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シーズン1/第一章
ロームルスの秘剣②(ミアの回想)
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【新暦3820年/第6の月/10日】
「ミアお嬢様。おはようございます」
コンコン、と小気味よいノックの音の後に、可愛らしい女性の声がドアの向こうから聞こえた。ブロンドの髪の少女は目を開く。
失礼いたしまーす、という言葉の後、メイドが一人、入室してきた。メイドは、少し青みがかったロングの黒髪をうなじの辺りでリボンを結んで一つ括りにして、背に垂らしている。
上体を起こし、ふにゃあ、と欠伸をするミア。
メイドがその少女に身を寄せて手を伸ばし、ベッドのすぐ側の窓のカーテンを開ける。シャッ、とカーテンレールが滑り、朝日の照射が差し込んだ。
少女のブロンドの髪は言うまでもないが、メイドの黒髪も、陽を受けてキラキラと煌めいていた。青みが強調され、頭頂部には光の反射によってきれいな輪っかが出来上がっている。
「おはよ、キアル」
ミアは目を擦りながら、メイドに向けて挨拶をする。
「起こしに来てくれて、ありがとね」
「そんな、とんでもないです。私はお嬢様付きの使用人なんですから。当然です」
「まあ、それはそうなんだけど」
キアルは幼い頃にこの家に拾われた身であり、ずっとこの屋敷でメイドとして仕えている。ミアにとってキアルは、物心ついた頃からずっとそばにいる、まさに家族同然――姉のような存在なのである。
「今日はすごい晴天ですね。雲が一つもないですよ」
「本当ね。やだなあ」
「どうしてですか?」
「お父様からよく聞いたわ。無雲の空は不吉の前触れだって。こんな日は得てして、それまでの日常を打ち壊すような、何か劇的な転換期となるものだって……、ロームルスでは昔からそう言われてるんですって」
「そうですね……確かにそんな話を聞いたことありますけど。でも、そんな風に悪い空には見えませんよ。だって、ホラ、こんなにきれいです。まるで一面に広がる海みたいじゃないですか」
窓の向こうのまっさらな空を眺めて、ふふ、と笑んで言うキアル。
「なあに? キアルって、海見たことあったの?」
「……あれ? おかしいですね。そう言えば海なんて見たことはないような……」
きょとん、と呆けた顔するキアル。ロームルス地区は山や森に囲まれるばかりで、海などない。幼い頃に拾われてからずっとこの屋敷で仕えるキアルが、海を見る機会などありようはなかった。
「でも、不思議です。本当に見たことがあるように、すごく鮮明に浮かぶんですよね。
昨日だって、ダフニスへお買い物へ行ったとき、全身青い服を着た男の人に会いまして。その人を見たら、きれいな海原を思い出したんですよね」
「ああ。ローブを渡してあげたっていう?」
「はい。いやあ、あの人を見た瞬間に、なんだか不思議な気持ちになったんですよね。なにかこう、ぐっと胸を掴まれた感じと言うか、それでいてどこか懐かしいような、切ないような……。なんでしょうかね、不思議です」
古い記憶が思い出せずにもやもやとしてしまうときのように、むむむ、と難しい顔をしながらメイドは言う。
「男の人を見て、切ないような気持ちに……? なにそれ。それっていわゆる……」
「いわゆる、なんですか?」
「…………。なんでもない。その話、レオンには言わないであげなよ」
「え? どうしてです?」
「まったく、自分のことも他人のこともすっかり鈍感なのね、キアルって」
ミアは呆れたように、じと、としたメイドを目で見る。何の話かさっぱり分からず、キアルは困惑したように首をかしげる。
「あ、お嬢様。お喋りをしている場合ではありませんでしたっ。もうすぐ朝食の準備が整いますので、お早く支度しましょう」
「ええ」
ミアは立ち上がり、キアルに手伝ってもらって手早く着替えを済ませ、寝起きで乱れた髪を慣れた手つきで梳くと、メイドと共に部屋を出て、食堂へと向かった。
/
セパディア皇国はその広大な領土のうち、多くを山や森で占める自然豊かな国である。
中でもロームルス地区はその傾向が著しく、いくつかの町や村が点在するほかはすべて緑が占めている。
