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シーズン1/第二章

□あくあついんず□⑥

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「いきなりあんなバケモノと戦うなんて、あたし、聞いてないんだけどっ!?」

 夜の磯浜海岸。少女の困惑の声が虚しく響く。

『こうも早く敵が攻めてきたのは俺としても想定外だが、来ちまった以上は相手するしかねえだろう。しかも、あのバケモノを倒すには【水精錬金アクアアルケミー】を使うしかないうえ、俺じゃあその術を完璧に操れねえ。……となると、ミナモ。お前にやってもらうしかねえんだ』

 淡々と状況説明するオスティマ。


 少女とぬいぐるみが共に対峙するは――突如として海から現れた、奇怪なバケモノ。
 長く太い胴体に、左右対になった足を何本も生やして岩肌に立つ怪しい生物。気味の悪いオブジェのようなその生物は、戦うべき敵、地上侵略を目論むテロリストが造り出した生体兵器なのである。

 水萌と魂リンクの儀式を済ませた直後というタイミングで、さっそく敵の生体兵器が送り込まれてくるとはオスティマにも想定外であった。
 海底からやって来た彼でさえ想定外というのだから、水萌がこの状況を飲み込めるわけもなかった。全く状況を理解できていないのに、そのうえアレと戦えだなんて言われても、少女はもはや困惑を深めるばかりである。


「いや、でもあの、あたしそんな、なんとかアルケミーなんて術の使い方知らないし……!」

『使い方――なんてねえよ。お前の中に宿る【大いなる海の力】を使えば、ただ頭に思い描くだけで術は行使できるはずだ。……大丈夫。感じるぜ。魂リンクの儀式の直後で、お前の中の【力】が活性化し、底上げされてる。意識せずとも、自然と力を引き出せるはずだ』

「力を引き出せる?」
『ああ。今のお前の力の引き出し率はバッチリ100%。すぐに術を使える』
「引き出し率ってなによ……」

 水萌はぼやくようにそう言うが、しかし今すでに彼女は『戦いの場』に立っているのだ。

 敵は、少女の気持ちの整理が済むのをわざわざ待ってくれはしない。多足のバケモノは、先ほどと同じく頭に近い二本の足を伸ばしてきた。


「きゃっ!?」
 驚いて短い悲鳴を上げる水萌。

 棘の連なった二本の足はぎゅん、と風を切る速度で、到底、避けられない。


 だが、これもさきほどと同様――水萌とオスティマの周囲に、たちまち球状に水の膜が張り巡らされ、敵の攻撃を防いだ。向こう側も透けて見えるほど薄い水の膜なのに、勢いよく迫って来た二本の足を難なく受け止め、さらに、ばちぃ、と力強く弾き返した。

「う……?」
『ほれ、やっぱりな。もう無意識で【海の盾シールド】を使いこなしてる。さすが大いなる海の加護を受けし少女だぜ』
「シールド……」

 確かに、薄い水の膜はSF的なシールドのように見える。
 勢いよく迫って来た棘つきの足から身を守るために発生させたもの。自意識はないが、どうやら自分がこのシールドを形成したらしい。

 いくらか、気は落ち着いてきた。
 少なくとも、正直、命の危険は感じない。実際こうして二度も強力なシールドで攻撃を防げている。戦い方なんてわからないが、案外なんとかなるんじゃないか、と、そんな気が湧いて来る。

 ふう、と、落ち着いて息を吐く水萌。困惑で一杯だった胸の内が、不思議な自信に変わっていくような感じだ。


『いいか、ミナモ。意識を集中するんだ。力の引き出し率100%の今のお前なら、思いのままに水を操れるはずだ。水が動く様を、頭に思い描いてみろ』
「う、うん……!」

 水萌は目を閉じ、意識を集中させる。
 すると、頭の中で、なにか底深いエネルギーがぐるぐると巻き立つような感覚が起こる。――それに呼応するように、彼女の目の前の地面に、水が渦巻き始めた。
 白波を立てながら渦巻く水は、地面を離れ宙に浮く。そして渦巻きながら、球体へと形を変えたのだ。

 ……よし! と、彼女は目を開ける。思ってみた通り、大きな水塊を造れた。

 丸い水塊。それでどうするつもりだろう、とオスティマは少女を見る。
 さきほど彼は水の槍を造って刺突を喰らわせたが、水萌は水の球体だ。


 水萌が、左腕をばっと挙げた。それに合わせて、水塊も大きく上へ飛ぶ。真上へ飛んだ球は、やがて重力を受けてふわりと落ちて来る。

「ふんっ、てぁっ!」

 水の球の落下に合わせて、力強い声を出しながら、右手を振るう水萌。


 少女の手の平に打たれ、水の球が豪速で飛んだ。まるでバレーのサーブのようである。――実際、水萌はそのつもりでそれを放った。
 今、ちょうど体育の授業でバレーボールをやっている。
 その力強いサーブをバレー部員から褒められたのを、ふと思い出したのだ。まさかそれを再現しようとは、人外の怪物との戦いの場に不釣り合いな少女的発想なのである。

