上 下
29 / 61

無双

しおりを挟む
「な、何事だぁっ!?」

「『ガーランドの死神』が! 奴が侵入しています!」

「いつの間に!? 止めろっ!!」

「うぉぉぉぉぉぉっ!!」

 今にも、関に空いた小さな穴――そこから矢を放とうとしていた兵たちに向けて、俺は突撃を敢行する。
 たった一人で、続く者もいない突撃。しかし、この狭い砦の廊下というのは、一人で戦うには十分すぎる狭さだ。やってくる敵兵は全員、きっちり首を刈って息の根を止めている。そのため、後ろから敵が来る気配はない。
 つまり俺は前に現れる敵兵だけを、集中して相手にすればいいだけの話である。

 手斧を二本、振り回す。
 いつも使っている戦斧に比べれば、威力は低い。だが、ここが戦場になると想定していなかったのだろう敵兵たちは、ろくな装備をしていなかった。防具はおろか、弓矢だけを持って他の武器を持っていない兵士たちも多くいる。
 勿論、俺は敵兵であるならば、丸腰であっても全て息の根を止める。十年間、俺はそうやって戦場を生きてきたのだ。
 甘さで敵兵を逃がせば、その敵が次に自分の仲間を殺しにかかってくるかもしれない。ゆえに、徹底的に。

「け、剣っ! 剣を誰かっ!」

「や、槍なんて持ってきてねぇよ!」

「矢を放てっ! この距離だ! 外れるわけがない!」

「ぎゃあっ!!」

 俺が手斧を振るうたびに、誰かの叫び声が響く。
 放たれる矢も、ほとんど力の入っていないものだ。十分に準備する余裕があるならばまだしも、窮地に立たされた人間というのは、弓の弦を張る時間すら惜しむ。そして、張らずに放たれた矢など、自重で床に落ちるほどの弱々しさである。
 既に、何人の首を手斧で刈ってきただろう。肉を裂き、骨を断ち、命を奪う感覚――その感覚には、もう慣れきってしまった。

 血塗れの手だが、しかし手斧を滑らさないようにぐっと握りしめて、次々と掛かってくる敵兵の首を刈る。
 敵の槍を蹴りで弾き、返す腕で首を刈り。
 弓で打ってきた攻撃を躱し、そのまま首を刈り。
 無手のままで突撃し、肉の壁になる覚悟を決めた者――その首を刈る。
 俺の前に立つ限り、俺はその命を刈るのだ。

「うぉぉぉぉぉ!!」

 俺は、この戦争が終わったら結婚する。
 軍を除隊し、田舎に帰って、田畑を耕しながら暮らしていく。
 ジュリアと、いつかできるかもしれない、ジュリアと俺の間に生まれた子供と。
 そんな――穏やかな暮らしが、待っているんだ。

 だけれど。
 こんな血塗れの手で、ジュリアを抱きしめていいのだろうか。
 命を刈ることに何の抵抗もない俺が、新しい命を育んでもいいのだろうか。
 これほど人の命を屠っておきながら、のうのうと田舎で余生を過ごしてもいいのだろうか。

 ただ、目の前の敵兵を刈っていくだけの単純作業。
 それゆえに頭はクリアになり、まるで自分で自分を俯瞰しているように感じる。
 悪鬼羅刹の如く、血塗れの斧を振るう俺。
 返り血を浴びながら、真っ赤に染まった鎧と共にひた走る俺。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 既に、叫び声は意味をなさない。
 ただただ自分に気合いを入れるためだけの声は、何の意味もないただの雄叫びだ。

「ば、化け物っ!!」

「奴の体力はどれだけなんだ!?」

「ぜ、全員で一気にかかれっ!」

「あの怪物を仕留めろっ!!」

 普通に傷つくこと言ってくれるよ。
 いやね、俺だって人間なのよ。普通に戦い続けたら疲れるし、敵の槍とか全部俺目がけてやってきてるわけよ。それを必死に避けながら、必死に敵兵倒してんのよ。しかも俺、普通にこの前に、城壁ロッククライミングとかかましてんのよ。
 そりゃ疲れるって。超しんどいって。
 そのしんどい状態からどう戦うかって、そりゃ自分に気合いいれなきゃ動けないわけよ。人間を斬るのって、割と重労働だからね。
 とりあえず、目の前の敵を斬る。斬る。斬る。
 折り重なってくる死体の群れ。

