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第三章・約束
決意
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激しく窓を叩く雨音に、ふと顔を上げた。雨が降っていたなんて、まるで気が付かなかった。
あの日から、一週間ほど経つ。その間も、サク達の個人的な事情など関係なく依頼はやってきた。ペル達には休んでいいと言われたものの、サクもルタも変わらず仕事には出ていた。何もない部屋で独りでいるよりは、夢中で体を動かしているほうが、ほんの少しだけ気が楽だったからだ。たぶんルタも同じだったのだろう。けれど、さすがに働きすぎだからと、今日は自宅待機を命じられていた。
雨に歪む外の景色は真っ暗で、今が朝なのか昼なのかも判然としない。時間の流れがひどく曖昧で、眠くもならないし、お腹も減らない。ただ、なにもかも、いつもの習慣通りにこなしているだけ。
重い体を無理やりに起こして、ベットの上で膝を抱えた。そうして目を閉じていると、記憶の蓋が雨音に流されて、中に閉じ込めたものが、少しずつ溢れだしてくるようだ。
あの日、見つかったのはナナのペンダントと、女性のものと思われる右手首だけ。ならば、あれはよく似ているだけで、やっぱりナナのものではないのかもしれない。いや、あの右手がナナのものだとしても、命まで失ったとは限らない。はじめのうちは、そうした淡い希望にすがろうともしたが、騎士団や王宮勤めの学者達による調べが進むうちに、そんなものはあっという間に打ち砕かれた。
ガルムの胃袋の中に残っていた、髪などの遺体の一部が、ナナの特徴と一致したこと。サク達が依頼を受けた日の前日から、ナナが泊まっていた宿屋にいっさい姿を見せていないこと。それらの状況全てが、被害者はナナなのだと言っていた。
そして、そのうえさらに恐ろしいことも聞かされた。アギ達がこなした、今回の事件に酷似した二つの依頼。それらの直前にも、ナナと同じ警備隊の男性が、あわせて二人、行方をくらませているらしい。偶然……などとは考えにくい。ならば導き出される答えはひとつ。
この件には、悪意を持った何者かが関わっている。そして、サク達は利用されたのだ。その人物に。
普通なら処理した死体の胃袋の中身なんて、わざわざ検めたりしない。丸ごと焼却処分してしまうだけだ。
ガルムの死体がバラバラにされていた理由はそれだろう。死体が良い状態で残っていれば業者に回されて、加工される工程で隠したものが露呈する可能性がある。しかし、あれほど酷く傷ついていれば、そんな心配も必要ない。
犯人の行動には無駄がない。後始末を他人にやらせることで、証拠をほとんど消してしまった。それどころか、これまでの二件は、事件だとすら気づかれなかった。
なぜ、なのだろう。なぜ犯人は、こんなにも冷静に、こんなにも残酷なことができるのだろう。サク達は未遂で済んだ。だがアギ達は、気づかぬうちに犯罪の片棒を担がされた、それも二回も。
「…………ぅ」
空っぽのはずの胃からせり上がってくるものを感じて、咄嗟に口を押さえた。ナナの死も、仲間を利用されたことも、何もかもが許せなかった。こんなことを企んだ人間が、今ものうのうと生きている?冗談じゃない。それなら、私が……
「おい、新入りいるか?いるよな?さっさと出てこい」
唐突に響いた声と、乱暴に部屋の扉を叩く音に我に返った。私は……何を考えようとしていた?
