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シーズン1/第一章

ロームルスの秘剣③(ミアの回想)

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 【新暦3820年/第6の月/10日】

 大きな屋敷とはいえ、その激しい音はくまなく響き渡った。

 何事か、と、すぐに玄関ホールに人が集まって来た。キアルを始めとするメイドたち、執事たち、当主のオズ……。
 破られ、床に倒れた大きな玄関扉。その分厚い木板をミシ、と踏む青肌の怪人が二人。


「よお、エルディーンさん。お邪魔するぜ」
 にやり、と笑みを浮かべながら片方の魔人が言う。

「な、何者だ、表の兵士たちはどうしたっ」
 当主が、侵入者に対して怒気を込めて言う。が、異色の肌の怪人たちはけらけらと笑っている。


「お前たち、ご当主様に向かってなんだその無礼な態度は――」

 執事が一人、果敢にも侵入者たちに食ってかかるように前へ出た。
 緑色の髪の、若い執事だ。レオンと言う名の執事で、つい一か月前にこの屋敷に勤め始めたばかりの新人だ。異様な状況に対して呆然とする者が多い中、彼の行動は評されるべきだ、だが……、

「――っ、ぐああああ」

 と、執事は悲痛な声を上げて倒れた。どた、と男の体が床に倒れるのに合わせ、鮮烈な血しぶきが舞う。

 前へ出ようとした執事の足を、鋭い剣が切りつけたのだ。左足のふくらはぎ、ズボンの布と皮膚が裂けて、その間から赤い肉がはっきりと露見している。


「大人しくしていてくれたまえ」

 ピ、と剣の血を払いつつ冷たい声でそう言ったのは、兵長のアルベルトだった。
 ……執事のレオンを斬り裂いたのは、屋敷の警備をするべきはずの男。
 彼の突然の異様な行動に、その場の全員が驚いて唖然とする。

「アルベルト、お前、一体何を……?」
 当主のオズが思わず問うが、アルベルトは答えない。


「アルベルトさんっ、なんてことを――!」
 足を斬られ、苦しそうに悶える若い執事のもとへ駆け寄ったのは、メイドのキアルだった。

 床に広がる血でメイド服が汚れるのを毛ほどもいとわない様子で、倒れた執事を介抱するようにそっと彼に触れるキアル。同時に彼女は、アルベルトを睨み付ける。


「まったく、お前たち。打合せと全く違うぞ。私が合図を出してからこっそり屋敷に忍び込めと言ったんだ。堂々と玄関を破って入ってこいなどと言っていないし、そもそも合図はまだ出していないんだぞ。私はできる限り穏便に済ませたかったと言うのに」

 当主の困惑した目線やメイドの鋭い視線などは意に介さない様子で、アルベルトは二人の魔人族に向かって文句を言う。他の使用人たちは、全く事態が呑み込めずに、どよめきさえも起こさない。


「なにを言ってんだ、アルベルトさんよ。事を荒げたくないなら、俺たちを雇うんじゃねえよ。俺たちゃ荒事専門なんだ」
「そうだぜ。……それに言わしてもらうが、結局同じことだろ。こっそり忍び込む必要なんかねえよ。だって、ここの警備兵は全員グルなんだから」

 二人の魔人が口々に言う。


 屋敷の周囲には、高い塀をぐるりと囲むように警備兵が配置されている。
 それなのに彼らがすんなりと入って来られたのは、門兵だけでなくすべての兵士が彼らと通じていたからだ。

「アルベルト、貴様……っ。一体何が狙いだ!?」
「……言わなければ分かりませんか? この状況ですぐに察しが付くはずだ。――を、我々に譲り渡しても
らいたい」

「貴様……、なぜ剣のことを……」

「何故知っているか? そんなことを今あなたが気にする必要はない。状況を考えろ」

 そう言って、アルベルトはオズの首元に剣先を向けた。
 唖然としていた使用人たちもさすがに慌てる。まさかアルベルトは当主の首を斬ろうとしているのか――と思われたが、そうではなかった。
 彼は巧みな剣さばきで、当主が首にかけたカギ紐だけをスパリと切った。そして当主の首から落ちる鍵束をさっと拾い上げた。


