異世界特殊清掃員

村井 彰

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終章・光なき玉座

世界を変える力

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 赤い髪の男―ユノは、サクから視線を外すと、ゆったりとした足取りで、祭壇の前に歩を進めた。
 今が深夜でなければ、そして彼が右手に持った大きなナイフがなければ、そのまま普通に礼拝でも始めそうな雰囲気だ。
「何をするつもりか、なんて今更答える必要もないでしょう。三件目でボロを出してしまったことに気がついた時点で、ある程度覚悟はしていましたからね。とはいえ、初めにやってくるのが貴方達だとは、少々予想外でしたが」
「つうことは、全部認めるんだな。それこそ予想外だよ」
 強引に感情を抑え込んだルタの声とは対照的に、ユノの言葉は凪いだ海のように静かで。おぞましいその告白とは、どこまでもちぐはぐだった。
 けれど、サクの中に驚きの感情はほとんど生まれない。ここに来ることになった時点で、ある程度予想がついていたからだ。
 サク達清掃員と同じく、神父達の主な仕事は魔物による被害の後始末。ゆえに彼らとは現場で顔を合わせることも多く、特に友好的だったユノとは世間話をすることもあった。そう、例えば仕事で使う道具について。ドラゴンの鱗さえ切り裂くロイン鉱石で出来たナイフなら、大型の魔獣であっても、刃こぼれせずに解体できて作業が楽だとか、そんな話もした。
 それに、ナナと親しくしていたユノなら、「辺境の町に悪魔祓いを頼まれたから、そこまで護衛して欲しい」などと言って連れ出し、不意をついてナイフを突き立てることも容易だっただろう。他のハンター達の時も、おそらく同じ。皆、まさか守るべき人間が自分に刃を向けてくるとは、想像もしなかったはずだ。
「この状況で言い逃れようとしたところで時間の無駄でしょう。もう、全て解っているのではないですか。私の、計画について」
「計画、というのは、魔王を蘇らせることなんですよね。一体なんのために、そんなものを求めるんですか」
 自分でも意外なくらい、落ち着いた声が出た。
 怒りや憎しみ、悲しみ。犯人と対峙すれば、当然生まれ、心を掻き乱すだろうと思っていた感情は、奥底で静かな炎となって燃えるばかりで、思考は意外なほどに冷静だった。
 対するユノは、サクの言葉になぜか悲しげに目を伏せた。そんな顔をされたら、まるでこちらが一方的に責め立てているようじゃないか。
「なんのため……そんなものは決まっています。私が果たせなかった願いを託すためです」
「願い?」
「ええ、そうです。私の願い。それは、この世界を変えること。幾多もの屍のうえに建つ、この不浄の都を終わらせることです」
 いつもと同じ、優しい笑顔で、この人はなにを言っているのだろう。世界を変える?そんな都合のいい話があるはずがない。伝承の通りなら、魔王が蘇れば、人間が生きる場所など全てなくなる。そして現代に勇者は存在しないのだから、今度こそ本当に終わりだ。都どころか、世界そのものが。
「ずいぶんと青臭い願い事だな。いい歳して拗らせ過ぎじゃねえか」
「ふふ。そうですね、そう言われても仕方ない。なにしろ私の時間は二十年前の、あの日からずっと止まったままだ。今更物分りのいい大人になんてなれやしない」
 ふいに砕けた口調になったユノは、背後の祭壇に腕をかけて疲れたような息をついた。
「夜はまだ長い。良ければ私の青臭い願いの話を聞いてくれませんか……これまで、誰に話すこともできなかったから」
 サクもルタも、何も答えない。ユノもきっと、答えなんて求めていないのだろう。わずかな静寂の後、ユノの静かな声が礼拝堂に響いた。
「今から二十年以上前、王都は自分達の脅威になるだろう高位の魔物達を殲滅する計画を立てた。貴方達が産まれるより前のことですが、話に聞いたことくらいはあるでしょう」
 これまで、何度も耳にした話だ。サク達には実感のない話だが、ユノの年齢なら、おそらく当時十歳前後か。
「魔王が滅んでから数百年。その間、生き延びた魔物達は、密かにそれぞれのコミュニティを築いていった。そして、中には人間との共存を望んだ変わり者達もいました……私は、そんな集落のひとつで生まれ育った」