サクが呆然としている間も、扉を叩く音は止まない。叩くというより、殴るという調子になってきたところで、渋々玄関に向かった。扉を壊されてはたまらない。
「……何の用ですか、ルタさん」
細く扉を開けて外を覗くと、不機嫌そうなルタの顔が現れた。もっとも、この人はいつだってこんな顔をしているが。
「朝イチでヤムさんとこ行ってきた。受け取れ」
答えになっているのか微妙な言葉と共に、扉の隙間から小さい紙袋がねじ込まれてきた。ヤムさんと言えば、いつか皆で行ったレストラン"ポルカ"の店主だ。なら、この紙袋の中身は。
反射的に受け取った袋の中を見ると、卵とハムを挟んだシンプルなサンドイッチが数切れ、きっちりと収まっていた。
普段のサクなら喜んでいただくところだが、今は……
「ルタさん。せっかくですけど」
「うるせえ、いいから食え。無理でも食え。食い終わるまで帰らねえからな」
ルタはそう言いながら、扉の隙間に手を入れてこじ開けると、強引に部屋の中に入ってきた。
「ちょ、ルタさん!」
サクの咎める声を無視して、ずかずかと上がり込むと、ひとつしかない椅子に勝手に座ってしまった。これは、本気で帰らないつもりだ。
「…………もう」
無理矢理追い返す気力も体力もない。少し迷ったが、サクは諦めてベッドの端に座った。そして、さっき受け取った紙袋を膝の上に置いて、改めて中を見る。先輩達に連れられて、あれからもポルカには何度か食事に行った。ナナとは、あの一回きりだったけれど。
「……いただきます」
そう呟いて、手を合わせた。サンドイッチを一切れ取り出して、端っこに齧りつく。パンと卵の優しい甘さと、ハムのしょっぱさがほんの少し、ふわりと口の中に広がった。
何度か咀嚼して、ゆっくり飲み込んだ瞬間、自然と涙が溢れた。
乱暴に頬を拭って、もう一口、今度は大きな口を開けてサンドイッチを頬張る。ああそうだ、お腹が空くってこんな感じだったっけ……ヤムさんの料理は、こんなに優しい味だったっけ。
そうしてサクがサンドイッチを食べ終わるまでの間、ルタは一言も話さなかった。いつも通りの怠そうな態度でそっぽを向いて、何も言わずに、ただそこにいてくれた。
「ごちそうさまでした」
洟を啜りながら、ぶっきらぼうに言って、もう一度手を合わせた。お腹が膨れたら、少しだけ頭も冴えた気がした。サクは顔をあげて、目の前に座るルタを見据えた。ルタもこちらに顔を向ける。
「いつもの生意気なツラに戻ったな」
「生意気は余計です……でも、サンドイッチはありがとうございました。美味しかったです」
「なんだ、今日は素直だな」
ルタはそういって短く笑うと、今度は体ごとこちらに向き直った。
「もうひとつ、お前に渡すもんがある」
そしてポケットに手を入れると、そこから束ねた革紐を取り出した。紐の先には、小さな石がついている。そして、その中で燃えているのは、見覚えのある真っ赤な炎。
「それって……ナナの」
「あいつは身寄りがないからな。持ち物は、放っとけば全部処分されるか、騎士団に持っていかれるかのどっちかだ。だからペルさんに頼んで、これだけ引き取ってきて貰った」
少し腰を浮かせて、ルタがそれを手渡してくれる。サクの手の中に収まったそれは、忘れもしない。ナナの、宝物。
「これ、すごく大事なものじゃないですか。なんで私に……ルタさんが自分で持っていなくていいんですか」
だって貴方は、ナナの親友なんでしょう。
サクがその言葉を口にするより早く、意外なほどに優しい声音で、ルタが言った。
「大事なもんだからだよ。さっき思い出したんだ、お前が言ってた"約束"ってやつ。ナナのやつも、最後にうちに泊まった日にずっと自慢げに喋ってやがった。『あたしがサクちゃんに似合うアクセサリーを選んであげるの』ってな」
そんなことがあったのか。そうか、だったらナナは、やっぱりちゃんと覚えていてくれたんだ。
さっき全部流しきってしまったと思ったのに、また涙が溢れそうになった。そんなサクに向かって、ルタは穏やかな声でこう続けた。
「だから、それはお前が持ってろ。約束の代わりに」
約束の、代わり。そうだ、あの時の"また今度"は、もう二度と叶わない。サクは手の中のペンダントを強く握りしめた。
サクを静かに見つめて、ルタは再び口を開く。
「なあ新入り、俺はお前に言ったよな。ひとつひとつの仕事に深入りすんな、考え込んだって良い事なんかねえって。あれは撤回する」
