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204×管理人室4-2

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 ◇

 
「すごいな……これみんなお前の好きな奴の所に行くのか?」
「違って。みんなそれぞれお目当ての人がいるんだよ」
 
 ズラリと綺麗に並ぶ列に並んだ蛍都は隣の理玖の素直な感想に声を潜めた。
 待ちに待った日曜日。蛍都が理玖といるのは都内有数の展示場。間もなく開場を迎えるその場所は多くの人が待機列に並び、イベントが始まるのを今か今かと待っている。その列の中に蛍都は理玖と共に並んでいた。
 待ちに待ったイベント会場に何故か理玖と一緒にいる。なんでこんなことになったんだ、と自らの行動を後悔する時間はもう終わって、今は早く藤華牡丹の新刊を買いたい気持ちの方が先行している。
 
「いつも一人で並んでるのか?」
「そうだよ」
「何して時間潰してたんだ?」
「パンフレット見たり、それこそ待ってる間に本読んだりとか」
「へえ……」
 
 並び始めて間もなく二時間。無理矢理ついて来たにしては彼はよく待っている方だと思う。普通なら興味のない場所で二時間以上も待つなんて苦痛でしかないだろう。だけど隣の理玖は嫌な顔一つせず、ただじっと蛍都の隣に立ち、時間が来るのを待っている。
 先日デートに誘いを蛍都は断ることが出来なかった。言い換えれば理玖が引かなかった。理由を言いたくないと首を何度も横に振っても「何の用事?」としつこく聞かれ、15分間の押し問答の末に蛍都は口を割ることになった。
 今日の用事が好きな小説家の新刊を買うことで、しかも本屋ではなく創作BLの即売会で購入予定だと半ばやけに白状すると最初理玖は驚いた表情を見せた。仕方なくではあるが口を割って趣味を伝えることで、理玖が自分への恋愛感情を少しでも無くせばいいと言う打算もあった。
 だけど、理玖は勘が良かった。
「その作家って前に言ってたやつ?」との質問には驚いた。その反応に学生時代に誘いを断った原因である小説家を再び引き合いに出されたことに気づいた理玖は蛍都の反対を押し切って、今日ついてくることになった。勝手に藤華牡丹おライバル視したのだろう。どんな本を出すのは見てみたいと言い出した。
 確かにこういう即売会ではプロとして活動している参加者も多くいる。ただ、その人達をじろじろ見る為のイベントじゃない。そう話しても理玖は引かず、最終的には「好きな奴の好きなものに付き合って何が悪い」と言い出す始末。
 その結果、理玖との初デートが即売会になってしまった。
 
「終わったら何食べたい?」
「え?」
「お前のお目当てって一人だろ?」
「まあ、……それはそうだけど」
 
 開場が近くなり、また待機列が伸びたのか人が多くなった気がする。今頃会場内の参加者も必死に準備をしている頃だろう。
 確かに理玖の言う通り、今日のお目当ては藤華牡丹の新刊だけだ。ボーイズラブ創作は少し読むが基本的に本を買いたいと思う作家は彼女だけ。会場内に入ったら一番の彼女のスペースに行き、そのあとはすぐ帰って家でひたすら新刊を楽しむのが定例。
 ただ、隣に理玖がいるとそうはいかない。無理矢理とは言え、ここに付き合わせたのだからその後の食事ぐらいは彼がしたいようにさせてあげるべきだろう。なので、蛍都は頷いた。
 
「いいよ。西ヶ谷が食べたいもの食べに行こ」
「お前が食べたいものでいい」
「わかった。考えとく」
 
 こんなこと言うと今後もついてくると言われそうなので口にはしないが、こうやって開場までの時間に話相手がいるのは助かる。一人でワクワクを抑えながら待っているのも悪くはないが、ふとした時に隣に誰かがいるのはちょっと心強い。だけどここでお礼を言うと今後もついて着そうなので今は何も言わないことにした。
 暫く待っていると待ちに待った瞬間が訪れる。時計の端が開場時間になったと同時に待機の列が動きだすと、ゾワリと背筋に興奮が走るのがわかった。
 
「動き出したってことは始まるのか?」
「そう! いよいよ!」
 
 やばい、楽しみとつい声が零れる。きっとそれは隣の理玖にも聞こえたのだろう。視線を感じて首を動かすと予想通り彼はこちらを見ていた。いつも通りじぃっと見つめられた後、彼は少し不満そうに息を吐いた。
 
