アブソリュート・ババア

筧千里

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 本当にこの地点には茸の化け物――マタンゴしか出現しないようで、時折襲いかかってくるマタンゴをヒルデガルトが蹴り飛ばし、爆散させては大量の胞子が飛ぶ、そんな繰り返しだった。
 ウィルはひたすら自分の口元をハンカチで押さえながら、ヒルデガルトの後ろをついていく。先程の第一地点――草原と比べて、こちらは森のような場所だ。複雑に生えている木々の間を獣道が走っているような、少し離れただけでヒルデガルトを見失うのではないかと思う環境である。
 そして、ヒルデガルトとはぐれたら間違いなく死ぬ――その未来が分かっているからこそ、ウィルは必死にその後ろをついて行くのだ。

「さて……目的地はもうすぐだよ」

「う、うす……」

 ヒルデガルトは後ろを振り返ることなく、しかしウィルがちゃんと追ってきていなければ、少しばかり速度を落とす程度の優しさを見せてくれる。その優しさを、もう少し最初から出してくれないものかと思ってしまうけれど。
 しかし、そんなヒルデガルトの優しさもあって、ウィルもある程度周囲の状況に気を向ける程度の余裕はできていた。
 例えば、この森――マタンゴはそれこそどこからでも出現するが、それよりも妙に茸ばかり生えているな、とか。

「第二階層の第二地点は、茸の楽園さ。マタンゴはそこら中にいるし、ポイズンマタンゴもたまにいる。ハイマタンゴもマタンゴキングも稀に見かけるが、今日は出ないね」

「……マタンゴ、そんなにいるんすか」

「逆に言や、ここを超えればもうマタンゴは出ないよ」

「……それは、ありがたい情報っす」

 ずっと鼻と口を覆い続けるのも、正直息がし辛くなってきたところだ。
 これが戦闘中なんかであれば、もっと息が苦しくなるだろう。そう考えれば、次の地点からハンカチを外すことができるという情報はありがたい。
 もっとも、次の地点は次の地点でまた何か問題があるんだろうなぁ、とは予想しているのだが。

「でも、茸めちゃくちゃ多いっすね。何か、希少な茸とかあるんすか?」

「この地点の茸には触んな。というか、マタンゴしか出ないここは、狩りをするにも実入りがしょっぱいんだよ。せいぜい胞子くらいしか手に入れらんない場所で、誰が好んで狩りをするもんかい。それに加えて、ここに自生してる茸は全部毒入りだ。さっさと冥土に行きてぇってんなら、止めやしないよ」

「……毒あるんすか」

「即死級の毒もあれば、幻惑系の毒もある。あたしの知ってる馬鹿が一人、ここの茸を食べたことがあったけどねぇ……そいつは三日三晩、笑い転げながら踊ってたよ」

「……」

 絶対に食べないでおこう。そう誓った。

「まぁ、食料が尽きたときには、素直に戻るのが一番さ。絶対に大迷宮のものを口に入れんな。死にたくなけりゃね」

「うす。気をつけます」

「いい返事だ」

 にやっ、とヒルデガルトが笑みを返す。
 しかし、三日三晩も笑い転げながら踊ったとは、どんな毒なのだろう。そして、ヒルデガルト曰くその知ってる馬鹿は、今でも生きているのだろうか。

「さて、ここが目的地だ」

「うす」

 少し前から見えてはいたが、やはり大迷宮の第二階層は区画ごとに壁で遮られているらしい。
 恐らく天井が光っているのは、先の第一地点と同じくヒカリゴケが自生しているからなのだろう。しかし第二地点は鬱蒼と茂る森であり、至る所で降っている雪――胞子のせいで、少しばかり薄暗く感じるほどだ。そのため、ウィルの目が壁を視認したのは、つい先程だった。
 第一地点と変わらず、そこにはやはり聳え立つ壁と、そこに金属でできた扉がある。

