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6話 海の底
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倉庫から出た途端、空はみるみるうちに翳り出して、辺りは真っ暗になった。外にはわずかに街灯もあったが、さすがにここまで光は届かないようだ。
「あ、良かった。壊れてない」
安堵の息を吐きながら、沖本はスマホのライトを付けて前方を照らした。
「志形さん達も車で来たんですか?」
「ああ……」
「そっか、良かった。じゃあ坂木さんが来るまで、車内で待ってましょうか」
「いや。話つけた後で、あいつらの車使って帰るだろ。気にしなくていい」
「……そうですか? じゃあ俺が運転しますね」
坂木がどういうふうに話をつけるのか気になるところだが、たぶん沖本は知らない方が良い事なのだろう。
志形が何も言わないので、沖本も黙ったまま工場の出口へと向かう。その付近に見覚えのある黒いセダンが停まっているのに気づいて足を速めた時、少し遅れて歩いていた志形が、不意に足を止めた気配があった。
「志形さん?」
一体どうしたのかと、沖本も足を止めて振り向く。ライトを足元に向けているせいで、その表情はよく見えない。暗闇に沈んだその顔の、唇だけがわずかに動いた。
「お前とはもう会わない」
それは唐突な、けれどどこかで予期していた言葉でもあった。
「……俺が、足を引っ張ったからでしょうか。あんなやつらに捕まって、志形さん達の手を煩わせたから?」
「そんな話はしてない……そもそもなんでお前はそんなに平然としていられるんだ。今回は相手が素人だったからどうにかなっただけで、相手次第では死んでたかもしれないんだぞ」
「……でも、実際俺は無事に帰って来られましたよ」
「だから! 次も同じようにいくとは限らないだろうが!」
苛立ち混じりに声を荒げた志形が、突然沖本の腕をキツく掴んで捻り上げた。
「痛っ……! なにするんですか!」
志形がギリギリと抓り上げている箇所は、先程揉み合った際に、相手が持っていたナイフで切りつけられた所だった。と言っても、シャツと皮膚が軽く切れただけで、とっくに血も乾いていたのだが、爪を立てられた場所からまた血が出てきたような気がする。
「……あんな素人相手にすら、こんな怪我させられたくせに。次は死ぬぞ」
「……刃物持ってるやつ三人相手にしては、かなり頑張ったと思うんですけど」
苦笑しながら言い訳をしてみたが、志形は掴んだ手を緩めようとはしない。その手を振りほどいたら、今にも溺れてしまいそうだと思った。
「志形さん……」
うつむいている志形の表情は、窺えない。
「ねえ、志形さん。俺の怪我にそうやって怒ってくれるってことは、俺のこと気にかけてくれてるんだって……俺も少しは、あなたにとって特別な存在になれたんだって、そう自惚れても良いですか」
「……調子に乗るな」
「いたっ」
今度は拳で胸を叩かれ、沖本は小さく声を上げた。志形は構わず、何度も何度も拳を振り上げる。
「最悪だよ、お前は。そうやって土足で人の中に踏み込んで来て、勝手な事ばっか言いやがって。もう今さら戻れねえんだよ、俺は。お前と同じ、普通の暮らしなんて出来ないんだ」
「……それなら、俺がそっち側に行けば一緒にいられるじゃないですか」
「お前……っ!」
何度も沖本の胸に振り下ろされていた拳が、ピタリと止まる。強く握りしめたその手は、わずかに震えていた。
「志形さんがそれを望んでいないって事は、もう分かってます……だからこれは、志形さんのためじゃないです。全部、俺自身のためですよ。あなたが好きなのも、あなたのそばに居たいのも、全部俺のわがままだから……志形さんがどう言おうと、俺は俺のために自分の人生を使います。どれだけ綺麗な世界でも、あなたが居ないなら生きる意味なんて無いので」
