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サカナ=銀の恵み
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まさかの、魚を食べる文化がないということにラルフは驚いていた。
帝国では、海辺から輸送されてくる塩漬けの魚は、当然のように庶民の食卓に並んでいた。干物にすれば日持ちするため、戦場で糧食の一つとして与えられたこともある。だから、そろそろ肉じゃなくて魚が食べたいと、そう考えたわけなのだが。
帝国の血を引くはずのジュリがそれを知らないというのは、あまりにも奇妙だった。
「そういうわけで、聞きに来たんだが」
「へぇ。そさいうごどだべか」
「ゲイルは、知っているだろ? 魚」
「へぇ。わすらぁ食べでださ」
ラルフの言葉に、頷くゲイル。
帝国民であるし、そもそも船乗りであったゲイルならば、魚は食べて当然の食材だ。ここでゲイルまで知らないと言い出したら、さすがに妙に思える。
ちなみに、この話を上手いこと説明してもらおうと、タリア、ジュリも一緒である。
「づんつぁ、知っでか? サカナ」
「知っどべ。けんど、こん島で魚さ食わねよ、ラルフ」
「……食べないって、どういうことだ?」
一応、ラルフはタリアにも聞いてみた。
魚を食べる文化はないのか、と。水を泳ぐ生き物、みたいな風に説明したけれど、終始ワニだと思われて終いだった。
「ラルフさ、島ん言葉分がんよになっだべな?」
「ああ……まぁ、八割方聞き取れるようになった。喋るのはまだまだだが」
「ほんな、島ん言葉で説明すんべ。んさ方が、そこなよんめごさ納得すべ」
「そうだな」
タリアは、分からない言語で喋っているラルフとゲイルを交互に見てきている。
仲間はずれにされている気持ちなのか、僅かに眉を顰めながら。
「青い目のタリア。族長は食べたいものがあるらしい」
「それは聞いた。水の中に生きるもの……つまり、大顎だろう? 大顎は確かに食べられる。だが、無理して大顎を相手にしなくても、鼻長の肉はたくさんある。食べた感じは、よく似ていると思うが」
「族長が食べたいのは、大顎の肉ではない。銀の恵みだ」
「銀の恵みだと!?」
銀の恵み。
知らない言葉が現れたことで、ラルフは眉を寄せる。
大顎――名前から察するに、ワニのことだ。そして、ラルフが食べたいのはワニの肉ではなく、銀の恵み。この言葉から察するに、銀の恵みという言葉が魚を現す単語になると思われる。
「何故、銀の恵みなどを? あれは、人の食べるものではない。川に生きる獣が食べるものだ」
「海向こう……族長の故郷では、当然のように食べられていたものだ」
「海向こうの集落は、そんなにも食べるものがないのか!?」
うげぇ、と顔をしかめるタリア。
食べる文化がないというか、食べ物であるとすら思っていない様子だ。確かに、肉に比べれば食い応えはないかもしれないけれど、魚も美味しいのに。
「お爺様。サカナというのは、銀の恵みのことなのですか?」
「そうだ、ジュリ。大顎や双歯が食べている銀の恵みだ。あれは、海向こうの国では人間が食べているものの一つだ」
「あんなにも泥臭くて美味しくないものを、食べているのですか……」
「泥さえ抜けば、それなりに食べられる。我々も、全く食事が取れない頃には重宝したものだ」
「なるほど……」
小さく溜息を吐くゲイル。
そこでようやく、ラルフは理解した。魚――銀の恵みが、何故この島で食べられていないのか。
この島において水源は、川だ。そして魚とは、川を泳ぐものである。
それが完全な清流の中であるならばまだしも、基本的に川魚というのは泥臭いものなのだ。特にこの集落の近くを流れている川は、水そのものが茶色に見えるようなものだし。
「我々もこの島に来てから、私もほとんど銀の恵みは食べていない。勿論、夕食に提供することはできる。そこの川に住む銀の恵みは、それほど警戒心が強くない。村の若者が網を構えれば、何匹だって捕まえることができるだろう」
「でも、あんなに泥臭いものを……ラルフは、あんなものを食べたいのか?」
