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第一章 見知らぬ世界

3話 夜風に吹かれて

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  石造りの床が、青白い月明かりに照らされるのを見つめながら、翔真は与えられた寝室で一人静かに息を吐いた。
(眠れない……)
  昼間に一瞬感じた眠気はどこへ行ってしまったのか、こうしてベッドに横たわっていても、まるで眠くならない。体も脳もかなり疲れているはずなのに。
「うーん……」
  心の奥にモヤモヤとわだかまる不安を吐き出すように唸りながら、翔真は何度目か分からない寝返りを打った。
  昼間、この国の人達から言われた言葉が、翔真の頭の中でずっとグルグルと渦を巻いている。
  突然見知らぬ世界に喚び出されて、王様の花嫁だとか、この国の希望だとか、大層な肩書きで呼ばれて、それでいきなり身の振り方を考えろなんて言われたって、そんなの決められる訳がない。日本にいた時でさえ、やりたい事ひとつ見つけられていなかったのに。
「存在そのものが希望とか、重いって……」
  声に出してしまうと、焦りや不満が耳から入り込んで腹の底にどっしりとこごっていくようで、息が苦しくなった。
  結局、今日はずっとこんな調子で、あの後せっかくメリノが運んでくれた夕飯も味わう余裕がなかったし、高校時代から欠かさずやっていた夜のランニングもサボってしまった。何もかもダメダメで嫌になる。
(……せめて、今からでも走りに行こうかな)
  そうだ、そうしよう。どうせこのままゴロゴロ悩んでいたって、時間が無為に過ぎていくだけだ。それなら外で思い切り体を動かせば、少しは頭もスッキリするんじゃないか。
  翔真が今身につけているのは、最初に着ていたスーツではなく、昼間メリノが届けてくれた衣服の方だ。形はラギム達が着ていたのと同じ貫頭衣だが、あれよりも丈が短くて体にフィットする作りになっている。これを貸してくれたヴェーバルというヒトは兵士らしいから、動きを邪魔しないように作られているのだろう。運動するにはちょうど良い格好だ。
「……よし」
  そうと決まれば早い方がいい。わざと反動をつけて体を起こすと、翔真はそのままの勢いで部屋を飛び出した。

  人工の明かりがひとつも無い夜は暗くて、それゆえに星の光がやけに眩しい。これなら手元の明かりがなくても十分に行動できそうだ。
  なるべく足音を殺しながら、人気のない廊下を小走りで進んで行く。翔真が今履いているのは、職人が急いで仕上げてくれたという革製の編み上げサンダルなので、最初に履いていた革靴よりは硬い音を立てずに済んだ。
  長い廊下をパタパタと進んで、中央にある階段を駆け下りる。そのまま一気に下まで行ってしまおうかと思ったが、ふと思い立って渡り廊下がある階で足を止めた。
  あの渡り廊下から見える景色は、夜になるとどんなふうに変わるんだろう。真っ青だった海と空は、太陽の光を反射して輝いていた白い家は、どんな表情を見せるのだろう。
  今、自分の中にわだかまっている不安と同じくらい、浮き足立つ気持ちが残っている事を自覚する。
  だって、やっぱりまだ夢を見ているような気がするのだ。それも、こんなに幻想的な光が洩れる夜なら尚のこと。
  翔真は何かに誘われるように階段を離れ、塔がある方へと向かった。
「わ……」
  そうして外に出た途端、強い風が吹きつけてきて、翔真は思わず目を閉じた。風が収まるまでほんの数秒の間そうして……再び目を開いた時、その視界に飛び込んできたものは。
「う、わ……すげえ星空……」
  視界を遮る物が何もない、無限の夜空にバラまかれた、無数の星々。満天の星という言葉の本当の意味を、翔真は初めて理解できた気がした。
