寝る間が極楽、だが寝れない

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本編

11話

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 ステファニーは公立図書館に来ていた。アンナに連れてきてもらったのだ。

「これだわ…」

 目的の記事を見つけたステファニーはその記事を指でなぞって読んだ。
 今更ながら、鉱山崩落事故と、領主とその跡継ぎの事故についての当時の新聞記事を読もうと思ったのだ。

 崩落事故の記事は連日、大きく取り上げられたようだった。領主の息子が巻き込まれたものの、全員が助かった事故。オーウェンは避難壕へ誘導したその判断を讃えられていた。
 領主と跡継ぎの死についてはより大きく取り上げられたようだった。視察先の馬車での事故で、事件性はないとのことだ。オーウェンは崩落事故と身内の事故から、不幸な領主として同情的に取り上げられていた。

「なるほど」

 もっと早く読めば良かった。そもそも修道院に来た騎士による嫁ぎ先の情報が少なすぎたのだ。もうあの騎士の名も覚えていないが。


 始めにここに来てオーウェンに会ったときは、病人のようだと思った。
 ただ、3年で帰すとオーウェンが始めに言ったものだから拍子抜けして、それなら大して気遣わなくてもいいかと思って接していた。そうしたらオーウェンは、なんだかよく分からないが体調が良くなっていったようだ。

 だんだんと出来ることが増えてきたオーウェンは、顔色が良くなってくると精悍な青年に見えた。
 それに、自分の仕事を確実に全うしようとしていた。責任感の強すぎる人だ。もっと適当でもいいのに、とステファニーは見ていて思った。

 それでも、ステファニーから見たらなんだかちょっと不器用な弟と一緒にいるような気持ちだ。
 屋敷の皆もとても親切で、今のところは伯爵夫人としての仕事に問題はない。
 ステファニーは今の生活をとても楽しんでいた。


 一方で、修道院とも手紙のやり取りはしていた。急に出てきてしまったので、やはり子どもたちが寂しがっているとのことで心が痛んだ。
 しかし、修道院の運営自体はステファニーがいなくなっても問題なく出来ているようで、少し寂しく感じつつも安心した。

 オーウェンは始めに宣言した通り、3年後に離縁するつもりのようだ。ステファニーはもうどちらでもいいと思っていた。ずっとここにいるのも楽しそうだし、離縁になったら修道院に帰ったらいいかと考えている。

 そもそも、まともな姫でなく修道女だったことがすぐにばれて突き返されるのではないかと思っていたのに、皆気付いているのかいないのか、なにも言ってこない。
 さすがに病気療養という建前が嘘であることは気付かれているだろう。
 ステファニーは父王に「修道女であることが露呈したら相応の責任を取れ」と言われていたが、別にばれても構わないと思っていた。ばれたら修道院に帰れてラッキーだな、くらいに軽い思いでいたのだ。

 しかし、今は少し複雑な気持ちだ。
 あまりにも周りが良い人たちなので、騙していることが心苦しいし、修道女であったことを知られてしまうことが少し怖く感じるようになっていた。

 周りや領民の皆は、ステファニーが『姫』であることに価値を持って接してくれている。姫であることは間違いないのだが、実質、ただの修道女であったことが知れた時に、心底落胆、軽蔑されるだろう。
 そのため、ステファニーは少しの罪悪感を抱えつつ過ごしている。


 鉱山の記念式典以降、オーウェンは急激に心が落ち着いて体調が良くなったようだ。
 ステファニーはそれを良かったなあと思っていたのだが、今度はなんだか自分に対しての態度がおかしい。挙動不審なのだ。

 今までよりも距離を取り、近付くと身を固くしているのが分かる。一度、髪についたごみを取ってやろうとして手を伸ばしたら、勢いよく身を引かれた。避けられたのだ。
 ひょっとして自分が臭うのではないとステファニーは不安になった。でもきちんと湯は浴びているし、どこかに出かけるときにはアンナに言われるがまま、コロンをつけている。

「ねえ、アンナ。私なにか臭う?」

 自分では分からなかったステファニーはアンナに聞いてみることにした。

「いえ…、まったく」
「本当?鶏の臭いとか」

 アンナはステファニーに近寄って、くんくんとにおいをかいだ。

「いえ、洗濯石けんの匂いがするくらいです」
「そう…」

 アンナなら正直に言ってくれるだろうから、アンナが臭わないと言うならそうなのだろう。

「なにかあったのですか?」
「なんか最近オーウェン様が変で。嫌われてしまったかしら」
「…オーウェン様はわりともともと変ですが…。でもステファニー様を嫌うなんてことはないと思いますよ。少し前にステファニー様の好きなものを聞かれましたし」

 初耳だ。ステファニー自身も、欲しいものはないかとも問われたし、なにかをくれようとしているのだろうか。

「それで何と答えたの?」
「ワインがお好きのようです、と」
「ああ、それで…、分かったわ」

 それで急にワインを一緒に飲もうと言い出したのか。
 ステファニーはワインが好きだ。修道院にいたころはミサの儀式以外で口にする機会は滅多になかったが、ステファニーはたまにこっそり同僚と飲んでいた。
 オーウェンが持ってきたワインは本当に美味しくて、ほとんどステファニーが飲んでしまった。オーウェンはあまり酒が強くないようで、早々に潰れてしまったが。


 もしかして、オーウェンが好きなものや欲しいものをくれようとするというのは、なんらかの懐柔か謝罪なのではないかとステファニーは考えた。
 ステファニーが自身の乏しい知識と経験から考えると、若い男性ーーステファニーの場合は主に就学前の男児だがーーが相手の気にいることをしようとするのは、謝罪前の機嫌取りであることが多い。物を壊したり、面倒をかけたのでごめんなさい、とかそんなところだ。