「いや、青い目のタリア。それは違う。族長が食べたいのは、森の向こうにある潮の川にいる銀の恵みだ」
「なんと……!」
ゲイルの言葉に、タリアが目を見開く。
潮の川――その言葉は分からないけれど、森の向こうにあるということは海だ。つまり潮の川にいる銀の恵み、ラルフの言葉に訳せば、海にいる魚である。
川魚と比べて、海水魚ならば確かに臭みも少なく、食べやすいが――。
「族長。族長の食べたい銀の恵みの調達は、我々に任せてもらえないだろうか」
「……ゲイル? 大丈夫なのか?」
「私は元々、潮の川を渡ってこの島に来ました。潮の川に向けて糸を垂らしたのも、一度や二度ではありません。岸辺からでも、銀の恵みは獲れます」
「ふむ……」
食べたいと言い出したのは、ラルフだ。
だがそれは同時に、肉食ばかりである現在の、健康を危惧した部分も少なからずあるのだ。肉ばかりでは人間というのは体のバランスを保つことができなくなり、野菜や魚も食べていく必要があるのだ。
もしも集落に魚を食べる文化を根付かせれば、それは東の獅子一族の健康にも作用してくれることだろう。
「分かった、ゲイル。お前に任せる」
「ありがとうございます、族長」
ふぅ、と小さく嘆息するラルフ。
タリアもどうやら、納得してくれたようだ。「銀の恵みを食べるのか……?」と首を傾げてこそいたけれど、それは美味しい魚料理を出して理解してもらうこととしよう。
ラルフはそれまでの島の言葉から、再び帝国語へ変える。
「それでゲイル……どうやって魚を捕まえるんだ? 海ともなれば、なかなか難しいんじゃないか?」
「そさ、釣りだべ。岸辺がら竿さ放り投げで、釣るだよ」
「つ、釣り……?」
ラルフは、魚が食べたいと言った。
そしてその方法は、ラルフの数少ない趣味の一つでもある釣り――。
ごくり、とラルフは唾を飲み込んで。
「俺も一緒に、行っていいだろうか?」
「別にええげんど、ラルフさ釣り竿持っでんが? ねなら、わすのさ貸すべや」
「ああ、貸してくれ」
まだ帝国にいた頃、たった一人で海に行って、何度かやったことのある釣り。
それを、この島でもやりたい――そう、ラルフは笑みを浮かべた。
帝国では、海辺から輸送されてくる塩漬けの魚は、当然のように庶民の食卓に並んでいた。干物にすれば日持ちするため、戦場で糧食の一つとして与えられたこともある。だから、そろそろ肉じゃなくて魚が食べたいと、そう考えたわけなのだが。
帝国の血を引くはずのジュリがそれを知らないというのは、あまりにも奇妙だった。
「そういうわけで、聞きに来たんだが」
「へぇ。そさいうごどだべか」
「ゲイルは、知っているだろ? 魚」
「へぇ。わすらぁ食べでださ」
ラルフの言葉に、頷くゲイル。
帝国民であるし、そもそも船乗りであったゲイルならば、魚は食べて当然の食材だ。ここでゲイルまで知らないと言い出したら、さすがに妙に思える。
ちなみに、この話を上手いこと説明してもらおうと、タリア、ジュリも一緒である。
「づんつぁ、知っでか? サカナ」
「知っどべ。けんど、こん島で魚さ食わねよ、ラルフ」
「……食べないって、どういうことだ?」
一応、ラルフはタリアにも聞いてみた。
魚を食べる文化はないのか、と。水を泳ぐ生き物、みたいな風に説明したけれど、終始ワニだと思われて終いだった。
「ラルフさ、島ん言葉分がんよになっだべな?」
「ああ……まぁ、八割方聞き取れるようになった。喋るのはまだまだだが」
「ほんな、島ん言葉で説明すんべ。んさ方が、そこなよんめごさ納得すべ」
「そうだな」
タリアは、分からない言語で喋っているラルフとゲイルを交互に見てきている。
仲間はずれにされている気持ちなのか、僅かに眉を顰めながら。
「青い目のタリア。族長は食べたいものがあるらしい」
「それは聞いた。水の中に生きるもの……つまり、大顎だろう? 大顎は確かに食べられる。だが、無理して大顎を相手にしなくても、鼻長の肉はたくさんある。食べた感じは、よく似ていると思うが」
「族長が食べたいのは、大顎の肉ではない。銀の恵みだ」
「銀の恵みだと!?」
銀の恵み。
知らない言葉が現れたことで、ラルフは眉を寄せる。
