16 / 87
第3章
桃3*
しおりを挟む
キッチンへ向かい、ガスコンロのつまみを回して火を消す。
香辛料のスパイシーな香りが食欲をそそる。
カレーが黒焦げにならなくてよかった。
一安心した朔夜は木製の食器棚から、うさぎと満月の絵が描かれた取り皿を出した。引き戸から銀色のフォークを取り出し、机の上へ並べていく。
一通り終わったところで朔夜は自分の席につき、リモコンを手に取ってテレビをつけた。
ドアの向こう側から、かすかに家族の言い争う声がして朔夜はドアのほうを見る。真弓の怒声が朔夜のいるリビングまで、はっきりと聞こえてきた。
「母ちゃん……少しは近所迷惑のことを考えろよな。ご近所さんに怒られるぞ」
ため息をついて朔夜は、ふたたびテレビ画面に映るアニメへと目線をやった。
クーラーの風にのって甘い桃の匂いが、ふわりと香る。
ちらっと朔夜はテーブルの上にある桃へと目線をやる。鮮やかな黄色い果肉はつやつやしていて甘そうだ。口の中に唾液が溜まるのを感じながら周囲を見まわす。
一つくらい食っても、ばれねえよな?
椅子の上に立ち、机に左手をついてそろりそろりと右手を皿に近づける。切れた桃をひとつ手に取ると両手で隠し、ものすごいスピードで椅子に座り直す。もう一度、周りに人がいないかを確認してから朔夜は手の中の桃に、かぶり付く。
歯ごたえのある果肉を嚙めば、甘い果汁がじゅわりと口内へ広がる。
あまりの美味しさに朔夜は頬が落ちそうになる。手の中にあった食べかけの桃を口へ放り込み、味わう。
桃を食べている最中に突然、テレビ画面が暗くなる。クーラーも扇風機も止まって部屋の明かりがすべて消えてしまう。
しょっちゅうブレーカーの落ちる家だったので朔夜はさほど驚いたりしなかった。頭の中の記憶と暗闇に慣れてきた目を頼りに、壁に掛けてある古めかしい懐中電灯を手に取り、スイッチを押す。電池が切れかかっているのだろうか? 薄暗い光がわずかに灯るだけ。どこか心許ない。
ないよりはましだと懐中電灯を片手に朔夜は、みしみしと軋む廊下を歩く。
家の中は、朔夜以外の人間がいないみたいに静まり返っていた。
「ちょっと母ちゃん! ……あれ?」
風呂場につながるドアを開けたもののだれもいない。
「仕方ねえな」と朔夜は、懐中電灯についているストラップを首にかけ、洗面台の横にある折りたたみ型のステップ台とフローリングワイパーを取り出す。ステップ台をブレーカーの下にセッティングし、フローリングワイパーを手に持つ。ステップ台を昇り、フローリングワイパーの柄でブレーカーを上げた。
辺りは暗いままだった。
何度かブレーカーのスイッチを押し上げたものの状況は変わらずじまい。
おかしいな、なんで電気がつかねえんだ? 母ちゃんたちもブレーカーの異常に気がついて、お隣さんのうちへ電話を借りに行ったのか?
朔夜はステップ台から飛びおり、ステップ台とフローリングワイパーをもとの場所へ手早く片付け、外へ向かおうとする。
ゴボゴボゴボッ!
風呂場から大きな水音がして朔夜は振り返る。
すぐに音はやんだ。だが、風呂場のガラス戸越しに何かがもぞもぞと動いている。
なんだよ。またゲジゲジかヤモリが、窓ガラスの隙間から入ってきたのか?
苛立ちながら朔夜は、風呂場のガラス戸を開け放った。
風呂場の蛇口から出た水が洗面台に落ちて、ぴちょんぴちょんと音を立てている。
シャワーヘッドを手に取り、ガラス戸を見る。げじげじやヤモリの姿は見当たらない。首を傾げてシャワーヘッドをもとの定位置に戻し、腰をかがめる。排水溝に異常がないかの確認を始める。
そのあいだにも浴槽に張られた青色をした湯は、黒いインクを垂らしたみたいに徐々に黒くなっていく。
しかし朔夜はその異変に気づかない。排水溝の点検を終えて立ち上がる。
とくにこれといって、おかしなところはなかった。
ほっと息をついて風呂場をあとにしようとすると、いよいよ浴槽に張られた湯の色は真っ黒になり、水面が大きく揺れる。黒いのっぺらぼうが水飛沫を上げて姿を現した。
朔夜は何事かと思って振り返り、身体を硬直させた。目をこれでもかと見開き、現実とは思えない光景に絶句する。
黒いのっぺらぼうは黒い触手を手足のように伸ばした。
氷のように冷たく、ひどくヌメヌメした触手が頬に触れる。朔夜は恐怖におののき、悲鳴をあげる。一目散に逃げ出し、廊下へ出ようとする。
開けておいたドアがひとりでに閉まった。
ドアノブを回す。しかしドアを押しても、引いても鍵がかかっているみたいに開かない。
「なんでだよ、なんで開かないんだよ!?」
そうこうしているうちに風呂場にいる黒いのっぺらぼうの触手が増加する。
まるで黒蛇のような無数の触手が、ドアの前で必死の形相をしている朔夜のもとへ押し寄せる。
天井を這っていた触手が朔夜の頭や肩の上に落ちる。床をヌルヌルと移動していた触手が、朔夜の足首から脹ら脛へと這い上がる。
生理的な嫌悪感から朔夜は絶叫する。
首にかけていた懐中電灯を手に持ち直し、無我夢中で振り回す。
香辛料のスパイシーな香りが食欲をそそる。
カレーが黒焦げにならなくてよかった。
一安心した朔夜は木製の食器棚から、うさぎと満月の絵が描かれた取り皿を出した。引き戸から銀色のフォークを取り出し、机の上へ並べていく。
一通り終わったところで朔夜は自分の席につき、リモコンを手に取ってテレビをつけた。
ドアの向こう側から、かすかに家族の言い争う声がして朔夜はドアのほうを見る。真弓の怒声が朔夜のいるリビングまで、はっきりと聞こえてきた。
「母ちゃん……少しは近所迷惑のことを考えろよな。ご近所さんに怒られるぞ」
ため息をついて朔夜は、ふたたびテレビ画面に映るアニメへと目線をやった。
クーラーの風にのって甘い桃の匂いが、ふわりと香る。
ちらっと朔夜はテーブルの上にある桃へと目線をやる。鮮やかな黄色い果肉はつやつやしていて甘そうだ。口の中に唾液が溜まるのを感じながら周囲を見まわす。
一つくらい食っても、ばれねえよな?
