異世界特殊清掃員

村井 彰

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第四章・勇者の足跡

看板役者

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「しつこいな!僕のことは放っておいてって言ってるでしょ!」
 往来まで響き渡る怒声と共に、見覚えのある長身が外に押し出されてきた。既視感のある光景に、サクは思わず立ち止まる。あの時は怒鳴っていたのも、部屋から出てきたのも、同じ人だったけれど。
 その当人であるルタも少し遅れて立ち止まると、寂しげに立ち尽くす人物に声をかけた。
「セイ?お前何やってんだ。そこアギの部屋だろ」
 そこで初めてサク達の存在に気がついたように、セイが顔を上げる。憂いを含んだその表情と、乱れた前髪が瞳に落とす影が、もともとの美男子ぶりに、さらに拍車をかけている。
「ああ……アギくん、あれからずっと塞ぎ込んでいるように見えたから、たまに様子を見に来てたんだけど。しつこくしすぎて、怒られてしまったよ」
 苦笑しながらセイが首を傾げる。けれど、その声音には、疲れたような、悲しいような色が滲んでいた。
 あの日から、アギは以前のように笑わなくなった。表面上は、いつもと変わらないように振舞っていたけれど、ふとした瞬間に俯いて黙り込んでいたり、休日もほとんど部屋から出てこない。
 事件のことが尾を引いているのだろうが、無理もない。おそらく彼らは知らないうちに、犯行に加担させられたのだ。サク達のように、犯人への憤りだけで立ち上がることは、きっと難しい。
「こういう時、誰かが傍に居てあげなくちゃって思うんだけど、ボクじゃダメみたいだ」
 そういって目を伏せるセイに、なんと声をかけるべきか。サクが迷っていると、ルタが面倒そうに頭を掻きながら言った。
「あのな。お前には想像つかねえかも知れねえけど、しんどい時、誰かに傍にいて欲しいって思うやつばっかじゃねえって。あいつが自分から出てくるまで、そっとしといてやれよ。そんで、そんときになったら飯でも奢ってやればいい」
 サクは少し驚いて、ルタの横顔を見上げた。
「ルタさんって、実はめちゃくちゃ気遣いできる人ですよね。普段はガサツなのに」
「おお、久々に出たな生意気発言。いい加減女でもはっ倒すぞ」
 二人のやりとりに、セイがふっと破顔した。ほんの一瞬だったけれど、先程までの悲しげな笑顔とは違う、心の底から溢れ出すような笑顔だった。やっぱり、この人の美貌を映えさせるのは、こういう表情の方だな、と素直に思う。
「ルタくんは、四人兄妹のお兄ちゃんだからね。人のことをよく見ているし、なんだかんだ面倒見もいい。その点は、ボクも見習わなくちゃいけないな」
 何気なく告げられた新事実に、さっき以上に驚いて、ルタの顔をまじまじと見てしまう。
「ルタさん、きょうだいがいるんですか?」
「おう、ちっさい妹が三人いる……そんな驚くようなことか?」
「あ、いえ。なんか意外だったので」
 ちっさい、ということは、歳は離れているのだろうか。ルタと小さい女の子の取り合わせなんて、不安しか感じない絵面ではあるが、言われてみればルタの案外世話焼きな性格は、たしかに"兄"っぽい。
「なんか、いいですね。私、ひとりっ子なので。ちょっと羨ましいです」
「あー、たしかにお前ひとりっ子ぽいわ。なにしでかすか分かんねえ自由な感じ」
 失敬な。むっと口を尖らせたサクを、セイは目を細めて見つめている。この人は兄というより、どちらかというと、お母さんみたいだ。
「えと、そうだ。セイさん、今時間ありますか?よければ、うちでお茶でもご一緒しませんか」
 ここに一人で放っておくのも忍びない気がして、誘い文句を口にすると、
「え、でも、仕事終わりで疲れているんじゃないのかい」
 セイが驚いて、戸惑う声をあげた。困ったり笑ったり驚いたり。本当によく表情の変わる人だ。
「いえ、今日は早めにあがらせて貰えて暇なくらいですし。あっ、ついでにルタさんも来ていいですよ」
「誰がついでだ。つうか、お前も一応女のくせに、よくセイなんか部屋にあげるよな」
「ルタくんは、ボクのことをケダモノかなにかだと思っているのかな……?」
 ゆるい会話を交わしながら連れ立って外階段をあがり、一番端のサクの部屋へと二人を迎え入れた。もともと狭い室内は、成人男性二人が並んでいるだけで、さらに狭く感じる。
 生憎と椅子は一脚しかないので、それはセイに勧めておいて、サクは湯を沸かすために竈に火を焚べに行った。ちなみにルタは、勧める前にベッドの端にちゃっかり座っている。
「ごめんね、女の子の部屋に男ばかりで押しかけて。やっぱり、なんだか申し訳ないな」
「どの口が言ってんだお前」
 恐縮するセイに、すかさずルタがつっこみを入れる。最近は控えているとはいえ、セイがいろんな女性のもとを渡り歩いては、しょっちゅう仕事に遅れていたことはよく知っているので、サクも何も言わない。