 だがそんな少女の攻撃も、あくまで『大いなる海の力』が込められた、強力なものである。

 ボールに見立てられた水塊はバケモノに向けてまっすぐ飛んでいく。敵生物は、伸ばした二本の足でそれを叩き落とそうとした。……が、向かって来る水塊に触れた足が、逆に弾き返されてしまう。
 ばちぃっ、と弾かれた足は回転ノコギリに触れたように千切れ飛んだ。
 表情などないバケモノだが、驚いたのだろう、びくりと頭部である身の先端を震わせた。――そんな頭部へ、水ボールは直撃する。

 ばしゃあああああん、と、水が炸裂する。爆弾を喰らったような衝撃だ。


 明らかに、オスティマの攻撃よりも規模が大きい。やはり、少女から流入してきたエネルギーを使ったオスティマよりも、その力を宿す少女本人の攻撃の方が効果的であるらしい。

 実際、彼のときと違い怪物にははっきりとダメージが見受けられる。霧散した水飛沫しぶきによって霧が広がるが、その霧から顔を出した敵生物は頭部が破損していた。
 長い胴体の先端、ふんと対の短い触角だけがあった頭部だが、それらが弾き飛ばされ、頭部の先が潰れている。まさに小さな爆撃を喰らった後のような状態。


「お、おお……」

 その攻撃を放った当の本人は、まるで他人事の様に感嘆の声を上げる。
 ずるり、と頭部の欠けたバケモノだが、そのグロテスクな姿に対しても特に怯む様子はない水萌。

『すげえや、ミナモ。さすがだ。……だが、ただ水を操って攻撃するだけじゃ、致命傷は与えられねえ』

 敵はディアニアという生物に似た形をしているが、必ずしも生物の常識が当てはまるとも限らない。頭部を壊されたところで、生命活動に支障は来さない。……そもそも、生命体であるのか。
「水じゃだめって、それだったらどうするの?」

『【水精錬金アクアアルケミー】。水を意のまま操るのは、所詮その初歩に過ぎないのさ。その術の神髄は、水を媒体にして物質を変質させることにある。自ら金属をも生み出せる。まさに【錬金】だ』
「れんきん……」

『水を操って、強力な武器を無限に生み出す――それこそ【水精錬金】の使い手たる真の戦い方ってやつさ』

 かつてアトランティス帝国の王族のみが扱えたという神秘の術。その昔、術を使って戦闘を行った王族の記録をオスティマは思い返す。

 ――元々、その戦闘力を期待して、彼は水萌のもとへ訪れたのだ。


 水から、金属を? 彼の言葉を聞いて、首をかしげる水萌。

『考える必要はねえ、ただ頭の中で思い浮かべればいい。力が活性化してる今ならできるはずだ! 集中して、思い浮かべるんだ……強力な武器を造って、ヤツにお見舞いしてやれ!』

 懐疑的な少女の背を押すように、オスティマは言う。


 そんな中、バケモノが急に激昂し始める。
 今まで比較的大人しかったが、傷をつけられたのが気に障ったのか、ギキイイイ、と、突然甲高い鳴き声を上げたのだ。
 鳴き声があったのか、と、水萌は意外そうに生物を見る。ただしその目に恐怖はない。

 少し離れた位置で地面に多足を据えたままだったバケモノは、突如、大きな動きを見せた。がばっ、と頭部を持ち上げる。

 まるで犬や猫が後ろ足だけでひょいと立ち上がるような恰好。そこから、思いっきり背を反らせて、そのまま頭部がぐるりと一周し、頭と尾をくっつけてしまう。
 長い胴体、蠕虫のような生物が、丸い形になってしまった。
 その状態のまま、なんとふわりと浮き始める。


 宙に浮くバケモノは、裏向きに丸まったダンゴムシのようにも見える。だから足は中に納まっているのではなく、すべて外に向いているのだ。
 棘付きの足を、うねうね、と蠢かせる。ばらばらに動く多足は、それぞれが生きた個別の蠕虫のようにも見えた。

