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第5章
劇場2
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「今の僕には、僕のことを信じて手を貸してくれる仲間や僕の帰りを待ってくれている家族や愛する人たちがいる。僕も、みんなのことを信じているし、愛しているんだ」
『……あなたは諦めないんですね。自分が危機的状況に立たされているというのに』
「もちろん、諦めないよ。存外、諦めの悪い男だから」
すると「日向」は下手くそな笑みを浮かべた。
「僕らは力のない無力な子どもだったときとは違う。【亡霊】を食い止めることだって、絶対できるよ」
『いいえ、無理です。できません……。人から裏切られるのも、騙されるのも、嫌われるのもいやです! 怖い……』
中学生の「日向」は怯えた。細く薄い肩を震わせて泣き始める。
日向は、涙目になっている自分と額を合わせ、そっと目を閉じる。
「ねえ、もっとここに来た僕のことを信じてよ」
『……でも、』
言い淀む「日向」の頬に触れれば、かすかに月花美人の花の香りに似たフェロモンを感じる。忘れられない、懐かしい匂い。ずっと何年も恋い焦がれてきた。
日向も目の前にいる少年のように泣きたくなるが、泣かなかった。いや、泣けなかったのだ。
成人男性だから泣くのはおかしい、良い歳をした大人が男泣きするなんて恥ずかしいと感じたのではない。【亡霊】の非道な行いに対する怒りや憤りが、悲しみを上回っていたのだ。
もしも【亡霊】が永久の眠りにつき、目覚めなければ自分たちの運命の赤い糸がこじれ、互いをがんじがらめにすることもなかった。朔夜と番になり、結婚をする幸せな夢を現実にかなえられたのに……と今さら、どうにもならないことに無常観を味わう。
戻りたくても戻れない。赤い糸を切り、完全に道を分かつ以外に、ふたりが生き残る道はないのだと思い知らされる。
「昔、きみが言ってくれたんだよ。『日向が約束を守るって知ってる』。――たとえ遠くに離れていても、僕はきみの相棒だし、きみと魂の番じゃなくなってもきみのことを『特別』に思ってる。もう忘れちゃった……?」
中学生の「日向」は静かに両目から涙を流した。驚くことに中学生の「日向」が負っていた傷が、みるみるうちに消えていく。
日向は彼を鏡の世界から連れ出そうと手を取り、彼の手を引いた。
『――ずいぶんと余計なことをしてくれるじゃないか』
館内のスピーカーからノイズがかった、ざらついた男の声がする。
途端に中学生の「日向」は顔色を悪くし、ガタガタと身体を震わせた。
日向の顔にも緊張が走る。声の主のいる位置を特定しようと気配を探る。
何かが軋む音が頭上からした。日向が顔を上げると照明が落ちてこようとしているのが目に飛び込んだ。急いで日向は中学生の「日向」を鏡の世界から連れ出そうとする。
中学生の「日向」が鏡から抜け出そうとした瞬間、鏡面が真っ黒に染まる。黒い鏡の中から黒い触手がにゅっと出現し、「彼」を鏡の世界へ引きずり込んだ。
ドオンッ……! と轟音が鳴り響く。照明が舞台の床に落ち、衝撃でガラスが辺りに飛び散った。
間一髪のところで日向は落ちてくる照明をよけ、下敷きにならずに済んだ。
「あっ!」と思わず日向は悲鳴をあげる。
鏡の世界に閉じ込められてしまった中学生の「日向」は、黒い触手に首を絞められ、苦悶の表情を浮かべていた。
鏡は風船のように暗闇の世界をふわふわと浮上していく。
『忘れたのか? 朔夜がおまえにした行為を。あいつは、いやがるお前を組み敷き、暴力を奮い、陵辱した。『愛している』なんて言葉だけでおまえのことなんか、ちっとも愛していなかった。いや……おまえが、無能なオメガだと知ると手の平を返し、他の女やオメガの男に目移りしたんだ。口うるさいおまえを辱めるために犯した。朔夜はずっと、おまえの存在を疎ましく思っていたんだ。そして、魂の番であるアルファだからと、おまえのことを殺そうとした。……思い出せ』
『……そうだ。さくちゃんは、僕のことを捨てたんだ。僕が病気持ちのオメガだからって、僕をものみたいに扱って……首を……』
触手が首から離れると中学生の「日向」は力なく膝をついた。そして青年の日向を、彼がいる世界を睨みつけた。輝きをなくした黒曜石のような瞳には、激しい怒りや深い悲しみ、やるせなさや悔恨、純然たる憎しみといった、ありとあらゆる負の感情が宿っていった。
「そいつの言葉を聞かないで! そいつは、きみをいいように扱おうと嘘をついているんだ!」
日向が大声で叫ぶと照明のあった天上から無数の糸が降り注ぐ。糸は日向の腕を拘束して宙吊りにした。それでも日向が足をばたつかせて抵抗するので、一本の触手が鏡から伸びてくる。なかば強引に触手は日向の唇を割り開いて口の中へ侵入する。
うめき声をあげて日向は顔を左右に振り、触手を吐き出そうとする。
触手は日向の反応を面白がって日向の口の中や喉の奥をズボズボと卑猥に突き、弄んだ。