「……お前は、どこまで自分勝手なんだよ」
「すみません」
小さく笑って、胸に押し付けられたままの志形の手をそっと握る。
もう少し。あとひと押しで手に入れられる。
汚くていい。卑怯でいい。彼が、この腕の中に居てくれるなら。
うつむいている志形の頬を、そっと撫でる。志形は何も言わない。抵抗もしない。
「志形さん」
されるがまま顔を上げた志形を軽く引き寄せて、その唇を指先でなぞる。そのまま、柔らかな唇に、己の唇を重ね合わせた。
「……っ」
胸に触れている志形の指先が、跳ねるように震えた。この手が汚れていると言うのなら、同じだけ汚れたいと思う。
それが、どんなに身勝手な願いだったとしても。
「……志形さん。好きです」
吐息が溶け合う距離で囁く。
二人で居られるなら、地獄の底も、きっと悪くない場所だろう。
*
深夜の空気はひやりと冷たくて、薄く開けた窓からは、暗闇と静けさが流れ込んで来るようだ。
「沖本」
背後からかけられた声に振り向いて、後ろ手に窓を閉める。夜の山道を車に乗ってはるばる街に戻った後、沖本は志形に誘われるまま彼のマンションに泊まっていく事になったのだった。明らかに弱っている志形に付け込んでいる自覚はあったが、この状況で断れるほどの意志の強さは、今の沖本には無かった。
「志形さん」
パジャマ代わりだろう薄手のTシャツに着替えた志形に駆け寄って、その体を抱きしめる。まだ濡れているその髪から、沖本と同じシャンプーの香りがした。
「……暑苦しいな」
無愛想に呟いた志形は、しかし抵抗せずに沖本の肩に顔を埋めた。その仕草に心臓が高鳴るのを感じながら、志形の項に手を這わせて顔を上げさせ、キスをする。
「ん……志、形さん……志形さん……っ」
唇を重ねる合間に、何度も何度も、その存在を確かめるかのように、繰り返し彼の名を呼んだ。
「……っ、がっつくな」
沖本の胸を押し返そうとする手を掴んで、その指先にも口付ける。今まで我慢していた分の気持ちが、溢れ出して止まらなかった。
「志形さん……あなたの何もかもが欲しいです。心も体も、ひとつ残さず俺にください」
「……好き勝手言いやがって」
志形は少し眉をひそめたかと思うと、自身の手を取っている沖本の手を取り返して、親指の付け根に思いきり噛みついた。
「いっ、痛い痛い!」
沖本が悲鳴を上げても志形は噛み付く力を緩めず、ようやくその口が離れていった後には、くっきりと歯型が残っていた。
「……来い」
己が残した痕をそっとなぞった志形は、その一言と共に沖本の襟首を掴み、そのままベッドへと向かった。そしてベッドの上にあがると、沖本を掴んだ手を強く引き寄せて、自らの上に覆い被さる姿勢になるよう促す。
「そんなに欲しいなら全部くれてやる。……お前の好きにさせてやるよ」
耳元でそう囁かれた瞬間、ギリギリで保っていた理性の糸が、音を立てて千切れ飛んだ気がした。
「……志形さん!」
衝動のまま、志形の両肩を掴んでベッドに押し倒す。そして、ためらうことなくその首筋に顔を埋めた。
「……っ」
さっきのお返しとばかりに首筋に噛みついた途端、志形がいつも付けている香水の甘い匂いが一層強く香って、体全体がカッと熱くなった。
「はあ……っ、は……志形さん、なんか、いつもよりもっと良い匂いがします……すごい、興奮する……」
「……バカ、なに勃たせてんだ。早いだろ」
昂った部分を無意識に押し付けようとした沖本の肩を掴み、志形はそのまま押し返そうとしてくる。けれど、その程度の抵抗は、かえって欲情を煽るだけだ。
「志形さん……もっと直接、触りたい」
薄い素材のシャツの裾から手を入れ、引き締まった脇腹に指を這わせる。沖本よりも細身ではあるが、決して痩せ細っている訳では無いその体は、確かに自分と同じ男のものだ。脇腹をなぞる指を少しずつ上に滑らせるごとに、シャツの裾が捲れ上がり、その肌を顕にしていく。