 おそらくなにか新しい仕事を頼みたいか、悪いことをしたか、なのだろう。ステファニーはオーウェンが話し出しやすいように、こちらから聞いてやることにした。

「オーウェン様、私になにかおっしゃりたいことがあるのではありませんか?」

 寝る前のおしゃべりの途中にそう問われたオーウェンは、目を見開いて顔を真っ赤にし、明らかにうろたえた。ステファニーは、やっぱりねと思った。

「なぜそんなことを」
「なんだか最近変なのですもの。欲しいものはないかと言い出したり。なんですか?何をしでかしたんです?」
「…は?」
「なにか悪いことをしたか、これからするのか、それとも面倒ごとのお願いですか?」

 すると、オーウェンはがっかりしたような暗い表情でうなだれた。違ったのだろうか。

「…ステファニーは私のことをなんだと思っているんだ」
「その話、なんだか前にしませんでしたっけ?」
「した。そのときは毛並みの少しぼさぼさのひよこだと言っていた。今はどうだ」
「最近は元気でいらっしゃるようですから、毛並みは良いんじゃないですか?」

 ステファニーがけらけらと笑うと、オーウェンは満足と不満足がごっちゃに混ざったような複雑な表情をした。

「別に謝罪のために欲しいものを聞いたんじゃない。またなにか欲しいものがあれば言ってくれ」
「そうですか。わかりました」

 別に大したお世話なんてしていないけど、とステファニーは思ったが、なにかくれるのであれば貰っておくに越したことはない。

 ♦︎

 屋敷の侍女たちとともに庭木の剪定の打ち合わせをしようとステファニーが部屋に入ると、なにやら侍女たちが盛り上がっていた。

「どうしたの?」
「あっ、ステファニー様。失礼しました。本の話をしていただけです」

 修道院でも本を読んでいたがそんなに多くの蔵書はなかったことから、ステファニーはバートン家に来てからはたくさんの本を読んでいた。バートン家の書庫には多くの本が並んでいるし、街に行けば本屋も、公立図書館もある。
 侍女たちがどんな本の話で盛り上がっているのか気になったステファニーは聞いてみた。すると、最近流行している恋愛小説だという。

「面白いの?」
「面白いですよ。よかったらお貸ししますよ」

 修道院のときも同僚たちと恋愛小説の貸し借りをよくしていた。伯爵夫人が侍女から本を借りるというのはどうだろうとステファニーは思ったが、厚意に甘えて借りて読んでみることにした。

 それは騎士と町娘の恋愛話だった。騎士と町娘は幼なじみで想いあっており、しかし騎士は戦いに行かねばならない。騎士は戦いに行く前夜、町娘に想いを告げ、町娘の好きな花を模した首飾りを渡す。
 大変な戦いで騎士は死に、町娘は悲しむ。しかし実際には騎士は生きており、大きな手柄を挙げて帰ってきて町娘を迎えに行く、という話だった。

 なるほど確かに、戦いに行く騎士と町娘の別れのシーンはとても切ない。もう一度読み返してみよう、と思ったところで、ステファニーははっと気付いた。
 これはオーウェンと同じだ。男から女へ贈り物をしている。もしかしてオーウェンが欲しいものをくれるというのは餞別の意味なのだろうか?それとも好意の表れか?

 ステファニーは本を読んだ日の夜、早速本人に確認した。

「オーウェン様が私になにかを下さるというのは、ひょっとして餞別ですか?」

 オーウェンは心底呆れた顔をしてステファニーを見つめた。

「餞別って何の?」
「戦争…は特にないので、3年後の離縁に向けた?」

 オーウェンは一瞬、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたものの、すぐに表情を戻して大きくため息をついた。

「3年後はまだずいぶん先だ。その時にはきちんと餞別を用意してやるから」
「はあ…」

 ステファニーは、好意の表れなのかどうかについては聞けなかった。
 懐柔でも、謝罪でも、餞別でもない。最後に浮上した『好意』の可能性を考えると、ステファニーはなぜか急に気恥ずかしくなってしまい、それ以上聞くことができなかった。

 ♦︎

 オーウェンから好意を持たれている可能性が頭に浮かんで以来、ステファニーの方が意識するようになってしまっていた。この人、自分に好意を持っているのかもと思うと、ドキドキしてしまうのだ。
 今までオーウェンのことを兄弟のように思っていたのに、急に大人の男性に見えるようになった。

 近付くとなんだか緊張するので距離を保つようにしたが、オーウェンの腕に回す手はドキドキして固くなってしまう。
 そのような自分の変化は少し前のオーウェンの様子と同じである事に気付くと、ますます『好意』の可能性が高くなって、ステファニーは気恥ずかしさから頭を抱えたくなった。

 当のオーウェンは一時期の挙動不審は少し落ち着いてきている。そうすると今度は気になっているのが自分の方だけかと思うと、ステファニーは無性に腹立たしく感じた。


 一度、以前のオーウェンと同じことがあった。視察で出掛けた時のことだ。
 街路樹の葉がステファニーの頭に落ちたため、オーウェンが取ってくれようとした。しかしステファニーは近付いた手にどきりとして、勢いよく身を引いてしまった。

「ステファニー、葉が頭に」
「…ありがとうございます」

 オーウェンがどのように感じたか分からないが、あの時と一緒だとステファニーは思い、過剰に反応をしてしまった自分を恥じた。


 自分が今まで読んできた恋愛小説の中に、このような場合の対処方法は載っていない。
 こんなことに気付かなければよかった。気付かなければ何も変わらず平和でいられたのに。
 ステファニーは気恥ずかしさと苛立ちで、名前をつけるのが難しいもやもやした気持ちを生まれて初めて抱えていた。
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