「こんなに大量のカギをまとめて提げて歩くなんて、まったく馬鹿らしい。保管庫に錠をいくつ付けても、こうして鍵束を奪われれば一緒なのに」

 アルベルトが、かなりの重量になる鍵束を見て鼻で笑う中、扉がなくなった玄関から警備兵たちが入って来た。
 本来屋敷の回りを警備し、怪しい人物や侵入者を止めるのが彼らの役目だが、もはやその仕事をする必要がない。本当に全員、グルなのだ。

 ざざざ、と屋敷へ入って来た兵士たちの中の一人に、アルベルトは鍵束を投げて寄越す。


「ご当主どの。それに使用人ども。大人しくしていろよ。我々の目的は、ここに密かに保管されているとある剣なのだ。それさえ手に入ればよい。安心しろ、大人しくしていれば殺しはしないから」

 血の付いた剣を見せつけるようにして、アルベルトは言う。
 もっとも、この家の中でかの剣のことを知っているのは当主と、娘のミアと、そしてこの屋敷で長く仕えているミゲランだけなのだ。
 他の使用人たちは、あの厳重な保管庫に何が隠されているのかを知らないし、アルベルトの言う剣が何のことだかは分からないのだ。

「お前たち。さっさと保管庫を開けて、剣を持ってこい。それと、屋敷の人間はすべてここに集めろ。――まだ、小娘とジジイが顔を出していない!」

 鍵束を手にした兵士たちは荒々しい足取りで保管庫へ向かった。


        /


「――まずいです、お嬢様。逃げましょう!」

 当主の娘ミアと執事長ミゲランは、玄関ホール前の扉ののぞき窓から、一連の騒ぎをうかがっていた。
 魔人たちが派手に侵入してきてすぐ、ミアは玄関ホールに飛び出ようとしたが、ミゲランがそれを制止した。扉は開けず、のぞき窓から息を殺して様子を窺っていたのだ。


 だが、今自分たちがいる廊下は保管庫へつながっている。当主から奪った鍵束を手にした兵士たちがこちらの扉に向かってくる。二人は慌ててその場を離れ、走った。

 廊下の最奥が保管庫であるが、二人はそこより少し手前の部屋に飛び込んだ。間一髪のところ、廊下に入った兵士たちに、部屋へ飛び込む二人の姿は見られなかった。

 息を殺しながら、扉の鍵を閉めるミゲラン。廊下に、どたどたと廊下を駆ける兵士たちの足音が響く。


「ど、ど、ど、どうしよう、ミゲラン……っ」
 ミアは震え、その瞳に涙を浮かべている。

「魔人族がいきなりやって来て、それに、一体、どうしてアルベルトが……! ああ、それに、どうしよう、レオンが斬られちゃって……は、早く、手当てをさせなくちゃっ」

 レオン、とはアルベルトに足を斬られた若い執事のことだ。新人ながら仕事をうまくこなし、また人当たりの良い気さくな青年であり、ミアもよく話しをする仲だった。

 慌てふためくミアに向け、しっ、と人差し指を口に当て、ミゲランが小声で話す。

「お嬢様、落ち着いてください。レオンも足を斬られただけ、大丈夫です。……やつらの目的はあの魔剣です。あれは、決して渡すわけにはいきませぬ」

「で、でもっ、お父様や、みんなが……! あれさえ渡せば、殺しはしないと」
「いいえ。そうはいきません」
「どうしてっ……?」

「あれは呪われた魔剣ですぞ。アルベルトがあの剣を手にしてどうするつもりかは知らぬが、あの剣に一度でも直に触れれば、理性など消え失せる。目的の物さえ手にできれば皆の命は奪わないなどと、そんな倫理観を保てるわけはないのです。みな、殺される」

「そんな……」
「ええ。しかし幸いにも……」

 ミゲランは聞き耳を立てるように、廊下の様子を窺う。


 彼の思っていた通りだった。どうやら兵士たちは、保管庫を開けるのに手間取っている。なにせ錠は相当数掛けられている。一つ一つ、対応するカギを探して開けていくのはかなり時間がかかる筈だ。
 さらに、この部屋に潜んでいることが勘付かれたとしても、部屋のカギは自分が持っている。すぐには開けられない。

 そして――。

 ミゲランは扉を離れ、足音を立てないように静かに歩く。ミアも、足を震わせながらも、彼についていく。
 壁に掛けられた大きな絵画。それを二人でゆっくり外す。その裏の壁には窪みがあり、そこには窪みに合うよう設計されたらしい金庫がはめ込まれていた。