椅子の上に立ち、机に左手をついてそろりそろりと右手を皿に近づける。切れた桃をひとつ手に取ると両手で隠し、ものすごいスピードで椅子に座り直す。もう一度、周りに人がいないかを確認してから朔夜は手の中の桃に、かぶり付く。
歯ごたえのある果肉を嚙めば、甘い果汁がじゅわりと口内へ広がる。
あまりの美味しさに朔夜は頬が落ちそうになる。手の中にあった食べかけの桃を口へ放り込み、味わう。
桃を食べている最中に突然、テレビ画面が暗くなる。クーラーも扇風機も止まって部屋の明かりがすべて消えてしまう。
しょっちゅうブレーカーの落ちる家だったので朔夜はさほど驚いたりしなかった。頭の中の記憶と暗闇に慣れてきた目を頼りに、壁に掛けてある古めかしい懐中電灯を手に取り、スイッチを押す。電池が切れかかっているのだろうか? 薄暗い光がわずかに灯るだけ。どこか心許ない。
ないよりはましだと懐中電灯を片手に朔夜は、みしみしと軋む廊下を歩く。
家の中は、朔夜以外の人間がいないみたいに静まり返っていた。
「ちょっと母ちゃん! ……あれ?」
風呂場につながるドアを開けたもののだれもいない。
「仕方ねえな」と朔夜は、懐中電灯についているストラップを首にかけ、洗面台の横にある折りたたみ型のステップ台とフローリングワイパーを取り出す。ステップ台をブレーカーの下にセッティングし、フローリングワイパーを手に持つ。ステップ台を昇り、フローリングワイパーの柄でブレーカーを上げた。
辺りは暗いままだった。
何度かブレーカーのスイッチを押し上げたものの状況は変わらずじまい。
おかしいな、なんで電気がつかねえんだ? 母ちゃんたちもブレーカーの異常に気がついて、お隣さんのうちへ電話を借りに行ったのか?
朔夜はステップ台から飛びおり、ステップ台とフローリングワイパーをもとの場所へ手早く片付け、外へ向かおうとする。
ゴボゴボゴボッ!
風呂場から大きな水音がして朔夜は振り返る。
すぐに音はやんだ。だが、風呂場のガラス戸越しに何かがもぞもぞと動いている。
なんだよ。またゲジゲジかヤモリが、窓ガラスの隙間から入ってきたのか?
苛立ちながら朔夜は、風呂場のガラス戸を開け放った。
風呂場の蛇口から出た水が洗面台に落ちて、ぴちょんぴちょんと音を立てている。
シャワーヘッドを手に取り、ガラス戸を見る。げじげじやヤモリの姿は見当たらない。首を傾げてシャワーヘッドをもとの定位置に戻し、腰をかがめる。排水溝に異常がないかの確認を始める。
そのあいだにも浴槽に張られた青色をした湯は、黒いインクを垂らしたみたいに徐々に黒くなっていく。
しかし朔夜はその異変に気づかない。排水溝の点検を終えて立ち上がる。
とくにこれといって、おかしなところはなかった。
ほっと息をついて風呂場をあとにしようとすると、いよいよ浴槽に張られた湯の色は真っ黒になり、水面が大きく揺れる。黒いのっぺらぼうが水飛沫を上げて姿を現した。
朔夜は何事かと思って振り返り、身体を硬直させた。目をこれでもかと見開き、現実とは思えない光景に絶句する。
黒いのっぺらぼうは黒い触手を手足のように伸ばした。
氷のように冷たく、ひどくヌメヌメした触手が頬に触れる。朔夜は恐怖におののき、悲鳴をあげる。一目散に逃げ出し、廊下へ出ようとする。
開けておいたドアがひとりでに閉まった。
ドアノブを回す。しかしドアを押しても、引いても鍵がかかっているみたいに開かない。
「なんでだよ、なんで開かないんだよ!?」
そうこうしているうちに風呂場にいる黒いのっぺらぼうの触手が増加する。
まるで黒蛇のような無数の触手が、ドアの前で必死の形相をしている朔夜のもとへ押し寄せる。
天井を這っていた触手が朔夜の頭や肩の上に落ちる。床をヌルヌルと移動していた触手が、朔夜の足首から脹ら脛へと這い上がる。
生理的な嫌悪感から朔夜は絶叫する。
首にかけていた懐中電灯を手に持ち直し、無我夢中で振り回す。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる