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王都への潜入

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 身を隠しながら、俺はアリオス王都の東門まで向かった。
 割と背の高い草むらに身を隠し、ゆっくりと近付いていく。衛兵に存在がばれたら、その場で作戦は失敗だ。そして、俺がいることがばれたと同時に、衛兵を始末するわけにもいかない。もしも衛兵を殺してしまったら、アリオス軍が東門の異変を察知してしまうからだ。
 まぁ、隠すべきは俺の身一つ。
 東門を守っている衛兵は四人だが、ガーランド軍と対峙しているのは西門であるため、割と気を抜いているようだ。欠伸をしている姿が見える。
 どうにか俺は身を低く保ち、壁面へと近付いていく。
 息を殺し、音を殺し、気配を殺し。

「……」

 走れば五秒くらいで到達する壁面へと、長く時間をかけてゆっくり移動する。
 草むらの中にいる俺が、風景に溶け込むように。少しでも素早く動けば、人間の目というのは違和感を察知するのだ。だからこそ、ゆっくりとゆっくりと壁面に近付く。
 マティルダ師団長曰く、目印は赤い塗料とのことだ。そして、割とこの辺はわんぱくな子供が多いのか、壁に結構な落書きがある。
 中には「王様バーカ」とか書かれているものもある。端的ではあるが、王族を馬鹿にしているこの落書きを消していないということは、そこまで手が回っていないのだろう。そして、手が回っていないからこそ、壁面に抜け穴を作るという暴挙ができたのだ。
 赤い塗料――あそこだ。
 俺の向かう先に、赤い塗料で線の描かれた場所が見える。確かに巧妙に隠しているが、小さな穴が空いていた。匍匐前進ならば、大人でも通れそうなほどの穴が。

「よし……」

 小さく呟いて、俺は匍匐前進を継続する。
 決して音を立てないように、衛兵に見られないように。
 どうにか体を穴の中に入れる。しかし残念ながら、穴の向こうに光はない。当然だろうが、穴の向こうも隠しているのだろう。

「ふむ……」

 匍匐前進で、ようやく辿り着いた壁の向こう。
 恐らく、木の板を立てかけてあるのだろう。少し触れると、それだけで動く。
 だが問題は、この板の向こうに人がいるかどうかだ。
 もしも俺が出てくるとこを見られれば、それだけで騒ぎになる。しかし、これについては今の俺に、探ることなどできない。
 内通者とやらが、上手いこと人払いを済ませてくれていることを願って、俺はゆっくりと木の板――穴を隠しているそれを、ずらしていく。

「……」

 恐らく、そこは民家の庭。
 壁に囲まれた、小さな庭園である。色とりどりの野菜が植えられている、四方を壁に囲まれた場所だ。確かに民家の庭ならば、壁に穴を開けても露見することはないだろう。
 つまり、この家の所有者が、内通者だということだ。
 最も近い民家。
 俺は穴を抜け出てから、民家に続く扉――そこを開けて。

「『ツィーグラーの花から来た蜜蜂』だ」

 暗号を、そのまま内部の人物へ向けて告げる。
 それと共に、暗い室内に光が灯った。

「ご苦労。よく来たね」

「……」

 ランプの光の下に現れたのは、女性だった。
 極めて普通の、村のおばさんといった様子の女性である。美人とも醜女とも言い難い顔立ちに、恰幅の良い体。白髪の交じった髪を頭頂で束ねて丸めている、典型的なおばさんだ。
 内通者――には全く見えない、極めて庶民的な女性。