「志形さん、肌綺麗ですね……すべすべしてて、気持ちいいです」
「……いちいちうるさいな、お前は。少しは黙って出来ないのか」
諦めてされるがままになっていた志形が、そう言って若干顔をしかめた。けれど今は、そんな表情の変化さえも愛おしくて堪らない。
「あなたの好きなところは、全部伝えたいんです。俺の中にしまってるだけじゃ、もったいないから」
長い間、伝える事も出来ずに溜め込んでいた気持ちは、どれだけ掘り起こしてみても、まだまだ底が見えない。その想いを全て伝えるには、世界中の『好き』という言葉を掻き集めてもまだ足りない。
「志形さん……」
もっと直に肌と肌でふれあいたくて、汗で貼りついたシャツをベッドの下に脱ぎ捨て、志形の腕や肩に絡んでいるTシャツにも手をかけて、全部脱ぐよう促した。そうして、二人とも裸になって向き合い、その体をギュッと抱きしめる。
「志形さんの体も、熱いですね……」
「……っ、だから黙ってろって言っただろ」
その言葉と共に後ろ髪を思いきり引っ張られ、無理やり顔を上げさせられた。
「いたたたハゲるハゲる」
「うるさい黙れ。……もういいから、さっさと最後までしろよ」
唇が触れそうな距離で言われ、心臓がドキリと跳ねた。
「……もうちょっと、こうしてイチャイチャしてたいんですけど」
「余裕ぶってんじゃねえよ。さっきから当たってんだよ」
「あ……っ」
突然伸ばされた志形の手に、昂った局部を鷲掴みにされ、沖本は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと志形さん……」
沖本が慌てて止めようとしても、志形は構わずズボンの中に手を突っ込もうとしてくる。
「待ってください志形さん……! 分かりました!ちゃんとしますから!」
切羽詰まった声を上げる沖本を見上げてフンと鼻を鳴らすと、志形は身体を思いきり捻ってベッドの下に手を伸ばし、口を開けたまま放置していた沖本のショルダーバッグの中に手を入れた。“万が一”の場合に備えていろいろと準備をしていた事は、すでにバレている。
「あ、待って志形さん。俺がしますから」
志形が引っ張り出してきたローションのボトルを奪い取り、再び志形の体を仰向けにさせる。
「全部、俺にやらせてください」
「……好きにしろ」
そう言って志形はフイと目を逸らした。その態度を同意と受け取って、沖本は彼が身につけているズボンと下着に手をかける。そうして、その下に隠れていた部分を顕にしていく。
「……触りますね」
ローションの中身を手に取り、彼の秘められた部分にそっと触れ、ゆっくりと中に侵入する。その瞬間、志形の体が少し強ばったように感じた。
「すみません、痛かったですか……?」
「……いや」
何かを堪えるように手の甲を唇に押し当てて、志形は目を伏せた。志形の体を一番に気遣わなくてはいけないと分かっているのだが、わずかに震えるまつ毛や、時おり零れる微かな甘い吐息を感じる度、体の奥深くに火を灯されるようだった。
「志形さん……」
まだ見た事のない彼の表情を、もっと見てみたい。その一心でさらに奥へと指を進ませる。志形自身の手で慣らされてきたであろう中は、沖本が指を動かす度に吸いついてくるようで、その感触と熱さに、今にも蕩かされてしまいそうだった。
「……っ……ぅ」
志形が洩らす押し殺した声が耳に入る度、わずかに残った理性が砕けてしまいそうになる。この中に、昂った自身を突き立てて、ドロドロになるまで犯してしまいたい。そんな邪な思いが、理性の蓋をこじ開けようとしている。それをどうにか誤魔化すために、沖本は少し体を伏せて、志形の胸元に唇を這わせた。
「……っあ」
滑らかな肌に何度も口付けていた唇が、ツンと尖った突起に吸いついた途端、志形が小さく声を上げた。
