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2.借金の有無と暴力
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花と二人で、中華そばという名のラーメンを堪能する。澄んだ醤油ベースのスープをレンゲで口に入れると、険のない醤油の香ばしさが広がり、もっとよこせと舌が割り箸を持つ手を急かす。具は薄く切られたチャーシューが一枚、メンマ五本程度、薬味として細かく切られた葱とわかめが少しずつ、なるとが一枚だ。
「メンマおいしい」
向かいの席で、花がメンマを咀嚼している。薄味の柔らかいメンマは、花のお気に入りだ。
「花はここのラーメン好きだよね」
「でも花ちゃんは一人では来ねえんだよな」
店主のおじさんが、私たちの会話に口を挟む。今日は雨が上がっても他にお客さんが来ていないようだから、暇なのだろう。
「うん。誰かと一緒がいいから」
「そうなの? 一人でもいいじゃない、好きなら」
私たちの仕事はコンパニオンだ。宴会の席で客にお酌をしたり、野球拳などの遊びで宴会を盛り上げたりするのが表の仕事。宴席でお客さんに選ばれた女の子は、夜の相手もする。その中に、ショートとロングという種類がある。『お客さんと女の子の恋愛』という建前の裏の仕事は大体午前零時頃から始まり、ショートはそれから三時間程度、ロングは朝七時頃までという時間設定だ。ロングの方が稼げるのだが、実際にはショートを頼まれる方が断然多い。
「一人だと寂しいの」
「そっか」
花はよく「寂しいのは嫌」と言う。だから私がこの島に連れてこられた時も喜んでいたのだ。仲間が増えてうれしい、と。
「あ、今日、実家に電話する日だ」
言いながら私は、またレンゲですくったスープをすする。おじさん曰く、鶏ガラと野菜を煮込んで出汁を取っているらしい。余計な香辛料は入っておらず、飲みやすい味だ。わかめや葱にもよく合っている。そんなスープが絡んだ細麺をすすると、時々葱が同時に口に入る。その瞬間が、私は好きだ。
「仕事の前にかける?」
「そうね」
私のように騙されて売られてきた女の子たちは、月に二回、実家に電話をしろと言われている。そうしないと捜索願を出されて面倒なことになるから、というのが理由だそうだ。だが、花は電話をしなくていい。何せ親に売られたのだから。
口には出せないが、私はいつも電話で話すことに悩んでしまうため、花がうらやましい。女将や見張りの男がそばにいるところでは、「売られて島にいる」などとは言えない。たいてい「うん、元気だよ。……そのうち帰るから……うん、待っててね」と、言葉を濁して逃げるように受話器を置くことになるのだ。
「いいなぁ。お父さんとお母さん、待っててくれてるんでしょう?」
他意のない花の笑顔が、ラーメンの湯気とともにふわりと私を包んだ。
◇◇
宴席と夜の仕事を終えると、私たちは疲れ果てて泥のように眠る。
『……九月二十三日、政府筋より、天皇陛下の病状について情報が入りました。病変部はがんであることが判明し、依然、重体の……』
午後五時過ぎにやっと目を覚ました私は、ロビーのテレビの音を聞きながら、花の借金の残りを調べた。女将は花の頭が弱いことをよく知っているため、私が調べることに文句も言わず、そばで黙って見ていた。
「……あれ? もう返し終わってる……?」
「売れっ子だからね」
「本人に言わないんですか?」
「……本当は言わないといけないんだが、花には……」
「?」
「いや……、何でもないよ。さ、終わったなら風呂行っておいで」
いつもはっきり言葉を発する女将にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような言い方だった。しかし私は気にしていなかった。今日は土曜日で宴席が二つあるから早くお風呂に行かなくちゃと考え、そちらに気を取られていた。
「あ、想子ちゃん」