エルディーン家は、ロームルスで古くから栄えてきた貴族だ。国全体を見て考えれば、せいぜい田舎の三流貴族だと言わざるを得ないが、とは言え自然に囲まれた広大な平野の中でも目を引くほど大きなその屋敷は、当家の権威を示している。
また、その権威の誇示に一役買っているのが、屋敷を囲む高い塀と配置された警備兵の多さである。
都市パンドラとダフニスの町をつなぐ、マルス街道――その街道沿いに建っているため、屋敷前に人の往来は少なくないものの、周囲は森や田園ばかりで民家はないのだ。そんな立地で、過剰なほどの警備を敷いている。
それには理由がある。
屋敷の長い廊下を歩き切ったその突き当りには、重い鉄扉で閉ざされた保管庫がある。単なる倉庫ではない。なにせ、重い錠前が何重にもかけられているのだ。
エルディーン家には、代々受け継ぎ、管理している秘蔵の剣があった。
ロームルスの秘剣。
曰く、それは邪悪な力を持つ魔剣。古代、魔人族との戦争で多大な戦果をもたらしたと言う伝説の剣である。それを用いれば強靭な魔王軍の一個小隊を一人で相手にできたという。
ただし、その代償に使用者の心は蝕まれ、人ではなくなる。
正気を失い、周囲にいる者に誰彼と構わず斬りかかる獣となるのだ。
そんな、世に出ようものならば必ず惨劇を生むだろう、呪われた魔剣。人目につかぬよう、また、その存在が外部の者に知れることさえ避けるため、由緒あるエルディーン家が密かに、代々管理し続けているのである。
「――まったく。お父様も、用心深い人よね」
父から聞いていた、屋敷に保管されている剣の話。メイドと共に部屋を出る際。ふとその話を思い出したミアは、廊下の奥に視線を向けつつ、ぽつりとそう呟いた。
そこには見るからに重そうな鉄扉があり、錠が無数にかけられている。カギはすべて、当主が肌身離さず持ち歩いている。
剣が持ち出されることのないよう、父は細心の注意を払っている。基本的に父のことは尊敬しているものの、そこまでするのか、と、あの鉄扉を見る度にミアは少々呆れてしまうのである。
/
「ミアお嬢様。おはようございます」
ミアはメイドのキアルと並んで屋敷の廊下を歩き、大きな扉に行きつく。食堂である。
キアルに扉を引いてもらい、中に入る。彼女が食堂へ入室すると、すぐに年老いた声で挨拶がかけられた。
ミアに挨拶をしたのは、立派な白鬚を蓄えた老人。
年老いてはいるが弱々しい雰囲気はなく、むしろ長身で背筋が通っていて、その黒いスーツをぱりっと見事に着こなしている。彼が着ているのは、燕尾服。すなわち彼は執事である。
「あら。おはよう、ミゲラン」
白いブラウスに黒いふわっとしたスカートというミアの服装は、落ち着いた清楚な雰囲気ながらも、未だ彼女が持つ幼い魅力をもしっかりと演出する。
少女に挨拶を返され、ぺこ、と小さく頭を下げる老執事ミゲラン。
ミゲランは、大きな食卓の中心の席に座る中年の男のそばに仕えるように立っている――というか、実際にそこに座る男こそ彼が仕える主である。
この屋敷の当主、オズ・エルディーンである。五十手前ほどの年齢で、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気男性である。せいぜい田舎地方で栄えてきた家系とはいえ、彼の纏う空気感からは確かに貴族らしい気品が醸されている。
食堂のテーブルについているのは、当主のオズと、娘のミアだけ。
当主の妻は、随分前に病で亡くなった。ミアは一人娘だ。屋敷の住み込みの使用人たちの部屋は離れにあるので、すなわりこの広い屋敷の中で暮らすのは当主と娘の二人だけなのである。部屋はいくらでも余っている状態だ。
「キアル。私の部屋は掃除に来なくてよいからね」
オムレツを口に運びつつ、オズはメイドに向けて言う。
「はい。心得ております」
慎ましい表情で答えるキアル。いつものことなのである。
オズは、自室の清掃を決して使用人に任せない。起床時や就寝時にも、必ず自分で身支度を整えるので、使用人たちが彼の部屋に入ることはないのだ。
稀に当主の部屋に入ることがあるのは、唯一、執事長のミゲランだけ。それ以外の使用人は、入室することを禁止されている。
――そんな父に対して、まったく用心深い人だ、とミアは半ば呆れている。
/
「ミアお嬢様。おはようございます」
「あら。おはよう、アルベルト」
廊下で、兵士とすれ違った。チェインメイルを着て、兜は外して小脇に抱えている。他の兵士たちと同じ武装であるし、何よりまだ二十代前半と若い年齢なのでそうは見えないが、彼はここで雇われる警備兵たちをまとめ上げる兵長である。