「……ここ舐められるの、好きですか?」
中に押し込んだ指の動きは止めないまま、少し顔を上げて志形に問う。志形は何も答えなかったが、その頬が赤く染まっているのが分かった。
「……かわいい」
思わずそう呟いた瞬間、志形に思いきり耳を引っ張られた。
「……っ、調子に、乗るなよバカ」
「乗ってないですよ……ほんとにかわいくていたたた」
ギリギリと耳たぶを摘まれ、咄嗟にその手を握って止めさせる。
「もう、ちょっと大人しくしててください」
掴んだ手をマットの上に押し付けて、素直じゃない口を塞ぐため、その唇にそっと口付けた。
「んん……っ」
もう片方の手で髪を掴んで抵抗しようとする志形を無視して、薄く開いた唇から侵入し、深く舌を絡ませる。中を探っていた指も本数を増やし、さらに深い部分に触れた。
「……ん、んん……!」
重なった唇から、苦しげな呼吸が伝わってくる。少しだけ志形より優位に立てたような悪い錯覚と、心の底の方に隠れていた嗜虐心が囁くまま、わざとぐちゅぐちゅと音をさせて、中を掻き乱した。
「……志形さん、かわいいです」
「こ、の……クソガキ……」
沖本の指が中を行き来する度に体を震わせながら、志形は沖本を睨みつけた。けれどそんな態度とは裏腹に、彼の体もしっかりと昂っている事は分かっている。
「志形さん……もう、入れても良いですか? もっと直接、感じたい……」
口では問いかけの形をとっているが、沖本自身、すでに我慢の限界だった。ベッドの下でひっくり返っているバッグに手を伸ばし、その中から飛び出しているコンドームを拾い上げる。
「沖本、お前……」
「好きなようにさせてやるって、言ってましたもんね」
残った衣服を手早く脱ぎ捨ててゴムを装着し、志形の太ももをそれぞれの手で掴む。そしてそのまま、自分の方へ強引に引き寄せた。
「……っ、ぐ……っ」
昂ったモノを中に突き立てられた瞬間、志形の唇から苦しげな呻き声が洩れた。
「はあ……っ、志形さん、ナカ熱い……溶けそう……」
「お、前……あとで、覚えてろよ……」
苦しそうな呼吸を繰り返しながら、志形は苛立たしげに呻く。その腰を掴んで、中に収めていたモノをギリギリまで引き抜き、再び奥深くまで貫いた。
「っ、あ……」
欲望の赴くまま、何度も何度も、志形の体の深い部分を味わい尽くそうとする。
「さっさと、最後までしろって、言ったのは志形さんですよ……っ」
「ふ、ざけんな……! だからって、いきなり突っ込んでんじゃ、ねえ……っ」
志形が肩に回してきた手の爪が、ギリギリと食い込む。けれどその痛みさえ、快感を煽る要素のひとつでしかなかった。
「志形さん……志形さん……っ」
「バカ、お前……激しい、って」
もっと、全身で、彼の全てを感じたい。衝動に突き動かされるままに志形の体を抱きしめて、深く深く口付ける。
「ん、ぐぅ……っ」
零れ落ちる吐息さえ、全て残さず手に入れたい。突き上げる動きは止めないまま、沖本は夢中でその唇を貪った。
「志形さん……好き、です……好き……」
自分でも意識する前に溢れ出した言葉を聞いた瞬間、志形の顔が一瞬泣きそうに歪んだ。
「……ばか、かよ」
聞き取れるかどうかの声で呟いた志形は、汗ばんだ沖本の背中に手を回し、すがるように抱きしめた。
「……志形さん……」
触れ合った場所から伝わる熱が、その全てが、愛おしくて堪らなかった。
このまま、二人で溶け合って、ひとつになれたらいい。誰もいない、光さえ届かない、深い深い海の底で、いつまでも二人でいられたら……
「……沖本」
迷子の子供のような声が、沖本の名前を呼ぶ。
「……俺は、ここにいますよ。ずっとずっと、あなたのそばに、います」
海の底でも、地獄の底でも、その場所に彼がいるなら、どこまでも落ちたって構わない。
「……あっ、ぅ……志形さん……っ」
