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12話 かけがえのないものsideグラン・ジークス
しおりを挟む冷たい風に乗って届けられたそれがふわりと鼻を掠めた瞬間、俺はその方向へと勢い良く振り向いた。
「……レイラ」
「ジークス卿どういたしまして?」
王都の街を多数の護衛騎士と共に回る令嬢には、目元に白のベール布が掛かっている。
最前線で戦う事が多い獣騎士団団長のこの俺が、やりたくもない高貴な令嬢のエスコートをする事となったのは今から2ヶ月前……初めてお会いした日に何故か令嬢に気に入られてしまったという理由と、この国で1番腕の立つ騎士だからと言う理由からだった。
「あぁ、いえ。少し胸騒ぎが……」
「まあ、もしかしてまた……」
遠くを見据えて呟く俺の腕に、令嬢の細い腕が絡みつく。
「怖いわ……」
「安心してください、我々が必ずお守り致します」
必要以上に密着されるこの状況は心底不快で直ぐさま令嬢の腕を振り払いたい衝動に駆られるが、これも仕事のうちだと割り切り、俺は事務的な言葉で返す。
予定より大分長引いている今回の任務。
仕事上仕方が無いとはいえ、殆ど何も言わずに出てきてしまった事を今更ながらに後悔しながら、俺は帰りを待っているであろうただ1人を思い浮かべて、遠くを眺めたのだった。
。。。。
「全く、もっと要領良く出来ないのかしら?兄弟なのに兄と弟でこうも差があるなんて……なんて恥ずかしい」
幼い頃から俺は兄と比べられて育った。
人の良さそうな顔付きに無害そうな細身な身体。
嘘も本音のようにペラペラと出る口の上手さはまさに、誰もが世渡り上手と感心するほどだった。
体術や剣術はてんでダメだったものの、頭は良く想像力も豊かで社交的な兄を、父と母は毎日のように褒め称え期待の眼差しを向けていた。
そんな兄とは反対に、俺への眼差しはいつもキツく冷たいものだった。
目つきの悪い無愛想な顔に無口な俺は、時間があると騎士団の訓練施設に行き騎士団の練習に混ざっていたため、成長するごとにガッチリと逞しい身体付きになっていった。
他と比べても獣の能力が高く、それ故に恐怖心すら与えてしまう俺は、次第に誰からも恐れられる様になった。
伯爵の地位に着いているため半強制的に王城でのパーティーに家族で参加した時でさえ、周りが俺を怖がった。
それからというもの貴族のパーティーに参加したした事は一度もない。
「どうして貴方みたいな子が産まれてきてしまったのかしら」
別にどうでもよかった。
笑おうとしても笑えないし、愛想良く話そうとしても話せない。
皆が俺を怖がる。
でも、アイツは……アイツだけは違ったんだ。
「おおかみさんはあたしをたべるの?」
他のガキ共が俺を見て泣くのを他所に、そのガキだけは俺の目を見て純粋に小さな口を動かした。
伯爵領にある数少ない孤児院に不吉な瞳を持つ子供がいる。
俺が母から言われた仕事は、その子供の処理だった。
(あぁ、コイツか……この子だ……)
それを見た瞬間……いや、見なくても、この地に足を踏み入れた瞬間に分かった。
この小さな存在が、俺の運命であると……。
目の前の子供を見るまでは心底どうでもよかった。
さっさと処理して、また訓練へと戻ろうと軽く考えていた。
だが、数分前までの考えが吹き飛ぶ程、俺はこの子供の事しか考えられなくなったのだ。
嬉しい。
触りたい。
包み込んで大切に守りたい。
俺だけしか見えない様に。
その綺麗な赤の瞳で、俺だけを映して欲しい。
そんな、俺が俺で無いような考えが身体中にふつふつと湧き上がる。
気付いた時には俺は子供へ手を差し伸べ、子供は嬉しそうに笑い、俺の手を取っていた。
それから俺の行動は早かった。
両親の反対や罵倒を押しのけ、小さな町に移り住んだ。
これまでの境遇のせいだろうか、レイラは酷く他人の目を気にした。
そして、それを俺へ気付かれないよう必死に隠していた。
俺はそんなレイラが酷く痛々しくて、誰の視線も気にならないよう、町外れの小さな森に小さな家を建ててレイラと2人だけの暮らしを始めたのだった。
獣人はただ1人の番……『運命』を本能で見分ける能力がある。
だが、人間にはそれがない。
幼いレイラはきっと、俺が運命だとは気付いていない。
だが、それで良かった。
俺とレイラでは年齢が離れすぎている。
俺は既に成人していて、レイラはまだ保護者が必要な年齢だ。
これから先様々な人達と出会って恋だってするだろう。