つい三か月ほど前に雇われたばかりだが、年が若く、また爽やかで好青年的な雰囲気のため、ミアにとって話しやすい相手だ。
「お嬢様。今日は、とても良い天気ですね」
「え? そうかしら。私はあまり、そうは思えないんだけれど……」
起床時、キアルともそんな話しをした。今日は雲一つない晴天だ。キアルはきれいな空と言っていたが、ロームルスでは無雲の空は不吉の前触れだと言われている。ミアは、この空を見てあまり良い気はしない。
「いえ。とても良い空ですよ」
大きな廊下窓の向こうを見上げつつ、アルベルトは呟くように言う。それはキアルが言っていた言葉と同じ筈だが、彼女が言うのとは何か違う意味に聞こえた。
/
午前中の勉学の時間の時間を終え、週に一度ダフニスの町から呼んでいる講師が帰っていった後。ミアは自室で休憩していた。
「どうですかな。ご勉学の方は」
凛とした雰囲気の老人、執事長のミゲランが部屋へやって来て、彼女に声をかける。
「大変よ。学院へ行っていたときとは大違い」
「それは当然です。お嬢様には、エルディーン家の農園の経営を受け継いでもらわねばなりませぬから。ご学院で学ばれていたこととはまた違いましょう」
「なにも私が、こんなに早くから勉強しなくても……。いっそ、頭の良い男の人をお婿さんに迎えればいいじゃない。そういう優秀な人に任せてしまえばいい、と考えれば、私が急いで勉強する必要もないもの」
「ご当主様は、部外者を家に入れるのをいたく警戒しておいでなのですよ。家の存続のためにはいつかお嬢様に婿をお迎えしていただかなくてはならないのは当然ですが、しかしあくまで当主はミアお嬢様にと」
「警戒って……あの剣のこと? まったく。お父様も、用心深い人よね」
「仕方ありませぬ。それに、お嬢様の言うように聡明な方を婿に迎えたとして――しかし特に頭のキレる者というのは、得てしてその胸の内に野望を秘めているものです。となれば、魔剣を良からぬことに利用しようとも考えかねません。それを思えば、やはりお嬢様が当主としてお家を動かすのが賢明かと、ワシも思いますぞ」
「ふうん……」
ミアは頬を膨らませて、不安を露にする。
「ま、分かってるわよ、結局お勉強は大事ってことよね。大人は必ずそう言うんだもん」
令嬢の擦れた物言いに、困ったような笑顔を見せるミゲラン。
「でも、私だって旦那さんを選ぶ権利はあるわ。私が当主として家を動かすかどうかは別として、それでもやっぱり賢そうな男の人がいいもの。賢くて、格好良くて、優しくて、爽やかな人がいいわ。そうねえ、――ちょうど、アルベルトみたいな」
「ほお」
興味深そうに長く蓄えた白鬚を撫でるミゲラン。
「それはそれは。彼が聞いたら喜ぶでしょうな――、おや?」
ふと、何気なく窓の外に目線が行ったところで、髭を撫でるミゲランが手つきを止めた。
「どうしたの?」
不意に動きを止めた老執事につられて、ミアも窓の外を見る。
彼女の部屋の窓からは、屋敷の正門が見える。両脇に門兵が構えるそこに、二人の人影立っているのが見えた。ローブで身を包み、フードを深くかぶっているので、肌の露出部はほとんどない。
その二人は、門兵の前に立ち、フードを脱いだ。
「あれは、魔人族?」
男たちのその顔――紫色の肌が露になった。
「旅の人かしら。でも、魔人族の人がこんな田舎で旅をしているなんて、随分珍しいわね」
「うむ。ロームルスで魔人族を見ることなどそうそうないですからの。……それに、彼等はこの屋敷に何か用でしょうかの?」
じっ、と、窓の向こうを覗き込む老人と少女。
そして、驚いた。門兵がすんなりと二人の魔人族を通したのである。
「む? 門兵ども、何をしとるのじゃ。ご当主さまにお伺いも立てずに屋敷に入れるなど……」
正門を抜けると、羽織っていたローブをばさりと脱ぎ、あろうことかそのまま庭に向かって投げ捨ててしまう。
そのまま、平然とした様子で門から玄関までの道を歩いていく魔人族。怪訝な顔でその光景を見ていたミアとミゲランだったが、次の瞬間にさらなる驚愕で言葉を失う。
なんと、魔人族が、その強靭な筋力を以ってして玄関扉を勢いよく蹴破ったのである。
「な――!?」
「ミアお嬢様。おはようございます」
コンコン、と小気味よいノックの音の後に、可愛らしい女性の声がドアの向こうから聞こえた。ブロンドの髪の少女は目を開く。
