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第五章 『アジサイ、揺れる』
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しおりを挟む三年経っても、心の傷は癒えることなく、お店の立ち並ぶエリアは未だ通ることさえもできないし、下ネタの飛び交うテレビのバライティさえも、スルー出来なくなってしまった。
愛していた人の裏切りは大きく、大きくて、大き過ぎて。
「幸さん、このペースだと次の電車切り間に合わないんで、少し急ぎましょうか」
「あっ、はっ……はい」
「何か考えてました?」
「いや、何も……」
一人心の闇に目を向けていると、異変に気付いたらしい篝さんが、わざわざ立ち止まって私を見下ろしてくる。
「幸さん、大丈夫?」
「大丈夫です……私は」
「ホントに?」
「はい、ホン、トに。……大丈夫」
もう風俗店のエリアからは遠ざかったし、今一緒にいるのは、駿ちゃんではなく篝さんだ。
篝さんは、駿ちゃんじゃない。
「篝さん、急ぎましょう。電車……間に合わなくなっちゃう」
「……泣きそうな顔してる」
「……え?」
「幸さん、辛そう」
そして何を思ったのか、篝さんはその場でゆっくり自分の持った傘を畳むと、私の赤い傘に中腰になって入って来たではないか。
小さな傘に、二人きり。外は暗く、誰もいない。
間近で目が合い、一瞬だけ、時間が止まる。
しかし屈まれることによって急接近し、ドッドッと心臓の音が急激に早くなってしまい、私は後ずさって傘から出てしまった。
瞬間、雨粒が全身を濡らし、何度も瞬きを繰り返す。
い、今……すごく、ち、近くなかった……?
「ごめんなさい、ビックリさせちゃいましたね」
「あ、いや……いきなり入ってこられたから」
「幸さんが辛そうだったから、つい、気になって」
ただ篝さんは心配そうな表情で濡れる私に傘を返すと、再び自分のグリーンの傘を差して、こちらを見下ろす。
「あの……その……ホントのことを言うと……怖かったんです」
「もしかして、そういうお店の多い場所の近くだったから?」
「……はい。……何か、すみません」
「謝らないで、幸さんが謝ることじゃない」
こちらこそごめんなさい、と謝る篝さんだが、篝さんが謝ってくる理由こそ何もないじゃない。
「お店の選択、間違えましたね」
「……いえ、お肉は美味しかったので。篝さん、困らせちゃって、本当にごめんなさい」
「ううん、全然」
私の小さな声にも篝さんは耳を傾けてくれ、私達は立ったまま視線を合わせる。
「……篝さんは、優しいですね」
「そんなことないですよ。俺はただ……」
「……ただ?」
「幸さんの悲しそうな顔、見たくないだけで」
あぁ、きっとこの人はモテるんだろうな。
好意なんてないのに、サラッとこんなこと言って、私に消したい過去がなかったら、単純にトキめいてそうだ。
──帰りましょう、と再び言ったのは、私の方が先だった。
この名の付けようのない感情を、何と呼べばいいかは、分からなかった。
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