志形の背中に回した手にぐっと力を込めて、その体を強く強く抱きしめた。叶うはずのない願いだと分かっていても、願わずにはいられない。
この深く長い夜が、どうか永遠に明けないでいて欲しい、と。
「あ、良かった。壊れてない」
安堵の息を吐きながら、沖本はスマホのライトを付けて前方を照らした。
「志形さん達も車で来たんですか?」
「ああ……」
「そっか、良かった。じゃあ坂木さんが来るまで、車内で待ってましょうか」
「いや。話つけた後で、あいつらの車使って帰るだろ。気にしなくていい」
「……そうですか? じゃあ俺が運転しますね」
坂木がどういうふうに話をつけるのか気になるところだが、たぶん沖本は知らない方が良い事なのだろう。
志形が何も言わないので、沖本も黙ったまま工場の出口へと向かう。その付近に見覚えのある黒いセダンが停まっているのに気づいて足を速めた時、少し遅れて歩いていた志形が、不意に足を止めた気配があった。
「志形さん?」
一体どうしたのかと、沖本も足を止めて振り向く。ライトを足元に向けているせいで、その表情はよく見えない。暗闇に沈んだその顔の、唇だけがわずかに動いた。
「お前とはもう会わない」
それは唐突な、けれどどこかで予期していた言葉でもあった。
「……俺が、足を引っ張ったからでしょうか。あんなやつらに捕まって、志形さん達の手を煩わせたから?」
「そんな話はしてない……そもそもなんでお前はそんなに平然としていられるんだ。今回は相手が素人だったからどうにかなっただけで、相手次第では死んでたかもしれないんだぞ」
「……でも、実際俺は無事に帰って来られましたよ」
「だから! 次も同じようにいくとは限らないだろうが!」
苛立ち混じりに声を荒げた志形が、突然沖本の腕をキツく掴んで捻り上げた。
「痛っ……! なにするんですか!」
志形がギリギリと抓り上げている箇所は、先程揉み合った際に、相手が持っていたナイフで切りつけられた所だった。と言っても、シャツと皮膚が軽く切れただけで、とっくに血も乾いていたのだが、爪を立てられた場所からまた血が出てきたような気がする。
「……あんな素人相手にすら、こんな怪我させられたくせに。次は死ぬぞ」
「……刃物持ってるやつ三人相手にしては、かなり頑張ったと思うんですけど」
苦笑しながら言い訳をしてみたが、志形は掴んだ手を緩めようとはしない。その手を振りほどいたら、今にも溺れてしまいそうだと思った。
「志形さん……」
うつむいている志形の表情は、窺えない。
「ねえ、志形さん。俺の怪我にそうやって怒ってくれるってことは、俺のこと気にかけてくれてるんだって……俺も少しは、あなたにとって特別な存在になれたんだって、そう自惚れても良いですか」
「……調子に乗るな」
「いたっ」
今度は拳で胸を叩かれ、沖本は小さく声を上げた。志形は構わず、何度も何度も拳を振り上げる。
「最悪だよ、お前は。そうやって土足で人の中に踏み込んで来て、勝手な事ばっか言いやがって。もう今さら戻れねえんだよ、俺は。お前と同じ、普通の暮らしなんて出来ないんだ」
「……それなら、俺がそっち側に行けば一緒にいられるじゃないですか」
「お前……っ!」
何度も沖本の胸に振り下ろされていた拳が、ピタリと止まる。強く握りしめたその手は、わずかに震えていた。
「志形さんがそれを望んでいないって事は、もう分かってます……だからこれは、志形さんのためじゃないです。全部、俺自身のためですよ。あなたが好きなのも、あなたのそばに居たいのも、全部俺のわがままだから……志形さんがどう言おうと、俺は俺のために自分の人生を使います。どれだけ綺麗な世界でも、あなたが居ないなら生きる意味なんて無いので」
「……お前は、どこまで自分勝手なんだよ」
「すみません」
小さく笑って、胸に押し付けられたままの志形の手をそっと握る。
もう少し。あとひと押しで手に入れられる。