 今まで仕事で出会った変わった依頼人の話や、最近続いている悪天候のことなど、当たり障りのない話をしながら、サクが買い置きの紅茶を三人分淹れて振り向くと、机の上に置いたままにしていた本を、セイが興味深げに見ていた。
「はい、どうぞ、セイさん」
「ああ、ありがとう。いただきます……ねえ、サクくんも、こういうお話に興味があるのかな」
 サクが手渡したカップを微笑んで受け取りながら、セイが尋ねる。サクは、もうひとつのカップをルタに渡して、空いた手で本を手に取った。ちなみに揃いのティーセットなどという洒落たものは持っていないので、カップは全て形も大きさもバラバラだ。
「お話に興味というか、最近ちょっと思うところがあって……"も"ってことは、セイさんも好きなんですか?勇者の冒険譚」
 そう、サクが手にしているのは、一昨日国立図書館で借りてきた、伝説に残る勇者の冒険を記した小説である。先日、ゼスと名乗った騎士に講釈を受けてから借りに行った。というのも、「犯人が最終的に目指しているのは国王の暗殺である」というゼスの推測に、サクはどうしても納得がいかなかったからだ。
 それこそ小説ではあるまいし、わざわざ見立てのような真似をする意味がわからない。実際そのせいで、現在の王宮の警備は傍目にも明らかなほど厳重になっている。仮に犯人が騎士団の中にいたとしても、警戒されることにメリットなどないはずだ。
 だからサクはまず、自分の目で改めて勇者の伝承を読み直そうとした。暗殺云々に納得はいかないが、ここまでの四つのバラバラ死体が、四将軍との戦いの地をなぞっているという、その推測までは間違っていない気がしたからだ。
 そして、歴史資料の類から大衆小説まで、関係しそうな本に片っ端から目を通してみることにした。
 結果から言えば、どれも物語的な誇張が強すぎるうえ、なぜか肝心の四将軍と勇者の戦いだけ曖昧な表現をされているものが多く、ほとんど参考にはならなかったのだが。
「そうだな……好き、というより思い入れ、かな。役者だった頃は、よく勇者の役を任されていたんだ。今思うと、本物の勇者の末裔である王家の人達の前で演じるなんて、かなり畏れ多いこともしていたよ」
 遥か遠くの景色を見つめるように目を細めるセイ。当たり前のように言われたので、あやうく聞き流すところだったが、勇者役ということは、つまり。
「それって、もしかしなくても主役じゃないですか?!」
「お前、看板役者ってまじだったんだな。アギのやつが勝手に話盛ってんのかと思ってたわ」
 王族が観に来るような舞台での主役だなんて、どれほどの売れっ子だったら、そんな大役が回ってくるのか。もはやサクには想像すらつかない。
 衝撃を受けるサクの後ろで、ルタはどうでもよさそうに紅茶を啜っている。なんだかサクばかり驚いてバカみたいだ。
「まあ昔の話だけどね。でも、この本みたいな勇者の冒険譚は、何度も演じてきたから、いろいろと覚えているよ。やっぱり魔王との決戦の辺りが一番盛り上がるし人気も高いけど、ボクとしては、決戦を前にした勇者が故郷の幼なじみに会いに行くところなんて、すごく好きだったなあ」
 しみじみとした表情でセイが語る。サクは、ふと思いついて聞いてみた。
「セイさん、四将軍との戦いの章は演ったことありますか?」
 実際に役者として演じてきたセイの視点からなら、なにか分かることがあるかもしれない。そんな軽い思いつき程度の質問だったが、それに対するセイの答えは、少しばかりサクの予想を越えていた。
「もちろん、あるよ。懐かしいな……その辺りで手に入る書物からじゃ、役作りに限界を感じてね。当時親しくさせてもらっていた、王宮勤めの学者さんに、いろいろと聞かせてもらったんだ」
 その学者さんというのは、女性なのだろうか。下世話な疑問が浮かんでしまったが、関係のないことなので、黙って言葉の続きを待つ。視界の端で、ルタがわずかに姿勢を正すのが見えた。
「結論から言うと、流通する書物では詳細が伏せられているのも当然の話だったんだ。当時の勇者と四将軍のやり取りには、魔王復活の手立てになるような情報があった。だから王家では、万が一にも悪用されないように、その部分だけ語り継ぐことをしなかったんだね。その正規の伝承が書かれた書物は、王宮内に保管されていて、その中でも限られた人間しか閲覧できないと」
「ちょ、ちょっと待ってくださいセイさん」
 熱が入ってきたのか、手振りをつけて話しだしたセイを慌てて止める。話の腰を折られたセイは、気を悪くするでもなく、ただ首を傾げた。
「セイ、お前今なんつった?」
 それまで静観していたルタが突然口を挟んできたことに目を瞬かせながらも、セイは律儀に答える。
「正規の伝承は王宮内に保管されている?」
「違う。いや、正直それも引っかかるが、そっちじゃなくてその前だ。なんだよ魔王復活って」
「ああ、そのことかい」
 ボクも口頭で聞いただけだから、ちゃんと覚えているわけではないけれど。と、前置きしてセイが語ってくれたのは、こんな話だった。

