、誰もいなかった。
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