花は、咲う。

祐里

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1.バージニアスリムとタミヤ軒

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「やだ、かぶれちゃった」

 雨で濡れる雑草に触れたはなの肌が、色を変えていく。小さなスナックと雑貨屋の間に生い茂った雑草の中に足を入れてしまったようで、そのなまめかしい赤は彼女の左ふくらはぎを見る間に蹂躙し始めた。

「ミニスカートなんかはくから」

「これ、気に入ってるの」

 彼女がパステルグリーンのフレアミニスカートを翻した拍子に、その華奢な手に持つ透明なビニール傘から、雨粒が飛び散った。

「あっ、花が煙草買いに行くの付き合ってって言うから来たのに、ひどい」

「ごめーん。ね、帰ったら雑誌見ようよ」

 私が花から離れ、手の甲に落ちた雫を払うのを見て、屈託なく笑う。その髪を彩る真っ赤なハイビスカスを模したバレッタが、ビニール傘越しにもよく見える。

 私たちが着る服は、下着からコートや靴、髪飾りまで、全て置屋おきやの上の人たちが用意する。主に仕切っている女将が置屋に所属する女の子全員のサイズをしっかり把握していて、太ると怒られたりもする。

「もうっ。帰ったら、体に傷付けたって怒られるからね」

「薬塗ったら治るもん」

 花は軽やかに傘を回し始めた。薬くらいはすぐに出してくれるだろう。女の子たちの体調管理は大事だから。

「雑誌ってさ、女の人が主人公の恋愛小説がメインで、あとは簡単料理とかそんなのばかりだよね。つまんないよ」

「えー、あたし芸能人の写真見るの好きだよ。あと、奥さんたちのテクニックみたいなのとか」

「……まあ、あれは確かに参考になるけど」

 私は不承不承という風に、花に同意した。何にでも同調したり褒めたりしていると彼女はすぐ調子に乗るから、このくらいでちょうどいい。

「ねえ、想子そうこちゃん、ラーメン食べたい」

「じゃあタミヤ軒行く?」

「うん。四百円だもんね」

 花は少々頭が弱いのか、ほんの一分前までしていた会話の内容を忘れてしまい、話が飛ぶことが多い。それに付いていける私はすごいと思う。

「本当はその四百円も、貯めておかないと……お小遣い一日千円しかもらえないのよ。で、煙草は?」

「あ、煙草買わなきゃ。早く行こう」

 花は借金のかたに売られて来たのだ。荒天時に船を停留させておく風待かぜまみなととしての機能を持ち、主に売春産業で成り立っている、この島へ。


 ◇◇


『……九月十九日夜、天皇陛下がお住まいの吹上御所ふきあげごしょで、吐血されました。陛下は昨年の九月に慢性膵炎まんせいすいえんの疑いで手術を受けられており……』

 狭いロビーの隅で、テレビの夕方のニュースが天皇陛下の体調について告げている。もし亡くなったら景気が悪くなりそうだと女将は言う。

「想子ちゃん、今日お仕事は?」

「今日は、宴席が一つあるだけね」

「あたしも一緒?」

「一緒よ」

「その前にラーメン行ける?」

 短くなったバージニアスリムをスモーキングスタンドに押し付けながら、花が問う。ラーメンのことは覚えていたようだ。食欲に直結していると忘れにくいのかもしれない。

「うん。花、お腹すいてるの?」

「すいてる」

「足は治った?」

「足? ……あ、もう治ったよ」

「そう、なら行こうか」

 パイプ椅子に座る花の左足を覗き込むと、どうやら本当に治ったようで、元の白い肌に戻っていた。かゆみがなくなったから、忘れていたのだろう。

「うん」

 うれしそうな笑顔の花が、長い髪をかき上げてひらりと椅子から立ち上がる。ふと、白い花びらのようだと思った。


 ◇◇


 置屋から徒歩五分のタミヤ軒に到着し、雨上がりのぬかるみで汚れたドアマットを踏みながら店に入ると、「いらっしゃい」と店主のおじさんが迎えてくれた。

「中華そばにするかい?」

「うん」

「私も」

「はいよ。最近お客さん多くて大変だろ?」

「大変だけど、今日はたぶん楽な方かな。宴席一つだけだし」

「そうか。ロング入るといいな」

「うん」

 私は十八歳の時、ナンパしてきた男に騙されてこの島の元締めに売られた。「スタイルは良いけど顔がいまいちだから二千万」だったそうだ。上玉だともっと高く売れるらしい。花はスタイルも顔もきれいな子だから、きっと三千万くらいだっただろう。

「花、借金あといくら残ってる?」

「わかんない」

「確認しておかないと。あとで見てあげる」

「うん、ありがと」

 売られてきた当初、私は泣き暮らしていた。ちょっと顔がいい男に「かわいいね」と褒められたからといって、人身売買の仲買人ブローカーにほいほい付いていった自分を呪った。島に到着し、勝手に割り当てられた置屋の女将に「新しい子には、ここに慣れるまでは仕事させないんだ、うちは。他の置屋に比べたらいい方だよ。ありがたく思いな。お金貯めて出ていった女の子も多いしね」と言われ、とにかくお金を貯めようと決意した。ただ、当然だが、そのように心が決まるまでには時間がかかった。

 花は、泣く私によく話しかけてきた。「わあ、新しい子だ」「泣いてるの?」「笑ってよ。お話しよ?」「あなたのおうちも借金があるの?」「ここはいいところよ。あたし好き」などなど。あまりにも彼女が私の心情を無視して気軽に話しかけてくるものだから、しまいにはぐずぐず泣いている自分が馬鹿らしく思え、立ち直ることができた。

「想子ちゃん大好き」

 厨房から漂ってくるおいしそうな匂いを背景に、花が笑った。
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