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第3章
桃3*
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キッチンへ向かい、ガスコンロのつまみを回して火を消す。
香辛料のスパイシーな香りが食欲をそそる。
カレーが黒焦げにならなくてよかった。
一安心した朔夜は木製の食器棚から、うさぎと満月の絵が描かれた取り皿を出した。引き戸から銀色のフォークを取り出し、机の上へ並べていく。
一通り終わったところで朔夜は自分の席につき、リモコンを手に取ってテレビをつけた。
ドアの向こう側から、かすかに家族の言い争う声がして朔夜はドアのほうを見る。真弓の怒声が朔夜のいるリビングまで、はっきりと聞こえてきた。
「母ちゃん……少しは近所迷惑のことを考えろよな。ご近所さんに怒られるぞ」
ため息をついて朔夜は、ふたたびテレビ画面に映るアニメへと目線をやった。
クーラーの風にのって甘い桃の匂いが、ふわりと香る。
ちらっと朔夜はテーブルの上にある桃へと目線をやる。鮮やかな黄色い果肉はつやつやしていて甘そうだ。口の中に唾液が溜まるのを感じながら周囲を見まわす。
一つくらい食っても、ばれねえよな?
椅子の上に立ち、机に左手をついてそろりそろりと右手を皿に近づける。切れた桃をひとつ手に取ると両手で隠し、ものすごいスピードで椅子に座り直す。もう一度、周りに人がいないかを確認してから朔夜は手の中の桃に、かぶり付く。
歯ごたえのある果肉を嚙めば、甘い果汁がじゅわりと口内へ広がる。
あまりの美味しさに朔夜は頬が落ちそうになる。手の中にあった食べかけの桃を口へ放り込み、味わう。
桃を食べている最中に突然、テレビ画面が暗くなる。クーラーも扇風機も止まって部屋の明かりがすべて消えてしまう。
しょっちゅうブレーカーの落ちる家だったので朔夜はさほど驚いたりしなかった。頭の中の記憶と暗闇に慣れてきた目を頼りに、壁に掛けてある古めかしい懐中電灯を手に取り、スイッチを押す。電池が切れかかっているのだろうか? 薄暗い光がわずかに灯るだけ。どこか心許ない。
ないよりはましだと懐中電灯を片手に朔夜は、みしみしと軋む廊下を歩く。
家の中は、朔夜以外の人間がいないみたいに静まり返っていた。
「ちょっと母ちゃん! ……あれ?」
風呂場につながるドアを開けたもののだれもいない。
「仕方ねえな」と朔夜は、懐中電灯についているストラップを首にかけ、洗面台の横にある折りたたみ型のステップ台とフローリングワイパーを取り出す。ステップ台をブレーカーの下にセッティングし、フローリングワイパーを手に持つ。ステップ台を昇り、フローリングワイパーの柄でブレーカーを上げた。
辺りは暗いままだった。
何度かブレーカーのスイッチを押し上げたものの状況は変わらずじまい。
おかしいな、なんで電気がつかねえんだ? 母ちゃんたちもブレーカーの異常に気がついて、お隣さんのうちへ電話を借りに行ったのか?
朔夜はステップ台から飛びおり、ステップ台とフローリングワイパーをもとの場所へ手早く片付け、外へ向かおうとする。
ゴボゴボゴボッ!
風呂場から大きな水音がして朔夜は振り返る。
すぐに音はやんだ。だが、風呂場のガラス戸越しに何かがもぞもぞと動いている。
なんだよ。またゲジゲジかヤモリが、窓ガラスの隙間から入ってきたのか?
苛立ちながら朔夜は、風呂場のガラス戸を開け放った。
風呂場の蛇口から出た水が洗面台に落ちて、ぴちょんぴちょんと音を立てている。
シャワーヘッドを手に取り、ガラス戸を見る。げじげじやヤモリの姿は見当たらない。首を傾げてシャワーヘッドをもとの定位置に戻し、腰をかがめる。排水溝に異常がないかの確認を始める。
そのあいだにも浴槽に張られた青色をした湯は、黒いインクを垂らしたみたいに徐々に黒くなっていく。
しかし朔夜はその異変に気づかない。排水溝の点検を終えて立ち上がる。
とくにこれといって、おかしなところはなかった。
ほっと息をついて風呂場をあとにしようとすると、いよいよ浴槽に張られた湯の色は真っ黒になり、水面が大きく揺れる。黒いのっぺらぼうが水飛沫を上げて姿を現した。
朔夜は何事かと思って振り返り、身体を硬直させた。目をこれでもかと見開き、現実とは思えない光景に絶句する。
黒いのっぺらぼうは黒い触手を手足のように伸ばした。
氷のように冷たく、ひどくヌメヌメした触手が頬に触れる。朔夜は恐怖におののき、悲鳴をあげる。一目散に逃げ出し、廊下へ出ようとする。
開けておいたドアがひとりでに閉まった。
ドアノブを回す。しかしドアを押しても、引いても鍵がかかっているみたいに開かない。
「なんでだよ、なんで開かないんだよ!?」
そうこうしているうちに風呂場にいる黒いのっぺらぼうの触手が増加する。
まるで黒蛇のような無数の触手が、ドアの前で必死の形相をしている朔夜のもとへ押し寄せる。
天井を這っていた触手が朔夜の頭や肩の上に落ちる。床をヌルヌルと移動していた触手が、朔夜の足首から脹ら脛へと這い上がる。
生理的な嫌悪感から朔夜は絶叫する。
首にかけていた懐中電灯を手に持ち直し、無我夢中で振り回す。
香辛料のスパイシーな香りが食欲をそそる。
カレーが黒焦げにならなくてよかった。
一安心した朔夜は木製の食器棚から、うさぎと満月の絵が描かれた取り皿を出した。引き戸から銀色のフォークを取り出し、机の上へ並べていく。
一通り終わったところで朔夜は自分の席につき、リモコンを手に取ってテレビをつけた。
ドアの向こう側から、かすかに家族の言い争う声がして朔夜はドアのほうを見る。真弓の怒声が朔夜のいるリビングまで、はっきりと聞こえてきた。
「母ちゃん……少しは近所迷惑のことを考えろよな。ご近所さんに怒られるぞ」
ため息をついて朔夜は、ふたたびテレビ画面に映るアニメへと目線をやった。
クーラーの風にのって甘い桃の匂いが、ふわりと香る。
ちらっと朔夜はテーブルの上にある桃へと目線をやる。鮮やかな黄色い果肉はつやつやしていて甘そうだ。口の中に唾液が溜まるのを感じながら周囲を見まわす。
一つくらい食っても、ばれねえよな?
