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イノシシ退治
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魔物。
それはかつて、大陸に存在していた一種の突然変異である。
現在でも、大賢者にさえその正体は分かっていないというけれど、魔物というのは一つの寄生体に侵食されたものだという説が最も有効であるらしい。
魔の塊――それが獣や無機物などに取り付き、その獣を異常なまでに変化させる。ただの猪が魔に侵されることにより、その体躯を巨大なものとしたのが『巨猪』、人の白骨死体が魔に侵されることにより、自律して動くことを可能とした『骸骨兵』など、大陸では伝承にしか残っていない存在である。
というのも、大陸は魔物の完全なる討伐に成功しているからだ。
かつて大陸を分けていた幾つかの国が協力し、国に存在する魔物に報奨金をかけ、根絶やしにするように指示した。その結果、大陸中の騎士団や傭兵団、中には市中の猛者たちも加わり、一斉に魔物を討伐したのだ。
そのうちに、新たに生まれる魔物もいなくなった――そのため、大陸では魔物という存在は、伝承にしか残っていないものなのだ。
「……」
そんなラルフの目の前にいる、巨大な猪――『巨猪』。
魔物化における、最も著名な変化がその大きさだ。まず体を巨大にし、その状態で年を経ることで、さらに体に変化が生じる。炎を噴射する個体や、翼が生える個体、珍しいものでは頭が増える個体など、その変化は多岐にわたる。
目の前の猪は、その体が巨大であるだけで、それ以外にはほとんど何も変わらないように見える。恐らく、魔物化してさほど時間は経っていないだろう。
特殊な能力などなく、ただ大きいだけの野生生物。
ラルフに、それが狩れない理由はどこにもない。
「……」
猪の死角から、なるべく音を立てないように木に登る。
さすがに、あれほど巨大な猪と真正面からやり合うことはできない。頑丈な戦斧でもあれば話は別だけれど、残念ながら手に持っているのは簡素な石の斧だ。
ラルフの全力で、猪の頭を殴り、脳を揺らして昏倒させる――恐らく、それ以外に勝機はないだろう。
器用に木を登り、ラルフの体重を支えることのできる太い枝の上――そこで、まず猪の全容を見る。
縦の大きさでさえ、ラルフの二倍。横の大きさになると、ラルフの三倍以上はあるだろう。その口元から突き出した牙でさえ、周囲の木々に引けをとらない太さだ。今まで、ラルフが相手をしてきた全ての野生動物の中で、最も大きいと言っていい。
「……」
頭が狙いやすい場所に――そう、周囲を見ると。
そんな猪の目の前に、座り込んでいる影が、あった。
「――っ!!」
人間である。
毛皮のような布で胸と腰だけを覆った、褐色の肌をした少女だ。一体どういった意味があるのか、顔に炭のような何かで模様を描いている。
猪が先程からこちらを一瞥もしないのは、既に獲物として少女を狙っているからだろう。そして、座り込んでいる足――それが、本来曲がる方向でない向きに曲がっている。恐らく、折れているのだと遠目でも分かった。
猪にとっては、既に動けなくなった獲物を前にした余裕といったところか。ぶふんっ、と鼻息荒く、まるで嘲笑を浮かべているようにぐるりと鼻を回している。
少女の方も、手には先端の鋭い槍を持ってはいるけれど、足があの状態ではなかなか使うことはできまい。
冷静にそこまで分析して、ラルフは見える位置にある、別の枝へと飛び移った。
「……」
少女の真上であり、同時に猪の頭部が最も狙いやすい場所。
さらに位置的にも、猪が完全に下へと注意を逸らしている以上、気付かれることはない。ラルフは大きく息を吐き、それからぐっ、と右手で強く斧を握りしめた。
「イ・タェ! トサェブ!」
「ブルル……」
「アォブ・レトスノーム! ゥオィ・モック・クシッツ・ニレヴァジ!」
真下から、少女がそう猪に向かって叫ぶ声が聞こえる。
気丈に槍を構え、襲いかかってきたら刺す、とでも言っているのだろうか。当然ながら、ラルフには全く聞き取れない言語である。大陸の共通語とは、その成り立ちから全く違うのだと思う。ゥオィとか、どう発音していいかさえ分からない。
だけれど、この状況はラルフにすれば都合がいい。
完全に、猪の注意は少女に向いている。つまり、攻撃を仕掛けるならば今だ。
すっと研ぎ澄ませて、ラルフは息を止める。
既に、ラルフからすればこの猪は――食材だ。
「――」
息を止めたまま、声の一つも発することなく、ラルフは枝に全ての体重をかけ。
真っ直ぐに、猪に向けて飛び降りる。高さはそのまま勢いとなり、威力となり、ラルフの本来持ち得る力――それを、何倍にも膨れ上がらせ。
