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123 出迎え
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ルーシェッツの町の北に延びる街道は、領都モルシェッツへ、そして首都ラシネへと続いている。
宴の前日、この北街道をルーシェッツへ向かっていた侯爵家の最新の馬車は、町に入る直前で脇道に逸れ、森の小路へ入って行った。
華が代官邸の居間でマールと共に大公国について学んでいる頃である。
森からは侯爵家のルーシェッツ別邸の敷地になるため、町の北西を囲むこの森での狩りや採集は禁じられている。
行き交う者のいない脇道のこの森に入るまで、すれ違う馬車の馭者や徒歩で街道を往く人々は、この幾分質素ではあるが明らかに貴人が乗っていると判る馬車の、その黒い異様な足回りに何度も振り返って見ていた。
馬車に乗る貴人も、窓から見える人々の驚く様子を感じてはいたが、先導する護衛の騎士と馬車を操る馭者はやや居心地の悪い思いをしていた。
もっとも、馭者の方は注目を浴びてきまりが悪い思いをしていたのは最初だけで、街道をいくらも進まないうちに誇らしげな顔つきになっていたが。
森を抜け、別邸へ到着すると、玄関前に並ぶ使用人と共に、ルーシェッツの町の代官であるラインハルトと、その息子で町兵部隊長となったグレイルが出迎えた。
使用人の多くは今回の宴を催すに当たって、侯爵家本邸から準備のために前以て来ていた者達であり、普段は警備の兵士を除くと邸を維持管理する数人のみが詰めている。
『皆ご苦労だったな。ラインハルト、グレイルも久しいな』
4時間程馬車に乗っていたにも拘らず、御機嫌な様子で降りて来たのはモルメーツ侯爵ロットバルト。
手紙や使者のやり取りは頻繁に行うものの、実際に会うのはグレイルが帝都から戻った時以来の事だった。
侯爵一人降りてさっさと出迎えのラインハルト達に声を掛けるのに焦れたのか、馬車の中から降車を催促する声がする。
『お怒りのようですよ…』
『おお、すまぬ』
しまった、という顔をした侯爵は慌てて降車の手助けをしようとしたが、ラインハルトの横を見る視線に気付き、即座に視線の先にいるグレイルを馬車に押しやった。
グレイルが大人しく馬車の中の貴婦人に手を差し出す際、同乗者がまだいる事に気が付いて一瞬首を傾げたが、それが誰なのか分かって慌てて貴婦人を侯爵の元へとエスコートする。
内心慌てはしたがそうは見せず丁寧に、しかし同乗者に気付きマシタヨ急げる範囲で急ぎマスヨと雰囲気で滲ませる技は、貴婦人を相手にすることも多かった近衛師団で培ったものである。
事、対人において要領の良い方ではないグレイルは、ご婦人をエスコートする際にもひたすら真面目に丁寧にする。
それがご婦人方には受けが良く、ご指名なるものまでされていた。ちょっと緊張を滲ませているのがまた良い、らしいのだがグレイルにはさっぱり分からない。いつまでたっても女性のエスコートが照れ臭くてどうして良いのか分からない、教科書通りのグレイルだった。
その、女性受けが良い事が、宮中に出入りする帝国貴族子弟のやっかみを生産する原因だったという事にグレイルはまったく気が付いていない。
『まああっ!グレイル会いたかったわ!3か月ぶり?ちっとも顔を見せに来てくれないんだもの』
このように女性に絡まれる事が多かったグレイルだが、困惑することの方が多いので羨まれる等とは思い付きもしない。
しかし、この女性は侯爵夫人フラウベル。ラインハルトの姉である。
大好きな甥っ子に手を取られて一気に盛り上がってしまったフラウベルだが、グレイルは続けて馬車の中の人物に降車を促した。
『どうぞ、お足元お気を付け下さい』
まあ必要は無いが、馬車の扉を押さえて出迎え姿勢を取る。
ゆっくりと降りて来るその人物にグレイルは何年も前、帝都に行く前に拝謁した事があった。
前の大公ピエール。
現大公ランスロットに大公位を譲り隠居をしてはいるが、現侯爵のロットバルトより何歳も若く、56才。
こちらも馬車から降りる様子は至って元気、御機嫌であるが、ラインハルトもグレイルも、もっと言えば使用人達もこの老大公…御老公と呼ばれている人物がルーシェッツに来るなどという報せは受けていない。つまり、急な御忍びということか。
(御忍びか…それは楽しいだろうな~。御機嫌にもなるよな~)
等と皆が思っている後ろの方では数人が邸の中へさっと滑り込んでいく。
急なゲストの部屋や晩餐の準備の為である。
当のピエールは、出迎えの面々からの畏まった挨拶を『よいよい』と受け流し、乗ってきた馬車の車輪をしげしげと見てつついたりしている。
『どうでした?』
それを見守りつつラインハルトがロットバルトに感想を聞くと、ロットバルトだけでなくフラウベルや車輪をつついていたピエールまでが絶賛した。
『このゴムタイヤというのは凄いな』
『快適だったわ!』
『4時間程の馬車旅なら何て事はないな。今度は数日掛かる旅で試したいな』
