つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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「あの……石川さんの席。他の者に任せてもいいですか」

華の金曜日と言うものの、給料日前とあってさほど混んではいない店内で、クロが言い出しづらそうに「店長」のシロにこっそりと尋ねた。

「何で?」

「ちょっと」

「何かされたか?」

「いえ。何もないのですが……石川さんが少し怖いです」

「怖い?……ああ、土建屋だし見た目は多少アレかもしれねえが、あの人はおっかない男じゃねえさ。金払いもいいし遊び慣れてるし、いつも綺麗に飲んでくだろう」

「そうなんですけど、ともかく、私は彼がとても嫌です」

「バカやろう、客商売なんだから我慢しろ」

「でも……」

キッとこちらを見やるクロに、シロは少し圧倒された。

「あの方恐らく、私たちの正体を見破っていますよ」

「……は?」

「いつもチラチラとこっちの様子をうかがってるの、気づかないんですか」

「気のせいだろう」

「それなら今日だけでいいから、意識してご覧なさい」

そう言われてもなあ、と思いつつ、折にふれ石川の『視線』とやらに注視してみた。
するとどうだろう、確かにクロの自意識過剰とは突っぱねられないほど、彼は自分にしなだれ掛かるキャストの肩を抱きつつも、意識の矛先は完全に黒服のクロに向いているように見えた。
じっと見つめたりはしないものの、通りすがるたびにチラチラと気にしている。確かに、少し意味ありげな視線だ。シロはその日の閉店後に、「お前の言ってることが少しわかった」と、売上金の勘定をするクロに言った。

「だが正体を見破っているのかどうかは……それに奴とは時々ここのカウンターで世間話などをするが、目の前で話しとっても、俺に対しては探るような素振りも妙な目つきも見せたことがねえ。それに俺からお前のことを聞き出すようなこともないぜ」

「………私も、自分が意識しすぎているだけかと思ってましたが……でも……」

「分かってるよ。だが原因なんて、お前が石川の知り合いの誰かに似てるとか、あるいはお前の生意気なツラが気に喰わなくてつい睨んじまうとか、おおかたそんなとこだろう。俺も街中でサノに似てる奴を見かけると、ついつい目で追っちまう。ここに社長に似たタヌキおやじのような客が来ても、やっぱりジーッと観察しちまうしな」

「そうですかね。しかしそうとは思っても、あの眼差し……どうにも落ち着きません」

「そんなら、今度から石川のテーブルには行かなくていい。よく来てくれるいいお客だからガマンしろと言いてえが、嫌なもんは仕方あるまい。無礼があってもコトだ」

「すみません……」

かくしてその日から石川がやって来ても、クロが彼の前に現れることはなかった。せいぜい『御一行』の席の前をスッと通り過ぎるだけで、注文を入れてもクロが運びに来ることもなかった。


ー「それで察したんです。たぶんあんまりにも俺が嫌になって、店長の白咲さんにでも言って俺のとこには来ないようにしたんだろうって。それくらい俺は無遠慮にクロのことをじろじろ見てたんだと気づいて、そこでようやく罪悪感が湧きました」

「ははは、まるでストーカー扱いだ。にしても、シロは自分の正体までとっくにバレてることにも気付かずいたわけだ。ホントに鈍い男だね」

「白咲さんとは、たびたび店のカウンターで話し相手になってもらってましたから、俺も打ち明けるべきか黙っているべきか何度も葛藤しました。結局クロと二人で会うようになるまで、そのことは黙ってましたけど。彼、とても驚いていたようですね。俺がずっと何食わぬ顔で話してたんだから、当然ですけど」

いつものように、席についたキャストにエレベーターホールまで見送られ、開いたままの扉の向こうを名残惜しそうに振り返った。今夜もあの子が酒を運びに来ることも、会計に来ることもなかった。いつもチラチラと気持ち悪い視線を向けていたせいで、あの子は自分を避けているのだろう。大和は悲しかった。


ー「石川さん、ホントは他に目当ての子がいたんじゃないですか?」

エレベーター内で仕事仲間に問われ、大和は一瞬ギクリとしたが、「いや」とだけ返した。

「そっすか?なんかいつも、誰かを探しているように見えます。人気の子とか?」

「違うさ……でもそんなふうに見えるか?」

「はい。いっつもとなりの女の子への意識がお留守ですよね。けっこーカワイイ子がついてもその調子だから、余裕だなあ~なんて思ってましたけど」

「緊張してんだよ」

「嘘つかないでくださいよ」

二の腕をポンとはたかれ、その場にいた面々に笑われた。
その夜は翌日が久しぶりの休みだったため、せっかくだからもう一軒飲みに行こうと言われ、流されるままハシゴ酒をした。いつもより飲んでもあまり酔えなかったが、帰路に着いたのはすっかり明け方近くになっていた。

だが大和はタクシーを拾う直前に偶然ある人物が目に入り、そのわずかな酔いすら吹き飛ぶほど驚いた。道の向こうから、仕事を終えたらしきクロが歩いてくるではないか。しかし驚くも何も、時間的にどの店もとっくにハネているのだから、閉店作業を終えた黒服がここを歩いていても不思議ではない。大和は焦ってその場を離れようと思ったが、その前にしっかりクロと目が合ってしまった。
それでもフイと目をそらせばいいのだろうが、できなかった。

嫌なものと鉢合わせてしまったと思っているだろう。大和は苦い気持ちになったが、会釈をして「どうも、お疲れさまです」と無難な挨拶をした。クロの方でも頭を下げて立ち止まり、「先ほどはありがとうございました」と言った。だが、そのあとは何と言ってよいのかわからないという顔をしていた。

「………あの、明日は休みなもので、ついついこんな時間まで飲んでしまいました」

自分は決して帰りを待ち構えていたストーカーではない、ということをさりげなく伝えようとする。

「ああ……お休み。なるほど」

クロが少しだけ愛想笑いのようなものを浮かべる。その態度を見て、やはり疑われていたか、と思った。

「それにしても、いつもこの時間にお帰りなんですか?まだ電車も無いのに……」

自分は決してあなたの帰宅時間など把握していない。そのことを分かってもらおうとする。

「仕事が早く終わればタクシーで帰ります。せいぜい二駅ほどなので」

「あ、そうですか……」

なるほどという顔をして見せ、大和は数秒、どうすれば"いちばん自然か"を考えた。

「俺もちょうど二駅くらいで、山手通りの方なんですけど……あなたは?」

「私?」

「方面が同じなら、せっかくだしご一緒にどうです?」

『ついで』ということを強調する。怪しまれないことに必死になっている。

「あ……」

しかしクロは気まずそうに目をそらし、黙ってしまった。

「あ、いや……あの……」

大和は焦った。しかしクロは、常連客の気遣いを無下にするわけにはいかないと思ったのか、「私も山手通りで降りるんです。ご一緒しましょうか」とぽつりと答えた。
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