 ダイアルを回してロックを外し、金庫の扉をゆっくりと開く。


 そこには棒状の包みが入っていた。――布で丁寧に包まれた、魔剣である。

 無数の錠をかけ、これ以上なく厳重に封鎖されたあの保管庫は、フェイク。剣の保管庫はここだ。
 且つ、自室の掃除は必ず自分の手で行い、ミゲラン以外の使用人には部屋の侵入を禁止することで決してこの保管庫が見つからないようにしている。

 ミアは日ごろから、父のことをあまりに用心深い人だなと思い、呆れていたものだが、今ばかりは父のことを誰より偉大だと思えた。


        /


「良いですか、お嬢様。もはや今の状況では、我々だけでこの剣を守り切ることは不可能です。……ブルック騎士団に救援を頼みましょう」

 エルディーン家の当主の部屋。廊下の向こうで兵士たちが保管庫を開けるのに手こずっている様子を扉越しに窺いながら、老執事ミゲランが言う。

「ダフニスの町には第三十六師団の駐屯所があります。そこの師団長のエシリィ殿は優秀な魔法使い。この剣を持って町まで行き、彼女に救援を頼むのだ。アルベルトや護衛兵どもなど、束になっても彼女には敵わないはずです」

「そうね……」


 老いながらも強い眼差しを持つ彼は、その視線を当主の娘へ向ける。
 緊迫した状況に、少女の心は今にも押しつぶされそうだが、しかし彼女はぐっと涙をこらえて懸命に老執事の言葉に頷く。

 当主や他の使用人たちは、玄関ホールでアルベルトを筆頭とした兵士たちに囲まれている。今、この屋敷で動けるのは自分とミゲランしかいないのだ。少女はその事実を思い直し、勇気を奮い立たせる。


 ミゲランが、壁に埋め込まれた金庫の中から棒状の包みを慎重に取り出す。
 かつて魔人族との戦争で使われたと言う、魔剣である。
 さやつばも、布ですき間なく丁寧に包まれている。曰く、この剣に少しでも直に触れれば呪いを受けて理性や正気を失ってしまうという。

 それを、ミゲランは少女に差し出す。


「わ、私が持つのっ?」

「お嬢様。やつらはワシらを探しております。見つからずに街道へ出ることはできませぬ。……私が囮になります。ワシは正門の方へ向かいますので。お嬢様は、裏の通用門を通って、街道へ出るのです」
「そ、そんな。私が、一人で、これをダフニスへ持っていくってこと……っ?」

「申し訳ございませんが、老いぼれの足では兵士から逃げられませぬ。……無理なお願いをしているのは分かりますが、今となっては、お嬢様しか……」
「…………っ」

 老執事の悲痛な顔を見て、ぐっ、と手を握る少女。
 そして、緊張した面持ちで布で包まれた剣を受け取る。


「……それと。お嬢様、これを」
 ミゲランは当主の部屋の衣装棚から、ローブを取り出して少女に渡す。

「恐縮ですが、旦那様のものを拝借させていただきますぞ。森の中の街道を抜けるのですから、地味な色でないと魔獣が寄って来てしまうかもしれないですからな」
「そ、そうね……」

 ミアは、家紋が小さく刺繍されたそのローブを羽織った。父親のものなので、少女の体ではぶかぶかだ。


 そのとき。ちょうど、廊下の奥の保管庫のカギをすべて開け終えられたらしい。中に何もないぞ、と騒ぐ声が廊下の方から聞こえた。

 二人は、急いで当主の部屋の窓から外へ出る。ミゲランが正門の方へ駆けていく。
 囮になるべく、彼は当主の部屋にあった杖を適当な布に巻いて持っている。
 その背中を見て、少女は、きっ、と表情を引き締めて駆け出す。


「ミゲランだ! 剣を持っている!」

 正門の方から、そんな声が聞こえる。その声を聞き、通用門で張っていた警備兵も正門の方へ向かったらしい。
 今だ、と心の中で掛け声を出し、少女は通用門を抜ける。
 エルディーン家の屋敷は、周囲を高い塀に囲まれている。出入りは、正門と、反対側の通用門からしかできない。正門に兵士が集中しているなら、通用門から気付かれずに抜けられる。