脱衣所で裸になって風呂場の扉を開けると、花がいた。五人ほどなら余裕で入れる大きさの湯船に一人で浸かって機嫌良さそうにしている。いい塩梅に温まったその頬や肩はほんのり赤みを帯びており、美しい。
「花はいいなぁ、きれいで」
「ふふっ」
「あ、借金調べたらもう返し終わってたよ。あと、貯金が一千万ちょい。すごいね、花」
私もこの時は珍しく、湯を体にかけながら、素直に称賛の言葉を口にした。花は、目を輝かせて私を見る。
「本当? あたしすごい?」
「うん、すごいよ」
薄赤色の花弁をまとって、花はゆっくりと笑みを深めた。
◇◇
ある日、私がロングの仕事を終えて置屋に戻ると、普段は静かな置屋の奥の和室が騒然としていた。女の子たちが固まって何かを凝視しているようだ。輪の外側から見てみると、花がその中心にいた。
女の子たちは花の体を見て、口々に「痛そう……」「そんなことされるなんて……」「怖い……」などと言っている。そんな中でも花自身はあっけらかんと「そんなに痛くないよ、赤くなってるだけ」と言うのだが、どうやら座る動作がおかしくなっていたらしい。それに気付いた女将が和室で花の服を脱がせたとのことだった。
私が近付いて見ると、花の尻の右側に一箇所、赤い痕跡がついていた。明らかに鞭のような紐状の何かでぶたれたとわかる、細長いミミズ腫れだった。
いくら金で買ったとはいえ、女の子たちに暴力を振るうことは許されない。『商品』は、いつもきれいな状態でないといけない。だからこそ、私たちは日々の体調から着る服、食べるもの――何故かタミヤ軒だけは暗黙のうちに許されているのだが――まで、管理されているのだ。これは全ての置屋共通の鉄則で、もちろん、花の体を見た女将は激昂した。
しかし、ホテルなどで行われる宴会に、置屋から客の出入り禁止を申し渡すことはできない。宿に迷惑をかけたわけではないからだ。置屋の女の子に多少暴力を振るったからといって、宿側としてはいちいち構ってなどいられないのだろう。
「何でぶたれたの?」
「……何だろう?」
「怖かったでしょう?」
「……わかんない」
花が暴力を振るわれた件については私が聴取を任されたのだが、本人がこんな調子だったため、今後の女の子たちの管理に役立ちそうな情報は何も得られなかった。女将も「花なら仕方ないね」と諦めきっていた。
そうして、このことは静かに忘れられていった。
「メンマおいしい」
向かいの席で、花がメンマを咀嚼している。薄味の柔らかいメンマは、花のお気に入りだ。
「花はここのラーメン好きだよね」
「でも花ちゃんは一人では来ねえんだよな」
店主のおじさんが、私たちの会話に口を挟む。今日は雨が上がっても他にお客さんが来ていないようだから、暇なのだろう。
「うん。誰かと一緒がいいから」
「そうなの? 一人でもいいじゃない、好きなら」
私たちの仕事はコンパニオンだ。宴会の席で客にお酌をしたり、野球拳などの遊びで宴会を盛り上げたりするのが表の仕事。宴席でお客さんに選ばれた女の子は、夜の相手もする。その中に、ショートとロングという種類がある。『お客さんと女の子の恋愛』という建前の裏の仕事は大体午前零時頃から始まり、ショートはそれから三時間程度、ロングは朝七時頃までという時間設定だ。ロングの方が稼げるのだが、実際にはショートを頼まれる方が断然多い。
「一人だと寂しいの」
「そっか」
花はよく「寂しいのは嫌」と言う。だから私がこの島に連れてこられた時も喜んでいたのだ。仲間が増えてうれしい、と。
「あ、今日、実家に電話する日だ」
言いながら私は、またレンゲですくったスープをすする。おじさん曰く、鶏ガラと野菜を煮込んで出汁を取っているらしい。余計な香辛料は入っておらず、飲みやすい味だ。わかめや葱にもよく合っている。そんなスープが絡んだ細麺をすすると、時々葱が同時に口に入る。その瞬間が、私は好きだ。
「仕事の前にかける?」
「そうね」
私のように騙されて売られてきた女の子たちは、月に二回、実家に電話をしろと言われている。そうしないと捜索願を出されて面倒なことになるから、というのが理由だそうだ。だが、花は電話をしなくていい。何せ親に売られたのだから。