そしてフラウベルがグレイルに訊いた。
『このゴム?を考えたのがグレイルのお嫁さんって、本当?』
宴の前日、この北街道をルーシェッツへ向かっていた侯爵家の最新の馬車は、町に入る直前で脇道に逸れ、森の小路へ入って行った。
華が代官邸の居間でマールと共に大公国について学んでいる頃である。
森からは侯爵家のルーシェッツ別邸の敷地になるため、町の北西を囲むこの森での狩りや採集は禁じられている。
行き交う者のいない脇道のこの森に入るまで、すれ違う馬車の馭者や徒歩で街道を往く人々は、この幾分質素ではあるが明らかに貴人が乗っていると判る馬車の、その黒い異様な足回りに何度も振り返って見ていた。
馬車に乗る貴人も、窓から見える人々の驚く様子を感じてはいたが、先導する護衛の騎士と馬車を操る馭者はやや居心地の悪い思いをしていた。
もっとも、馭者の方は注目を浴びてきまりが悪い思いをしていたのは最初だけで、街道をいくらも進まないうちに誇らしげな顔つきになっていたが。
森を抜け、別邸へ到着すると、玄関前に並ぶ使用人と共に、ルーシェッツの町の代官であるラインハルトと、その息子で町兵部隊長となったグレイルが出迎えた。
使用人の多くは今回の宴を催すに当たって、侯爵家本邸から準備のために前以て来ていた者達であり、普段は警備の兵士を除くと邸を維持管理する数人のみが詰めている。
『皆ご苦労だったな。ラインハルト、グレイルも久しいな』
4時間程馬車に乗っていたにも拘らず、御機嫌な様子で降りて来たのはモルメーツ侯爵ロットバルト。
手紙や使者のやり取りは頻繁に行うものの、実際に会うのはグレイルが帝都から戻った時以来の事だった。
侯爵一人降りてさっさと出迎えのラインハルト達に声を掛けるのに焦れたのか、馬車の中から降車を催促する声がする。
『お怒りのようですよ…』
『おお、すまぬ』
しまった、という顔をした侯爵は慌てて降車の手助けをしようとしたが、ラインハルトの横を見る視線に気付き、即座に視線の先にいるグレイルを馬車に押しやった。
グレイルが大人しく馬車の中の貴婦人に手を差し出す際、同乗者がまだいる事に気が付いて一瞬首を傾げたが、それが誰なのか分かって慌てて貴婦人を侯爵の元へとエスコートする。
内心慌てはしたがそうは見せず丁寧に、しかし同乗者に気付きマシタヨ急げる範囲で急ぎマスヨと雰囲気で滲ませる技は、貴婦人を相手にすることも多かった近衛師団で培ったものである。
事、対人において要領の良い方ではないグレイルは、ご婦人をエスコートする際にもひたすら真面目に丁寧にする。
それがご婦人方には受けが良く、ご指名なるものまでされていた。ちょっと緊張を滲ませているのがまた良い、らしいのだがグレイルにはさっぱり分からない。いつまでたっても女性のエスコートが照れ臭くてどうして良いのか分からない、教科書通りのグレイルだった。
その、女性受けが良い事が、宮中に出入りする帝国貴族子弟のやっかみを生産する原因だったという事にグレイルはまったく気が付いていない。
『まああっ!グレイル会いたかったわ!3か月ぶり?ちっとも顔を見せに来てくれないんだもの』
このように女性に絡まれる事が多かったグレイルだが、困惑することの方が多いので羨まれる等とは思い付きもしない。
しかし、この女性は侯爵夫人フラウベル。ラインハルトの姉である。
大好きな甥っ子に手を取られて一気に盛り上がってしまったフラウベルだが、グレイルは続けて馬車の中の人物に降車を促した。
『どうぞ、お足元お気を付け下さい』
まあ必要は無いが、馬車の扉を押さえて出迎え姿勢を取る。
ゆっくりと降りて来るその人物にグレイルは何年も前、帝都に行く前に拝謁した事があった。
前の大公ピエール。
現大公ランスロットに大公位を譲り隠居をしてはいるが、現侯爵のロットバルトより何歳も若く、56才。
こちらも馬車から降りる様子は至って元気、御機嫌であるが、ラインハルトもグレイルも、もっと言えば使用人達もこの老大公…御老公と呼ばれている人物がルーシェッツに来るなどという報せは受けていない。つまり、急な御忍びということか。
(御忍びか…それは楽しいだろうな~。御機嫌にもなるよな~)
等と皆が思っている後ろの方では数人が邸の中へさっと滑り込んでいく。
急なゲストの部屋や晩餐の準備の為である。
当のピエールは、出迎えの面々からの畏まった挨拶を『よいよい』と受け流し、乗ってきた馬車の車輪をしげしげと見てつついたりしている。
『どうでした?』
それを見守りつつラインハルトがロットバルトに感想を聞くと、ロットバルトだけでなくフラウベルや車輪をつついていたピエールまでが絶賛した。
『このゴムタイヤというのは凄いな』
『快適だったわ!』
『4時間程の馬車旅なら何て事はないな。今度は数日掛かる旅で試したいな』
そしてフラウベルがグレイルに訊いた。
『このゴム?を考えたのがグレイルのお嫁さんって、本当?』
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