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素振り
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「これは異国の話なんだがね」
「はぁ」
「ある武術家が、山に籠もって修行をしていたらしい。その武術家はかなり高名な人物だったが、より己を高みへ導くために修行を重ねたんだとか」
「そう、すか」
異国の武術家――ヒルデガルトが例に出すくらいだから、恐らくかなり高齢の人物か、もう亡くなっているかのどちらかだろう。
だが更なる高みを求めた人物の話であれば、聞いておくべきだろう。自分が、その高みに旅立つために。
真剣な眼差しで、ヒルデガルトの言葉を聞く。
「彼がやったのは、一日一万回の正拳突きだった。感謝を込めて、日が昇ってから沈むまで、毎日一万回を繰り返したらしい」
「……」
「毎日毎日やり続けることで、その技はより高みに達した。繰り返し続けた正拳突きの動きは、自分の体のどこを最適に動かすべきか分かったのさ。そして彼はある日、気付いた。正拳突き一万回を終えても、日が沈んでいないことに」
「……あの、お師匠」
ウィルは、ヒルデガルトの言葉にそう口を挟む。
物凄く聞いたことがある話である。ヒルデガルトに言われずとも、ウィルはその話を知っていた。
「それ物語の話っすよね?」
「……」
「読んだことありますけど……」
「そう、そして彼の拳は、音を置き去りに――」
「だから読んだことありますって」
ウィルが少年の頃に、よく読んでいた物語の一節だ。
まさか、ここでヒルデガルトの口から聞くとは思わなかったが。というか、何故少年向けの物語に詳しいのだろう。
くくっ、とヒルデガルトが笑みを浮かべる。
「いや、まぁお前さんなら知ってるか」
「有名ですよ」
「お前さんをどう修行させていこうか考えていてね。偶然昨日読んだのさ」
「しかも昨日すか」
「んで、今日それをやらせてみようと思ってね」
「完全にただの思いつきじゃないですか」
ただの思いつきで修行を決められても困る。それが正直な意見である。
ヒルデガルトのことだから、確実な修行をしてくれると思っていたのに。
「だが、効果は覿面だろうよ。あたしの思いつきだが、間違いなく効果的さ」
「……本当すか? しかもやっぱり思いつきっすか」
「ああ。ただし、ここからはあたし流だよ。闘気は常に纏うように。闘気が消えちまうようなら、飯を食え。飯を食ったら再び素振りに戻るんだ」
「はぁ……」
なんというか、今までの修行もヒルデガルトの思いつきだったのかもしれない。
確かによく考えれば、いきなり闘気を解放させたと思いきやシャロンの『全属性・超強化』をかけさせたりとか、露店の食事を全て食べてこいとか無茶を言ったりとか、ろくなこと言われていない気がする。
本当に、これからもヒルデガルトに従っていいのだろうか――そんな疑問が過ってしまうほどだ。
「とにかく、きりきりやれ。暫くはあたしが見てるが、その後は自分でやり続けるんだよ。別にさぼってもいいが、怠けて困るのはお前さんだ。あたしは、お前さんが全部の修行をきっちりこなす前提で動くからね」
「う、うす!」
まぁ、今ウィルはヒルデガルトに弟子入りをしている身だ。
そしてこう言っては何だが、ヒルデガルトにはウィルに修行をつけたところで、見返りなど一つもない。師事料を支払ってなどいないし、将来払うという約束をしているわけでもない。「恩は必ず返す」とウィルは伝えたが、具体的な数字などないのだ。今ここでヒルデガルトから教わっているのも、彼女の厚意によるものである。
ウィルにできることは、真摯にヒルデガルトの修行を受けるだけだ。
「ふんっ!」
大剣を持ち、上に振り上げて、下ろす。
闘気を纏い、昨日ひたすら食べ続けて出来上がった体のおかげで、それは難なくこなせるものだった。昨日の朝には、持ち運ぶだけで一苦労していたというのに。
間違いなく、それはウィルが強くなっているという証左――。
「ふんっ!」
もう一度大剣を振り上げて、そして下ろす。
下ろすときには、目の前に敵がいることを想定してだ。何の目的もなく、ただ惰性で振るっていても修行にはなるまい。想定するのは、つい先日戦ったゴーレム――その腕を、剣で叩き切ることをイメージする。
それを、繰り返す。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。
これをただ繰り返すだけならば、簡単だ――そう、ヒルデガルトの視線がある中で、僅かに笑みを浮かべた。
まだまだ、体力には余裕が――。
「ふんっ……!」
それを、五十ほど繰り返しただろうか。