「なんか嬉しそう」
「当たり前だろ? ずっと楽しみにしてんだから!」
 
 何言ってんだかと呆れたように肩を竦めると「面白くない」と彼が続ける。まるでヤキモチだとクスッと笑っていると「真っすぐ進んでくださーい!」というスタッフの声が益々蛍都を興奮させた。
 
「人多いから逸れないようにな。おれとにかく藤華先生のスペースに一直線だからもしも逸れたら連絡して」
「子供じゃないから逸れない」
 
 拗ねたような声はもう右から左で、人の流れに乗って開場に入った蛍都は一歩後ろでついてくる理玖を気にすることなく、案内表示を確認。これまで完売で買えなかったことはないが、藤華牡丹のスペースはいつも多くの人が並んでいる。なので出来るだけ早く手に入れたい。万が一完売してしまったら立ち直れないぐらい落ち込む。そう思っているのは他の参加者も同じでそれぞれが必死にお目当てのスペースへと向かっている。右に左に多くの人が行き交い、しかも大半は女性。初めて来たときはかなり迷った。
 
「えっと……あっちか!」
 
 幾つかあるホール内を早足で進む。何度来てもここは夢のような空間でここに居る人全員が同じものを好きだと思うと心強い。
 まだ開場直後にも関わらず壁サーと呼ばれる商業作家たちのスペースには長い列が出来ているし、お目当ての新刊を手に入れて興奮する声もあちこちから聞こえる。
 藤華牡丹は基本的に人前には出てこない。サイン会などもこれまで一度もしたことがないと聞いている。だけどそんな彼女が唯一出てくるのがこの即売会だ。とは言え、いつもテキパキと働く売り子さんが基本的に新刊を頒布し、彼女は一歩下がって様子を見守ったり、差し入れのプレゼントや手紙を受け取っている。
 これがまた綺麗な女性で、いつも新刊を買う時に「いつも見てます!」とありきたりな感想を伝えると「ありがとうございます」と笑ってくれる。作家本人から本を渡してもらえるのは本屋で買うよりも特別感がある。
 ズラリと並ぶテーブルの貼られた案内表示を辿っていると、誕生日席と呼ばれるスペースからズラリと伸びているスペースを見つける。最後に並んでいる参加者が『最後尾』と書かれた札を持っていて、そこに書かれたサークル名は今日唯一行くサークルだ。
 
「あ、あった!」
 
 予想通りもう最後尾札が出る程並んでいることを考えると早く来たのはやっぱり正解だったと再認識。そうして、蛍都とまた早足で列に近づいた。
 しかし、そこで聞き覚えのある声が耳を掠めた。
 
「すみません!真っすぐ並んでくださいー」
 
 賑やかな会場に負けないぐらいの大きな声。真っすぐで強くて、遠慮がないその声は最近よく聞く声によく似ていた。しかも藤華牡丹のサークルから聞こえた声だ。
 
「……ん?」
 
 聞き間違えかと思って足が止まる。なんで律夏の声が聞こえたのだろうか。ここまで存在を無視していた理玖を探すように後ろを向くとしっかりとついて着ていた彼が「なに?」と首を傾げる。
 
「今……律夏くんの声しなかった?」
「そう言われたら似てるかもな。けど気のせいだろ」
 
 ここにいるわけないだろ、と理玖が肩を竦める。その後「ほら、さっさと行ってこい」と背中を押されたので、気になったが一旦列に並ぼうか――と思っていたのだが。
 
「あれ? 椿さんに会いに来たの?」
「――っ絃くん!?」
 
 また知った声に今度は視線を別の方向に。すると今度は聞き間違えではないし、見間違えでもない。ペットボトルの水を手に持ってこちらを見ている見覚えのあるウルフカットの彼は蛍都と理玖を見て瞳を丸くしている。のんびりと、マイペースな彼らしく首を傾げる様子に蛍都は思わず叫びたい衝動に駆られた。
 
