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204×管理人室2-2

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「そんなに気になるなら連絡してみたら?」
 
 午後8時を回ったラウンジのドアを開けたり閉めたりする蛍都はその怪しい行動を見兼ねて声を掛けてきた絢世に「それはちょっと」と苦笑いと共に肩を竦めた。
 
「絢さんは嫌われてる相手から『ケーキ作ったから食べない?』って連絡来たらどう思います?」
「あー……どうかな。その経験はないからなんとも」
 
 同じく苦笑いを浮かべる絢世が食べているのは蛍都が昼間作ったショートケーキ。美味しいと感想を貰えると素直に嬉しいし、食後のデザートに丁度いいと言われるとまた明日からも作りたくなってくる。
 ホールで作ったケーキはみんなが食べてくれるお陰で残り1ピース。全員が美味しいと口を揃えてくれるのは十分自信に繋がった。そうなると残りの1ピースを食べてもらいたい相手が出てきた。
 言うまでもなくそれは理玖で、少しでも関係改善の糸口を見つけたい気持ちを昼間は椿に向け、今は絢世に聞いてもらっている。昼間聞いてもらった椿もソファに座ってテレビを見ているが話は聞こえている筈だ。
 
「けど案外勘違いかもしれないし、思い切って連絡して理由聞いてみたら?」
「んー……それはそうなんですけど」
 
 昼間椿にも同じようなアドバイスを貰った。だけどまだそこまで勇気が出ない。で、結局こうやって彼が帰ってくるのをストーカーみたいに待っている。何度もラウンジのドアを開け、エントランスを見渡して理玖が帰ってこないか待っている。
 たまたまバッタリ会って話す方が蛍都としてもハードルは低い。だからみんなが苦笑いを浮かべているこの行動を止められない。
 
「けどもし面と向かって『お前が嫌いだ!』って言われたらどうしたらいいですか?」
 
 またドアを開けて理玖がいないことを確認すると浮かび上がった不安を絢世にぶつける。ケーキを食べ終わった絢世はもう一度肩を竦めると「難しいね」と優しい言葉を続けてくれた。
 
「けどまずはそれが真実かどうか確かめないと。仲良くしたいなら余計に」
「じゃあ勇気出すんで撃沈したら慰めてくださいよ」
「その時はみんなで美味しいものでも御馳走するよ」
「その言葉忘れないでくださいね!」
 
 絢世は蛍都と違って年齢も30代。落ち着きもあるし、あたふたしている自分が子供に思えてくる。だからこそこうやって話していると少しだけ気持ちが落ちついてくる。この落ち着きが自分にも欲しい気持ちがつい口から零れた。
 
「絢さんみたいにどっしり構えられたらいいんですけど」
「別にどっしり構えてるつもりはないけど?」
「本当ですか?」
「本当。こう見えて嫌われたくない相手には必死だよ。顔に出してないだけ」
 
 買いかぶりすぎだよ。そう付け足した絢世の表情は変わらず優しい。そんなことないと思うけどな。そんな意見は一応黙っておいた。設計事務所で働く一級建築士で見た目も整っていて、性格も気さくで優しい。職場でもチームを率いるリーダー業務を行っていると言っていたし、誰からも頼られる存在であることに間違いない。
 そんなことを考えていると微かに足音が耳を掠める。過度に期待しすぎているせいかもしれない。今日はやけに耳がいい。
 
「あっ! 帰って来た!」
 
 足音に気づくとドアを開けずにはいられない。勢いよくラウンジのドアを開けると階段を昇ろうとする理玖の姿を半月ぶりに捉えた。
 
「西ヶ谷!」
「……なに?」
 
 慌てて口から出た声は思ったより大きくてエントランスに反響する。だけど久しぶりに出会った理玖を引き留めるには十分な声量で、仕事帰りで少し疲れたようにも見える理玖が足を止め、視線がこちらへと向けられる。
 前回と違って瞳に戸惑いの色はないが、この再会を喜んでいるようには見えないぐらい冷たく、ぶっきらぼうな声に少し緊張した。だけどここで怯むならこうやって待っていた意味がない。勇気を出して蛍都は何度も頭の中でシミュレーションした言葉を続けた。

「今日久しぶりにケーキ作ったんだけど余ってるから食べない?」
「仕事で疲れてるからいい」
「そんなこと言わずに、ちょっとだけ!」
「必要ない」
 
 見事なほど予想していた返しに驚く他ない。背後で椿と絢世が様子を伺っているのがわかる。「そこだ! 引くな!」と律夏なら間違いなくそう言う筈だ。なので、蛍都は引かなかった。
 
