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第6章
それでも前を向いて歩くために……2
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「そうね」とマスターが薄紫色の口紅が塗られた口元に弧を描く。
「で、本題って何?」
問いかければ「はい」と三つ折り型のパンフレットをマスターから渡される。
湯のみ茶碗を置いてパンフレットを開き、書かれている内容にざっと目を通した。
「『ガニュメデス』?」
「“あなたと相性100パーセントのパートナーに絶対出会えるマッチングアプリ”よ」
「そんなの見ればわかるよ」
「それね、あたしの友だちが姉妹で運営してるの。今年で三年目になるとか言ってたわ」
「マスター、まさかと思うけど、これに会員登録しろってこと?」
「そうよ」とマスターが切れ長の目で流し目をする。
「そんな話をするために、わざわざここまで呼び出したわけ?」
うさん臭い話に辟易しながらパンフレットを机の上に置く。
マッチングアプリがどういうものか知ってる。一夜の遊び相手を見つける出会い系サイトの延長線のようなツールだ。
ぼくがソウジに出会うまでにSNSでやっていたことと大差ない。
助けたいなんて、やっぱり口からでまかせだ。みんな、内心ではぼくが愚かなことをして苦しんでいるのを、嘲笑ってる。真面目な顔をして平然と嘘をつくんだ。
思わず人に期待しようとした自分自身に失笑する。
「つまり――航大とのことを忘れるために、相性のよさそうな相手を見つけて、さっさとヤレってこと? 悪いけど、今はそんな気分になれないよ」
「おい、中身をちゃんと読んでから喋ろ。よく理解してもいねえくせに先入観から文句言ってんじゃねえ」
バーテンに咎められて嫌気が差す。
「なんで? こんなものを読んでも時間の無駄にしかならないと思うけど」
「てめえ……その生意気な口の聞き方、いい加減にしろよ!」
両手を机につき、バーテンが勢いよく席を立ったかと思うと胸倉を摑んできた。こめかみに青筋を立てて眼光鋭く睨みつけてくる。
「牧雄さん、こんな場所でマジになるなって……晃嗣、今すぐ謝れ!」
焦り声の康成が仲裁に入ってくるが、ぼくは謝るつもりなんて毛頭ない。バーテンを睨み返していれば「そうね。今のあんたにはどんな言葉も、どんな文章も役に立たないわ」とマスターの冷ややかな声で水を差される。
バーテンが舌打ちをして、ぼくの胸ぐらを摑んでいた手を放し、ドカリと椅子に座り直した。
なんだか含みのあるマスターの言い方が癇に障る。
「どういうこと?」
「そのままの意味よ。今のあんたは、自分に都合のいい言葉しか耳に入れようとしない。だからエリナのやさしい言葉に甘える。逆に、あたしたちの小うるさい助言には耳を貸そうとしない。ガキね」
「べつにそんなんじゃ――」
「だったら、再度そのパンフレットに目を通して、よく読みなさいよ。悲劇のヒロインを演じたくてウジウジ悩み続けるか、苦しみながらコータくんを思い続ける覚悟があるのなら、あたしたちだってこれ以上は何も言わないから」
突き放すようなマスターの物言いにイライラする。同時に自分の心を理解してもらえいないことが苦しい。
このまま腹を立てた状態でアパートに帰れば、きっと楽だ。マスターやエリナたちと縁を切って他人に戻るだけだから。
でも、逃げたところで、もうにっちもさっちもいかないことも理解してる。逃げ場所なんてどこにもない。
喋ることがなんだか億劫になって無言を貫いた。
膝に置いた両手を眺める。難しくて解けない問題の答えがわからなくて、どこかにヒントがないかと問題用紙を見返すみたいに。
だけど、ぼくの両手にはもちろん何も文字や数字らしきものは書かれていない。まして問題を解決するためのヒントなんて、どこにもない。そんなことをしても、いたずらに時間が過ぎていくだけ。何も変わらない。
だけど頭の中が真っ白で、それ以外に自分ができることがわからなかった。
三人はその場を離れるでもなく沈黙していた。
膠着状態が続く。
しばらくするとアルバイトの店員が料理が運びに来た。
揚げたてのサクサクしてそうな天ぷらや。ツヤツヤして新鮮そうな色をした刺し身。食欲をそそる出汁の香りがする味噌汁。湯気のたったふっくらとしたご飯。ほっそりとしてみずみずしい蕎麦が次々と机の上に並べられていく。
ぼくの前には茶碗蒸しが置かれた。それだけでも食べるのが困難だというのにマスターとバーテンたちが勝手に頼んだのだろう。小盛りのご飯、味噌汁、それからホクホクとしていそうなじゃがいもや、にんじんの入った肉じゃがの小鉢が置かれた。
マスターとバーテンはアルバイトに礼を言うやいなや「いただきます」と挨拶をして黙々と食べ始めた。
「なあ、晃嗣。おまえは航大くんのことを、どうにかして忘れたかったんじゃないのか?」
唐突に隣に座っていた康成に声を掛けられる。
「康成……」
「もしも航大くんと誤って寝るようなことがなければ、誰彼構わず寝るようなこともしなかったはず。今みたいにボロボロの状態になることも、きっとなかった。でも、航大くんはおまえを抱いておきながら、芝谷さんを選んだ。おまえを乱暴に抱いておきながら、友だちのままでいてほしいなんて好き勝手なことを言われて、おまえは思い詰めたんじゃないか?」
