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シーズン1/第一章
ゴウタロウの旅立ち
しおりを挟む【新暦3820年/第6の月/10日】
【ダフニスの町、宿部屋】
《朝よ、剛太郎》
脳内で澄んだ声が響き、俺は目覚めた。
いつもならシミの浮いたボロアパートの天井がまず目に入る筈だ。――が、この日の朝は違う。同じく木組みの天井ではあるが、特に目立つ汚れはない。きれいな天井である。
俺はベッドから上体を起こし、カーテンを開けた。たちまち、朝日の照射が差し込む。
「今、何時だ?」
《6時ね》
脳内に棲まうエネルギー生命体に時刻を知らされながら、すでに俺はベッドを降りて室内を歩き、衣服が並べ掛けてある壁の前に立った。
壁に掛けてあるのは、青い上下のスーツ。アルトラセイバーのスーツである。
ちなみに、今の俺の格好は半そでのシャツにゆったりとした黒い長ズボン。
青スーツが俺の一張羅だと知った宿屋の主人が、ひとまず寝間着として用意してくれたものだ。元々宿屋として、必要に応じて客に衣服を貸し与えているようだが、――旅に必要ならば遠慮なく持っていけ、と言われた。
俺は青いスーツへと着替えた。そして、寝間着として着ていた服をきれいにたたみ、その他、諸々の荷物をリュックに詰め込む。深緑色の、扱いやすい大きさのリュックだ。
リュックや、その中の荷物はすべて、ダフニスの町の住民が厚意で与えてくれたものだ。
俺はこちらの世界の金銭など持っていない……どころか日本円さえ持ち合わせのないままこの世界へ来たわけで、完全な無一文だった。そんな俺に対し、無償でこれらを用意してくれたのだ。
いや、無償で物をくれただけにとどまらず、いくらか金も頂いた。見たこともない貨幣で、俺にはその価値は分からないが、さすがに金をもらうのは申し訳ない。断ろうとしたのだが、――先立つものがなければ旅はできないだろう、と諭され、押し切られるまま受け取ってしまった。
しかし、まあ、ありがたいことである。
少なくとも数日は要する旅になる。見知らぬ土地での、数日がかりの旅路――何も持たぬままではあまりに心細い。
アルトラセイバーの青スーツを着た俺は、その上から、あの心優しいメイドからもらったローブを羽織る。そしてリュックを背負い、宿部屋を出た。
目指すのは、森の街道を南へ下って、ずっと行った先にあるという、『魔法都市パンドラ』というところ。――そこで、とある魔女に会うのだ。
きっかけは、昨晩……魔獣を退治し終えた後のエシリィとの会話。
俺が、実は異世界から来たのだと言うと、彼女は驚いていた。異世界人なんて実在するのか、という種の驚きではない。曰く、彼女の知り合いにも、同じように『異世界から来た』人間がいたらしいのだ。俺がそいつと同じことを言うので、驚いたわけである。
俺と同じように、異世界から人間がいる……。
俺はすぐに、その人物について詳しく話しを聞いた。
/
【昨晩、魔獣を退治した後――】
……
…………
「ちょっとそれ、詳しく話を聞かせてくれないかっ!」
俺と同じように『異世界から来た』という知り合いがいる――エシリィはそう言った。俺はすぐにその詳細を話してほしいと彼女に頼んだ。
「あ、ああ。構わないが……。ただ、正直言って、あまり信用に足る話ではないと思うぞ。その知り合いというのは、私の魔法学院時代の同期なのだが、……まあ、なんというか、いささか酔狂な女なのだ。『異世界からやって来た』などと、正気で言っているとは思いがたい」
エシリィは、俺の勢いに若干身を引きつつ、そう言う。
《それ、暗にあなたのことも正気じゃないと言っているわよね》
((まあ、確かに……))
いっそ頭のおかしいやつだと思われても構わない。とにかく、『異世界から来た』人間が他にいるなら、その情報が欲しい。
俺がここにいる原因が分かるかもしれないし、何より、もしかすれば元の世界へ帰るための手がかりとなるかもしれない。
「信憑性があるかどうかは、この際気にしない。とにかく、話を聞かせてほしいんだ」
確かな情報でなくとも構わない。右も左も分からない今の状況では、なりふり構っていられないのだ。
「……正直、学院時代の数年をともに過ごしただけなので、彼女のことをそれほど詳しく知っているというわけではないが。――曰く、彼女はこことは別の世界の、とある島国……『ニッポン』とかいう国から来たのだとか」
「ニッポン!?」
驚きのあまり、エシリィにぐいと身を迫るように前へ出てしまう。彼女は少々たじろぎつつ、答える。
「あ、ああ……。確かに、そう言っていた。聞いたこともない国だ」
「俺もそこから来たんだ!」
「なに……?」
彼女も驚き、わずかに目を見開く。
この世界に、俺と同じ日本人がいるのか? 信じがたい事実である。いやまあ確かに、エシリィは、あまり信用に足る話ではないと前置きしていたが。
「……そ、そうだ。名前! そいつの名前、なんていうんだ? 俺と同じ国の出身なら、名前を聞けばわかる」
