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六(二)
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「坊ちゃんって、あの屋敷に住んでた人?」
像がいまいちつかめていない。幼い男の子なのだろうか?
「ええ。先代のご主人の……大叔父様にあたる方です。」
「大オジ……」
「ご主人のお祖父様の弟です。」
「おいくつ?……ってのも変な聞き方か。その、そんな昔の人なら、もうとっくに……」
「昭和の初めごろ、21を迎える前に亡くなりました。」
「21?」
「ええ。お兄様が欧州へ留学されているあいだに……」
「その弟さんが……?病気?」
「いえ。……」
アラタの顔が翳っていき、目を伏せて小さくうつむいた。
「……坊ちゃんっていうから、まだ小さい子供なのかと。じゃあピアノを弾いてるのは、亡くなる前の大叔父さんなのか。」
「ええ。」
「そんな時代にピアノを持ってて、ショパンを弾けるなんてなあ。やっぱりずいぶんすごい人の屋敷なんだな。」
「お父様が会社を経営していらしたので。……モトキさんはあの曲を知ってるんですね。」
「こないだラジオで知った。出だしはちょっと切ないけど、けっこーいい曲だよな。でもあれを弾いてる大叔父さんは……あの曲みたいに、悲しいままなんだろうな。そんな気がする。そういう音色だ。」
アラタがそっと俺を見やる。眉尻を下げて薄く笑うが、彼もまた悲しげな顔をしていた。
「彼は……坊ちゃんは、貴正様というのです。正という字は、大正時代の正から取ったそうです。お兄様は直貴様。お父様は貴一様。……お母様の直子様を肺病で早くに亡くして、直貴様は外国に行ってらしたので、昭和6年からその翌年までは貴正様と貴一様と使用人の3人で、あの屋敷に暮らしていました。」
アラタはなぜ、昔のことを知っているかのように話すのだろう。それも、いつも気になっていることのひとつだ。そしてそれも……深くは聞けずに流している。屋敷の秘密より何より、アラタにもっとも聞いてはいけないことのような気がした。
「貴正様は怖い方ではありません。むしろ少し怖がりで、繊細ですが人一倍お優しい方です。恐れることは何もない。……彼はピアノが好きなのです。ときどき近所の方々を招いて、あの部屋で練習の成果を披露していらしたので、生前の愉しみを忘れずにいるだけです。……僕もあの曲がことさら好きなのです。だから彼は……」
もう一度うつむくと、アラタの横顔からとうとう涙がポツリと落ちた。……だから彼は、今もなおあの曲を弾き続けているのだろうか。閉ざされた部屋、使えなくなったピアノの前に掛け、彼は何を思いながらあの曲を奏でているのだろう。
聞きたいことは山とある。いつもキリッとしたアラタが涙を見せたせいで、俺は早くも追求する気が削がれたが、あともうひとつハッキリさせたいことがある。
あのモノクロの悪夢の正体は、いったい何なのだろう。
アラタは知っているはずだ。アラタの部屋で「門の男」の気配を感じたときに、もっとも色濃く強烈に、あの光景が迫ってきたのだから。
あの悪夢は門の男につながるモノであろう。そして悪夢につながるものは、貴正さんの居るあの開かずの間に隠されているのではないだろうか。
……だがやはり、今そんなことは聞けなかった。まるで女を泣かせてる気分だ。たぶん俺が悪いんじゃないけど、これ以上聞くのは悪いことだ。
それにアラタの口から聞かずとも、調べるすべはある。管理人も不動産屋も屋敷のことを深くは語らないし、昭和初期のことを知っている人なんて近所にもいないだろう。だが今は人の口を介さずともネットがあるし、図書館に行けば地域の歴史や事件を扱った資料を手にできる。
俺自身の気持ちが、何となくその作業から遠のいていただけだ。だって、もしもとんでもないことがあの屋敷で起きてたとしたら……いや、すでに幽霊アパートと化してるから、何かしらの「曰くつき」なのはもう疑いの余地もないんだけど。
でもそれを知ってしまったら、アラタと俺はもう共に暮らせないような気がした。なぜかは分からない。勘のようなものでしかない。けれど俺がどうして毎日ビビりながら無理やりあのホラーハウスに住んでるのかといえば、それはやっぱりアラタと毎日顔を合わせられるからだ。もしかしたら俺はアラタにとり憑かれてるのかもしれないとすら思う。離れたいのに離れられない。アラタのことを、どんどん深く好きになっていく。こんなのはおかしいと分かってるが、アラタとはこれからもずっと………
像がいまいちつかめていない。幼い男の子なのだろうか?