「――ッ!?」
「ブモ……?」
少女が、ラルフに気付いて上を見上げる。
それに伴って、猪が顔を上げようとした、次の瞬間。
まるで隕石のように、ラルフの石斧――それが、猪の頭へと激突した。
「ゴッ……!」
「ォフゥ!? ナムヒ!?」
当然、ラルフの筋力と落下に伴う遠心力、それに逆らえるほど生木には力がなく、半ばからへし折れる。
しかし、鋭い石――猪からすれば小石に過ぎないそれが、激しい勢いと共に猪の頭へと激突し、その脳を揺らす。そして一瞬でも脳が揺らされれば、体のバランスが保てなくなるのが生き物というものなのだ。
くらり、と倒れる猪――それを、飛び降りて一瞬で体制を整えたラルフが、少女から槍を取り上げ。
「タフゥ!? イ・ニレヴァジ!」
「うるせぇ!」
今は、この一瞬の隙――それを突いてでも、この猪を仕留める必要がある。
全く躊躇することなく、転がった猪の腹――毛皮の薄いそこを、ラルフは槍で突き刺す。巨大な魔物とはいえ、心臓を突けばそれだけで獣は死ぬ。そして、何度となく猪を解体してきたラルフには、その位置も問題なく分かる。
槍で一突き――それが皮を突き、肉を裂き、内臓を貫きながら、心臓へ至る。
ガフッ、と猪が強く呼吸すると共に。
ラルフが槍を抜いた傷跡――そこから、噴き出るように血が飛び出した。
「ふぅ……これで大丈夫だな」
「……」
「ようやく肉にありつけるぜ……あー……つっても、こんなでけぇのどう回収すりゃいいんだ? 肉を切ろうにも、ナイフもねぇし……」
「……」
「ん? ああ、悪いな、借りてたぜ」
ひょいっ、と血塗れの槍を少女へと返す。
そして、放心しているかのように槍を見て、ラルフを見て、猪を見て、少女が。
ラルフへと、槍の穂先を向けた。
「あん……?」
「ォフゥ!? ゥオィ・エビルト・ネフゥ!?」
「あー……何言ってんのか、さっぱり分かんねぇんだが」
せめて、肉を食いたい。
そう思いながら、ラルフは大きく溜息を吐いた。
ちなみに原住民の言語は、英語の逆読みになっております。
『私(I)』→『イ(I)』
『あなた(you)』→『ゥオィ(uoy)』
『誰(who)』→『ォフゥ(ohw)』
『槍(javelin)』→『ニレヴァジ(nilevaj)』
「ォフゥ!? ゥオィ・エビルト・ェレフゥ!」
↓
「ohw!? uoy ebirt erehw!」
↓
「who!? you tribe where!」
↓
「誰!? お前、部族、どこ!」
それはかつて、大陸に存在していた一種の突然変異である。
現在でも、大賢者にさえその正体は分かっていないというけれど、魔物というのは一つの寄生体に侵食されたものだという説が最も有効であるらしい。
魔の塊――それが獣や無機物などに取り付き、その獣を異常なまでに変化させる。ただの猪が魔に侵されることにより、その体躯を巨大なものとしたのが『巨猪』、人の白骨死体が魔に侵されることにより、自律して動くことを可能とした『骸骨兵』など、大陸では伝承にしか残っていない存在である。
というのも、大陸は魔物の完全なる討伐に成功しているからだ。
かつて大陸を分けていた幾つかの国が協力し、国に存在する魔物に報奨金をかけ、根絶やしにするように指示した。その結果、大陸中の騎士団や傭兵団、中には市中の猛者たちも加わり、一斉に魔物を討伐したのだ。
そのうちに、新たに生まれる魔物もいなくなった――そのため、大陸では魔物という存在は、伝承にしか残っていないものなのだ。
「……」
そんなラルフの目の前にいる、巨大な猪――『巨猪』。
魔物化における、最も著名な変化がその大きさだ。まず体を巨大にし、その状態で年を経ることで、さらに体に変化が生じる。炎を噴射する個体や、翼が生える個体、珍しいものでは頭が増える個体など、その変化は多岐にわたる。
目の前の猪は、その体が巨大であるだけで、それ以外にはほとんど何も変わらないように見える。恐らく、魔物化してさほど時間は経っていないだろう。
特殊な能力などなく、ただ大きいだけの野生生物。
ラルフに、それが狩れない理由はどこにもない。
「……」
猪の死角から、なるべく音を立てないように木に登る。
さすがに、あれほど巨大な猪と真正面からやり合うことはできない。頑丈な戦斧でもあれば話は別だけれど、残念ながら手に持っているのは簡素な石の斧だ。
ラルフの全力で、猪の頭を殴り、脳を揺らして昏倒させる――恐らく、それ以外に勝機はないだろう。
器用に木を登り、ラルフの体重を支えることのできる太い枝の上――そこで、まず猪の全容を見る。
