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第1章

ポメラニアンの一家2

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 だけど、お母さんはポメラニアンになったお父さんを離そうとはしなかった。赤ちゃんをあやすようにポメラニアンを甘やかして頭を撫でる。

「もう、しょうがない人……一体何があったの?」とお母さんが話しかければ、ポメラニアンがワンワンと元気よく鳴く。

「それじゃ、わかりにくいわ。お願い――、ちゃんと話して」

 そうして、お母さんはチュッとポメラニアンにキスをした。

 朝からうちの両親は仲がいいなと思っていれば、とたんにボフン! という音とともに白い煙がお母さんとポメラニアンを包み込んだ。毎度のことながら突然の大量音と煙の出現には驚かせられるなとドキドキする胸を押さえる。

「うわ~ん! すずちゃん、聞いてよ~!」とおいおい泣くお父さんの叫び声が響く。お父さんは全裸で、お母さんに抱きついていた。

ゆうだいさん! そんなふうに泣いちゃ、何があったのかわかないわ! 後、渉もいるんだから服を着て!」

 お母さんは声を荒げたもののその顔は、お父さんに何があったのだろうと心配しているものだ。

「そうだよね……。新聞紙もビリビリに破いちゃって、ごめんね」

 うなだれながら、お父さんは細かく割かれ、原型を留めていない新聞紙と一緒にトイレに落ちていた服や下着を手に取った。

 お母さんがエプロンから折りたたんで三角形にしていた白いビニール袋を渡し、お父さんが「ありがとう」と涙声でお礼を言って、受け取る。

 下着についていた紙片をゴミ袋に入れながら、お父さんは下着を身に着ける。次はスーツに取り掛かるものの涙が止まらず、なかなか手が進まない。

 ぼくは、お父さんの手伝いをしようとスーツの上着をはたいて、床に落ちた新聞紙だったものを拾い上げる。

 お母さんもトイレの中にある新聞紙だったものを片づけ始める。

「渉……ごめんね。こんな情けないお父さんで……」

「謝らないでよ、お父さん。そんなことより何があったのかを、お母さんに話して」

「ありがとう……いぬかい先輩の奥様の親戚の家の長男が、うちの企業に転職してきたんだよ」

「ええ、それで?」とお父さんに背中を向けているお母さんが返事をした。

「先輩と違って〈ヒューマン・トランスフォーマー〉じゃない生粋の人間なんだ。ぼくが教育係に抜擢されたんだけど、挨拶はしないは、人使いは荒いは、態度は悪いはな問題児で……敵視されちゃってるんだ。この間も『犬伏さんが、おれの教育係とかマジないんすけど。この人の教え方が悪いせいで、おれ、仕事ぜんぜんできません。命令されたくないっす。超ウザイんで、さっさとやめてくださいね。おっさん』なんて言われて……もう働いていく自信が、なくなっちゃったんだ……」

「何よ、それ! 犬飼先輩には相談しなかったの!?」

 ぐるっと身体の向きをお父さんにほうにやったお母さんは、カンカンに怒り出し、大声で叫んだ。

「お母さん、落ち着いて!」

 両手を胸の前に出して、身体をガタガタと震わせてお父さんは鼻水を垂らした。

「ちゃんと言った! ぼくには教育係が勤まりませんって話したよ! でも、相手は……犬飼さんには、うまく言ってるみたいで『犬伏さんに教えていただきたいです』って。もっと上の人に相談して、教育係を辞退させてもらおうと思ったんだけど……辞めるのは許さないって、彼が言ってて……」

「犬飼先輩の親戚にあたるおうちの方でも、そんなこと……許せないわ! 相談サービスでも、ボイスレコーダーのアプリでもフルに使って、現状打開しなくちゃ! 最悪、転職活動よ、雄大さん」

「でっ、でも、そんなことしたら、うちの家計が成り立たないよ……」

「大丈夫よ!」とお母さんが凛々しい顔をして、お父さんを励ました。「こういうときのために私も働いているんだから」

「でも、そうしたら鈴音ちゃんが大変だよ……」

「何を言っているの? それで雄大さんがストレスを抱えて精神病になったり、ポメラニアンになっちゃうほうが大変だわ! 精神病にならなくても、身体が参っちゃうのよ。無理をし続けて、どうするの!?」

「だけど……鈴音ちゃんや渉に迷惑を掛けちゃう。会社にも長いことお世話になってきたわけだし、犬飼先輩も悪い人じゃないんだ。この歳で転職がうまくいく自信なんてないし……」

「雄大さんの馬鹿!」

 涙目になったお母さんが両の拳を握り、身体をブルブル震わせる。

「ほどよいストレスは必要悪でも、過剰なストレスは身体や心を壊す原因になるのよ! もし――あなたがストレスのせいで倒れたり、癌みたいな重い病気にかかって入院なんてことになったら、どうするのよ!?」

「大丈夫だよ。鈴音ちゃんも、渉もぼくがいなくてもやっていける……」

「そんな馬鹿ことを言わないで! 第一ヒューマン・トランスフォーマーの血を引く人間が過剰なストレスを抱え込み続けたら、二度と人間には戻れないのよ? 時間が経てば人間だったことも忘れて、そのうち本物のポメラニアンになっちゃう。そうしたら人間として長生きできず、犬と同じ年数しか生きられないのよ!? わたしは人間の雄大さんが好きで結婚したのに……そんなのいや!」

 とうとう、お母さんはせきを切ったように泣き出してしまう。
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