 そういってユノが右手を軽く持ち上げる。すると、その合図を待っていたかのように、開け放したままだった扉から真っ黒な何かが飛び込んできて、掲げられたユノの腕にとまった。
 カラス……によく似ているが、そうでないことはすぐにわかった。その生き物には、足が三本あったからだ。
「魔物……?」
 サクが洩らした呟きに、ユノが微笑む。
「幼い頃から、"彼ら"と共にあることが、私の日常でした。彼らの中には言葉が通じる者もそうでない者もいましたが、皆私にとっては家族だった。種族が違えど、それなりにうまくやっていたんです……あの日までは」
 一瞬、言葉を切ったユノの目に、暗い色の光が宿った。
「あの日、私は両親の使いで麓の村に出かけていたんです。昼前に集落を出て、帰ってきたのは日が落ちた頃。たったそれだけの間に、全てが終わっていた。王都が行った魔物狩り。私の故郷もその対象だった。といっても、そのことを知ったのは、訳も分からぬまま炎に焼かれる集落から逃げ出して、麓の教会に拾われた後のことでしたが」
 ゆらゆらと形を変えるランタンの火に目を落としてユノが言う。
「そこで、事情を知らない神父達に何度も聞かされましたよ。騎士団の功績という名の悪行。ただ自分達に都合が悪いという、それだけの理由で、静かに暮らしていただけの魔物達は……私の、家族は殺されたのだと」
「……だから、魔王を蘇らせることにしたんですか。そうして悪行を重ねて出来あがった王都を、破壊するために」
 顔をあげたユノと目が合う。ああ、この人は、とっくの昔に壊れていたんだろう。感情のみえない笑みに、背筋が冷えた。
「話は、それだけか」
 それまでずっと黙っていたルタの押し殺した声が、暗く濁った空気の中に落ちて、静かに広がった。ユノからの返答がないのを見てとると、ルタはそのまま真っ直ぐにユノに近づいて……サクが止める間もなく、ユノの頬を殴り飛ばした。
 背後の祭壇も巻き込んで、ユノの細い体が盛大に吹き飛ぶ。三本足のカラスは、直前にその腕から飛び立って、入ってきたのと同じ扉から出ていってしまった。
「…………ぐ、っ」
 唇を切ったのか、口の端から血を流して咳き込むユノの襟首をルタが掴んで、無理矢理立たせる。
「黙って聞いてりゃ、ぐだぐだくだらねえ話ばっかしやがって。ああそりゃ過去のお前は気の毒だよ。それで?だから何だって言うんだ。お前の事情なんか、俺は知ったこっちゃねえんだよ」
 ユノの襟を掴んだままの、ルタの拳がわずかに震えたのがわかった。駆け寄って、その手に触れたいと思うのに、縫いつけられたように足が動かない。
「騎士団のやつらの都合で家族を奪われたって言ったな。それは、お前がやったことと何が違うんだ?お前が家族だっつった魔物や関係ない人間を……あいつを殺したのは、全部お前の都合なんだろ?世界を変えるとか、調子のいい綺麗事で誤魔化すなよクソ野郎。変えたいんなら、お前一人でやれ。魔王だかなんだか知らねえが、他人に頼ってんじゃねえよ」
 絞り出すようなルタの言葉にユノは目を見開いて、そして肩を震わせながら、笑い出した。
「ふ、はははは……っ」
「てめえ、何がおかしいんだ」
 血を流しながら愉快げに笑うユノの姿は、傍目に見ても異様だった。可笑しくて堪らない、といった様子でユノが言う。
「一人で、か。ええ本当に、そうできれば良かったのですけどね。けれど、残念ながら私は、"世界を変える力"なんて持ち合わせてはいない。勇者も魔王も、初めからそのように産まれついた存在だ。私のような脇役は、主役のための舞台を整えて退場するくらいが関の山ですよ」
 ああでも。と、初めてユノが、その表情を歪ませた。
「こうして、魔王の復活を阻止しにきた貴方達は、もしかしたら物語の主役……勇者、なのかもしれませんね」
 肌を刺すような苦い沈黙のあと、ルタが諦めたように、ユノを掴んでいた手を解いた。
「……くだらねえ。俺らは、そんな大層なことのために来たんじゃねえよ」
 解放されたユノは、ふらふらとよろめいて、背後で包み込むように両手を広げていた精霊像にぶつかり、そのままずるずると座り込んでしまった。
「世界がどうだとか、都がなんだとか、そんなもんどうだっていい。俺にとって大事なのは、あいつと一緒に安い酒飲んで、一晩中くだらない話して。そんな、他人から見りゃどうでもいいような毎日だった」