「わかんないだけど、なんで俺のこと嫌ってんの?」
 
 こうなったらズバリ本題に入るしかない。数センチ上にある彼の目をじっと見て訴えるとぷいっと視線を逸らされた。そのあとにまた素っ気ない言葉が続いた。

「別に嫌ってなんかない」
「嘘だ! だって俺のこと避けてるじゃん!」
「避けてない。忙しいだけだ」
「そっ……それはそうかもしれないけど!」
 
 個人的な感想としては仲良くしたい。大親友になりたい訳ではないがせめて他のみんなと同じように交流できる仲でありたい。だって一時期ではあるが楽しい時間を過ごした同級生なのだから、モヤモヤした気持ちでは過ごしたくない。もし過去の行いで何かしているのならばちゃんと謝りたいし、仲直りだってしたい。その気持ちは届かないのだろうか。
 
「……」
「何か言えって!」
 
 強気な態度を崩さずにいると理玖は黙った。お互いを睨み合うように少しの沈黙が続くと、助け船が後ろから飛んで来た。
 
「邪魔してごめんね。そこで話してると声も響くから、話すならこっちくれば? 邪魔ならおれと絢さんもう部屋に行くから」

  緊迫する空気を和やかにしてくれる椿の声。蛍都はすぐにその案を採用した。
 
「ほら、こっち!」
「おいっ……!」
 
 思い切って、蛍都は手を伸ばした。掴んだのは今にでも階段を昇りそうな理玖の腕でぐいっと引っ張ると状況が理解出来てない彼をラウンジへと引き込んだ。さすがに靴を脱がすことは出来なかったが十分だ。
 
「これで、逃げられないからな!」
 
 文句を言われるより前にドアをバタンと締め、逃がさない為にドアの前に立ちふさがる。そうするとさすがに観念してくれたのか大きな溜息を理玖は零した。
 
「だから別にお前を嫌ってはない……さっきも言った」
「だったらこの前のはなに?」
「あれは……疲れてたし、まさか出会うとは思ってなかったから驚いただけ」
 
 そうは言われても納得できない。「本当に?」と疑念を抱いた蛍都は無意識に腰に手をあて、理玖を見上げた。すると再び溜息をついた理玖が予想外の言葉を続けた。
 
「俺は嫌ってない。お前が俺を嫌ってただろ?」
「――へ?」
 
 今なんて? 思わず出た間抜けな言葉はその場にいた全員に聞こえただろう。理玖の後で様子を伺うようにこちらを見ている絢世と椿が顔を見合わせたのが分かった。そして瞬きを数回。言葉の意味が理解出来なくて蛍都は「なに?」と首を傾げた。
 
「だからお前、俺のこと嫌ってただろ?」
「……え? なんで?」
 
 これは予想もしてなかった反論だ。今日まで何度も過去を振り返ったが彼に嫌われるようなことはしてないと思っている。だから彼の態度に驚いているのに、まさか彼を嫌っていると思われているなんて――想像出来た筈もない。それに全くの嘘だ。
 彼を嫌ってないかいない。むしろ優秀な彼に憧れていた。だからこそ、放課後の実習室でのやりとり出来たことが嬉しかった。
 
「嫌ってないけど?」
「いや、嫌ってただろ」
 
 これは否定せずにはいられない。だって全くの嘘なのだから。
 
 背後の二人が「なんだか先が読めなくなったね」と話しているが、今はそちらを見る余裕がない。この勘違いをまずは否定しないと。
 
「なんでそう思うんだよ?」
 
 彼のことを嫌ったことなんか一度もない。自分のどんな行動がその勘違いを生み出したのだろうか。聞かずにはいられなくて、蛍都は首を傾げた。すると理玖は謎の数字を提示してきた。
 
「……3回」
「なに?」
「3回断っただろ?」
「だから何を?」
 
 本格的に話が噛み合わなくなってきた。一体なんの回数だ? ますます混乱する蛍都に追い打ちをかけたのはもちろん理玖だった。
 
「俺の誘い」
「……はあ?」
 
 待て待て待て! 本当に意味が分からなくて首を横に倒してクエスチョンマークを浮かべる。
 話が見えない。理玖は一体何を言っているんだ? 戸惑いに揺れる視線は理玖から外れ、ぱくぱくと唇が動く。間抜け面になっているのが自分でも分かるが、こんな展開に冷静を装えるわけがない。
 