「なんで絃くんがここに!?」
「椿さんの手伝い。いつもおれと律夏がしてる」
「椿さんの手伝い!?」
 
 ちょっと待って、と蛍都は混乱に理玖を見た。すると理玖にも気づいた絃凪が「あ、理玖も来たんだ」とのんびりと続ける。
 
「どういうこと……?」
「どういうことって?」
 
 混乱する蛍都は絃凪と同じように首を傾げる。状況を整理している間にも藤華牡丹のサークルの列が伸びていく。それを指摘したのは理玖で「先にあっち並んできたら?」と指さすが、そんな状況ではない。
 絃凪が此処にいて、話を聞くに律夏と椿もここにいる。しかも彼はここにいる理由を「椿さんの手伝い」と言った。つまり――椿が何らかの理由でこのイベントに参加していると言うことだろうか。
 
「え、ちょっとまって絃くん、おれ今すっごい混乱してるんだけど」
「……なんで?」
「だって……椿さんがサークル参加してるみたいな言い方するから」
「あれ? 管理人さん知らないんだっけ?」
「なにを……?」
「椿さんが小説家ってこと」
 
「それは知ってるけど……!」と口籠ってしまうのは混乱のせいだ。小説家にも色々ジャンルがあって椿のペンネームを知らない蛍都は彼が普段どんな小説を書いていて、どれぐらいの知名度がある作家なのかは全く知らない。だが、このイベントに参加しているのならばBL作家なのだろう――と思った所で蛍都は思い出した。
 
「椿さんのサークルってどれ?」
 
 椿に初めて会った時から一つだけ気になっていることがあった。彼の笑顔に見覚えがあった。どこかで会ったのかなとも何度も思ったがわからなかった。だけどもしも初めてあった時が初対面じゃないとしたら……?
 蛍都の質問に絃凪は一つの列を指差した。それは唯一蛍都が行く予定だったサークル。心臓の辺りがゾワリとする。
 
「すごいよね椿さん。毎回すごい列」
 
 ふっと絃凪が口元を緩める。まるで人ごとではあるが、蛍都はそれどころじゃなかった。一つの答えに辿りついたせいだ。
 
「ちょっと絃くんごめん……!」
 
 答え合わせをするのは簡単で、蛍都はようやく足を動かした。列には並ばず、横からサークルの様子を見るとまた先ほどの声が幻聴でなかったことを悟る。
 
「やっぱり律夏くんだ……」
 
 列をテキパキを捌くのはやはり律夏で、持ち前の能力でどんどん本を頒布するようすは見事だ。
 そしてその横に立つ、女性。半年ぶりに人前に現れた藤華牡丹は前回の記憶と見た目が一致していている。女性にしては背が高くて黒のロングヘアーに、Aラインの襟付きの紺色のワンピース、やってきたファンに笑顔でお礼を言っているその姿は間違いない。
 
「管理人さんもしかして……椿さんのこと知らなかった?」
 
 ようやく事に気づいたのだろう。絃凪がまた不思議そうに首を傾げる。
 
「絃くん……椿さんのペンネームって……」
「藤華牡丹だけど?」
 
 徹底的な答え合わせの声に心臓の鼓動がますます早くなる。もう理玖のことなど気にしていられない。今日は初デートだということなど忘れてしまった蛍都はもう憧れの先生から目を離すことが出来なかった。
 
「椿さんが……藤華先生……?」
「そう。読者のイメージ崩したくなくて人前に出る時は律夏がメイクして女性になってる」
 
 絃凪の補足を耳にしながらじっと見ていると視線に気づいたのかスペース内の藤華牡丹が目線をあげ、こちらへと視線を向ける。そして蛍都に気づいた瞬間、彼女は瞳を丸くした。そう、あの大きな瞳がますます大きくなって驚きの表情で口をあんぐりと開けた。
 どうして今まで気づかなかったのだろう。驚きに動きが止まった彼女――いや、彼が椿だと。この一週間、椿は修羅場だと言って部屋から出てこなかった。やっと出てきたのは一昨日で、藤華牡丹がこのイベントの本を脱稿したとSNSで発表したのも同じ日だった。どうして気づかなかったのだろう。
 これは見間違えでも勘違いでもない。女性だと思っていた蛍都の一押し作家である藤華牡丹は、アパートメントの最古参、301の住人である美甘椿。その正体に気づいた蛍都もまたあんぐりと口を開け、その混乱と衝撃を受け止めきれず込み上げる感情を抑える事も出来ないまま暫くそこに立ち竦むことしか出来なかった。
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