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しおりを挟むー「ええ…?本当に灰枝さんそんなこと言いました?」
「言った。メモってないし録音もしてないが確かに言った」
ドッグランに着くと、あいかわらずエイリアンのような奇妙な犬たちを連れた沢尻が、朝のジャージ姿とは一転、いつもの洒落た装いで時生たちを待ち構えていた。今日はロングコートではなくバイカー風の皮ジャケットを纏っている。
朝のランニングのときに今日もドッグランに来るかと問われ、行くと答えたら彼にある頼み事をされたのだ。それは実に単純なことで、「未来の好むタイプの男」を聞き出してこいとのことであった。なぜ男なのかと聞くと「彼に好かれる男になりたいからだ」と返され、時生はそれがただの友達としてではないことをほんのりと悟った。あらゆることに鈍感な彼だが、弟が同性愛者であったことで独特の勘が働いたとも言える。
「さすがにそれは…からかわれてませんか?」
「そうかもしれんな。そんな得体の知れないものがタイプだなんて」
「いや、というより…」
灰枝未来の挙げた理想像とは、まぎれもなくこの男自身ではないか。沢尻はいつも涼やかな顔を難しそうにしかめ、険しい目で時生を見つめた。しかし手ではフリスビーを投げている。
彼と未来の出会いは、犬同士はこのドッグランだが、人間同士はそれよりも前、とあるいきつけの小さな酒場のカウンターでとなりあったことがきっかけであった。店の給仕はすべてゲイで、女性客もいるが男の客には同性愛者も多い、ゲイバーの中のいわゆる観光バーである。はしごによく利用する店で、その日も互いにプライベートな仲間たちと訪れており、おまけにほどよく酒も入っていたので、初対面の未来とも気兼ねなく互いの「指向」を明かすことができた。
沢尻は未来に一目惚れをし、彼の話し方やしぐさや話の内容にも惹き込まれたが、未来は彼などまったくタイプではないので、デートの誘いも「その場で」笑いながら断られてしまった。しかしどうやら住んでいる街が同じで、ときどき飼い犬をミドリホームのドッグランで遊ばせているのも同じだと知り、それから沢尻はストーカーのようにたびたび未来の訪れる時間に合わせ、時には仕事用のパソコンを持ち込みつつ「鉢合わせ」を狙うようになったのだ。
袖にされても沢尻はあきらめずにデートに誘い、2回だけ街のカフェで「犬同伴のランチ」はできたが、情けなくもそれ以上の進展は無い。自分は恋人としてかなり優れた条件を兼ね揃えた男だと思うが、未来は恋人の気配もないのにまったくなびいてくれない。なにが悪いのか、そして彼が何を望むのか、ドッグランだけでの付き合いでは彼の真意がまったく読めなかった。
だがそこに現れたのが、家政夫であり最近居候にまで「のしあがった」この時生だ。沢尻はこのような男に自分の秘めごとを明かしたくはなかったが、今もっとも未来に近い人物であるので、恥を忍んで今朝彼に仕方なくこの頼み事を託したのだ。
しかし返ってきた結果がこれだ。沢尻がうっすらと感じつつも有り得ないと振り払っていた「疑惑」が、何やら不穏な形で「真実」に近づいてきているような気がした。
ー「…というより、あなた方ふたりが俺をからかってる?」
「はあ?」
「柊さん、俺は一世一代の覚悟であなたにこの頼みごとをしたんですよ。なのに陰で俺の気持ちを嘲笑っていたんじゃないですか?灰枝さんとふたりで」
「お前なんかをからかって面白いことでもあるのか?それに俺は暇だが、あいつはお前にかかわってられるほど暇じゃないぞ」
「でもそんな男がタイプなんて…とてもじゃないけど信じられない」
「俺も引いたがあいつがそう言ったんだ。"俺らふたり"がからかわれてるんじゃないか」
「ありえますね。だってその条件、…ま、間違いなくあなたのことじゃないですか」
「ほ?」
「自分で言ってて気づきませんか?汚くてだらしなくて無気力で無能な男…まさしくあなたですよ。力は知らないけどそれなりに背も高いですし」
「…貴様、それを言っていいのは優くんだけだ」
「でも自覚はおありですよね?…灰枝さんが本当にそう言ったんなら、彼の好きなタイプはあなたってことになりますよ」
「……」
「こうなったら俺が直接聞くしかない。だいたいいいトシした男がこそこそ気持ちを探るなんて間違ってた。柊さん、明日灰枝さんも連れてきてください」
「今は無理だな。奴は忙しい」
「じゃあ俺を夕食に招待してください」
「無理だ」
「なぜ?」
「なぜって…いろいろ理由はあるが、いちばんはお前がたぶん未来にあんまり好かれてないからだ。うっとーしいから」
「なっ…」
「ま、家主のあいつがいいと言えば呼ぶが、おそらくダメだろうな。あいつは基本的に静かに暮らしたいタイプだ。お前は何というか落ち着きがないし暑苦しいから、あいつにはあんまり合わん」
「なぜあなたにそんなこと…ま、まあ一緒に暮らしてるからでしょうけど。でも彼の真意も知らずただいじけてるだけなんて俺の性に合わない。振られるにしたって本人から直接バッサリと…」
「だからそーゆーところがダメだと言ってるんだ」
「お願いしますよ柊さん、なんとか約束を取り付けてください。連絡しても既読スルーされるんです」
「既読スルーってなんだ?」
「メールは読まれたのに返事がないってことですよ」
「…お前は本当にアホだな」
呆れる時生に何度も「頼みますよ」と言い残し、冷え込む夕暮れ前に沢尻はいつもの愛車に乗り込み犬たちと去っていった。残されたひとりと1匹はちらりと目を見合わせ、「お前の飼い主は一体ナニモノが好きなんだろうな」とため息まじりにつぶやくと、ルイは何を勘違いしたのか、急におやつをねだって時生の足にすがりついてきた。
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