  ふらふらと廊下の中央へ歩み出て、首が痛くなるほどまっすぐに空を見上げる。こうしていると上下の感覚すら曖昧になって、このまま宇宙にさえ飛び出していけるような気がした。
(星に、触れそうだ)
  思わず手を伸ばした先に、一際明るく輝く青い星があった。翔真が月だと思っていたのは、どうやらこの星だったようだ。……いや、この眩しい光は、地球から見た月と比べても遜色ない。
  夜を照らす美しい青に眩みそうになる目を細めながら、指先でそっと星をなぞる。その時、
「ショウマ」
  不意に名前を呼ばれ、翔真は驚いて肩を震わせた。
「え、あ……ラギム?! なんで……」
  いつの間にそこにいたのか、宮殿の方から姿を現したラギムが、こちらへ向かって来るところだった。昼間着ていたより飾り気のない服装は、たぶん寝間着なのだろう。
「お前が部屋を飛び出して行くのが見えてな。追いかけてみればそのまま外に出るものだから、身投げでもするつもりかと焦ったぞ」
「しないよ、そんなこと……ていうか見てたんだ」
  当然のように隣に立って、同じように星空を見上げるラギムに視線を移す。宮殿の部屋にドアはないし、ラギムの部屋は同じ並びにあるのだから、考えてみれば見られていたのも当然か。
「なんか眠れなくてさ。ちょっと体動かそうと思って外に出たら、星空がすげー綺麗で見惚れてた」
「……そうか」
  肩が触れ合いそうなほど近くで、ラギムは優しく微笑んだ。昼間は怒らせてしまったけれど、今はもう気にしていないようだ。その事に少し安堵しながら、ラギムの横顔を見つめる。
  石膏像のように白くて汚れひとつ無い肌と、星空よりもキラキラと輝く金色の髪。少し上から見下ろしたまつ毛は、瞳を全部覆い隠してしまいそうなほどに長い。莉乃が小さい頃大切にしていた人形が、そのまま命を持って動き出したみたいだ。
「ほんと、きれーだな……」
「なんだ? そんなにこの星空が気に入ったか」
「あー、いや……うん……」
  ラギムの顔立ちが整っていることに感心していただけです……とは言えず、翔真は言葉を濁した。なんとなく気まずくなってしまい、慌てて話題を変える。
「えっと……あの青い星さ、すげー明るくて綺麗だよな」
「ああ……あの星は“ファレーユ”と呼ばれている。その昔、海を荒らす巨大な怪魚と勇敢に戦い勝利した、とある戦乙女の名前だ。彼女は打ち倒した怪魚の上に国を拓き、女王となった。その子孫である我々王族は彼女の名前を継ぎ、夜空で最も美しく輝く星にも、敬意をもってその名を付けたのだ」
「えっ……ということは、この島そのものがでっかい魚なのか?!」
  巨大な動物の上に国があるなんて、まさに王道のファンタジー展開じゃないか。
  そう思って目を輝かせる翔真を見上げて、ラギムは少し苦笑した。
「あくまでも、そういう神話だ。災害以前に王宮の地質学者が調査したが、どこまで地面を掘っても、ただの土しか出なかったからな」
「あ、そうなんだ……意外と現実的だな」
  ちょっとガッカリして、翔真は廊下の手すりに肘をついた。そんな翔真の隣で、ラギムはなにやら愉快そうに肩を揺らしている。
  ファレクシア以外の国が存在しないのなら、今翔真の隣にいるラギムこそが、この世界で一番偉い人ということになる。そんな人とこうして気軽に言葉を交わしているのは、なんだか不思議な感じだ。
  もう一度、ラギムの横顔を盗み見る。王様なのに気取らなくて、翔真の取り留めない話も熱心に聞いてくれて、おまけに人形のような顔立ちをした美形だ。こんな彼が真剣にプロポーズすれば、きっとどんな女性だって断らないだろう。それなのに、ラギムは翔真なんかのことを「花嫁」と呼ぶ。
「……あのさ、ラギムは嫌じゃないのか? 異世界から喚んだ人と結婚するなんて」
「なに?」