 さらに――丸くなった胴体の表面、もともとは腹面だったはずのところに、メリ、と大きな亀裂が入る。
 横に割いた亀裂がゆっくりと開ける。……中から現れたのは、眼球だ。
 元々の頭部には目がなかったが、形態を変えたのち、大きな眼を露にした。


 丸い肉の塊、その中に大きな単眼、そして蠢く多くの足。

 一層おぞましい姿へと変貌したバケモノだが、それを見る水萌の目は、なおも平然としている。確かに多少気味が悪いとは思うのだが、嫌悪感を催すことはない。
 普段から虫などのグロテスクな生物に対しても免疫のある水萌、目の前のおぞましいバケモノに対しても過剰に怯むことはない。


「なんか急に姿変わっちゃったよ」
『本気で攻撃してくるつもりだ。気を付けろ!』

 オスティマが警告したとほぼ同時、途端、敵が攻撃を繰り出してきた。
 さきほどまで二本の足を伸ばして来ていたところ、今度はすべての足を一斉に向けて来る。無数の足が、十重二十重とえはたえとなって少女に迫って来る。
 ……が、やはり少女の体には触れられない。

 水萌は、今度は意識的に、『海の盾シールド』を展開する。
 しかもさきほどよりも大きな径だ。少女とぬいぐるみを囲む薄い水の膜は、視界を覆うほどの数の足、もはや壁となって迫って来た多足を難なく受け止める。

 さきほどのようには弾き返されまい、と、蟲足はシールドを押し続ける。
 磁石の同極を無理やり触れさせようとするように、水膜の表面と蠢く多足が激しく反発し合う。ばちちちちちぃ、と、激しく火花を散らすのだ。……と言いつつ散るのは火花ではない。水しぶきだ。

 バケモノは意地でもシールドを押し潰そうと言うのか、球状の水膜を、蛇がとぐろを巻くように包み込んでゆく。ほぼすき間なく埋め尽くされたシールド内は、光が遮られ、暗闇となってしまう。


「う、うわ、ちょっ、暗い! 暗いよ、怖いっ!」

 おぞましい怪物と平然と戦っていたというのに、暗闇に包まれた途端、慌てふためき怖がる水萌。
 グロテスクな生物への耐性は高いが、代わりに暗いところやオバケ的な恐怖への耐性は極端に弱い。

『落ち着けミナモ、……早く、術を使って反撃するんだ! 下手をしたら盾が破られるぞ!』

 オスティマが叫ぶ。確かに、深海で水圧に押されるように、ぎしぎし、と不穏な音が鳴っている。水膜を囲む棘足が次第に押し返して来ているのだ。


「反撃って、どうやって……」
『言ったろ! 【水精錬金アクアアルケミー】の神髄は、水を媒介にして武器を造り出すことだって! なにか強力な武器を頭に思い描くんだ!』

「きょーりょくな武器……」
 ぽつり、と復唱する水萌。

 そして突如、すん、と静かになる。
 暗闇の中でさらに目を閉じ、意識を集中しているのだ。

 やがて、ざざざざ……と水が渦巻く音が聞こえる。それから間を置かず、すぐに――キン! と、金属が打ち鳴るような音がドーム状のシールド内に鋭く響いた。

 金属音……。
 言った通り、『水精錬金アクアアルケミー』の神髄たる『錬金』を、難なく行ってみせたのか。未だ暗闇に包まれているシールド内では、一体何を『錬金』してみせたのかは分からない。
 オスティマはそれを水萌に尋ねようと口を開く――が、すぐに、爆音にて声を遮られる。


 ドドドドドドド、と、短い爆発が連続するような激しい音が、シールド内の狭い空間を包み込む。

『――――だあああっ!?』

 オスティマは驚いて声を上げるが、そんな声すらも、爆音は掻き消す。爆音と、さらに爆風も感じて、オスティマは困惑して目を閉じてしまう。ただしぬいぐるみに瞼はないので、あくまでオスティマの魂の意思として視界を閉じたわけであるが。


 十数秒ほどか、激しい音が、急にピタリと止んだ。

『…………』
 静かになり、オスティマはゆっくりと目を開ける。

 辺りは暗闇でなくなっていた。
 光を遮っていたものがなくなったのだ。……それはすなわち、バケモノの足が。

 少女とぬいぐるみを取り囲っていた無数の足は、消えていた。
 ふと見回せば、その残骸であろう細かな棘や肉塊が地面に散らばっている。どうやら何か強烈な攻撃を受けて、細切れになったらしい。


 二人を押し潰そうとしていた棘足がないが、それを押しとどめていたシールドも消えてしまっている。

 察するに、シールドの内側からなにか強烈な攻撃を放ち、自分たちを守る水の膜ごと周囲を囲っていた棘足をことごとく砕き消したのではないか。
 ――そんな攻撃を放った、あるいは爆音を発した元は、少女の目の前にあるモノだ。