 一瞬だけ、何かを噛み締めるような沈黙が落ちて、囁くような言葉がルタの口から零れ落ちた。
「……本当は、アンタも同じだったんじゃないのか」
 ユノの表情からは、何も読み取れない。先ほどまでの狂気の片鱗はどこへ消えたのか、全てが抜け落ちたように空っぽだった。
 ルタは、そんなユノに背を向けると、ずっと動けずにいたサクの方に戻ってきた。何か声をかけようとしたのに、声が震えてしまいそうで、うまくいかない。泣きたいのはきっと、ルタの方なのに。
 そんな様子に気づいているのかいないのか。ルタはサクの頭に大きな手を乗せて、そのままぐしゃぐしゃと掻き回した。
「ちょ、ルタさん、やめて」
 ボサボサになった髪を手櫛で直しながら、座り込んだまま放心しているユノに視線を向ける。
「……私を、殺さないんですか。そうしたいくらい、憎いはずでしょう」
 ぽつりと言ったユノの方に、首だけを動かして、ルタは言った。
「悪いやつぶっ殺して、めでたしめでたしなんて、そんな簡単に終わらせてやる気はねえ。生憎、俺達は勇者じゃないんでな」
 その言葉を聞いた瞬間、ユノが薄く笑った。
 そもそも、ユノがここに居たのは、なんのためだったのか。それはもちろん、魔王の玉座だったこの場所に、血を、生贄を捧げるためだ。それなのに、なぜユノは"一人"で来たのか。
 その意味を、もっと深く考えるべきだった。
「おい、やめろ……っ」
 ルタが制止する声よりも、ユノが床に転がっていたナイフを手にする方が、わずかに早かった。
 鮮血が、視界を染める。ユノが自らの喉を切り裂いたのだと、一瞬遅れて気がついた。
 滝のように降り注ぐ赤の合間に見えたユノの顔は、勝ち誇ったように笑っていた。
「あ……っ」
 それと同時に、背筋を走り抜けた恐ろしい気配に、サクは堪らず膝をついた。なんだ、これは。頭に直接手を入れられて掻き乱されるような不快感に吐き気がする。ぐちゃぐちゃに乱れた思考と、今まで経験したことのない正体不明の恐怖に嬲られながら、ただ嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
「ル、タさ……」
 咄嗟に、そばにいるはずの人の名を呼ぼうとしたが、満足に舌が回らない。そうして、どれほどの時間耐えたのだろう。とても長い時間だったような気もするし、ほんの数秒のことだったようにも思う。全て夢だったのかと疑いたくなるほど唐突に、それは消え去った。けれど、こめかみを伝う嫌な汗が、なによりの証拠だった。
 未だ震える手を抑えて、今度こそルタの背中に目を向けた。頭痛を堪えるように頭を抑えながら、ルタが苦々しく吐き捨てる。
「くっそ……アイツ、逃げやがった……」
 アイツ。精霊像の前に座り込んだまま、もう動くことのない彼の方を見る勇気はなかった。
 その時、突如礼拝堂の外から、ばたばたと大勢の人が駆けてくる音が響いて、直後に溢れ出した眩しい光に目を射られた。
「おお、よかった。お前達まだいたんだな。いやはや、犯人の目星がついたかもしれないから教会に来いなどと言うから慌てて来てみれば。一体これはどういう状況だ?」
 逆光のせいで姿はまるで見えないが、この絶妙に人を苛立たせる口調は、明らかにあの男のものだ。
「ゼスさん……」
 後ろに数名の部下を引き連れたゼスは、無遠慮な足音を響かせながら、ずかずかと礼拝堂の中に踏み入ってきた。
「それにしても、先程の妙な気配はなんだったのだ?お前達、何かしたのか」
「……俺らはなんもしてねえよ。なんも、できなかった」
 膝に手をついて立ち上がったルタの体は、返り血で酷く汚れていた。きっとサクも似たような有様なのだろう。ゼスは、そんなルタと精霊像の前で息絶えたユノを見比べて、なにやら得心したように頷いた。
「よくわからんがお前達、なかなかの手柄をたてたようだな。詳しい事情は後ほど聞かせてもらうが、事と次第によっては王宮での職を斡旋してやっても良いぞ。特に若造、お前の見てくれは、なかなか使えそうだ。門番として立っているだけでもよい牽制になるだろうからな!」
 そういって、からからと笑うゼスに、ルタはなにも言い返さず、ただ黙ってため息をついただけだった。