いつになく真剣なルタの瞳を、何も言わずに見つめ返した。真っ黒だと思っていたルタの瞳が、実は夜空のような深い藍色をしていたことに、サクは初めて気がついた。
「俺は本当のところが知りたい。ナナがなんで、あんな目に合わなきゃならなかったのか。どこの誰が、なんの目的であんなマネをしてるのか」
ルタが空っぽの拳を握りしめる。
「別に犯人を捕まえてやろうとか、事件を解決しようだとか、そんな大層な目的もない。ただの自己満足だよ。俺自身が納得いかねえから、だからやるだけだ」
「それ、私にも手伝わせてくれませんか」
ルタの言葉に被せるように、気づけば声をあげていた。
「自己満足、上等です。私も、このまま何も分からないままで、いつもの暮らしに戻るのなんて無理です……だから、一緒にやらせてください。何ができるかも、まだ分からないけど」
まとまりきらないで、ぐちゃぐちゃのまま吐き出した言葉に、それでもルタは笑って言った。
「お前はそういうと思ってたわ」
いつの間にか、外は雨があがっていたようで、灰色だった空には、わずかな光が差していた。
四人目の遺体が見つかったのは、それから一週間後のことだった。
あの日から、一週間ほど経つ。その間も、サク達の個人的な事情など関係なく依頼はやってきた。ペル達には休んでいいと言われたものの、サクもルタも変わらず仕事には出ていた。何もない部屋で独りでいるよりは、夢中で体を動かしているほうが、ほんの少しだけ気が楽だったからだ。たぶんルタも同じだったのだろう。けれど、さすがに働きすぎだからと、今日は自宅待機を命じられていた。
雨に歪む外の景色は真っ暗で、今が朝なのか昼なのかも判然としない。時間の流れがひどく曖昧で、眠くもならないし、お腹も減らない。ただ、なにもかも、いつもの習慣通りにこなしているだけ。
重い体を無理やりに起こして、ベットの上で膝を抱えた。そうして目を閉じていると、記憶の蓋が雨音に流されて、中に閉じ込めたものが、少しずつ溢れだしてくるようだ。
あの日、見つかったのはナナのペンダントと、女性のものと思われる右手首だけ。ならば、あれはよく似ているだけで、やっぱりナナのものではないのかもしれない。いや、あの右手がナナのものだとしても、命まで失ったとは限らない。はじめのうちは、そうした淡い希望にすがろうともしたが、騎士団や王宮勤めの学者達による調べが進むうちに、そんなものはあっという間に打ち砕かれた。
ガルムの胃袋の中に残っていた、髪などの遺体の一部が、ナナの特徴と一致したこと。サク達が依頼を受けた日の前日から、ナナが泊まっていた宿屋にいっさい姿を見せていないこと。それらの状況全てが、被害者はナナなのだと言っていた。
そして、そのうえさらに恐ろしいことも聞かされた。アギ達がこなした、今回の事件に酷似した二つの依頼。それらの直前にも、ナナと同じ警備隊の男性が、あわせて二人、行方をくらませているらしい。偶然……などとは考えにくい。ならば導き出される答えはひとつ。
この件には、悪意を持った何者かが関わっている。そして、サク達は利用されたのだ。その人物に。
普通なら処理した死体の胃袋の中身なんて、わざわざ検めたりしない。丸ごと焼却処分してしまうだけだ。
ガルムの死体がバラバラにされていた理由はそれだろう。死体が良い状態で残っていれば業者に回されて、加工される工程で隠したものが露呈する可能性がある。しかし、あれほど酷く傷ついていれば、そんな心配も必要ない。
犯人の行動には無駄がない。後始末を他人にやらせることで、証拠をほとんど消してしまった。それどころか、これまでの二件は、事件だとすら気づかれなかった。
なぜ、なのだろう。なぜ犯人は、こんなにも冷静に、こんなにも残酷なことができるのだろう。サク達は未遂で済んだ。だがアギ達は、気づかぬうちに犯罪の片棒を担がされた、それも二回も。
「…………ぅ」
空っぽのはずの胃からせり上がってくるものを感じて、咄嗟に口を押さえた。ナナの死も、仲間を利用されたことも、何もかもが許せなかった。こんなことを企んだ人間が、今ものうのうと生きている?冗談じゃない。それなら、私が……
「おい、新入りいるか?いるよな?さっさと出てこい」
唐突に響いた声と、乱暴に部屋の扉を叩く音に我に返った。私は……何を考えようとしていた?