「で、本題って何?」
問いかければ「はい」と三つ折り型のパンフレットをマスターから渡される。
湯のみ茶碗を置いてパンフレットを開き、書かれている内容にざっと目を通した。
「『ガニュメデス』?」
「“あなたと相性100パーセントのパートナーに絶対出会えるマッチングアプリ”よ」
「そんなの見ればわかるよ」
「それね、あたしの友だちが姉妹で運営してるの。今年で三年目になるとか言ってたわ」
「マスター、まさかと思うけど、これに会員登録しろってこと?」
「そうよ」とマスターが切れ長の目で流し目をする。
「そんな話をするために、わざわざここまで呼び出したわけ?」
うさん臭い話に辟易しながらパンフレットを机の上に置く。
マッチングアプリがどういうものか知ってる。一夜の遊び相手を見つける出会い系サイトの延長線のようなツールだ。
ぼくがソウジに出会うまでにSNSでやっていたことと大差ない。
助けたいなんて、やっぱり口からでまかせだ。みんな、内心ではぼくが愚かなことをして苦しんでいるのを、嘲笑ってる。真面目な顔をして平然と嘘をつくんだ。
思わず人に期待しようとした自分自身に失笑する。
「つまり――航大とのことを忘れるために、相性のよさそうな相手を見つけて、さっさとヤレってこと? 悪いけど、今はそんな気分になれないよ」
「おい、中身をちゃんと読んでから喋ろ。よく理解してもいねえくせに先入観から文句言ってんじゃねえ」
バーテンに咎められて嫌気が差す。
「なんで? こんなものを読んでも時間の無駄にしかならないと思うけど」
「てめえ……その生意気な口の聞き方、いい加減にしろよ!」
両手を机につき、バーテンが勢いよく席を立ったかと思うと胸倉を摑んできた。こめかみに青筋を立てて眼光鋭く睨みつけてくる。
「牧雄さん、こんな場所でマジになるなって……晃嗣、今すぐ謝れ!」
焦り声の康成が仲裁に入ってくるが、ぼくは謝るつもりなんて毛頭ない。バーテンを睨み返していれば「そうね。今のあんたにはどんな言葉も、どんな文章も役に立たないわ」とマスターの冷ややかな声で水を差される。
バーテンが舌打ちをして、ぼくの胸ぐらを摑んでいた手を放し、ドカリと椅子に座り直した。
なんだか含みのあるマスターの言い方が癇に障る。
「どういうこと?」
「そのままの意味よ。今のあんたは、自分に都合のいい言葉しか耳に入れようとしない。だからエリナのやさしい言葉に甘える。逆に、あたしたちの小うるさい助言には耳を貸そうとしない。ガキね」
「べつにそんなんじゃ――」
「だったら、再度そのパンフレットに目を通して、よく読みなさいよ。悲劇のヒロインを演じたくてウジウジ悩み続けるか、苦しみながらコータくんを思い続ける覚悟があるのなら、あたしたちだってこれ以上は何も言わないから」
突き放すようなマスターの物言いにイライラする。同時に自分の心を理解してもらえいないことが苦しい。
このまま腹を立てた状態でアパートに帰れば、きっと楽だ。マスターやエリナたちと縁を切って他人に戻るだけだから。
でも、逃げたところで、もうにっちもさっちもいかないことも理解してる。逃げ場所なんてどこにもない。
喋ることがなんだか億劫になって無言を貫いた。
膝に置いた両手を眺める。難しくて解けない問題の答えがわからなくて、どこかにヒントがないかと問題用紙を見返すみたいに。
だけど、ぼくの両手にはもちろん何も文字や数字らしきものは書かれていない。まして問題を解決するためのヒントなんて、どこにもない。そんなことをしても、いたずらに時間が過ぎていくだけ。何も変わらない。
だけど頭の中が真っ白で、それ以外に自分ができることがわからなかった。
三人はその場を離れるでもなく沈黙していた。
膠着状態が続く。
しばらくするとアルバイトの店員が料理が運びに来た。
揚げたてのサクサクしてそうな天ぷらや。ツヤツヤして新鮮そうな色をした刺し身。食欲をそそる出汁の香りがする味噌汁。湯気のたったふっくらとしたご飯。ほっそりとしてみずみずしい蕎麦が次々と机の上に並べられていく。
ぼくの前には茶碗蒸しが置かれた。それだけでも食べるのが困難だというのにマスターとバーテンたちが勝手に頼んだのだろう。小盛りのご飯、味噌汁、それからホクホクとしていそうなじゃがいもや、にんじんの入った肉じゃがの小鉢が置かれた。
マスターとバーテンはアルバイトに礼を言うやいなや「いただきます」と挨拶をして黙々と食べ始めた。
「なあ、晃嗣。おまえは航大くんのことを、どうにかして忘れたかったんじゃないのか?」
唐突に隣に座っていた康成に声を掛けられる。
「康成……」
「もしも航大くんと誤って寝るようなことがなければ、誰彼構わず寝るようなこともしなかったはず。今みたいにボロボロの状態になることも、きっとなかった。でも、航大くんはおまえを抱いておきながら、芝谷さんを選んだ。おまえを乱暴に抱いておきながら、友だちのままでいてほしいなんて好き勝手なことを言われて、おまえは思い詰めたんじゃないか?」
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