 四将軍のうち三体の魔物を降した勇者は、残る"死を司る者"を滅ぼすべく、遥か北の門へ向かった。そこで待ち受けていたのは、雲衝くほどの巨体を持ち、闇より深い黒を纏った竜であった。
 黒い竜は勇者の姿を認めるなり、岩すらも容易く穿つだろう、鋭い牙を剥き出しにしてこう言った。
「よくぞ、ここまでやってきたなニンゲンよ。ああ、何も言うな。私は死を司る者。己の死期もわきまえている。私はここで貴様に敗れ、死ぬだろう。そして魔王様もまた……」
 黒い竜は、そういって天を仰いだ。一時は墨を流したように真っ暗だった空には、わずかに光が差している。魔王の城が、その守護を失いつつある証だった。
「だがニンゲンよ。これで恒久の平和が訪れるなどと思わぬことだ。なぜならば我らの魂は、他の魔物達のそれとは違い、大地には還らぬ。ゆえに巡ることもなく、肉体を離れようともこの地に留まり続ける……この意味がわかるか」
 勇者は何も答えない。竜は巨大なその口を、さらに大きく開いたかと思うと、大地も裂けんばかりの咆哮をあげた。それが笑い声なのだと気がついたのは、続く竜の言葉に愉悦の色が混じっていたからだ。
「貴様がここで我らを滅ぼそうとも、真の意味で我らが死を迎えることはない。月の無い晩、我らの墓標に血の気配が満ちる時、我らは再び目覚めるだろう。ふ、ははははっ」
 刹那、勇者の右手から生まれた光の玉が、竜の体を飲み込んだ。
 光が全てを焼き尽くし、その巨体が塵と消えるまで、哄笑が止むことはなかったという。