汚くていい。卑怯でいい。彼が、この腕の中に居てくれるなら。
うつむいている志形の頬を、そっと撫でる。志形は何も言わない。抵抗もしない。
「志形さん」
されるがまま顔を上げた志形を軽く引き寄せて、その唇を指先でなぞる。そのまま、柔らかな唇に、己の唇を重ね合わせた。
「……っ」
胸に触れている志形の指先が、跳ねるように震えた。この手が汚れていると言うのなら、同じだけ汚れたいと思う。
それが、どんなに身勝手な願いだったとしても。
「……志形さん。好きです」
吐息が溶け合う距離で囁く。
二人で居られるなら、地獄の底も、きっと悪くない場所だろう。
*
深夜の空気はひやりと冷たくて、薄く開けた窓からは、暗闇と静けさが流れ込んで来るようだ。
「沖本」
背後からかけられた声に振り向いて、後ろ手に窓を閉める。夜の山道を車に乗ってはるばる街に戻った後、沖本は志形に誘われるまま彼のマンションに泊まっていく事になったのだった。明らかに弱っている志形に付け込んでいる自覚はあったが、この状況で断れるほどの意志の強さは、今の沖本には無かった。
「志形さん」
パジャマ代わりだろう薄手のTシャツに着替えた志形に駆け寄って、その体を抱きしめる。まだ濡れているその髪から、沖本と同じシャンプーの香りがした。
「……暑苦しいな」
無愛想に呟いた志形は、しかし抵抗せずに沖本の肩に顔を埋めた。その仕草に心臓が高鳴るのを感じながら、志形の項に手を這わせて顔を上げさせ、キスをする。
「ん……志、形さん……志形さん……っ」
唇を重ねる合間に、何度も何度も、その存在を確かめるかのように、繰り返し彼の名を呼んだ。
「……っ、がっつくな」
沖本の胸を押し返そうとする手を掴んで、その指先にも口付ける。今まで我慢していた分の気持ちが、溢れ出して止まらなかった。
「志形さん……あなたの何もかもが欲しいです。心も体も、ひとつ残さず俺にください」
「……好き勝手言いやがって」
志形は少し眉をひそめたかと思うと、自身の手を取っている沖本の手を取り返して、親指の付け根に思いきり噛みついた。
「いっ、痛い痛い!」
沖本が悲鳴を上げても志形は噛み付く力を緩めず、ようやくその口が離れていった後には、くっきりと歯型が残っていた。
「……来い」
己が残した痕をそっとなぞった志形は、その一言と共に沖本の襟首を掴み、そのままベッドへと向かった。そしてベッドの上にあがると、沖本を掴んだ手を強く引き寄せて、自らの上に覆い被さる姿勢になるよう促す。
「そんなに欲しいなら全部くれてやる。……お前の好きにさせてやるよ」
耳元でそう囁かれた瞬間、ギリギリで保っていた理性の糸が、音を立てて千切れ飛んだ気がした。
「……志形さん!」
衝動のまま、志形の両肩を掴んでベッドに押し倒す。そして、ためらうことなくその首筋に顔を埋めた。
「……っ」
さっきのお返しとばかりに首筋に噛みついた途端、志形がいつも付けている香水の甘い匂いが一層強く香って、体全体がカッと熱くなった。
「はあ……っ、は……志形さん、なんか、いつもよりもっと良い匂いがします……すごい、興奮する……」
「……バカ、なに勃たせてんだ。早いだろ」
昂った部分を無意識に押し付けようとした沖本の肩を掴み、志形はそのまま押し返そうとしてくる。けれど、その程度の抵抗は、かえって欲情を煽るだけだ。
「志形さん……もっと直接、触りたい」
薄い素材のシャツの裾から手を入れ、引き締まった脇腹に指を這わせる。沖本よりも細身ではあるが、決して痩せ細っている訳では無いその体は、確かに自分と同じ男のものだ。脇腹をなぞる指を少しずつ上に滑らせるごとに、シャツの裾が捲れ上がり、その肌を顕にしていく。
「志形さん、肌綺麗ですね……すべすべしてて、気持ちいいです」
「……いちいちうるさいな、お前は。少しは黙って出来ないのか」
