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14話ーなにも知らずに

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「おめでとうございます!」
 初めてのヒートが治まった三日後、雄大の姿はみつたにクリニックにあった。
 診察室に入るやいなや主治医の田口から祝いの言葉を掛けられ、拍手で出迎えられた。両手を打ち鳴らしながらニコニコと笑ったかと思えば、次の瞬間には「心の底から安心しました」と目に涙を浮かべる。
 若干情緒を心配してしまうが、バース性の誤診は亡くなった前院長のミスだとしてもそんなことは世間に関係はないし、責任を負いながら雄大を診るというプレッシャーが田口にもあって、そんな中でまずは第一段階である初ヒートを迎えられたことにほっとしているのかもしれない。
 勿論、ひと安心しているのは田口だけではない。ヒート期間中は壮絶な日々を迎えるのだと想像して怯えていた雄大も、戸賀井のお陰であの日の翌日には体の火照りや怠さが消えた。
 すぐにでもクリニックを受診したかったが、ぶり返しが来ないか心配だと戸賀井がしきりに心配するものだから念の為、数日開けてからクリニックを訪ねた。
「いやー、本当に安心しました。もしかしたら婚活イベントのお陰かな。あれが刺激になったのかな」
 ちょっとカルテに書いておこう、と忙しそうに手を動かし、それが終わると田口は漸く雄大ときちんと向き合う。
「さて……戸賀井から大体のことは聞いているけど、門村さんからもちゃんと聞かせて貰えますか」
「え、なにをですか」
「ヒート前後の話と、ヒート中の話です」
「えっ、言わなくちゃ駄目なんですか」
「詳しく、とまでは言いませんが、鼻の薬が効いていたのかとか、その辺も今後の参考にしたいですし、話せる範囲で構いませんから」
 田口の斜め後ろには女性看護師が立っている。戸賀井も研修医としてこのクリニックに勤めているから同僚ということになる。
 もし、彼女が戸賀井の想い人だったら? いや、彼女でなくても、このクリニックの関係者だとしたら、雄大が口を滑らせることで戸賀井が不利にならないかと心配になった。
「えっと……」
 チラチラと女性看護師の方へ視線を送る雄大に気付いて、「ごめん、ちょっと門村さんと二人きりにして貰える?」と田口が優しい口調で人払いをしてくれた。
 内容をカルテに書かれるかもしれないし、田口の口から共有されるかもしれない。いずれ知られることになるかもしれないけれど、リスクは少しでも減らしておきたかった。
「二人の方が話しやすいですもんね。すいません気付かなくて」
「あ、いえ、そうじゃないんですけど。戸賀井くんのことが心配で」
「戸賀井がどうかしました? ……ああ! 患者さんに手を出した、とかそういう心配ですか!」
「えっ、あっ、あー……ああ、そうです。それです。今回のことは俺が戸賀井くんに頼んで、無理矢理にお願いして、Ωのフェロモンを浴びせかけて半ば強制的にヒート処理をして貰ったので、どうか戸賀井くんを責めるようなことはしないでください」
 そうだった。戸賀井の好きな人のことを考えるあまり、研修医と患者である互いの立場のことを忘れていた。
 雄大が取り繕うよう早口で言うと田口は真顔になったのちに、ふふふ、と笑いを漏らす。どうやら「Ωのフェロモンを浴びせかけて」のくだりがツボに嵌ったようで「浴びせかけようと思って浴びせかけれるものですか? ふふ。悪の組織のΩみたい」と呟きながら目の端に溜まった涙をハンカチで拭っている。
「門村さんがとてもお優しい方なのは分かりました。同意があって、門村さんが責めるなと言うなら私たちが戸賀井を責めることはありません」
「……良かった」
 戸賀井の想う人に気を取られて職を失う事態を考えなかったことを反省して、緊張感から体に籠ってしまった熱を解放するように雄大は息を吐いた。
「あの子も必死だったんでしょう。おじい様の責任とはいえ家のことに関わりますからね」
「え?」
「……あれ、聞いてませんか」
 田口の目がくるっと丸くなる。聞いてませんか、というからには戸賀井のことなのだろうけど、雄大にはピンとこない。
「なんの話でしょう」
 疑問を素直に口に出すも田口はすぐに返事をくれなかった。
 戸賀井から聞いているものだと思い込んでいた、聞いていなかったんですね、戸賀井は言ってなかったのか、と繰り返し、結局回り道の末に最後には教えてくれた。
 
 雄大にバース性の告知ミスをしたのは戸賀井の祖父だった。

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