「だってさ、ラギムと見た目が近い女の子ってだけじゃ、どんな人が来るかなんて分からないだろ? 実際、手違いでオレみたいなゴツい男が来ちゃったわけだし……それがこの国にとって必要な事なんだとは聞いたけど、ラギム個人の気持ちはどうなんだろうって」
  結婚なんて、若い翔真にとってはまだピンと来ない話だけれど、それでも人生を左右するとても大切なものだという事くらいは理解している。まして初めて会った人をその相手として選ぶなんて、翔真が生きていた令和の価値観では考えられないことだ。
  だが、当のラギムは静かに微笑んで、何でもなさそうに答えた。
「私の意思は、この国の意思そのものだ。そして、民の望みこそが私の望みでもある」
「そんな……っ」
  聞きたいのは、そんな“王様”としての模範解答じゃない。
  言葉を重ねようとした翔真の唇に、ラギムの長い指がそっと触れた。
「姉上やレクト以外に、城の者と話したか?」
「……メリノさんと、いろいろ話したけど」
「そうか、ならば分かっただろう。この国の者が、どれほどお前という存在を必要としていたか。国の長たる私の伴侶は、最も国のためになる人物でなくてはならない。つまり、お前のことだ」
「…………っ」
  国のため。みんなのため。そこにラギム自身の気持ちなんてひとつもない。
  そんなふうに求められたって、何も嬉しくなんかない。
「……オレは男だし、どうがんばってもラギムの子供は産めないけど。それじゃ困るんじゃないの?」
「さて、確かにそれは由々しき問題ではあるな」
  翔真の唇から指を離して、ラギムはおどけたように肩をすくめた。
「跡継ぎの問題は重要ではあるが、とはいえそう焦るほどでもない。そもそも、我々は姿形は似ていようとも、全く理の違う世界で生まれ育ってきたもの同士だ。……試してみれば、男同士で子が出来る事もあるかもしれん」
「試すって、何を…………ナニを?!」
  具体的に意識した瞬間、顔がカッと熱くなるのを感じた。そんな翔真を見て、ラギムがおかしそうに笑う。
「か、からかってるだろ! もう!」
「ふふ……そう怒るな」
  顔を真っ赤にしながらラギムの背中を軽く叩くと、楽しそうに笑いながら、ラギムも肩をぶつけてきた。
「もう……オレは真剣に言ってるのに」
  ラギムが楽しそうにしているのを見ていたら、なんだか毒気を抜かれてしまった。わざとらしくため息を吐いた翔真を見上げて、ラギムは優しげに目を細める。
「さあ、気が済んだのなら、そろそろ部屋に帰るといい。いくらファレクシアが暖かいとはいえ、夜はさすがに冷えるからな」
「……ん、わかった」
  小さく頷くと、自分の中に渦巻いていたイライラやモヤモヤが、いつの間にかすっかり消えている事に気がついた。夜風で頭が冷えたからか、それともラギムと話したおかげだろうか。
「なんか、よく眠れそうな気がする」
「それは何よりだ。……そうだ、明日は私がこの島を案内してやろう。朝の支度が済んだら私の部屋に来るといい」
「え、いいのか?」
「ああ、せっかくだ、この島の住民達も紹介しよう。レクトに任せようかとも思っていたが、あいつは人と関わるための能力が少々欠けているからな」
「あー……」
  たった半日で思い当たることがありすぎて、翔真はそう呟くことしか出来なかった。だが、真顔になる翔真とは反対に、ラギムはとても嬉しそうだ。
「明日が楽しみだな? ショウマ」
  そう言って無邪気に笑うラギムは、なんだか少し幼くも見える。
(……なんか、ヘンな感じ)
  さっきまでとは別の種類のモヤモヤが心に浮かんでくるのを感じながら、翔真自身も、どこかで明日を心待ちにしているのだった。



  ──第二章へ続く
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