「これが、一部の王族にだけ伝わる、隠された伝承だよ」
 話を終えたセイの前で、サクとルタは無言で顔を見合わせた。月の無い晩、墓標、血の気配。
 不格好だったパズルのピースが、次々とあるべき場所に嵌っていく感覚があった。けれど、その欠片達が描こうとしている絵は、想像していたものよりも、ずっとおぞましい色をしている。
「……二人とも、どうかしたのかい」
 黙り込んでしまったサク達の顔を見比べて、不安そうな表情を浮かべる。
 ルタは一瞬サクに目配せをすると、いつもの気だるげな調子でセイに問うた。
「その話のあと、勇者は魔王んとこに向かったんだよな?だったら魔王の墓標ってのは、今の王宮のことか?」
 サクのルタの間にだけ、張り詰めた空気が流れる。勇者が辿った道筋。それを追えば、きっと見えてくる。おそらくは、ナナを殺した犯人が、目的とする場所が。
「……魔王と勇者が最後に戦った場所、という意味なら、それは今の王宮ではないそうだよ。瘴気の根元のような場所に、そのまま人が住めば、必ず障りがでる。だから土地そのものを浄化する必要があった」
「浄化……って、一体どうやって」
 セイは膝の上に置いていた手を組み直して、サクに視線を合わせた。
「魔物から受けた穢れを祓う方法はひとつだけ。ボク達も散々お世話になっているだろう?」
「……教会?」
 サクの答えに、セイは小さく頷いた。
「そう。勇者は、魔王の玉座だったその場所に教会を建てることで、土地そのものの浄化をはかった、と言われているよ」
 教会。一般人が王宮に侵入することは不可能でも、そこなら……。
 サクは無意識に胸のペンダントに触れていた。
 そしてルタの方も、なにか思案げな表情をしていたが、ふいに目線をあげて、まるで関係ないような疑問を口にした。
「つうか、その学者さんとやらは、なんでお前にそんな話をしたんだ?王族でも限られた人間しか閲覧できない話なんじゃねえのかよ。いくら役作りのためだからって、部外者に教えるか普通」
「え?えっと……それくらい、彼女に信用されていたってことなのかな。はは……」
 完全に目が泳いでいる。そういえばセイが役者を辞めたのは、王族に連なる女性、それも既婚者に手を出したのがバレたから、という話ではなかったか。情報漏洩の件も絡んでいるのだとしたら、むしろよく放逐されるだけで済んだものだ。
「……まあ、お前の女関係なんかどうでもいいわ。勝手にやってくれ」
 狙ってやっているのか、それとも無意識か。ルタの質問によって、先ほどまでの張り詰めた空気はどこかへ行ってしまったようだ。
 ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き回して、ふと何かを思い出したように、ルタが手を止めた。
「そういや、これもついでに聞いとくか。なあセイ、お前この店知ってるか?」
 そういってルタがポケットからマッチ箱を取り出して見せる。ゼスに半ば押しつけられた、あの白い子猫のマッチ箱だ。
 セイはルタの手から箱を受け取って、しばし見つめたあと、「ああ」と得心したような声をあげた。
「"ワルツ"という酒場だね。役者時代に何度か行ったことがあるよ。ほら、中心部の広場に大きな宿屋があるだろう?そこの地下だよ」
「広場にある宿屋……」
 そこならサクでも知っている。というか嫌でも目につく。王都でも一二を争う、三階建ての巨大な建物。昼は汚れひとつない真っ白な外壁が太陽の光を反射して眩しく照り輝き、夜は壁に贅沢にあしらわれた烈焼石が優しい光を放つ。
 そんな、あからさまに豪華な外装に違わず、訪れる宿泊客は金持ちばかり。とにかく庶民には縁のない場所である。
「あそこの地下っつうことは、めちゃくちゃ高え店じゃねえのか。なんか腹立つな」
「え。いや、ごめんよ……でもボクも、当時出資してくれていた人に連れられて行っただけで、通いつめていたわけじゃないよ……?」
 今の"腹立つ"は、たぶんセイに言ったわけではないと思うのだが、説明するとややこしくなりそうなので、何も言えない。ここで迂闊に口を滑らせて、万が一にでもセイを巻き込むことだけは避けたかった。

 なぜなら月の無い晩、つまり次の新月の晩は……明日なのだから。
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