日本人名かどうかは、音だけで判別がつく。俺はそいつの名を尋ねた。
「名は、『マリーメリー』だ。どうやら由緒ある魔法使いの家系の生まれであるらしい」
「マリーメリー……」
日本人名ではない……。それに、魔法使いの家系の生まれ? ということは、日本人でないどころか地球人でもないのではないか。
「……『ニッポン』っていうと、確かに俺がいた国と同じなんだが。でもその名前の響きは、ニッポンの人間とは違うな……」
もしや、そいつの言う『ニッポン』は、なんと言うかこう、パラレルワールド的な『ニッポン』なのか。現にこうして異世界があるのだから、俺の知る『ニッポン』とは違う世界の『ニッポン』があるのかもしれない。
《パラレルワールド? SFじゃないんだから、そんなのあるわけないでしょ》
((お前の存在も割とSFなんだけどな))
……などと、言っている場合ではない。
せっかく何かの手がかりになるかと思ったのに、今の話で余計混乱してしまった。うなだれる俺に、エシリィが落ち着いた様子で言う。
「名前の響きが違う……か。まあそれは当然だろう。彼女は君と同じ国の出身ではないからな。彼女は、こちらの世界で生まれた人間だ。西の都市国家『ガリア』の出まれだ。そう聞いている」
「へっ?」
どういうことだろうか。そいつは『ニッポン』から来たのではないのか。
「この世界で生まれた? どういうことだ、エシリィ。そいつは異世界から来たって言ったじゃないか」
俺の問いに、エシリィは落ち着いた声色のまま答える。
「ああ、そうだ。……彼女はこの世界で生まれた。そして幼少期に異世界の『ニッポン』という国へと行ったのだ。そこで十年ほどの年月を過ごし、こちらへ戻って来たのだ。だから彼女は、学院へ編入してきたとき――私と初めて会ったときに、言ったのだ。……『自分は異世界から来た』、と」
「…………」
なるほど。
マリーメリーなる人物は、日本人でこそないが、日本で長い年月を過ごした。そしてこちらの世界へとやって来た。
この世界からあちらの世界へ、またあちらの世界から個々の世界へ――世界間を往復した経験があるわけだ。エシリィにとってそいつは『異世界人』ではないが、『異世界からやって来た』こと違いはない。
まあ、俺にとってはその女がどちらの世界の出身かはこの際どうでもよい。
重要なのはその女が、幼少期に日本へと行った、というところ。
《そうね。……ということはすなわち、『この世界からあっちへ行く手段がある』、ということだものね》
そうだ。それこそ俺が求める情報。
俺は元の世界へ帰らなければならないのだから。
…………
……
/
宿部屋を出た俺は、町の南の出入り口――石積みのアーチの方へと向かう。
昨夜の話。そのマリーメリーという女が、如何にして『異世界』――日本へと行ったのか。あるいは如何にしてこちらの世界へと戻って来たのか。それについては、残念ながらエシリィは詳しく知らないらしい。
そもそもエシリィにとって、マリーメリーへの認識は『いささか酔狂な女』。異世界で数年を過ごして戻って来たというその話も、真実だとは思っていなかった。なんと言っても、出合い頭にそんな話をしてきたものだからこそ、『酔狂な女』だと認識したわけらしいが。
ただし俺には、何よりも『信じたい話』だ。
なにせその話が真実ならば、この世界から元の世界へと帰る方法があるということ。
俺は、帰らなければならないのだ。
今こうしている間にも、俺を狙う刺客が宇宙からやって来ているかもしれない。それら刺客を送り込む大ボス・宇宙の帝王自身もまた地球に向かってきている。俺とミュウがそいつらを呼び寄せる原因なのに、俺たちが地球からいなくなってしまってはどうするのか。
だから俺は、今からそのマリーメリーという女のもとへ向かう。
――彼女は現在、魔法都市パンドラというところで暮らしているのだとか。彼女に会い、あちらの世界へ行く方法を教えてもらうのだ。
正直、昨晩エシリィから話を聞いてすぐに旅立ちたいところだったが、夜に森の街道を横断するのは危険だとエシリィに止められた。だから逸る気を抑えて一夜を明かし、こうして早朝の今、宿を出たのだ。
街道へ出るため、ダフニスの中央通りを歩いていたところ、騎士団駐屯所の前に立つ赤毛の女性に気付いた。エシリィである。
「行くのか」
俺がここを通ることを分かっていたのだろう、当然のようにそう尋ねる。
「ああ。ありがとう、世話になったよ」
「いや、それはこちらのセリフだ。君が居なければ魔獣を抑えられず、町民に被害が出ていただろう。……師団長としてここを任せられているというのに、不甲斐ない」
己の無力を恥じるように言う彼女だが、……しかしあのとき魔法を使えなかったのは、昼間に黒熊の群れに対して眠りの魔法を使って魔力がなくなってしまっていたから。
それは元はと言えばそれは俺のせいなのだ。俺があの群れを教会の方まで連れて行ってしまった。
始めに助けられたのは俺の方なので、これはもう、要するにお互いさまということだ。