大顎――名前から察するに、ワニのことだ。そして、ラルフが食べたいのはワニの肉ではなく、銀の恵み。この言葉から察するに、銀の恵みという言葉が魚を現す単語になると思われる。
「何故、銀の恵みなどを? あれは、人の食べるものではない。川に生きる獣が食べるものだ」
「海向こう……族長の故郷では、当然のように食べられていたものだ」
「海向こうの集落は、そんなにも食べるものがないのか!?」
うげぇ、と顔をしかめるタリア。
食べる文化がないというか、食べ物であるとすら思っていない様子だ。確かに、肉に比べれば食い応えはないかもしれないけれど、魚も美味しいのに。
「お爺様。サカナというのは、銀の恵みのことなのですか?」
「そうだ、ジュリ。大顎や双歯が食べている銀の恵みだ。あれは、海向こうの国では人間が食べているものの一つだ」
「あんなにも泥臭くて美味しくないものを、食べているのですか……」
「泥さえ抜けば、それなりに食べられる。我々も、全く食事が取れない頃には重宝したものだ」
「なるほど……」
小さく溜息を吐くゲイル。
そこでようやく、ラルフは理解した。魚――銀の恵みが、何故この島で食べられていないのか。
この島において水源は、川だ。そして魚とは、川を泳ぐものである。
それが完全な清流の中であるならばまだしも、基本的に川魚というのは泥臭いものなのだ。特にこの集落の近くを流れている川は、水そのものが茶色に見えるようなものだし。
「我々もこの島に来てから、私もほとんど銀の恵みは食べていない。勿論、夕食に提供することはできる。そこの川に住む銀の恵みは、それほど警戒心が強くない。村の若者が網を構えれば、何匹だって捕まえることができるだろう」
「でも、あんなに泥臭いものを……ラルフは、あんなものを食べたいのか?」
「いや、青い目のタリア。それは違う。族長が食べたいのは、森の向こうにある潮の川にいる銀の恵みだ」
「なんと……!」
ゲイルの言葉に、タリアが目を見開く。
潮の川――その言葉は分からないけれど、森の向こうにあるということは海だ。つまり潮の川にいる銀の恵み、ラルフの言葉に訳せば、海にいる魚である。
川魚と比べて、海水魚ならば確かに臭みも少なく、食べやすいが――。
「族長。族長の食べたい銀の恵みの調達は、我々に任せてもらえないだろうか」
「……ゲイル? 大丈夫なのか?」
「私は元々、潮の川を渡ってこの島に来ました。潮の川に向けて糸を垂らしたのも、一度や二度ではありません。岸辺からでも、銀の恵みは獲れます」
「ふむ……」
食べたいと言い出したのは、ラルフだ。
だがそれは同時に、肉食ばかりである現在の、健康を危惧した部分も少なからずあるのだ。肉ばかりでは人間というのは体のバランスを保つことができなくなり、野菜や魚も食べていく必要があるのだ。
もしも集落に魚を食べる文化を根付かせれば、それは東の獅子一族の健康にも作用してくれることだろう。
「分かった、ゲイル。お前に任せる」
「ありがとうございます、族長」
ふぅ、と小さく嘆息するラルフ。
タリアもどうやら、納得してくれたようだ。「銀の恵みを食べるのか……?」と首を傾げてこそいたけれど、それは美味しい魚料理を出して理解してもらうこととしよう。
ラルフはそれまでの島の言葉から、再び帝国語へ変える。
「それでゲイル……どうやって魚を捕まえるんだ? 海ともなれば、なかなか難しいんじゃないか?」
「そさ、釣りだべ。岸辺がら竿さ放り投げで、釣るだよ」
「つ、釣り……?」
ラルフは、魚が食べたいと言った。
そしてその方法は、ラルフの数少ない趣味の一つでもある釣り――。
ごくり、とラルフは唾を飲み込んで。
「俺も一緒に、行っていいだろうか?」
「別にええげんど、ラルフさ釣り竿持っでんが? ねなら、わすのさ貸すべや」
「ああ、貸してくれ」
まだ帝国にいた頃、たった一人で海に行って、何度かやったことのある釣り。
それを、この島でもやりたい――そう、ラルフは笑みを浮かべた。
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