失礼いたしまーす、という言葉の後、メイドが一人、入室してきた。メイドは、少し青みがかったロングの黒髪をうなじの辺りでリボンを結んで一つ括りにして、背に垂らしている。
上体を起こし、ふにゃあ、と欠伸をするミア。
メイドがその少女に身を寄せて手を伸ばし、ベッドのすぐ側の窓のカーテンを開ける。シャッ、とカーテンレールが滑り、朝日の照射が差し込んだ。
少女のブロンドの髪は言うまでもないが、メイドの黒髪も、陽を受けてキラキラと煌めいていた。青みが強調され、頭頂部には光の反射によってきれいな輪っかが出来上がっている。
「おはよ、キアル」
ミアは目を擦りながら、メイドに向けて挨拶をする。
「起こしに来てくれて、ありがとね」
「そんな、とんでもないです。私はお嬢様付きの使用人なんですから。当然です」
「まあ、それはそうなんだけど」
キアルは幼い頃にこの家に拾われた身であり、ずっとこの屋敷でメイドとして仕えている。ミアにとってキアルは、物心ついた頃からずっとそばにいる、まさに家族同然――姉のような存在なのである。
「今日はすごい晴天ですね。雲が一つもないですよ」
「本当ね。やだなあ」
「どうしてですか?」
「お父様からよく聞いたわ。無雲の空は不吉の前触れだって。こんな日は得てして、それまでの日常を打ち壊すような、何か劇的な転換期となるものだって……、ロームルスでは昔からそう言われてるんですって」
「そうですね……確かにそんな話を聞いたことありますけど。でも、そんな風に悪い空には見えませんよ。だって、ホラ、こんなにきれいです。まるで一面に広がる海みたいじゃないですか」
窓の向こうのまっさらな空を眺めて、ふふ、と笑んで言うキアル。
「なあに? キアルって、海見たことあったの?」
「……あれ? おかしいですね。そう言えば海なんて見たことはないような……」
きょとん、と呆けた顔するキアル。ロームルス地区は山や森に囲まれるばかりで、海などない。幼い頃に拾われてからずっとこの屋敷で仕えるキアルが、海を見る機会などありようはなかった。
「でも、不思議です。本当に見たことがあるように、すごく鮮明に浮かぶんですよね。
昨日だって、ダフニスへお買い物へ行ったとき、全身青い服を着た男の人に会いまして。その人を見たら、きれいな海原を思い出したんですよね」
「ああ。ローブを渡してあげたっていう?」
「はい。いやあ、あの人を見た瞬間に、なんだか不思議な気持ちになったんですよね。なにかこう、ぐっと胸を掴まれた感じと言うか、それでいてどこか懐かしいような、切ないような……。なんでしょうかね、不思議です」
古い記憶が思い出せずにもやもやとしてしまうときのように、むむむ、と難しい顔をしながらメイドは言う。
「男の人を見て、切ないような気持ちに……? なにそれ。それっていわゆる……」
「いわゆる、なんですか?」
「…………。なんでもない。その話、レオンには言わないであげなよ」
「え? どうしてです?」
「まったく、自分のことも他人のこともすっかり鈍感なのね、キアルって」
ミアは呆れたように、じと、としたメイドを目で見る。何の話かさっぱり分からず、キアルは困惑したように首をかしげる。
「あ、お嬢様。お喋りをしている場合ではありませんでしたっ。もうすぐ朝食の準備が整いますので、お早く支度しましょう」
「ええ」
ミアは立ち上がり、キアルに手伝ってもらって手早く着替えを済ませ、寝起きで乱れた髪を慣れた手つきで梳くと、メイドと共に部屋を出て、食堂へと向かった。
/
セパディア皇国はその広大な領土のうち、多くを山や森で占める自然豊かな国である。
中でもロームルス地区はその傾向が著しく、いくつかの町や村が点在するほかはすべて緑が占めている。
エルディーン家は、ロームルスで古くから栄えてきた貴族だ。国全体を見て考えれば、せいぜい田舎の三流貴族だと言わざるを得ないが、とは言え自然に囲まれた広大な平野の中でも目を引くほど大きなその屋敷は、当家の権威を示している。
また、その権威の誇示に一役買っているのが、屋敷を囲む高い塀と配置された警備兵の多さである。
都市パンドラとダフニスの町をつなぐ、マルス街道――その街道沿いに建っているため、屋敷前に人の往来は少なくないものの、周囲は森や田園ばかりで民家はないのだ。そんな立地で、過剰なほどの警備を敷いている。