「このマルス街道をずっと南に行けば、パンドラにはたどり着ける。しかし少なくとも数日はかかるぞ。もう少しゆっくり旅の準備を整えてからでもよいと思うが……本当に、もう行くのだな」
エシリィは、そうは聞くが、しかし俺の答えなど聞くまでもなく分かっている――そんな顔だ。
「ああ。もちろん。一日でも早く、元の世界に帰らなきゃならないから」
「分かった。旅の無事を祈るよ」
そう言って、ふ、と笑うエシリィ。
控えめな笑みだが、いつも凛とした表情の彼女にとっては、およそ満面の笑みと言っても過言ではないかもしれない。
エシリィは、この世界へきて始めに会った人物。短い間だったが、別れとなると寂しい。特に、俺がこのまま順調に元の世界へ帰れたならもう彼女とは二度と会えないことになるだろうし。
《なに? まじで惚れてんの?》
((そんなわけないだろ))
《でもあなた、髪の長い女性が好みでしょう》
((な、なぜそれを……))
《バレバレよ》
((ばればれ……っ))
「……ゴウタロウ。さきほどから何をぶつぶつとつぶやいているのだ?」
「えっ?」
じと、と、訝しむような視線を向けるエシリィ。
「いや、なんていうか、こう、頭の中で会話……じゃない、考え事してて」
「…………。相変わらず、変わったやつだな。まあ、異世界から来たと言うのだから、変わっていて当然なのかな」
妙な納得のされ方だ。爽やかな去り際としたかったのに、これでは格好がつかない。
少し気まずい気持ちになりながらも、エシリィの前を通り過ぎようとした。そこで、彼女がふと思い出したように口を開く。
「……ああ、そうだ。一つ忠告をしておくよ。
森を抜けたところに、一つだけ、大きな屋敷がある。エルディーン家の屋敷だ。そこの当主はいたく用心深い男でな。もし森の道中でなにか問題が起こり、そこで助けを求めたい状況だったとしても……その屋敷には助けを期待するなよ。きっと屋敷には入れてもらえない。
森で何か困ったことがあっても――あるいは屋敷で何かが起こっていても、その屋敷のことは気にせず、素通りするのだ。いいな?」
いつもの済ました顔に戻り、彼女はそんなことを言う。なんだろう、あまり意味が分からないが、まあともかく何も気にせずにただ街道を進めば良いのだ。始めからそのつもりである。
「じゃあな、エシリィ。もしまた会うことがあったら、その時はヨロシク」
「うむ。気を付けろよ」
そうして、エシリィは駐屯所へと戻っていった。どうやら俺の見送りのために外へ出ていたらしい。
異世界へとやってきて初めて出会ったのが彼女で良かったなとしみじみ思いつつ、俺はダフニスの町を出る。そして、森の中を突き通る街道へと、歩み出た。
/
【マルス街道――】
森の中の街道を歩き始めて、もう数時間が経過しただろうか。すでに、エシリィと初めて会った場所――森の中の教会堂の辺りは通り過ぎている。
この街道は魔獣の森の中を突っ切る形で通っているわけだが、この道では魔獣と遭遇することはない。魔獣の森とはあくまで森全体を指しての呼び名であって、実際に魔獣が現れる生息域は限られている。
昨夜は魔獣がその生息域から出てきてしまっていたが、それは本来あり得ないことらしく、その原因については以前不明なままだという。……したがって、今こうして街道を歩いている中で、突然魔獣に襲われることも想定しなければならない。
《そうね。警戒しないと。……ま、私に任せてよ。ちゃんと周辺の気配を探っているから》
この状況で、彼女の存在は頼もしい。俺の視野で捉えられる範囲外どころか、後方や障害物の先でも関係なく見通せるのだ。
((魔獣がいたら、教えてくれ))
あの黒熊相手なら群れが相手でも勝てるのは昨夜の一件で承知しているが、戦わずに済むならそれに越したことはない。
《…………》
彼女の返答がない。
((なんだよ。なんで黙ってるんだ。もしかしてもう魔獣の気配を察知したのか?))
《いえ。魔獣ではないんだけど。なんというか、……あー、えっと。これはアレね。『いかにもファンタジーっぽい』ってカンジ》
((は? なんだよそれ。ファンタジーっぽいなんて、今更……))
今まですでに、魔獣やら魔法やらを垣間見てきている。今更、『いかにもファンタジーっぽい』とあげつらうようなことなどあるだろうか。
《いえね。このまま街道を行った先、ずっと向こうに……女の子がいるの。こっちの方に向かって走ってきている》
((女の子が走って来てる?))
《ええ。兵士に追われてるの。三人の兵士が、小さな女の子を追ってる》
((なんだって!?))
一体どういう状況なのか。俺の目にはまだその光景が見えないのではっきりとはわからないが、だが、それを聞いてのんびりと歩いているわけにはいかない。俺はすぐに駆け出した。
俺は森の街道を慌てて走りながら、心中、確かにそれは『いかにもファンタジーっぽいな』と納得していた。
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