口には出せないが、私はいつも電話で話すことに悩んでしまうため、花がうらやましい。女将や見張りの男がそばにいるところでは、「売られて島にいる」などとは言えない。たいてい「うん、元気だよ。……そのうち帰るから……うん、待っててね」と、言葉を濁して逃げるように受話器を置くことになるのだ。
「いいなぁ。お父さんとお母さん、待っててくれてるんでしょう?」
他意のない花の笑顔が、ラーメンの湯気とともにふわりと私を包んだ。
◇◇
宴席と夜の仕事を終えると、私たちは疲れ果てて泥のように眠る。
『……九月二十三日、政府筋より、天皇陛下の病状について情報が入りました。病変部はがんであることが判明し、依然、重体の……』
午後五時過ぎにやっと目を覚ました私は、ロビーのテレビの音を聞きながら、花の借金の残りを調べた。女将は花の頭が弱いことをよく知っているため、私が調べることに文句も言わず、そばで黙って見ていた。
「……あれ? もう返し終わってる……?」
「売れっ子だからね」
「本人に言わないんですか?」
「……本当は言わないといけないんだが、花には……」
「?」
「いや……、何でもないよ。さ、終わったなら風呂行っておいで」
いつもはっきり言葉を発する女将にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような言い方だった。しかし私は気にしていなかった。今日は土曜日で宴席が二つあるから早くお風呂に行かなくちゃと考え、そちらに気を取られていた。
「あ、想子ちゃん」
脱衣所で裸になって風呂場の扉を開けると、花がいた。五人ほどなら余裕で入れる大きさの湯船に一人で浸かって機嫌良さそうにしている。いい塩梅に温まったその頬や肩はほんのり赤みを帯びており、美しい。
「花はいいなぁ、きれいで」
「ふふっ」
「あ、借金調べたらもう返し終わってたよ。あと、貯金が一千万ちょい。すごいね、花」
私もこの時は珍しく、湯を体にかけながら、素直に称賛の言葉を口にした。花は、目を輝かせて私を見る。
「本当? あたしすごい?」
「うん、すごいよ」
薄赤色の花弁をまとって、花はゆっくりと笑みを深めた。
◇◇
ある日、私がロングの仕事を終えて置屋に戻ると、普段は静かな置屋の奥の和室が騒然としていた。女の子たちが固まって何かを凝視しているようだ。輪の外側から見てみると、花がその中心にいた。
女の子たちは花の体を見て、口々に「痛そう……」「そんなことされるなんて……」「怖い……」などと言っている。そんな中でも花自身はあっけらかんと「そんなに痛くないよ、赤くなってるだけ」と言うのだが、どうやら座る動作がおかしくなっていたらしい。それに気付いた女将が和室で花の服を脱がせたとのことだった。
私が近付いて見ると、花の尻の右側に一箇所、赤い痕跡がついていた。明らかに鞭のような紐状の何かでぶたれたとわかる、細長いミミズ腫れだった。
いくら金で買ったとはいえ、女の子たちに暴力を振るうことは許されない。『商品』は、いつもきれいな状態でないといけない。だからこそ、私たちは日々の体調から着る服、食べるもの――何故かタミヤ軒だけは暗黙のうちに許されているのだが――まで、管理されているのだ。これは全ての置屋共通の鉄則で、もちろん、花の体を見た女将は激昂した。
しかし、ホテルなどで行われる宴会に、置屋から客の出入り禁止を申し渡すことはできない。宿に迷惑をかけたわけではないからだ。置屋の女の子に多少暴力を振るったからといって、宿側としてはいちいち構ってなどいられないのだろう。
「何でぶたれたの?」
「……何だろう?」
「怖かったでしょう?」
「……わかんない」
花が暴力を振るわれた件については私が聴取を任されたのだが、本人がこんな調子だったため、今後の女の子たちの管理に役立ちそうな情報は何も得られなかった。女将も「花なら仕方ないね」と諦めきっていた。
そうして、このことは静かに忘れられていった。
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