それには理由がある。
屋敷の長い廊下を歩き切ったその突き当りには、重い鉄扉で閉ざされた保管庫がある。単なる倉庫ではない。なにせ、重い錠前が何重にもかけられているのだ。
エルディーン家には、代々受け継ぎ、管理している秘蔵の剣があった。
ロームルスの秘剣。
曰く、それは邪悪な力を持つ魔剣。古代、魔人族との戦争で多大な戦果をもたらしたと言う伝説の剣である。それを用いれば強靭な魔王軍の一個小隊を一人で相手にできたという。
ただし、その代償に使用者の心は蝕まれ、人ではなくなる。
正気を失い、周囲にいる者に誰彼と構わず斬りかかる獣となるのだ。
そんな、世に出ようものならば必ず惨劇を生むだろう、呪われた魔剣。人目につかぬよう、また、その存在が外部の者に知れることさえ避けるため、由緒あるエルディーン家が密かに、代々管理し続けているのである。
「――まったく。お父様も、用心深い人よね」
父から聞いていた、屋敷に保管されている剣の話。メイドと共に部屋を出る際。ふとその話を思い出したミアは、廊下の奥に視線を向けつつ、ぽつりとそう呟いた。
そこには見るからに重そうな鉄扉があり、錠が無数にかけられている。カギはすべて、当主が肌身離さず持ち歩いている。
剣が持ち出されることのないよう、父は細心の注意を払っている。基本的に父のことは尊敬しているものの、そこまでするのか、と、あの鉄扉を見る度にミアは少々呆れてしまうのである。
/
「ミアお嬢様。おはようございます」
ミアはメイドのキアルと並んで屋敷の廊下を歩き、大きな扉に行きつく。食堂である。
キアルに扉を引いてもらい、中に入る。彼女が食堂へ入室すると、すぐに年老いた声で挨拶がかけられた。
ミアに挨拶をしたのは、立派な白鬚を蓄えた老人。
年老いてはいるが弱々しい雰囲気はなく、むしろ長身で背筋が通っていて、その黒いスーツをぱりっと見事に着こなしている。彼が着ているのは、燕尾服。すなわち彼は執事である。
「あら。おはよう、ミゲラン」
白いブラウスに黒いふわっとしたスカートというミアの服装は、落ち着いた清楚な雰囲気ながらも、未だ彼女が持つ幼い魅力をもしっかりと演出する。
少女に挨拶を返され、ぺこ、と小さく頭を下げる老執事ミゲラン。
ミゲランは、大きな食卓の中心の席に座る中年の男のそばに仕えるように立っている――というか、実際にそこに座る男こそ彼が仕える主である。
この屋敷の当主、オズ・エルディーンである。五十手前ほどの年齢で、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気男性である。せいぜい田舎地方で栄えてきた家系とはいえ、彼の纏う空気感からは確かに貴族らしい気品が醸されている。
食堂のテーブルについているのは、当主のオズと、娘のミアだけ。
当主の妻は、随分前に病で亡くなった。ミアは一人娘だ。屋敷の住み込みの使用人たちの部屋は離れにあるので、すなわりこの広い屋敷の中で暮らすのは当主と娘の二人だけなのである。部屋はいくらでも余っている状態だ。
「キアル。私の部屋は掃除に来なくてよいからね」
オムレツを口に運びつつ、オズはメイドに向けて言う。
「はい。心得ております」
慎ましい表情で答えるキアル。いつものことなのである。
オズは、自室の清掃を決して使用人に任せない。起床時や就寝時にも、必ず自分で身支度を整えるので、使用人たちが彼の部屋に入ることはないのだ。
稀に当主の部屋に入ることがあるのは、唯一、執事長のミゲランだけ。それ以外の使用人は、入室することを禁止されている。
――そんな父に対して、まったく用心深い人だ、とミアは半ば呆れている。
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「ミアお嬢様。おはようございます」
「あら。おはよう、アルベルト」
廊下で、兵士とすれ違った。チェインメイルを着て、兜は外して小脇に抱えている。他の兵士たちと同じ武装であるし、何よりまだ二十代前半と若い年齢なのでそうは見えないが、彼はここで雇われる警備兵たちをまとめ上げる兵長である。
つい三か月ほど前に雇われたばかりだが、年が若く、また爽やかで好青年的な雰囲気のため、ミアにとって話しやすい相手だ。
「お嬢様。今日は、とても良い天気ですね」
「え? そうかしら。私はあまり、そうは思えないんだけれど……」
