凪の海には帰らない

村井 彰

文字の大きさ
上 下
4 / 12

***

しおりを挟む
  あの日。降りるべき駅を通り過ぎて、あの街へ帰ってみようと思ったのは、ほんのちょっとした気まぐれだった。
  父親に黙って鞄に日傘を忍ばせ、いつもより遅い時間の電車に乗った。そこに、あいつが乗り込んで来たんだ。
  あいつ、沖本優は変なやつだった。自分がどこへ行くのかも知らないままで、俺なんかに懐っこく着いてきた。何の話をしても楽しそうに目を輝かせるのが面白くて、俺の隠れ家だった海岸にも連れて行った。それなのに、あいつはなぜか、俺のことばかり気にしていた。
  静かで、穏やかで、何ものでもない時間。だけどあの時の俺には、そういう時間が何よりも必要だったのだと思う。
  今でも、時おり思い返す。あの日、あの場所に戻れたら。そして、そのまま永遠に時間を止めてしまえたら。そう出来たら、どれほど良かっただろう。そんなことを考えても虚しいだけだと分かっているのに、何度も何度も、そうして思い出の中に逃げ込んだ。
  繰り返し汚れて、重くなっていく両手の中、あの日の記憶だけがいつまでも綺麗で、酷く、息が苦しかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない

すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。 実の親子による禁断の関係です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...