サクが呆然としている間も、扉を叩く音は止まない。叩くというより、殴るという調子になってきたところで、渋々玄関に向かった。扉を壊されてはたまらない。
「……何の用ですか、ルタさん」
細く扉を開けて外を覗くと、不機嫌そうなルタの顔が現れた。もっとも、この人はいつだってこんな顔をしているが。
「朝イチでヤムさんとこ行ってきた。受け取れ」
答えになっているのか微妙な言葉と共に、扉の隙間から小さい紙袋がねじ込まれてきた。ヤムさんと言えば、いつか皆で行ったレストラン"ポルカ"の店主だ。なら、この紙袋の中身は。
反射的に受け取った袋の中を見ると、卵とハムを挟んだシンプルなサンドイッチが数切れ、きっちりと収まっていた。
普段のサクなら喜んでいただくところだが、今は……
「ルタさん。せっかくですけど」
「うるせえ、いいから食え。無理でも食え。食い終わるまで帰らねえからな」
ルタはそう言いながら、扉の隙間に手を入れてこじ開けると、強引に部屋の中に入ってきた。
「ちょ、ルタさん!」
サクの咎める声を無視して、ずかずかと上がり込むと、ひとつしかない椅子に勝手に座ってしまった。これは、本気で帰らないつもりだ。
「…………もう」
無理矢理追い返す気力も体力もない。少し迷ったが、サクは諦めてベッドの端に座った。そして、さっき受け取った紙袋を膝の上に置いて、改めて中を見る。先輩達に連れられて、あれからもポルカには何度か食事に行った。ナナとは、あの一回きりだったけれど。
「……いただきます」
そう呟いて、手を合わせた。サンドイッチを一切れ取り出して、端っこに齧りつく。パンと卵の優しい甘さと、ハムのしょっぱさがほんの少し、ふわりと口の中に広がった。
何度か咀嚼して、ゆっくり飲み込んだ瞬間、自然と涙が溢れた。
乱暴に頬を拭って、もう一口、今度は大きな口を開けてサンドイッチを頬張る。ああそうだ、お腹が空くってこんな感じだったっけ……ヤムさんの料理は、こんなに優しい味だったっけ。
そうしてサクがサンドイッチを食べ終わるまでの間、ルタは一言も話さなかった。いつも通りの怠そうな態度でそっぽを向いて、何も言わずに、ただそこにいてくれた。
「ごちそうさまでした」
洟を啜りながら、ぶっきらぼうに言って、もう一度手を合わせた。お腹が膨れたら、少しだけ頭も冴えた気がした。サクは顔をあげて、目の前に座るルタを見据えた。ルタもこちらに顔を向ける。
「いつもの生意気なツラに戻ったな」
「生意気は余計です……でも、サンドイッチはありがとうございました。美味しかったです」
「なんだ、今日は素直だな」
ルタはそういって短く笑うと、今度は体ごとこちらに向き直った。
「もうひとつ、お前に渡すもんがある」
そしてポケットに手を入れると、そこから束ねた革紐を取り出した。紐の先には、小さな石がついている。そして、その中で燃えているのは、見覚えのある真っ赤な炎。
「それって……ナナの」
「あいつは身寄りがないからな。持ち物は、放っとけば全部処分されるか、騎士団に持っていかれるかのどっちかだ。だからペルさんに頼んで、これだけ引き取ってきて貰った」
少し腰を浮かせて、ルタがそれを手渡してくれる。サクの手の中に収まったそれは、忘れもしない。ナナの、宝物。
「これ、すごく大事なものじゃないですか。なんで私に……ルタさんが自分で持っていなくていいんですか」
だって貴方は、ナナの親友なんでしょう。
サクがその言葉を口にするより早く、意外なほどに優しい声音で、ルタが言った。
「大事なもんだからだよ。さっき思い出したんだ、お前が言ってた"約束"ってやつ。ナナのやつも、最後にうちに泊まった日にずっと自慢げに喋ってやがった。『あたしがサクちゃんに似合うアクセサリーを選んであげるの』ってな」
そんなことがあったのか。そうか、だったらナナは、やっぱりちゃんと覚えていてくれたんだ。
さっき全部流しきってしまったと思ったのに、また涙が溢れそうになった。そんなサクに向かって、ルタは穏やかな声でこう続けた。
「だから、それはお前が持ってろ。約束の代わりに」
約束の、代わり。そうだ、あの時の"また今度"は、もう二度と叶わない。サクは手の中のペンダントを強く握りしめた。
サクを静かに見つめて、ルタは再び口を開く。
「なあ新入り、俺はお前に言ったよな。ひとつひとつの仕事に深入りすんな、考え込んだって良い事なんかねえって。あれは撤回する」
いつになく真剣なルタの瞳を、何も言わずに見つめ返した。真っ黒だと思っていたルタの瞳が、実は夜空のような深い藍色をしていたことに、サクは初めて気がついた。
「俺は本当のところが知りたい。ナナがなんで、あんな目に合わなきゃならなかったのか。どこの誰が、なんの目的であんなマネをしてるのか」
ルタが空っぽの拳を握りしめる。
「別に犯人を捕まえてやろうとか、事件を解決しようだとか、そんな大層な目的もない。ただの自己満足だよ。俺自身が納得いかねえから、だからやるだけだ」
「それ、私にも手伝わせてくれませんか」
ルタの言葉に被せるように、気づけば声をあげていた。
「自己満足、上等です。私も、このまま何も分からないままで、いつもの暮らしに戻るのなんて無理です……だから、一緒にやらせてください。何ができるかも、まだ分からないけど」
まとまりきらないで、ぐちゃぐちゃのまま吐き出した言葉に、それでもルタは笑って言った。
「お前はそういうと思ってたわ」
いつの間にか、外は雨があがっていたようで、灰色だった空には、わずかな光が差していた。
四人目の遺体が見つかったのは、それから一週間後のことだった。
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