 恐らく彼らが、一斉に俺を陥れるための行動をすれば、俺の動きは阻まれるだろう。
 二人ずつくらいで俺の足にしがみついたり、体ごと斧を受け止めたり、そういうことをされたら、さすがに俺も不味いと思う。
 だけれど、長く戦場にいる俺だが、そういった場面になったことがない。
 何故なら、誰だって死にたくないから。

 俺にしがみついて足止めをするということは、俺を足止めするために命を捨てるということだ。
 体ごと斧を受け止めるということは、俺の攻撃をそのまま体に受けるということだ。
 つまり、その役割を担った者は死ぬ。簡単な帰結である。
 誰だって、その一番目になるのは絶対に嫌なのだ。
 だからこうして、乱戦になっても混戦になっても、兵士というのは基本的に安全圏にいたがる。そして、安全圏にいたはずが前が突破されてしまった兵士が、仕方なく俺の目の前に出てくるのだ。
 結果的に、誰も俺を止められない。

「はっ、はっ……!」

 目の前から、動く者がいなくなるまで、俺の無双は続いた。
 さすがに、腕に力が入らなくなっている。今の俺の握力では、普段のように石を砂に変えることはできないだろう。それでも、手斧から手は放さない。
 少しだけ休もう――そう、片膝をついて壁にもたれかかり。

「貴様がっ! 『ガーランドの死神』かっ!」

「……」

 空気を読まない、そんな声が響く。
 俺超しんどいのよ。ちょっと休んでもいいよね。もう、ゴールしても……駄目だ。俺のゴールは、この戦争が終わることなんだから。
 この戦争を終えて、無事に故郷に帰って、ジュリアと結婚する。それでも、俺の人生はまだゴールじゃない。ジュリアと一緒に、お互いに白髪になるまで一緒に暮らすんだ。

「我が名はガリオン・ストランダー! 尋常に勝負せよ!」

「……」

 ゆっくり、立ち上がる。
 目の前に立っているのは、鉄製の槍を構えた偉丈夫だ。全身鎧に身を包み、全面兜で顔立ちも見えない。だが、その真紅のマントから恐らく、将軍位にはある存在だろうということは分かった。
 既に砦が壊滅状態で、こうなっては仕方ないと出てきたのだろう。
 俺からすれば、将軍の首を持ち帰ることができるわけで。
 手柄一つ――そう、喜ぶ暇もない。

「はぁっ!」

「……」

 無言で、敵将――ガリオンの放ってきた槍の突きを躱す。
 俺を殺すには、あまりにも遅い。牽制に手斧を投げて、それが兜に当たってカン、と乾いた音を立てる。
 くくっ、とガリオンの籠もったような笑い声が、兜の中から響いた。

「くははっ! 普段の斧ならばまだしも、そのような手斧でこの鎧が破れるものか!」

「あー……」

「いざ、我が槍の錆となれっ!!」

 俺は、手斧を構える。
 本来、片手で使うための投げ斧。その柄――短いそれを、両手で。
 ろくに、両腕に力は入らないけれど。
 今の、俺に出せる全力で――。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 思い切り、全身鎧に向けて手斧を振り下ろし。
 激しい勢いと共に、手斧の刃が鎧を押しつぶす。そして、力に耐えられなくなった全身鎧は、そのままガリオンの体へとめり込み。

「ぐはぁっ!?」

「はぁ……」

 そのまま――人の死体とは思えぬほどにひしゃげて、倒れ伏す。
 これで、あとは門の扉を開く――それで、この戦いは終わるだろう。
 疲れた体に鞭打って、俺はアルードの関――その門を開くために、重い体を引きずりながら歩いた。














 メイルード王国軍、死者五千六百人。
 ガーランド帝国軍、死者なし。負傷者一名。
 これが、メイルード王国軍との前哨戦、アルードの関攻略戦の概要。

 薄々気付いてはいたんだけどさ。
 俺一人しか頑張ってなくね!?
しおりを挟む

処理中です...