「第二階層は、何地点まであるんすか?」

「第二階層も、第一階層と同じく第十地点までさ。第三階層はもうちょい短くて、第八地点までしかない。第四階層になると割と長くて、第十八地点まであるね」

「うげぇ……」

 ヒルデガルト曰く、第四階層は地獄の具現。
 それが第十八地点――もう、ウィルには想像すらできない領域の長さだ。
 しかも第十八地点が最奥ということは、恐らくそこが火龍イストリアとやらが根城にしていた炎の沼なのだろう。炎の沼と聞いても、全くぴんとこないけれども。

「さて……まぁ、依頼の場所はここだ。ようやくあたしも、足手まといを守る役目から解放されるよ」

「第三地点のどこにいるかは聞いてないんすか?」

「そいつは分からんよ。ギルドだって、ハンターがどこにいるのかは把握してない。第三地点までって申請して、帰ってこなかったから第三地点まで探しに行くのさ。先走ったハンターの場合、亡骸が次の地点で見つかることもあるよ」

「……なるほど」

 確かに、ウィルも第二地点までと申請しておいて、第五地点まで行ってたし。
 そう考えると、この広大な大迷宮を隅から隅まで探す羽目になるのではなかろうか。
 さすがにヒルデガルトといえ、ハンターの場所までは――。

「ああ、いるね。第三地点の中央あたりに三人組だ」

「……なんで分かるんすか」

「そりゃ、お前さんと比べりゃ年季が違うよ」

「……」

 そういう問題じゃないと思う。
 どうして扉もまだ超えてなくて、壁の向こうに広がる迷宮にいる、三人組の気配が分かるというのか。
 相変わらず凄まじいババアの謎パワーである。

「んじゃ、行くよ」

「うす」

 第一地点と同じく、ヒルデガルトが扉を蹴り飛ばす。
 鍵のようなものの見当たらない。押して開く扉だ。だけれど、恐らくその重さは尋常でないのだろう。ヒルデガルトの蹴りと共に、ぎぃっ、と振動してゆっくりと開き始めた。
 そして、もう何度ウィルは驚かされるのだろう。

「ったく、第三地点はあたしも嫌いな場所なんだよ。歩きにくいからねぇ」

「ほんと、大迷宮ってどうなってんすか……」

 扉の向こうに見えた第三地点――そこは、まるで密林のような様相だった。
 開いただけでむわっとした蒸し暑さが襲ってくるほどに、温度が違う。マタンゴの胞子が飛び交うような場所よりはマシかもしれないが、それでもヒルデガルトが『大陸が違う』と称した意味がよく分かるほど、もうウィルの知っている景色ではない。
 むしろこれは、もっと南の方の気候なのではないか。

「行くよ」

「うす」

 扉を潜るヒルデガルトに追随して、ウィルも扉を抜ける。
 それと共に、意思を持っているかのように扉が自動的に閉まった。本当に、この大迷宮はどんな過程を経て作られたのだろうか。

「ああ、小僧。ちょいと危険な目に遭うかもしれんが、ちゃんと助けてやるから安心しな」

「……へ?」

「ここの魔物は、待ち伏せしてくる奴が多くてね。あたしの察知になかなか引っかからないのさ。まぁ、姿が見えりゃ助けてやるから――」

 そう、ヒルデガルトが言った瞬間に。
 ウィルの視界が、そのまま百八十度反転した。

「――――っ!!」

 片足に何かが巻き付くと共に、空に引き上げられたと理解したその瞬間に。
 まるで罠にでもかかったかのように、片足で宙づりにされてしまっていた。それでも右手に持ったヒルデガルトの革袋とコート、左手に持ったハンカチを落とさなかった自分を褒めてやりたい。
 ただ、ヒルデガルトが遥か眼下に見えるほどの高さ。

「ひっ、ひぃぃぃっ!?」

「早速の歓迎だねぇ。ま、安心しな。すぐに助けてやるよ」

「グォォォォォォッ!!」

 そして、恐らくウィルの体を吊り上げたのだろう張本人。
 大地を割るかのように現れた巨大な樹木――魔人樹トレントを相手に、ヒルデガルトは不敵に笑みを浮かべた。
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