本来、持ち上げることすら困難だった大剣を、自在に操ることができるかのように、ウィルは振るっている。振り下ろす途中で止め、スムーズに振り上げることができる。その重みが腕に負担としてかかるが、素振りである以上地面に打ち付けるわけにはいくまい。
そして、分かった。
この修行の、途轍もなさが。
「くっ……」
びきびき、と腕に痛みが走る。
まだまだ体力的には余裕だと、そう思っていた。だが、それは大きな間違いだった。
ウィルの体力は、まだある。だが、その両腕――大剣の負荷が最もかかるそこが、どんどんその感覚を失っていくのだ。
まるで腕に重石がついているかのように、ひどく重い。
百を越えたあたりで、それが顕著になった。
「ふ、んっ……!」
剣を、持ち上げる。
その作業すら、まるで腕が言うことを聞いてくれない。少しずつ溜まってきた疲労が、まるでウィルの腕を蝕むかのように纏わりついてくる。
振り下ろす途中で、止める力さえ失われた。空き地に土の上に、剣の先端がぶつかって埋まる。
「ぜ、ぇ……! こ、これっ……やば……!」
「だから言ったろ、効果は覿面だってさ」
「う、ぐ……!」
必死に、腕に喝を入れて剣を持ち上げる。
足元すら、覚束なくなるような感覚だ。剣を持ち上げ、振り下ろす――その単純作業が、腕と足と腰にダイレクトな負担としてかかる。
そこで、目の端で。
ヒルデガルトが、立ち上がるのが見えた。
「それじゃ、小僧。あたしはちょいと救助要請があるから、行ってくるよ」
「う、うす……!」
「今日中にはまた様子を見に来る。まぁ、へばってないことを祈るよ」
「うす!」
気合いを入れて返事をして、その勢いで剣を持ち上げる。
振り下ろすときに、せめてすっぽ抜けないように柄にかける力だけは留めて。
しかし、最初にやっていたように剣を止めることは、できなかった。がんっ、と土に剣の先端がぶつかり、土を掘る。
「ぐ、あ……」
今は、まだ百二十一回。
ヒルデガルトの指示に従うのならば、あと九千回以上これをしなければならないというのに。
ぷるぷると震える両腕が、その負荷がどれほど凄まじいか語ってくれた。
「く、そぉっ!!」
ウィルは、もう一度剣を振り上げる。
自分に気合いを入れて、それでも続けて。
時間をかけてでも、とにかく続ける――愚直なまでの精神で、それを続けて。
日が沈み、自分の体が闇の中に溶けても。
ウィルは、千回すら素振りをすることができなかった。
「はぁ」
「ある武術家が、山に籠もって修行をしていたらしい。その武術家はかなり高名な人物だったが、より己を高みへ導くために修行を重ねたんだとか」
「そう、すか」
異国の武術家――ヒルデガルトが例に出すくらいだから、恐らくかなり高齢の人物か、もう亡くなっているかのどちらかだろう。
だが更なる高みを求めた人物の話であれば、聞いておくべきだろう。自分が、その高みに旅立つために。
真剣な眼差しで、ヒルデガルトの言葉を聞く。
「彼がやったのは、一日一万回の正拳突きだった。感謝を込めて、日が昇ってから沈むまで、毎日一万回を繰り返したらしい」
「……」
「毎日毎日やり続けることで、その技はより高みに達した。繰り返し続けた正拳突きの動きは、自分の体のどこを最適に動かすべきか分かったのさ。そして彼はある日、気付いた。正拳突き一万回を終えても、日が沈んでいないことに」
「……あの、お師匠」
ウィルは、ヒルデガルトの言葉にそう口を挟む。
物凄く聞いたことがある話である。ヒルデガルトに言われずとも、ウィルはその話を知っていた。
「それ物語の話っすよね?」
「……」
「読んだことありますけど……」
「そう、そして彼の拳は、音を置き去りに――」
「だから読んだことありますって」
ウィルが少年の頃に、よく読んでいた物語の一節だ。
まさか、ここでヒルデガルトの口から聞くとは思わなかったが。というか、何故少年向けの物語に詳しいのだろう。
くくっ、とヒルデガルトが笑みを浮かべる。
「いや、まぁお前さんなら知ってるか」
「有名ですよ」
「お前さんをどう修行させていこうか考えていてね。偶然昨日読んだのさ」
「しかも昨日すか」
「んで、今日それをやらせてみようと思ってね」
「完全にただの思いつきじゃないですか」
ただの思いつきで修行を決められても困る。それが正直な意見である。
ヒルデガルトのことだから、確実な修行をしてくれると思っていたのに。
「だが、効果は覿面だろうよ。あたしの思いつきだが、間違いなく効果的さ」
「……本当すか? しかもやっぱり思いつきっすか」
「ああ。ただし、ここからはあたし流だよ。闘気は常に纏うように。闘気が消えちまうようなら、飯を食え。飯を食ったら再び素振りに戻るんだ」
「はぁ……」