諦めてされるがままになっていた志形が、そう言って若干顔をしかめた。けれど今は、そんな表情の変化さえも愛おしくて堪らない。
「あなたの好きなところは、全部伝えたいんです。俺の中にしまってるだけじゃ、もったいないから」
長い間、伝える事も出来ずに溜め込んでいた気持ちは、どれだけ掘り起こしてみても、まだまだ底が見えない。その想いを全て伝えるには、世界中の『好き』という言葉を掻き集めてもまだ足りない。
「志形さん……」
もっと直に肌と肌でふれあいたくて、汗で貼りついたシャツをベッドの下に脱ぎ捨て、志形の腕や肩に絡んでいるTシャツにも手をかけて、全部脱ぐよう促した。そうして、二人とも裸になって向き合い、その体をギュッと抱きしめる。
「志形さんの体も、熱いですね……」
「……っ、だから黙ってろって言っただろ」
その言葉と共に後ろ髪を思いきり引っ張られ、無理やり顔を上げさせられた。
「いたたたハゲるハゲる」
「うるさい黙れ。……もういいから、さっさと最後までしろよ」
唇が触れそうな距離で言われ、心臓がドキリと跳ねた。
「……もうちょっと、こうしてイチャイチャしてたいんですけど」
「余裕ぶってんじゃねえよ。さっきから当たってんだよ」
「あ……っ」
突然伸ばされた志形の手に、昂った局部を鷲掴みにされ、沖本は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと志形さん……」
沖本が慌てて止めようとしても、志形は構わずズボンの中に手を突っ込もうとしてくる。
「待ってください志形さん……! 分かりました!ちゃんとしますから!」
切羽詰まった声を上げる沖本を見上げてフンと鼻を鳴らすと、志形は身体を思いきり捻ってベッドの下に手を伸ばし、口を開けたまま放置していた沖本のショルダーバッグの中に手を入れた。“万が一”の場合に備えていろいろと準備をしていた事は、すでにバレている。
「あ、待って志形さん。俺がしますから」
志形が引っ張り出してきたローションのボトルを奪い取り、再び志形の体を仰向けにさせる。
「全部、俺にやらせてください」
「……好きにしろ」
そう言って志形はフイと目を逸らした。その態度を同意と受け取って、沖本は彼が身につけているズボンと下着に手をかける。そうして、その下に隠れていた部分を顕にしていく。
「……触りますね」
ローションの中身を手に取り、彼の秘められた部分にそっと触れ、ゆっくりと中に侵入する。その瞬間、志形の体が少し強ばったように感じた。
「すみません、痛かったですか……?」
「……いや」
何かを堪えるように手の甲を唇に押し当てて、志形は目を伏せた。志形の体を一番に気遣わなくてはいけないと分かっているのだが、わずかに震えるまつ毛や、時おり零れる微かな甘い吐息を感じる度、体の奥深くに火を灯されるようだった。
「志形さん……」
まだ見た事のない彼の表情を、もっと見てみたい。その一心でさらに奥へと指を進ませる。志形自身の手で慣らされてきたであろう中は、沖本が指を動かす度に吸いついてくるようで、その感触と熱さに、今にも蕩かされてしまいそうだった。
「……っ……ぅ」
志形が洩らす押し殺した声が耳に入る度、わずかに残った理性が砕けてしまいそうになる。この中に、昂った自身を突き立てて、ドロドロになるまで犯してしまいたい。そんな邪な思いが、理性の蓋をこじ開けようとしている。それをどうにか誤魔化すために、沖本は少し体を伏せて、志形の胸元に唇を這わせた。
「……っあ」
滑らかな肌に何度も口付けていた唇が、ツンと尖った突起に吸いついた途端、志形が小さく声を上げた。
「……ここ舐められるの、好きですか?」
中に押し込んだ指の動きは止めないまま、少し顔を上げて志形に問う。志形は何も答えなかったが、その頬が赤く染まっているのが分かった。
「……かわいい」
思わずそう呟いた瞬間、志形に思いきり耳を引っ張られた。