「お前さんが、『ガーランドの死神』か」

「……その呼ばれ方は、好きじゃない。散々、敵軍から呼ばれるもんでな」

「まぁ、いい。私はレオナ、暗部の人間だ。これから作戦を説明する。今回は、私との共同任務だ」

「……俺一人じゃなかったのか?」

「土地勘もない人間、一人には任せられんよ」

 女性――レオナの言葉は、確かにその通りである。
 俺はこの家から、王城までどうやって行くかすら知らないわけだし。

「まずは、変装をしてもらう。王城までは、人通りの多い道を行く。王城に到着したら身を隠し、変装を解いて中に侵入する」

「変装……?」

「その鎧の上に綿を巻いて、ゆったりした服を着ればいい。顔はパテで埋める。多少息苦しいだろうが、我慢してくれ」

 よく見れば、そんなレオナは饒舌に喋っているというのに、ほとんど口元が動いていない。恐らく、彼女もパテで顔を埋めて庶民に扮しているのだろう。
 恐らく、この家の本来の持ち主の顔に。
 その、本来の持ち主が今どうなっているかは、想像するに容易い。

「なに、すぐ終わる。この作戦は、日が沈むまでに終わらせろとの指示だ」













 恰幅の良い体の二人が、アリオス王都の町並みを歩く。
 外ではガーランド帝国軍がいるということで、人通りはまばらだ。それでも開いている商店が多くみられるのは、戦時中であるがゆえに巣ごもりのための食料を求めるからだろうか。時折軍人らしい者も通るけれど、俺たちの方に不審な目を見せてくることはなかった。それだけ彼女――レオナの作った俺の顔が凡庸なのだろう。
 もっとも、小さな空気穴が口元に開けられているだけなので、物凄く息苦しい。視界も小さな穴しか開いてないから、正面しか見えないし。

「もうすぐだ。油断をするな」

「……」

 レオナ、どうやって喋ってんだろう。俺、ほとんど口動かせないから喋れないんだけど。
 まぁ、これも王城に到着するまでの我慢だ。
 作戦は、まず王城へ向かう。王城の壁まで到着したら、同時に跳躍して王城の壁を越える。そこで変装を解き、王城の外側から壁を上り、最上階まで侵入する、という手筈だ。
 そりゃマティルダ師団長、俺に頼むはずだわ。
 前提の『跳躍して王城の壁を越える』時点で、おそろしく身体能力の要求が高いもん。

「ここだ」

 指先で、王城の壁に咲いた花を、愛でている様子のレオナ。
 恐らく周囲からは、仲の良い中年夫婦のように見えていることだろう。衛兵がちらりとこっちを見たが、特に気にすることなく視線を外した。
 現状、こちらを見てくる視線は――ない。

「いくぞ」

「……」

 ああ、と答えたつもりだったが、全く声は出ず。
 しかしレオナが思い切り足を屈めると共に、跳躍。それを追うように、俺もまた飛んだ。
 割と、この体が重い。
 だけれど、王城の壁そのものは、それほど高くない。俺の身長の倍ほどだ。
 そのくらいならば、一度で飛べる――。

「……」

 視野が狭いせいで、全く足元が見えない。
 だけれど、目測で王城の壁――その最上部を超えて、俺の体はふわっとした芝生の上に転がった。
 当然、周囲など見えないが――。

「外してもいいぞ」

 ぶはぁっ、と俺はようやく、顔を埋めていたパテを外す。
 多少息苦しいどころじゃなかった。マジで息苦しかった。ぜぇ、ぜぇ、とどうにか呼吸を整えて、レオナを見ると。
 作り物の凡庸な顔立ちと、綿を詰めた服を脱ぎ捨てて。

「……え?」

「どうした、早く行くぞ。準備をしろ」

 黒い上衣。しかし隠しているのは胸元くらいで、腹部を思い切り晒している。下はほとんど下着のような、短いもの。前腕と膝下は革で覆っているが、明らかに肌色の割合が多い。
 そんな、おそろしくきわどい格好をした、黒髪の美少女がそこにいた。

「……」

「何だ」

「……いえ、何でもないっす」

 俺の理性、保ってくれ。
 他の女に興奮するなんて、ありえない。
 そんなの、ジュリアへの裏切りになってしまう――!
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