 アルベルトの言葉を思い出す。――剣さえ手に入ればそれでよい、みなを傷つけたりしない、と。
 きっとミゲランも大丈夫だ。斬られるようなことはない。

 だが、自分が手に持つこの剣を渡してしまっては、そうはいかない。

 ミゲランが言っていた。この剣に一度でも触れれば、途端に理性や正気など消えてしまう。屋敷の者は傷付けない、なんて倫理観はすぐになくなる、と。


 この剣をやつらに渡してはいけない。
とにかく、彼が注意を引いてくれている隙に、自分は街道へ抜け出るのだ。それだけ考えて、少女は懸命に駆けた。


        /


「――はあっ、はあっ」

 裏の通用門から塀を抜けたミアだったが、街道を駆け出したときに、三人の兵士に見つかってしまった。彼女が持つ長い棒状の包みが件の剣であるとすぐに察したのだろう、兵士たちは一目散に追って来た。


 左右を背の高い木々に見下ろされながら走る少女は、あどけない顔を絶望の色に染めている。

 いくら息が切れても、苦しくても、足を止めることはできない、たちまち捕まって、剣を奪われてしまう。しかし、ダフニスの町までの長い道のりを、休憩もなしで走り続けるなど無理な話だった。

 少女は走ミアがら、絶望している。

 軽装とはいえ少なからず重量のある装備だが、それでも訓練された兵士だ、自分の足では逃げきれない。捕まるのは時間の問題なのだ。
 ミアはちらりと振り返り、兵士がじりじりと距離を詰めてきているのを確認した。もうだめだ――そう、思うが、それでも少女はなおも奮起して、力強く足を踏み出す。

 しかし、

「きゃあっ」
 つい、突き出した木の根に足を取られ、転んでしまった。小さな体が、街道を土の上を転がり、きれいなブロンドの髪が汚される。

「う……」
 痛みに顔を歪めつつ、ミアは地面に手をついて体を起こす。

 ぬっ、と頭上から影が差し込む。はっ、として見上げると、当然のことながら兵士たちが自分のことを見降ろしている。

「へへへ、……さあ、観念して下せえ、お嬢様」

 地にへたり込んだままのミアに、兵士が下品な言葉をかける。ミアは恐怖に体を震わせながらも、きっ、と男たちを睨む。


「これだけは――渡せないわ!」
「いい加減諦めて下せえよ、お嬢様。もう追いかけっこは終いだ。逃げらんねえよ。……それとも、多少痛い目を見なきゃ大人しくしねえってんなら、それでも構わねえぜ」

 ゆっくりこちらに歩み寄りながら、剣を抜く兵士。スラリ、と冷たい音が鳴る。ミアは、ひっ、と短い悲鳴を上げる。恐怖で体が動かない。瞳の端に涙がにじんでくるのが分かる。


 少女はぎゅっと目をつむり、そして剣を、ぎゅっ、と力強く抱きしめる。

 もう、だめだ。
 少女は絶望した。

 せっかくミゲランが囮になってくれたのに、自分が兵士に見つかってしまったせいで、無下にしてしまった。三人の兵士に追い詰められたこの状況では、もう、非力な自分に剣を守るすべはない。

 アルベルトがこの剣を手にすれば、玄関ホールで捕えられている父や使用人の皆は殺されてしまうかもしれない。
 いや、その前に、この兵士たちが本物かどうかの確認のために軽率にも布を解く可能性だってある。そうして剣に触れてしまえば、魔剣の毒に侵された兵士によって自分はすぐに斬り殺されるだろう。

 もはや最悪な未来ばかりが頭をよぎる。
 少女は、絶望した。


 だだだだだ――――

 そのとき、激しい足音が聞こえたのだ。

 な、なに――? と、ミアは驚いて目を開く。見開かれたその目に映ったのは、『青』――。

 深い青色の何かが街道の先から駆けてきて、その勢いのまま兵士に突撃した。兵士は向こうの茂みにまで吹っ飛び、突如現れたその者は道の中心に堂々と立った。


「え――?」

 一体何が起こったのか、理解が出来なかった。とにかく、兵士に剣を向けられていた危機的状況から脱せたのは分かる。
 それが、今、飛び出てきた男のおかげであることも。

 しかし、男が何者なのか、どうして自分を助けてくれたのかは全く理解できない。それらを理解するよりも前にミアの頭の中に浮かんだ感慨と言えば、ただ、派手な格好の男だ――ということだけだった。

 そんな感慨を浮かべるのみで、依然、ぽかん、とした表情のミアに対し、その男は、背を向けたまま言う。


「――大丈夫か?」
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