起床時、キアルともそんな話しをした。今日は雲一つない晴天だ。キアルはきれいな空と言っていたが、ロームルスでは無雲の空は不吉の前触れだと言われている。ミアは、この空を見てあまり良い気はしない。
「いえ。とても良い空ですよ」
大きな廊下窓の向こうを見上げつつ、アルベルトは呟くように言う。それはキアルが言っていた言葉と同じ筈だが、彼女が言うのとは何か違う意味に聞こえた。
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午前中の勉学の時間の時間を終え、週に一度ダフニスの町から呼んでいる講師が帰っていった後。ミアは自室で休憩していた。
「どうですかな。ご勉学の方は」
凛とした雰囲気の老人、執事長のミゲランが部屋へやって来て、彼女に声をかける。
「大変よ。学院へ行っていたときとは大違い」
「それは当然です。お嬢様には、エルディーン家の農園の経営を受け継いでもらわねばなりませぬから。ご学院で学ばれていたこととはまた違いましょう」
「なにも私が、こんなに早くから勉強しなくても……。いっそ、頭の良い男の人をお婿さんに迎えればいいじゃない。そういう優秀な人に任せてしまえばいい、と考えれば、私が急いで勉強する必要もないもの」
「ご当主様は、部外者を家に入れるのをいたく警戒しておいでなのですよ。家の存続のためにはいつかお嬢様に婿をお迎えしていただかなくてはならないのは当然ですが、しかしあくまで当主はミアお嬢様にと」
「警戒って……あの剣のこと? まったく。お父様も、用心深い人よね」
「仕方ありませぬ。それに、お嬢様の言うように聡明な方を婿に迎えたとして――しかし特に頭のキレる者というのは、得てしてその胸の内に野望を秘めているものです。となれば、魔剣を良からぬことに利用しようとも考えかねません。それを思えば、やはりお嬢様が当主としてお家を動かすのが賢明かと、ワシも思いますぞ」
「ふうん……」
ミアは頬を膨らませて、不安を露にする。
「ま、分かってるわよ、結局お勉強は大事ってことよね。大人は必ずそう言うんだもん」
令嬢の擦れた物言いに、困ったような笑顔を見せるミゲラン。
「でも、私だって旦那さんを選ぶ権利はあるわ。私が当主として家を動かすかどうかは別として、それでもやっぱり賢そうな男の人がいいもの。賢くて、格好良くて、優しくて、爽やかな人がいいわ。そうねえ、――ちょうど、アルベルトみたいな」
「ほお」
興味深そうに長く蓄えた白鬚を撫でるミゲラン。
「それはそれは。彼が聞いたら喜ぶでしょうな――、おや?」
ふと、何気なく窓の外に目線が行ったところで、髭を撫でるミゲランが手つきを止めた。
「どうしたの?」
不意に動きを止めた老執事につられて、ミアも窓の外を見る。
彼女の部屋の窓からは、屋敷の正門が見える。両脇に門兵が構えるそこに、二人の人影立っているのが見えた。ローブで身を包み、フードを深くかぶっているので、肌の露出部はほとんどない。
その二人は、門兵の前に立ち、フードを脱いだ。
「あれは、魔人族?」
男たちのその顔――紫色の肌が露になった。
「旅の人かしら。でも、魔人族の人がこんな田舎で旅をしているなんて、随分珍しいわね」
「うむ。ロームルスで魔人族を見ることなどそうそうないですからの。……それに、彼等はこの屋敷に何か用でしょうかの?」
じっ、と、窓の向こうを覗き込む老人と少女。
そして、驚いた。門兵がすんなりと二人の魔人族を通したのである。
「む? 門兵ども、何をしとるのじゃ。ご当主さまにお伺いも立てずに屋敷に入れるなど……」
正門を抜けると、羽織っていたローブをばさりと脱ぎ、あろうことかそのまま庭に向かって投げ捨ててしまう。
そのまま、平然とした様子で門から玄関までの道を歩いていく魔人族。怪訝な顔でその光景を見ていたミアとミゲランだったが、次の瞬間にさらなる驚愕で言葉を失う。
なんと、魔人族が、その強靭な筋力を以ってして玄関扉を勢いよく蹴破ったのである。
「な――!?」
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トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
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