「……っ、調子に、乗るなよバカ」
「乗ってないですよ……ほんとにかわいくていたたた」
ギリギリと耳たぶを摘まれ、咄嗟にその手を握って止めさせる。
「もう、ちょっと大人しくしててください」
掴んだ手をマットの上に押し付けて、素直じゃない口を塞ぐため、その唇にそっと口付けた。
「んん……っ」
もう片方の手で髪を掴んで抵抗しようとする志形を無視して、薄く開いた唇から侵入し、深く舌を絡ませる。中を探っていた指も本数を増やし、さらに深い部分に触れた。
「……ん、んん……!」
重なった唇から、苦しげな呼吸が伝わってくる。少しだけ志形より優位に立てたような悪い錯覚と、心の底の方に隠れていた嗜虐心が囁くまま、わざとぐちゅぐちゅと音をさせて、中を掻き乱した。
「……志形さん、かわいいです」
「こ、の……クソガキ……」
沖本の指が中を行き来する度に体を震わせながら、志形は沖本を睨みつけた。けれどそんな態度とは裏腹に、彼の体もしっかりと昂っている事は分かっている。
「志形さん……もう、入れても良いですか? もっと直接、感じたい……」
口では問いかけの形をとっているが、沖本自身、すでに我慢の限界だった。ベッドの下でひっくり返っているバッグに手を伸ばし、その中から飛び出しているコンドームを拾い上げる。
「沖本、お前……」
「好きなようにさせてやるって、言ってましたもんね」
残った衣服を手早く脱ぎ捨ててゴムを装着し、志形の太ももをそれぞれの手で掴む。そしてそのまま、自分の方へ強引に引き寄せた。
「……っ、ぐ……っ」
昂ったモノを中に突き立てられた瞬間、志形の唇から苦しげな呻き声が洩れた。
「はあ……っ、志形さん、ナカ熱い……溶けそう……」
「お、前……あとで、覚えてろよ……」
苦しそうな呼吸を繰り返しながら、志形は苛立たしげに呻く。その腰を掴んで、中に収めていたモノをギリギリまで引き抜き、再び奥深くまで貫いた。
「っ、あ……」
欲望の赴くまま、何度も何度も、志形の体の深い部分を味わい尽くそうとする。
「さっさと、最後までしろって、言ったのは志形さんですよ……っ」
「ふ、ざけんな……! だからって、いきなり突っ込んでんじゃ、ねえ……っ」
志形が肩に回してきた手の爪が、ギリギリと食い込む。けれどその痛みさえ、快感を煽る要素のひとつでしかなかった。
「志形さん……志形さん……っ」
「バカ、お前……激しい、って」
もっと、全身で、彼の全てを感じたい。衝動に突き動かされるままに志形の体を抱きしめて、深く深く口付ける。
「ん、ぐぅ……っ」
零れ落ちる吐息さえ、全て残さず手に入れたい。突き上げる動きは止めないまま、沖本は夢中でその唇を貪った。
「志形さん……好き、です……好き……」
自分でも意識する前に溢れ出した言葉を聞いた瞬間、志形の顔が一瞬泣きそうに歪んだ。
「……ばか、かよ」
聞き取れるかどうかの声で呟いた志形は、汗ばんだ沖本の背中に手を回し、すがるように抱きしめた。
「……志形さん……」
触れ合った場所から伝わる熱が、その全てが、愛おしくて堪らなかった。
このまま、二人で溶け合って、ひとつになれたらいい。誰もいない、光さえ届かない、深い深い海の底で、いつまでも二人でいられたら……
「……沖本」
迷子の子供のような声が、沖本の名前を呼ぶ。
「……俺は、ここにいますよ。ずっとずっと、あなたのそばに、います」
海の底でも、地獄の底でも、その場所に彼がいるなら、どこまでも落ちたって構わない。
「……あっ、ぅ……志形さん……っ」
志形の背中に回した手にぐっと力を込めて、その体を強く強く抱きしめた。叶うはずのない願いだと分かっていても、願わずにはいられない。
この深く長い夜が、どうか永遠に明けないでいて欲しい、と。
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