「製菓学校の1年の頃、俺は3回お前を誘った。けどお前は全部断った」
「……え?」
 
 少し詳しくなった理玖の説明に記憶の引き出しを開ける。確かに彼の言う通り何度かご飯にいかないかと誘われた記憶がある。だけど予定があって断ったのも覚えている。どうしても妥協できない予定だったので仕方なく断った。
 
「お前は俺が嫌いだから全部断ったんだろ?」
「……なに言ってるんだよ?」
 
 話が見えない。頭が痛くなるほど混乱してきた。それは後ろで見守っている椿と絢世も一緒なのだろう。顔を見合わせ首を傾げている。
 
「確かに断ったけど……あれはどうしてもキャンセル出来ない用事があって仕方なく」
「そうは見えなかったけど?」
「ほんとだって! 俺こう見えて記憶力いいからちゃんと覚えてる。誘ってもらった日は全部好きな小説家さんの新刊の発売日で、どうしても先に本読みたくて」
「へえ……小説読むなんて初めて知った」
「確かに言ってない……けどこれは嘘じゃない!」
 
 理玖に誘われた時期は、好きな小説家の藤華牡丹がシリーズもののBL小説を5ヶ月連続新刊発行していた。ファンとしてもちろん毎月楽しみにしていた。理玖の誘いを断ってしまったのは申し訳ないが、蛍都としてもこれだけは譲れないことだった。これは事実で意図的に理玖を避けていた訳ではない。とは言え、断り方が悪かったのかもしれないと小さな反省の念が込み上げる。
 
「全部勘違いだよ。俺は別に西ヶ谷のこと嫌ってないし……って2年になってから俺と同じ実習室使ってなかったのってそれが理由?」
 
 少し反省した所でハッとする。1年の頃はずっと同じ実習室で練習をしていたのに、2年に上がったら全く会わなくなった。もしかして意図的に避けられていたのかもしれないという蛍都の勘は見事に当たったようで、理玖は「ああそうだよ」と素直に自らの行動を認めた。
 
「お前に嫌われたと思って……俺は」
「そんな勘違いでおれのこと避けないでよ!」
 
 それでも心なしか理玖の声の冷たさが減った気がする。小さな溜息が続いたが、最初のような棘はない。話を纏めるとこれはただの勘違いで拗れただけ。これで弁解出来たならもうお互い気まずさも消えるはずだ。
 
「とにかく、おれは嫌ってない。それに折角同じ場所に住んでるんだから仲良くもしたい。わかった?」
 
 もう無視するのはなし! そう付け足し、ほっと一息。思い切って今日声を掛けてよかった。こんな変な勘違いをずっとされていたら困る。ほっと一息ついた所で肩の力も抜ける。これでやっと心配事がなくなった。この半月、散々みんなに相談してきたが、明日ちゃんとお礼を言おう。ついでにお礼として別のケーキを作るのもありだ。新の息子の柾矢が次はチョコレートケーキがいいと言っていたのでそれでもいい。
 とにかく、無事関係が修復できるならよかった――と完全に安心していた時だった。
 
「木内」
「なに?」
「好きだ」
「――へ?」
 
 これまでの冷たい態度は何処に行ったのか、聞き覚えある冷たさの中に優しさが含まれた声が耳を掠める。その言葉の意味を蛍都はすぐに理解出来なかった。
 
「……今、なんて?」
「だから好きだ」
「……はい?」
「今まで嫌われてると思ってたからお前のこと忘れようとしてた」
「ちょ……っええ!?」
「だけど違うなら、まだ好きでいることにする」
 
 一体何度驚けばいいのだろう。落ち着いたと思った混乱がまた込み上げてくる。心なしか心臓の鼓動が早くなったのは衝撃的とも言える理玖の発言のせいだ。
 
「そういうことだから」
「……好きって……その……」
「だから、そのままの意味。嫌われてないってわかった以上、もう避けない」
 
 淡々と、だけど嘘や冗談を言っているようには見えない。あくまで真剣な瞳が蛍都を捉えると何故か頬が熱くなった気配に恥ずかしさが込み上げてくる。
 
「じゃあ今日はおやすみ。また明日」
「……お、おやすみ……?」
 
 戸惑いと混乱から抜け出せないのは何も理解出来てないからで、そんな蛍都を気にせず理玖はラウンジから出て行ってしまった。彼が出て行かないようにドアの前に立っていたが、彼を止めることは出来なかった。
 だって頭の中でこの数分間の出来事を理解するので精一杯で、全てを見守っていた椿が「大丈夫?」と様子を伺う声もまた聞こえなかった。
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