なんというか、今までの修行もヒルデガルトの思いつきだったのかもしれない。
確かによく考えれば、いきなり闘気を解放させたと思いきやシャロンの『全属性・超強化』をかけさせたりとか、露店の食事を全て食べてこいとか無茶を言ったりとか、ろくなこと言われていない気がする。
本当に、これからもヒルデガルトに従っていいのだろうか――そんな疑問が過ってしまうほどだ。
「とにかく、きりきりやれ。暫くはあたしが見てるが、その後は自分でやり続けるんだよ。別にさぼってもいいが、怠けて困るのはお前さんだ。あたしは、お前さんが全部の修行をきっちりこなす前提で動くからね」
「う、うす!」
まぁ、今ウィルはヒルデガルトに弟子入りをしている身だ。
そしてこう言っては何だが、ヒルデガルトにはウィルに修行をつけたところで、見返りなど一つもない。師事料を支払ってなどいないし、将来払うという約束をしているわけでもない。「恩は必ず返す」とウィルは伝えたが、具体的な数字などないのだ。今ここでヒルデガルトから教わっているのも、彼女の厚意によるものである。
ウィルにできることは、真摯にヒルデガルトの修行を受けるだけだ。
「ふんっ!」
大剣を持ち、上に振り上げて、下ろす。
闘気を纏い、昨日ひたすら食べ続けて出来上がった体のおかげで、それは難なくこなせるものだった。昨日の朝には、持ち運ぶだけで一苦労していたというのに。
間違いなく、それはウィルが強くなっているという証左――。
「ふんっ!」
もう一度大剣を振り上げて、そして下ろす。
下ろすときには、目の前に敵がいることを想定してだ。何の目的もなく、ただ惰性で振るっていても修行にはなるまい。想定するのは、つい先日戦ったゴーレム――その腕を、剣で叩き切ることをイメージする。
それを、繰り返す。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。
これをただ繰り返すだけならば、簡単だ――そう、ヒルデガルトの視線がある中で、僅かに笑みを浮かべた。
まだまだ、体力には余裕が――。
「ふんっ……!」
それを、五十ほど繰り返しただろうか。
本来、持ち上げることすら困難だった大剣を、自在に操ることができるかのように、ウィルは振るっている。振り下ろす途中で止め、スムーズに振り上げることができる。その重みが腕に負担としてかかるが、素振りである以上地面に打ち付けるわけにはいくまい。
そして、分かった。
この修行の、途轍もなさが。
「くっ……」
びきびき、と腕に痛みが走る。
まだまだ体力的には余裕だと、そう思っていた。だが、それは大きな間違いだった。
ウィルの体力は、まだある。だが、その両腕――大剣の負荷が最もかかるそこが、どんどんその感覚を失っていくのだ。
まるで腕に重石がついているかのように、ひどく重い。
百を越えたあたりで、それが顕著になった。
「ふ、んっ……!」
剣を、持ち上げる。
その作業すら、まるで腕が言うことを聞いてくれない。少しずつ溜まってきた疲労が、まるでウィルの腕を蝕むかのように纏わりついてくる。
振り下ろす途中で、止める力さえ失われた。空き地に土の上に、剣の先端がぶつかって埋まる。
「ぜ、ぇ……! こ、これっ……やば……!」
「だから言ったろ、効果は覿面だってさ」
「う、ぐ……!」
必死に、腕に喝を入れて剣を持ち上げる。
足元すら、覚束なくなるような感覚だ。剣を持ち上げ、振り下ろす――その単純作業が、腕と足と腰にダイレクトな負担としてかかる。
そこで、目の端で。
ヒルデガルトが、立ち上がるのが見えた。
「それじゃ、小僧。あたしはちょいと救助要請があるから、行ってくるよ」
「う、うす……!」
「今日中にはまた様子を見に来る。まぁ、へばってないことを祈るよ」
「うす!」
気合いを入れて返事をして、その勢いで剣を持ち上げる。
振り下ろすときに、せめてすっぽ抜けないように柄にかける力だけは留めて。
しかし、最初にやっていたように剣を止めることは、できなかった。がんっ、と土に剣の先端がぶつかり、土を掘る。
「ぐ、あ……」
今は、まだ百二十一回。
ヒルデガルトの指示に従うのならば、あと九千回以上これをしなければならないというのに。
ぷるぷると震える両腕が、その負荷がどれほど凄まじいか語ってくれた。
「く、そぉっ!!」
ウィルは、もう一度剣を振り上げる。
自分に気合いを入れて、それでも続けて。
時間をかけてでも、とにかく続ける――愚直なまでの精神で、それを続けて。
日が沈み、自分の体が闇の中に溶けても。
ウィルは、千回すら素振りをすることができなかった。
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