アブソリュート・ババア

筧千里

文字の大きさ
上 下
36 / 57

素振り

しおりを挟む
「これは異国の話なんだがね」

「はぁ」

「ある武術家が、山に籠もって修行をしていたらしい。その武術家はかなり高名な人物だったが、より己を高みへ導くために修行を重ねたんだとか」

「そう、すか」

 異国の武術家――ヒルデガルトが例に出すくらいだから、恐らくかなり高齢の人物か、もう亡くなっているかのどちらかだろう。
 だが更なる高みを求めた人物の話であれば、聞いておくべきだろう。自分が、その高みに旅立つために。
 真剣な眼差しで、ヒルデガルトの言葉を聞く。

「彼がやったのは、一日一万回の正拳突きだった。感謝を込めて、日が昇ってから沈むまで、毎日一万回を繰り返したらしい」

「……」

「毎日毎日やり続けることで、その技はより高みに達した。繰り返し続けた正拳突きの動きは、自分の体のどこを最適に動かすべきか分かったのさ。そして彼はある日、気付いた。正拳突き一万回を終えても、日が沈んでいないことに」

「……あの、お師匠」

 ウィルは、ヒルデガルトの言葉にそう口を挟む。
 物凄く聞いたことがある話である。ヒルデガルトに言われずとも、ウィルはその話を知っていた。

「それ物語の話っすよね?」

「……」

「読んだことありますけど……」

「そう、そして彼の拳は、音を置き去りに――」

「だから読んだことありますって」

 ウィルが少年の頃に、よく読んでいた物語の一節だ。
 まさか、ここでヒルデガルトの口から聞くとは思わなかったが。というか、何故少年向けの物語に詳しいのだろう。
 くくっ、とヒルデガルトが笑みを浮かべる。

「いや、まぁお前さんなら知ってるか」

「有名ですよ」

「お前さんをどう修行させていこうか考えていてね。偶然昨日読んだのさ」

「しかも昨日すか」

「んで、今日それをやらせてみようと思ってね」

「完全にただの思いつきじゃないですか」

 ただの思いつきで修行を決められても困る。それが正直な意見である。
 ヒルデガルトのことだから、確実な修行をしてくれると思っていたのに。

「だが、効果は覿面だろうよ。あたしの思いつきだが、間違いなく効果的さ」

「……本当すか? しかもやっぱり思いつきっすか」

「ああ。ただし、ここからはあたし流だよ。闘気は常に纏うように。闘気が消えちまうようなら、飯を食え。飯を食ったら再び素振りに戻るんだ」

「はぁ……」

 なんというか、今までの修行もヒルデガルトの思いつきだったのかもしれない。
 確かによく考えれば、いきなり闘気を解放させたと思いきやシャロンの『全属性オール超強化レインフォース』をかけさせたりとか、露店の食事を全て食べてこいとか無茶を言ったりとか、ろくなこと言われていない気がする。
 本当に、これからもヒルデガルトに従っていいのだろうか――そんな疑問が過ってしまうほどだ。

「とにかく、きりきりやれ。暫くはあたしが見てるが、その後は自分でやり続けるんだよ。別にさぼってもいいが、怠けて困るのはお前さんだ。あたしは、お前さんが全部の修行をきっちりこなす前提で動くからね」

「う、うす!」

 まぁ、今ウィルはヒルデガルトに弟子入りをしている身だ。
 そしてこう言っては何だが、ヒルデガルトにはウィルに修行をつけたところで、見返りなど一つもない。師事料を支払ってなどいないし、将来払うという約束をしているわけでもない。「恩は必ず返す」とウィルは伝えたが、具体的な数字などないのだ。今ここでヒルデガルトから教わっているのも、彼女の厚意によるものである。
 ウィルにできることは、真摯にヒルデガルトの修行を受けるだけだ。

「ふんっ!」

 大剣を持ち、上に振り上げて、下ろす。
 闘気を纏い、昨日ひたすら食べ続けて出来上がった体のおかげで、それは難なくこなせるものだった。昨日の朝には、持ち運ぶだけで一苦労していたというのに。
 間違いなく、それはウィルが強くなっているという証左――。

「ふんっ!」

 もう一度大剣を振り上げて、そして下ろす。
 下ろすときには、目の前に敵がいることを想定してだ。何の目的もなく、ただ惰性で振るっていても修行にはなるまい。想定するのは、つい先日戦ったゴーレム――その腕を、剣で叩き切ることをイメージする。
 それを、繰り返す。

「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。剣を振り下ろす。
 これをただ繰り返すだけならば、簡単だ――そう、ヒルデガルトの視線がある中で、僅かに笑みを浮かべた。
 まだまだ、体力には余裕が――。

「ふんっ……!」

 それを、五十ほど繰り返しただろうか。
 本来、持ち上げることすら困難だった大剣を、自在に操ることができるかのように、ウィルは振るっている。振り下ろす途中で止め、スムーズに振り上げることができる。その重みが腕に負担としてかかるが、素振りである以上地面に打ち付けるわけにはいくまい。
 そして、分かった。
 この修行の、途轍もなさが。

「くっ……」

 びきびき、と腕に痛みが走る。
 まだまだ体力的には余裕だと、そう思っていた。だが、それは大きな間違いだった。
 ウィルの体力は、まだある。だが、その両腕――大剣の負荷が最もかかるそこが、どんどんその感覚を失っていくのだ。
 まるで腕に重石がついているかのように、ひどく重い。
 百を越えたあたりで、それが顕著になった。

「ふ、んっ……!」

 剣を、持ち上げる。
 その作業すら、まるで腕が言うことを聞いてくれない。少しずつ溜まってきた疲労が、まるでウィルの腕を蝕むかのように纏わりついてくる。
 振り下ろす途中で、止める力さえ失われた。空き地に土の上に、剣の先端がぶつかって埋まる。

「ぜ、ぇ……! こ、これっ……やば……!」

「だから言ったろ、効果は覿面だってさ」

「う、ぐ……!」

 必死に、腕に喝を入れて剣を持ち上げる。
 足元すら、覚束なくなるような感覚だ。剣を持ち上げ、振り下ろす――その単純作業が、腕と足と腰にダイレクトな負担としてかかる。
 そこで、目の端で。
 ヒルデガルトが、立ち上がるのが見えた。

「それじゃ、小僧。あたしはちょいと救助要請があるから、行ってくるよ」

「う、うす……!」

「今日中にはまた様子を見に来る。まぁ、へばってないことを祈るよ」

「うす!」

 気合いを入れて返事をして、その勢いで剣を持ち上げる。
 振り下ろすときに、せめてすっぽ抜けないように柄にかける力だけは留めて。
 しかし、最初にやっていたように剣を止めることは、できなかった。がんっ、と土に剣の先端がぶつかり、土を掘る。

「ぐ、あ……」

 今は、まだ百二十一回。
 ヒルデガルトの指示に従うのならば、あと九千回以上これをしなければならないというのに。
 ぷるぷると震える両腕が、その負荷がどれほど凄まじいか語ってくれた。

「く、そぉっ!!」

 ウィルは、もう一度剣を振り上げる。
 自分に気合いを入れて、それでも続けて。
 時間をかけてでも、とにかく続ける――愚直なまでの精神で、それを続けて。

 日が沈み、自分の体が闇の中に溶けても。
 ウィルは、千回すら素振りをすることができなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

処理中です...