つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

文字の大きさ
上 下
52 / 60

しおりを挟む

「弱虫な人だ」

「……ごめんよ」

「あなたの弱さがあらゆる不幸を招いたのです」

「そのとおりだ」

「私どころか、それよりずっとむごたらしく、先生の気持ちまで踏みにじって」

「……うん」

「身勝手で、傲慢で、後先考えない。よく考えればシロとお似合いだ」

「……うん」

「………私はあなたのことなんか大嫌いです」

「…………」

涙声で「うん」とうなずき、サノはとうとううなだれて泣いた。涙がしっぽにポタポタと落ちる。クロも同じように涙をこぼし、うつむいて肩を震わせた。恨んだり憎んだりしていなかったけれど、顔を見たらえも言われぬ悔しさが込み上げてきた。
いつも夢想していた名も知らぬ母。子どもの頃は、毎晩会いたいと願っていた母。けれど一生会えなくとも、どこかで幸せに暮らしてさえいればいいと、ずっと勝手に望んでいた母。

それでも、いちばんに詫びるべき相手は倖田であろう。奈落を味わわせ、彼は養子をとったが生涯独身を貫いた。死後の彼との再会は果たせなかったが、もし目の前に居たとしても、二人そろって地面にひたいをこすりつけたくらいでは足りない。

………そうとは思っていても、クロはどうしてもサノを憎めなかった。
あの暗闇は夢ではなく現実のものだったが、彼こそが自分をそこに落き去りにしたにもかかわらず、憎むことは出来ないのだ。彼が長いあいだコソコソと向けてきた愛情に邪魔をされる。せいぜい顔見知り程度であった男なのに、このマフラーのようにあたたかな、深い愛のようなものを感じている。血とはなんと厄介なものなのだろう。愛よりも重く、そしてやはり言葉とは無力で薄っぺらい。

佐野にも倖田にも、平八もに大和にも越えられないつながりが、この二人のあいだに強く結びついている。今そう感じているわけでも、今までそう感じてきたわけでもないのに、それは捩じまげようのない圧倒的な事実であるとわかった今、その重みが肩にズシリとのしかかってきた。

サノの膝から、しっぽをのけることが出来ない。平八や大和の前では、上手くコントロール出来ないのと同じように。互いにもう何を言っていいのかもわからず、ただ日暮れを待つようにじっとうつむき、身体が冷えていくばかり。しかしマフラーをしていないサノは寒いだろうな、と思い、クロは巻かれたそれを外し、サノの首にそっと巻きつけた。

「……いいよ。君が巻いてなよ」

「私はそれほど寒くないのです」

「………そう」

シロがいつも顔色を伺ってビクビクと恐れている男であるが、自分ならどんなに生意気なことを言っても、サノはきっと怒らないし逆らわないのだろう。そう思うと、いじらしくてあわれに感じる。
あるいは、この男は人をそういう気分にさせることが天才的にうまいのかもしれない。まさしく『手練手管』というやつで、冷たくあしらえばこちらがとんでもない悪者のように錯覚させられる。悲しい顔をさせたら、右に出るものは無いのではなかろうか。
マフラーごときで、いま自分は彼の好意を無下にしたとんだ親不孝者の気分だ。サノの悲しげな眼差しや横顔の魔力にやられている。悪いといえば、悪いのはサノの方だ。それなのにまるで自分の方が冷酷な男になった気分だ。
しおりを挟む

処理中です...