縦の大きさでさえ、ラルフの二倍。横の大きさになると、ラルフの三倍以上はあるだろう。その口元から突き出した牙でさえ、周囲の木々に引けをとらない太さだ。今まで、ラルフが相手をしてきた全ての野生動物の中で、最も大きいと言っていい。
「……」
頭が狙いやすい場所に――そう、周囲を見ると。
そんな猪の目の前に、座り込んでいる影が、あった。
「――っ!!」
人間である。
毛皮のような布で胸と腰だけを覆った、褐色の肌をした少女だ。一体どういった意味があるのか、顔に炭のような何かで模様を描いている。
猪が先程からこちらを一瞥もしないのは、既に獲物として少女を狙っているからだろう。そして、座り込んでいる足――それが、本来曲がる方向でない向きに曲がっている。恐らく、折れているのだと遠目でも分かった。
猪にとっては、既に動けなくなった獲物を前にした余裕といったところか。ぶふんっ、と鼻息荒く、まるで嘲笑を浮かべているようにぐるりと鼻を回している。
少女の方も、手には先端の鋭い槍を持ってはいるけれど、足があの状態ではなかなか使うことはできまい。
冷静にそこまで分析して、ラルフは見える位置にある、別の枝へと飛び移った。
「……」
少女の真上であり、同時に猪の頭部が最も狙いやすい場所。
さらに位置的にも、猪が完全に下へと注意を逸らしている以上、気付かれることはない。ラルフは大きく息を吐き、それからぐっ、と右手で強く斧を握りしめた。
「イ・タェ! トサェブ!」
「ブルル……」
「アォブ・レトスノーム! ゥオィ・モック・クシッツ・ニレヴァジ!」
真下から、少女がそう猪に向かって叫ぶ声が聞こえる。
気丈に槍を構え、襲いかかってきたら刺す、とでも言っているのだろうか。当然ながら、ラルフには全く聞き取れない言語である。大陸の共通語とは、その成り立ちから全く違うのだと思う。ゥオィとか、どう発音していいかさえ分からない。
だけれど、この状況はラルフにすれば都合がいい。
完全に、猪の注意は少女に向いている。つまり、攻撃を仕掛けるならば今だ。
すっと研ぎ澄ませて、ラルフは息を止める。
既に、ラルフからすればこの猪は――食材だ。
「――」
息を止めたまま、声の一つも発することなく、ラルフは枝に全ての体重をかけ。
真っ直ぐに、猪に向けて飛び降りる。高さはそのまま勢いとなり、威力となり、ラルフの本来持ち得る力――それを、何倍にも膨れ上がらせ。
「――ッ!?」
「ブモ……?」
少女が、ラルフに気付いて上を見上げる。
それに伴って、猪が顔を上げようとした、次の瞬間。
まるで隕石のように、ラルフの石斧――それが、猪の頭へと激突した。
「ゴッ……!」
「ォフゥ!? ナムヒ!?」
当然、ラルフの筋力と落下に伴う遠心力、それに逆らえるほど生木には力がなく、半ばからへし折れる。
しかし、鋭い石――猪からすれば小石に過ぎないそれが、激しい勢いと共に猪の頭へと激突し、その脳を揺らす。そして一瞬でも脳が揺らされれば、体のバランスが保てなくなるのが生き物というものなのだ。
くらり、と倒れる猪――それを、飛び降りて一瞬で体制を整えたラルフが、少女から槍を取り上げ。
「タフゥ!? イ・ニレヴァジ!」
「うるせぇ!」
今は、この一瞬の隙――それを突いてでも、この猪を仕留める必要がある。
全く躊躇することなく、転がった猪の腹――毛皮の薄いそこを、ラルフは槍で突き刺す。巨大な魔物とはいえ、心臓を突けばそれだけで獣は死ぬ。そして、何度となく猪を解体してきたラルフには、その位置も問題なく分かる。
槍で一突き――それが皮を突き、肉を裂き、内臓を貫きながら、心臓へ至る。
ガフッ、と猪が強く呼吸すると共に。
ラルフが槍を抜いた傷跡――そこから、噴き出るように血が飛び出した。
「ふぅ……これで大丈夫だな」
「……」
「ようやく肉にありつけるぜ……あー……つっても、こんなでけぇのどう回収すりゃいいんだ? 肉を切ろうにも、ナイフもねぇし……」
「……」
「ん? ああ、悪いな、借りてたぜ」
ひょいっ、と血塗れの槍を少女へと返す。
そして、放心しているかのように槍を見て、ラルフを見て、猪を見て、少女が。
ラルフへと、槍の穂先を向けた。
「あん……?」
「ォフゥ!? ゥオィ・エビルト・ネフゥ!?」
「あー……何言ってんのか、さっぱり分かんねぇんだが」
せめて、肉を食いたい。
そう思いながら、ラルフは大きく溜息を吐いた。
ちなみに原住民の言語は、英語の逆読みになっております。
『私(I)』→『イ(I)』
『あなた(you)』→『ゥオィ(uoy)』
『誰(who)』→『ォフゥ(ohw)』
『槍(javelin)』→『ニレヴァジ(nilevaj)』
「ォフゥ!? ゥオィ・エビルト・ェレフゥ!」
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