椅子の上に立ち、机に左手をついてそろりそろりと右手を皿に近づける。切れた桃をひとつ手に取ると両手で隠し、ものすごいスピードで椅子に座り直す。もう一度、周りに人がいないかを確認してから朔夜は手の中の桃に、かぶり付く。
歯ごたえのある果肉を嚙めば、甘い果汁がじゅわりと口内へ広がる。
あまりの美味しさに朔夜は頬が落ちそうになる。手の中にあった食べかけの桃を口へ放り込み、味わう。
桃を食べている最中に突然、テレビ画面が暗くなる。クーラーも扇風機も止まって部屋の明かりがすべて消えてしまう。
しょっちゅうブレーカーの落ちる家だったので朔夜はさほど驚いたりしなかった。頭の中の記憶と暗闇に慣れてきた目を頼りに、壁に掛けてある古めかしい懐中電灯を手に取り、スイッチを押す。電池が切れかかっているのだろうか? 薄暗い光がわずかに灯るだけ。どこか心許ない。
ないよりはましだと懐中電灯を片手に朔夜は、みしみしと軋む廊下を歩く。
家の中は、朔夜以外の人間がいないみたいに静まり返っていた。
「ちょっと母ちゃん! ……あれ?」
風呂場につながるドアを開けたもののだれもいない。
「仕方ねえな」と朔夜は、懐中電灯についているストラップを首にかけ、洗面台の横にある折りたたみ型のステップ台とフローリングワイパーを取り出す。ステップ台をブレーカーの下にセッティングし、フローリングワイパーを手に持つ。ステップ台を昇り、フローリングワイパーの柄でブレーカーを上げた。
辺りは暗いままだった。
何度かブレーカーのスイッチを押し上げたものの状況は変わらずじまい。
おかしいな、なんで電気がつかねえんだ? 母ちゃんたちもブレーカーの異常に気がついて、お隣さんのうちへ電話を借りに行ったのか?
朔夜はステップ台から飛びおり、ステップ台とフローリングワイパーをもとの場所へ手早く片付け、外へ向かおうとする。
ゴボゴボゴボッ!
風呂場から大きな水音がして朔夜は振り返る。
すぐに音はやんだ。だが、風呂場のガラス戸越しに何かがもぞもぞと動いている。
なんだよ。またゲジゲジかヤモリが、窓ガラスの隙間から入ってきたのか?
苛立ちながら朔夜は、風呂場のガラス戸を開け放った。
風呂場の蛇口から出た水が洗面台に落ちて、ぴちょんぴちょんと音を立てている。
シャワーヘッドを手に取り、ガラス戸を見る。げじげじやヤモリの姿は見当たらない。首を傾げてシャワーヘッドをもとの定位置に戻し、腰をかがめる。排水溝に異常がないかの確認を始める。
そのあいだにも浴槽に張られた青色をした湯は、黒いインクを垂らしたみたいに徐々に黒くなっていく。
しかし朔夜はその異変に気づかない。排水溝の点検を終えて立ち上がる。
とくにこれといって、おかしなところはなかった。
ほっと息をついて風呂場をあとにしようとすると、いよいよ浴槽に張られた湯の色は真っ黒になり、水面が大きく揺れる。黒いのっぺらぼうが水飛沫を上げて姿を現した。
朔夜は何事かと思って振り返り、身体を硬直させた。目をこれでもかと見開き、現実とは思えない光景に絶句する。
黒いのっぺらぼうは黒い触手を手足のように伸ばした。
氷のように冷たく、ひどくヌメヌメした触手が頬に触れる。朔夜は恐怖におののき、悲鳴をあげる。一目散に逃げ出し、廊下へ出ようとする。
開けておいたドアがひとりでに閉まった。
ドアノブを回す。しかしドアを押しても、引いても鍵がかかっているみたいに開かない。
「なんでだよ、なんで開かないんだよ!?」
そうこうしているうちに風呂場にいる黒いのっぺらぼうの触手が増加する。
まるで黒蛇のような無数の触手が、ドアの前で必死の形相をしている朔夜のもとへ押し寄せる。
天井を這っていた触手が朔夜の頭や肩の上に落ちる。床をヌルヌルと移動していた触手が、朔夜の足首から脹ら脛へと這い上がる。
生理的な嫌悪感から朔夜は絶叫する。
首にかけていた懐中電灯を手に持ち直し、無我夢中で振り回す。
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