 その後、ユノの遺体はその場で軽く調べられたあと騎士団に回収され、サク達は本部で事情を訊かれることになった。とはいえ、あえて話すことなどほとんどなかったけれど。なにしろルタの言う通り、サク達はなにもできなかったのだから。
「ゼスさん、ひとつ聞いてもいいですか」
「ん?なんだ突然」
 形ばかりの聴取の最中、ずっと胸の奥に引っかかっていたことを尋ねてみた。
「二十年前の魔物狩りの時、人間と魔物が共存していた集落に行きませんでしたか」
 サクの問いに、ゼスは何度か目を瞬かせ、
「さて。そういった集落もあったかもしれんが、いちいち覚えてはおらんな。それが何か今回の件に関係するのか?」
「……いいえ。少し気になっただけなので」
 ここでユノから聞いた話をしても、今更意味なんてない。そもそもゼスから、どんな答えが返ってくれば満足だったのか、自分に問いかけてみても、よくわからなかった。

 結局、真犯人の死亡により事件は解決、ということになり、清掃員達の容疑も晴れた。実にあっけない幕引きだ。
 また、教会裏の墓地を騎士団が調べたところ、これまで発見されていなかった二名を含む、四人分の遺体の一部や衣服などが、ひっそりと埋められているのが見つかったらしい。それらは、改めて身元を確認したのちに、それぞれ帰るべき場所に戻されるそうだ。
 その中には、当然ナナの物もあった。身寄りのない彼女の遺骨は、正式な手順を踏んで、改めて教会の共同墓地に弔われるのだという。
 今度こそ、本当に思い知らされた。もう二度と、ナナが帰ってくることはないし、サク達の気持ちが晴れることもない。だけど、それでも。彼女の魂があるべき場所に還って、この大地を巡る輪に加われたのなら。
 何もできなかったこの夜にも、少しは意味があったのだろうか。

 もうすぐ、長かった今日の夜が終わる。魔王と部下である魔物達が、その姿を現すことは、ついになかった。結局全ては単なる伝承に過ぎず、ユノの命懸けの計画は無駄に終わったのだと。
 そう言い切るには、見上げた夜明けの空は、あまりにも暗すぎた。
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