そんな人生が待っている幼いレイラを俺が邪魔していいわけが無い。
そうだ、ただレイラが成人するまでこの手で守り、育てるだけ……。
他には何も望まない。
だから、それまでは傍に……。
そうやって自分の気持ちと本能に蓋をし続け、幾度もの年月が経った。
幼い頃から可愛らしい見た目をしていたレイラは、成長する度に綺麗になっていき、同時に身体も女性らしく成長して行った。
運命の力とは残酷で、無意識に出るレイラの香りは、何度も俺を誘惑した。
「ねぇグラン、いつになったら私を食べてくれるの?」
毎日のように俺の寝室へ入り、無防備な姿で口にするその言葉に、何度俺の固い意思が揺らいだか……今ではもう覚えてすらいない。
愛おしい……愛おしい、俺の運命。
レイラだけだった。
純粋な綺麗な瞳で俺を見てくれたのは。
何も持っていない俺に、温かい言葉をくれたのは。
レイラしかいない……俺の心を揺るがす存在は。
全てはレイラのためだった。
胸糞悪い家を出たのも、住みずらい街の離れに家を建てたのも、騎士団長を目指したのだって。
騎士団長の座に着くのは簡単では無い。
数多の功績と実力、判断力と行動力。全てが求められる。
毎日の訓練もレイラは傍で見守り、応援してくれた。
若くして団長へ登りつめた時でさえ、レイラはいつもと変わらない純粋な笑顔で喜んでくれた。
その笑顔を見ると、心が救われた。
だが同時に、これまで俺に興味を示さなかった両親が騎士団長の座についた途端口を出すようになった。
それだけでも気分が悪かったが、1番頭に来たのはレイラへの蔑みだった。
あんな小汚い悪魔は捨てて家に戻れと罵倒し、何度かレイラを狙った襲撃にもあった。
その時は俺がいち早く対処してレイラには気付かれずに済んだのだが、俺にとってこれまでの人生で最大に怒りを覚えた瞬間だった。
いつか別れが来たとしても、レイラが心から信頼できる人でなければ……レイラは絶対に渡さない。
俺よりも強くて、俺よりも金を持っていて、俺よりもレイラに優しくできて、俺よりもレイラを大切にしてくれる……。
ーーいや、本当は分かってる。
レイラを手放す気が俺に無いことなど。
ーー誰にも渡したくない。
俺の腕の中にいてほしい。
ーーレイラは俺のだ。
あんなやつには絶対に渡すか。
この世で1番レイラを大切にして、レイラを心から愛してるのは、俺なんだ。
。。。
ふわりとまた風に乗ってまたあの香りが鼻を掠めた。
(……もしかして、いるのか?)
初めは勘違いだと思っていたが、何故か胸騒ぎが止まない。
街の人々がわらわらと俺達を囲み、口々に間違った噂を口にしている。
俺は不快感を顔に出さないよう必死に取り繕うが、今ではもうそれが出来ているのかすら分からない。
意識は隣の守るべき対象よりも、この香りの主の事で頭が埋め尽くされている。
『……グランのばか』
「ーーはっ!レイラ!?」
微かに聞こえた様な気がして、俺は声の先へと勢いよく振り向く。
だがそこには大勢の街の人々が居るだけで、俺の求める存在は居ない。
「ジークス卿?どうしたんですの?」
隣の令嬢が俺に巻き付ける腕を強くする。
「あぁ、いやなん……でもーーっ!!」
その時、大通の隅に光るものを見つけ、俺の視線はそれだけに釘付けになった。
(あれはっ……あのブレスレットは!!)
「ーー離せ」
「……え?」
「だ、団長!?何処へ!!」
俺は絡みついた令嬢の手を振り払い、近くにいる他の団員に何も告げることなくその場を離れた。
団長である俺が持ち場を離れたことによって団員達の焦りや、令嬢の驚く声は勿論、街の人々の声も俺の耳へと届いた。
だが今は、それに構う余裕などなかった。
何故ならあの…あのグレーのガラス玉のブレスレットはーーー。
俺は即座にブレスレットを広い、鼻へとそれを近づける。
「間違いない、これは……レイラのだ」
俺の瞳の色をしたガラス玉。
微かだがレイラの香りが残っている。
その瞬間、ブレスレットを渡した時のレイラの喜ぶ顔が思い出されたーー。
何故だ、何故レイラがここに居るんだ。
そして、レイラは何処へ行ったんだ。
胸騒ぎが焦りへと変わる。
嫌な予感が現実になる気がして、俺の手は初めて小刻みに震えていた。
(クソッ!!頼む、どうか……どうか無事で居てくれ……レイラ!!!)
先程微かに聞こえたレイラの声が耳から離れない。
俺は薄らと残るレイラの香りを頼りに、ざわめく広場に背を向け走り出した。
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