「ええ。先代のご主人の……大叔父様にあたる方です。」
「大オジ……」
「ご主人のお祖父様の弟です。」
「おいくつ?……ってのも変な聞き方か。その、そんな昔の人なら、もうとっくに……」
「昭和の初めごろ、21を迎える前に亡くなりました。」
「21?」
「ええ。お兄様が欧州へ留学されているあいだに……」
「その弟さんが……?病気?」
「いえ。……」
アラタの顔が翳っていき、目を伏せて小さくうつむいた。
「……坊ちゃんっていうから、まだ小さい子供なのかと。じゃあピアノを弾いてるのは、亡くなる前の大叔父さんなのか。」
「ええ。」
「そんな時代にピアノを持ってて、ショパンを弾けるなんてなあ。やっぱりずいぶんすごい人の屋敷なんだな。」
「お父様が会社を経営していらしたので。……モトキさんはあの曲を知ってるんですね。」
「こないだラジオで知った。出だしはちょっと切ないけど、けっこーいい曲だよな。でもあれを弾いてる大叔父さんは……あの曲みたいに、悲しいままなんだろうな。そんな気がする。そういう音色だ。」
アラタがそっと俺を見やる。眉尻を下げて薄く笑うが、彼もまた悲しげな顔をしていた。
「彼は……坊ちゃんは、貴正様というのです。正という字は、大正時代の正から取ったそうです。お兄様は直貴様。お父様は貴一様。……お母様の直子様を肺病で早くに亡くして、直貴様は外国に行ってらしたので、昭和6年からその翌年までは貴正様と貴一様と使用人の3人で、あの屋敷に暮らしていました。」
アラタはなぜ、昔のことを知っているかのように話すのだろう。それも、いつも気になっていることのひとつだ。そしてそれも……深くは聞けずに流している。屋敷の秘密より何より、アラタにもっとも聞いてはいけないことのような気がした。
「貴正様は怖い方ではありません。むしろ少し怖がりで、繊細ですが人一倍お優しい方です。恐れることは何もない。……彼はピアノが好きなのです。ときどき近所の方々を招いて、あの部屋で練習の成果を披露していらしたので、生前の愉しみを忘れずにいるだけです。……僕もあの曲がことさら好きなのです。だから彼は……」
もう一度うつむくと、アラタの横顔からとうとう涙がポツリと落ちた。……だから彼は、今もなおあの曲を弾き続けているのだろうか。閉ざされた部屋、使えなくなったピアノの前に掛け、彼は何を思いながらあの曲を奏でているのだろう。
聞きたいことは山とある。いつもキリッとしたアラタが涙を見せたせいで、俺は早くも追求する気が削がれたが、あともうひとつハッキリさせたいことがある。
あのモノクロの悪夢の正体は、いったい何なのだろう。
アラタは知っているはずだ。アラタの部屋で「門の男」の気配を感じたときに、もっとも色濃く強烈に、あの光景が迫ってきたのだから。
あの悪夢は門の男につながるモノであろう。そして悪夢につながるものは、貴正さんの居るあの開かずの間に隠されているのではないだろうか。
……だがやはり、今そんなことは聞けなかった。まるで女を泣かせてる気分だ。たぶん俺が悪いんじゃないけど、これ以上聞くのは悪いことだ。
それにアラタの口から聞かずとも、調べるすべはある。管理人も不動産屋も屋敷のことを深くは語らないし、昭和初期のことを知っている人なんて近所にもいないだろう。だが今は人の口を介さずともネットがあるし、図書館に行けば地域の歴史や事件を扱った資料を手にできる。
俺自身の気持ちが、何となくその作業から遠のいていただけだ。だって、もしもとんでもないことがあの屋敷で起きてたとしたら……いや、すでに幽霊アパートと化してるから、何かしらの「曰くつき」なのはもう疑いの余地もないんだけど。
でもそれを知ってしまったら、アラタと俺はもう共に暮らせないような気がした。なぜかは分からない。勘のようなものでしかない。けれど俺がどうして毎日ビビりながら無理やりあのホラーハウスに住んでるのかといえば、それはやっぱりアラタと毎日顔を合わせられるからだ。もしかしたら俺はアラタにとり憑かれてるのかもしれないとすら思う。離れたいのに離れられない。アラタのことを、どんどん深く好きになっていく。こんなのはおかしいと分かってるが、アラタとはこれからもずっと………
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