「す、すごい。確かに……水から『武器』を造り出せたよ……!」
 ほおお……と、感嘆の声を漏らす少女。

 その目の前に浮いている、鉄の塊。『水精錬金アクアアルケミー』を用い、水を媒介として金属製の武器を作り上げたのだろう。――それは、重々しい短機関銃であった。

『な、なんだこれ……っ?』
「武器だよ。サブマシンガン、ってやつだね。なんか強力な武器っていうから、頭の中にこれを思い浮かべたの。そしたら思った通りに造れたから、自分でもびっくりしちゃった」


 少女が頭に思い浮かべて造り出したのは、なんと短機関銃。
 それで圧倒的な弾幕を張り、囲っていた棘足をすべて撃ち落としたのだ。

 ただし、周囲に#薬莢__やっきょう#などは散らばっていない。
 水を媒体として金属を精製する『水精錬金アクアアルケミー』――銃本体も、銃弾も、そもそもは水だ。
 排出された薬莢もバケモノの足に被弾した弾丸も、やがては水へと帰化する。そういう意味では、水鉄砲、と言えなくもない。


『さぶ、ましんがん……? なんだ、そりゃ。ミナモ、お前そんなの造ったのか』
「うん、まあ。あたしさ、けっこーゲームとか好きで。FPSとかもやるんだよね。だからまあ、武器と言えばやっぱり銃だよねと思って」

 ふふん、と、胸を張る水萌。ただし、誇示するほどの大きさではないが。


 依然、スクール水着のままの少女。
 遠く対峙するは、球体に姿を変えた異形のバケモノ。そして、少女のそばには可愛らしいぬいぐるみが浮遊し、足元にはゆっくりと水が渦巻いている。そんな少女の目の前には、物々しい銃器が宙に浮いている。

 ……夜の海岸。なんとも、異様な光景がそこにはあった。


『よっしゃ、ミナモ! なんだか知らんがものすげえ武器を出したもんだ。さあ、そいつであのバケモノにトドメさしてやれ!』
 オスティマが嬉々として叫ぶ。

 伸ばして来ていた足は短機関銃の弾幕で粉砕したわけだが、まだ本体が残っている。
 バケモノは、丸まった胴体を宙に浮かせたまま。伸ばしていた足をすべて中程までで途絶えている。

 深く物を考えるほどの知能はないのだろうが、しかし攻撃の手立てを失って狼狽ろうばいしているのは確かなようだ。バケモノは、途絶えた足先を半ば躊躇いがちに引き戻していく。
 どろりと途絶えた足、そこから血が全く噴出されていないのが、かえって気味が悪い。

 だが、今更それを見て臆する水萌ではない。


「ふふん、じゃあ、これでトドメ!」

 少女の目の前に浮遊していた短機関銃は、突如、ぱしゃりと音を立てて水へと還った。その水は、地面へと触れる前にふわりと浮き、また別の形を造り始める。

 ――今度は、対物ライフルを造り上げた。

 大口径の銃身が、まっすぐ、バケモノへ向けられる。
 対物ライフルというと、本来なら土嚢どのうや二脚などが使用されるものだが、そのライフル銃は宙に浮いたまましっかりと固定されるのだ。
 しかも少女の手によって引き金を引くわけではないので、当然、水萌自身が反動を受けることもない。


 水から無限に銃器を生み、強力な銃でも反動を受けるリスクがない。もはや反則的だ。それこそ、『水精錬金アクアアルケミー』の恐ろしさである。


 明らかに弱点に見える、ぎょろりと開く巨大な単眼。そこへ向けて、ライフル弾を発射した。
 もう棘足も使えず、バケモノはただその射撃を正面から受けることしかできない。

 ――眼球をまっすぐ撃ち抜かれ、そのまま貫通する。

 どぱっ、と、たちまち破裂する肉塊……丸まっていた胴体は、ライフル射撃の衝撃で、細かな肉塊となって辺りに飛び散った。
 びしゃびしゃ、と、水気の多い肉が散らばる。
 細かな肉塊はやがて、どろり、と溶け始める。……溶けて、水になった。それらは波に攫われて海へと還って行く――。