『あいつは、あんな虫の良いことを言っているが、おまえの罪は消せない。おまえのせいで、どれだけ多くの人間が傷つき、悲しんだ? おまえの友は、両親や、兄は……どうなった? 何より、光輝たちや雪緒は、おまえのせいで死んだ。そうだろう?』
『……あなたは諦めないんですね。自分が危機的状況に立たされているというのに』
「もちろん、諦めないよ。存外、諦めの悪い男だから」
すると「日向」は下手くそな笑みを浮かべた。
「僕らは力のない無力な子どもだったときとは違う。【亡霊】を食い止めることだって、絶対できるよ」
『いいえ、無理です。できません……。人から裏切られるのも、騙されるのも、嫌われるのもいやです! 怖い……』
中学生の「日向」は怯えた。細く薄い肩を震わせて泣き始める。
日向は、涙目になっている自分と額を合わせ、そっと目を閉じる。
「ねえ、もっとここに来た僕のことを信じてよ」
『……でも、』
言い淀む「日向」の頬に触れれば、かすかに月花美人の花の香りに似たフェロモンを感じる。忘れられない、懐かしい匂い。ずっと何年も恋い焦がれてきた。
日向も目の前にいる少年のように泣きたくなるが、泣かなかった。いや、泣けなかったのだ。
成人男性だから泣くのはおかしい、良い歳をした大人が男泣きするなんて恥ずかしいと感じたのではない。【亡霊】の非道な行いに対する怒りや憤りが、悲しみを上回っていたのだ。
もしも【亡霊】が永久の眠りにつき、目覚めなければ自分たちの運命の赤い糸がこじれ、互いをがんじがらめにすることもなかった。朔夜と番になり、結婚をする幸せな夢を現実にかなえられたのに……と今さら、どうにもならないことに無常観を味わう。
戻りたくても戻れない。赤い糸を切り、完全に道を分かつ以外に、ふたりが生き残る道はないのだと思い知らされる。
「昔、きみが言ってくれたんだよ。『日向が約束を守るって知ってる』。――たとえ遠くに離れていても、僕はきみの相棒だし、きみと魂の番じゃなくなってもきみのことを『特別』に思ってる。もう忘れちゃった……?」
中学生の「日向」は静かに両目から涙を流した。驚くことに中学生の「日向」が負っていた傷が、みるみるうちに消えていく。
日向は彼を鏡の世界から連れ出そうと手を取り、彼の手を引いた。
『――ずいぶんと余計なことをしてくれるじゃないか』
館内のスピーカーからノイズがかった、ざらついた男の声がする。
途端に中学生の「日向」は顔色を悪くし、ガタガタと身体を震わせた。
日向の顔にも緊張が走る。声の主のいる位置を特定しようと気配を探る。
何かが軋む音が頭上からした。日向が顔を上げると照明が落ちてこようとしているのが目に飛び込んだ。急いで日向は中学生の「日向」を鏡の世界から連れ出そうとする。
中学生の「日向」が鏡から抜け出そうとした瞬間、鏡面が真っ黒に染まる。黒い鏡の中から黒い触手がにゅっと出現し、「彼」を鏡の世界へ引きずり込んだ。
ドオンッ……! と轟音が鳴り響く。照明が舞台の床に落ち、衝撃でガラスが辺りに飛び散った。
間一髪のところで日向は落ちてくる照明をよけ、下敷きにならずに済んだ。
「あっ!」と思わず日向は悲鳴をあげる。
鏡の世界に閉じ込められてしまった中学生の「日向」は、黒い触手に首を絞められ、苦悶の表情を浮かべていた。
鏡は風船のように暗闇の世界をふわふわと浮上していく。
『忘れたのか? 朔夜がおまえにした行為を。あいつは、いやがるお前を組み敷き、暴力を奮い、陵辱した。『愛している』なんて言葉だけでおまえのことなんか、ちっとも愛していなかった。いや……おまえが、無能なオメガだと知ると手の平を返し、他の女やオメガの男に目移りしたんだ。口うるさいおまえを辱めるために犯した。朔夜はずっと、おまえの存在を疎ましく思っていたんだ。そして、魂の番であるアルファだからと、おまえのことを殺そうとした。……思い出せ』
『……そうだ。さくちゃんは、僕のことを捨てたんだ。僕が病気持ちのオメガだからって、僕をものみたいに扱って……首を……』
触手が首から離れると中学生の「日向」は力なく膝をついた。そして青年の日向を、彼がいる世界を睨みつけた。輝きをなくした黒曜石のような瞳には、激しい怒りや深い悲しみ、やるせなさや悔恨、純然たる憎しみといった、ありとあらゆる負の感情が宿っていった。
「そいつの言葉を聞かないで! そいつは、きみをいいように扱おうと嘘をついているんだ!」
日向が大声で叫ぶと照明のあった天上から無数の糸が降り注ぐ。糸は日向の腕を拘束して宙吊りにした。それでも日向が足をばたつかせて抵抗するので、一本の触手が鏡から伸びてくる。なかば強引に触手は日向の唇を割り開いて口の中へ侵入する。
うめき声をあげて日向は顔を左右に振り、触手を吐き出そうとする。
触手は日向の反応を面白がって日向の口の中や喉の奥をズボズボと卑猥に突き、弄んだ。
『あいつは、あんな虫の良いことを言っているが、おまえの罪は消せない。おまえのせいで、どれだけ多くの人間が傷つき、悲しんだ? おまえの友は、両親や、兄は……どうなった? 何より、光輝たちや雪緒は、おまえのせいで死んだ。そうだろう?』
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