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第2章

それは、ずっと昔のお話で3

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 興奮気味に朔夜が言い放つと、日向はぼろぼろと涙をこぼして泣き始めた。

 しゃくりあげ、肩を震わせている日向の姿を目にして朔夜は、やってしまった……と後悔する。スモックのポケットから黒猫のイラストが描かれたハンカチを取り出し、日向にハンカチを手渡しながら朔夜は謝った。

「俺が言い過ぎた。悪かったよ、ごめん。だから泣きやんでくれよ。な? おまえが泣いていると俺も、つらい。泣かせたかったわけじゃねえんだよ!」

 しかし日向は朔夜が差し出した手をはねのけてしまう。ハンカチがパサリと地面に落ちた。

「やだ。ひどいことを言うさくちゃんなんか、嫌い。大っ嫌い! あっちに行ってよ」

 顔をクシャクシャにして日向は泣きじゃくった。

 地面に落ちたハンカチを朔夜が拾い上げる。ハンカチについた砂や小石を払い落としてスモックのポケットにしまう。表面上は平静さを装っているものの内心は、ひどくろうばいしていた。

 日向に嫌われた。

 このままじゃ俺の存在価値がなくなる。透明人間に戻っちゃう! みじめな思いをしながら泣くのも、居場所がなくなるのを恐れてびくびく暮らすのも、絶対にいやだ!

 だけど、どうしたら日向は泣きやんでくれる? 謝っても許してもらえないのに……何ができる?

 目の前が真っ暗になっていくのを感じながら朔夜は震える唇でつぶやいた。

「俺は日向には、光輝たちと関わってほしくねえんだ。これ以上おまえが傷つく姿を見たくねえ。心配だから言ったんだ……」

 ポタポタと地面に水滴が落ちる。

 飛行機雲のある空を朔夜は見上げ、手の平をかざす。

 美しく咲き誇る桜の花びらが、ひらひらと落ちて来る。だが、ふたたび水滴が落ちてこないから雨が降っている訳ではない。

 不思議に思っていれば生暖かい液体が、こめかみを伝い落ちる。

 涙だ。

 いつの間にか、自分も涙を流していたことに朔夜は気づいた。

 えつらす日向へと視線を移す。悔しそうに唇を嚙みしめ、両の拳を力いっぱいに握りしめる。

 しばらくすると日向は、鼻をすんすん鳴らしながら涙を指先で拭い去る。今年で年長組、来年は小学生だ。

 幼い子どものようにワアワア泣いているのがだんだん恥ずかしく思えて、泣きやんだのだ。もしも入園したばかりの年少組の子どもたちに泣いている姿を見られ、「どうしたの? 大丈夫?」なんて声を掛けられたら顔から火が出るだろう。

「ごめんね、さくちゃん。いきなり泣いたりして……」

 涙でぼやけていた視界がクリアになる。日向は目の前の光景に仰天した。

 朔夜の両手から血が出ている。赤い液体が白い肌を伝って地面へ滴り落ちていく。

 急いで日向は朔夜の手を取り、握った拳を開かせようと試みる。

 しかし、どこかうつろな目をした朔夜は日向の動きをぼうっと眺めるばかり。頑なに手を開こうとしない。

「さくちゃん、やめて! これ以上、強く握らないで!」

 なんとか朔夜の手を開くことに成功した日向は眉根を寄せる。

 あまりにも朔夜が強く手を握っていたために、つめがはがれ、そこから出血している。

 先生を呼んでこよう。

 幼稚園へ向かおうとした日向を朔夜が呼びとめる。

 日向は朔夜のところへ戻り、「どうしたの?」と訊く。

「行かないでくれよ。こんな傷、たいしたことねえ。平気だ!」

 朔夜の言葉に日向は目をむいた。

「何を言ってるの!? 血が出ているんだよ? このままだと、ばい菌が入っちゃう!」

「そんなのどうでもいいから、ここにいてくれよ」

「そうだ!」

 良いことを思いついたと日向が手を叩く。

「だったら、一緒にお部屋へ帰ろうよ。そうすれば、僕はさくちゃんをひとりにしないし、先生に怪我を見てもらえる。僕たち、お昼寝の時間を抜け出して外にいるんだもん。先生たちが心配しているよ」

「やだ、帰りたくない!」

「ええっ!? いったい、どうしちゃったの、さくちゃん?」

「おまえが俺のことを『嫌いだ』なんて言うから!」

「えっ? あ、あれはね――」と日向が言いかけるものの朔夜が話を遮ってしまう。

「俺は、光輝たちに嫌われたって痛くもかゆくもねえ。先生たちや他のやつらに嫌われても悲しくなるけど、たえられる。でも……おまえにだけは、嫌われたくねえ! ……日向に嫌われたら、この先どうしたらいいか、わかんねえんだよ。お願いだから、俺を……嫌わないで……」

 どうしてこんなに朔夜が悲しみ、泣きやまないのか。訳がわからなくて日向は困り果ててしまう。

 やっぱり先生を呼んできたほうがいいよね? でも、さくちゃんは「行くな」って言っているし……このまま待っていれば、先生たちも気づいてくれるかな? 

 すると背中をトントンと軽く叩かれ、日向は辺りを見回した。てっきり先生が来てくれたのだとばかり思っていたが、その場には日向と朔夜ふたりだけで、だれもいない。

『朔夜くんはね、日向が思っているよりもずっと、日向のことが好きなんだよ。せっかくいじめっ子たちから守ったのに、『嫌い』なんて言われたら、どうかな? 日向も、お母さんたちに『嫌い』って言われたら、すごく傷つくし、悲しいよね。日向に怒ったのも朔夜くんなりに、日向のことを心配しているからなんだ。わかってあげて』
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