「…………、ふう」

 死に様まで妙におぞましい生物だったが、それを見ても水萌は特に嫌悪感を催すことはない。ただ、どうやら戦いを終えられたという安堵で息をつく。

『お、おお……。やったぜミナモ、さすがだ!』

 敵生物が完全に消え、しん、と、海岸に静寂が訪れる。そこでやっと緊張感を解き、オスティマは少女を称賛した。


 オスティマと出会った初日から、まさかこのような戦いに巻き込まれることとなるとは。
 水萌は、なんだか不思議な感慨を胸に抱いていた。
 ……正直言えば、戦いを経てなお、まだ実感がないのだ。たった今経験した戦いは、それこそゲームでボスを倒したかのような感じで、現実から一つ浮いたところで起こった出来事のように感じられる。

「今のバケモノが、敵の造った『せーたいへいき』? ……あれ? でも、じゃあ、もう倒しちゃったからおわりってこと?」
『いや。……確かに今のは敵が送り込んできたモノに違いはねえだろうが、おそらく完成体じゃねえ』

「え?」
『間近で戦っていて分かったよ。あのバケモノからは、【海龍のウロコ】のエネルギーが感じられなかった。きっと、貴重なウロコを使わずに造った、試作品のようなものだろう』

「じゃあ……」
『ああ。あのバケモノはまたやって来る。行き道で話した通り、敵が本格的に攻めてくるのは二週間後になるだろう』
「う、うん」

『まあ少なくとも、今日はもう大丈夫だ。いきなりの戦いだったのに、よくやってくれた、ミナモ。もう帰って休もうぜ』
「そうだね。……で、帰る、って、あなたはウチあるの?」

『何言ってんだ、俺は一人海底を出てこの地上へと出てきたんだぜ。もちろん、お前ん家にいさせてもらう』
「……まあ、そうだよね」

 元々『ドラコ』は一ノ瀬家のリビングに長年座し続けてきたぬいぐるみだ。家に連れて帰ることに違和感はない。


「じゃあ帰ろうか……、って、あ!」
 歩み出そうとして、水萌はハッとした。

 バケモノとの戦いで必死だったから忘れていたが、今、自分はスクール水着姿なのだ。
 魂リンクの儀式の際、オスティマがついでに彼女の服を水着に変えてしまった。

「ちょっと、ドラコ! 服、元に戻してよ」

『ん? ああ、俺はもう元に戻せねえよ』
「はっ?」

『あのときは、儀式直後で力が活性化して、俺も【水精錬金アクアアルケミー】を使えたが。もう時間が経って、俺には術を使えない。元の服に戻すんなら、自分でやればいい。さっきまで見事に術を使っていたろ』
「む……」


 投げやりな言い方に少々不満を感じるが、術が使えないのなら仕方ない。
 なら自分でやるしかないか、と水萌は目を閉じて意識を集中させ始める。

 服を変化させたのは『水精錬金アクアアルケミー』の術効果だ。
 さきほど水から金属を造り出していたのだ、服を変質させることも可能な筈――と、ごく自然に術の行使を試みる。

 …………だが。

 待てども暮らせども、服に変化はない。密着性の高い水着のままだ。それどころか、周囲に水が湧き立つこともない。しん、と、夜の静寂が続く。


「あれ……?」

 様子がおかしい。
 水萌は目を開け、きょとん、とした顔をドラコへ向ける。

「な、なんか変だよドラコ。さっきまで、なんかこう、なんとなくの感覚で術を使えてたはずなんだけど。うまくいかないの……」

『ああ。そうか。もう時間が経って活性化されてた力が落ち着いたから、お前の方も術を使えなくなっちまったんだな』
「へっ?」

『ああ。感じるぜ。お前の中に宿る力……その引き出し率が、ぐんと下がってら。10%ってとこかな。儀式直後の影響による底上げがなくなって、今まで通りになっちまったんだよ。よかったな、あのバケモノを倒すまでに力が鎮まらなくて』
「え? え?」

『俺との魂リンクは、あくまで力を引き出すための【カギ】を開くため。……実際に術を使いこなせるようになるには、相応の特訓が必要なんだ』

「え、っと……じゃあ、何? あたし、服はどうすればいいの?」

『なんだよ。家に帰れば服くらい他にいくらでもあるだろ?』

「いやっ、そーいうことじゃなくて! ……えっ、うそ、あたし、この格好のまま家まで帰らなくちゃならないわけぇっ!?」

 閑散とした夜の海岸に、少女の困惑の声が響いた。


 ――かくして、少女・一ノ瀬水萌の戦いの運命は幕開けた。
 大いなる海の力をその身に宿す少女には、これからさらに過酷な宿命が待ち受けることだろう。……だがまずは、目先のことだ。

 このまま水萌は、スクール水着姿で、町中の道を歩かねばならない。


 あるいはそれだけで、のちの過酷な宿命にとって代わるほどの試練と言えるかもしれない。
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