つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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するとそのとき「ゲーテさん」と、背後から誰かの声がした。

「よう、お前も来たのかい」

ゲーテと共に振り返ると、そこには自分と同い年くらいの青年が、鋭く射抜くような"キツネ目"をして立っていた。人のナリをしているが、ずいぶん目につく白さと、どこか冷たいが人形のように整った顔立ちをしている。西は即座にそれが人ではないとわかった。そして青年の方でも、振り返った西の顔をまじまじと眺め、みるみるうちに怪訝そうに眉根を寄せた。しかしどうやら訝しんでいるのではなく、驚いているらしかった。

「クロ坊、これが今の俺の下僕よ」

ゲーテが西をあごでしゃくり、「おもかげが残っているだろう」と言った。

「どうも、西です……あの、この方がもしかして……?」

「そうさ、明日の集会に誘ってきたクロだ。それから、この墓の主の"かわいい"キツネじゃ」

「ああ……あなたが……。あの、その節は平八さんがお世話になりました」

西がぺこりと頭を下げた。

「ははは、何じゃそりゃ。やいクロ坊、突っ立っとらんで、きちんとあいさつを返さんか」

ゲーテに促され、クロもハッとしたように頭を下げた。

「初めまして。あの……名はいろいろとありましたが、今は黒崎 蓮太郎に落ち着いています」

「黒崎さん?」

「ええ、本名がクロなもので、社長に"黒がつく苗字"をと言われ、職場ではとりあえずその名を……。ですので人間のみなさんは、結局、僕のことをアダ名のつもりでクロと呼びます」

「なるほど。じゃあ俺もクロさんと呼びます。今はボーイさんをやってらっしゃるんですよね」

「ええ。でも実はもうすぐ辞めるつもりで……。うちの社長……梅岡という男が、あなたに店の手伝いを勧めたいと言ってましたよ。学生さんでずいぶんとお忙しいみたいですが、私の後釜としてでよければいかがです?それなりに時給のいい仕事です。いずれ新しく立ち上げる店もありますし、気が向いたらぜひ明日、梅岡に話を聞いてみてください」

「それ、さっきゲーテさんにも言われました。お二人とも、気をつかってくださってすみません」

「貧乏暇なしの苦学生じゃからなあ。少しはゆとりを持った生活をしろ。……ところで、お前もここに来るとは思わなかった」

「私もあなた方がいるとは思いませんでしたよ。ゆうべはずいぶん風が強かったので、ひと月ぶりに掃除をしようと……」

「クロさん、長いあいだずっとこの墓を見てきてくださって、ありがとうございます。俺はこの人のことをまったく知らずにいたくせに、こうして彼のことを忘れずにいてくれた方がいたのは、本当に嬉しいです。一応砂埃を落として水はかけときましたが、彼はあなたにやってもらいたかったと言ってるかもしれませんね」

ませて垢抜けていた平八とは違い、どこか野暮ったく飾り気のない男ではあるが、この分厚いメガネを取り、髪をきちんと整えれば、"毒気のない平八"になるような気がした。うっかりするとじっと見つめてしまう。というより、見惚れてしまいそうだ。

「……クロ坊、西は俺のモンじゃ。横取りなどするなよ」

「なっ……しませんよ。何言ってるんです」

「だったらそんな物欲しそう眼で見るな、卑しい小僧め」

「見てません。いっつもひねくれた見方ばかりして。だいたいあなたみたいな年老いた可愛げの無い化け猫など、いつ捨てられたっておかしくありませんよ。自分のモノ呼ばわりなど、思い上がりもいいところだ」

「そりゃまったくお互い様じゃないのかい、化け狐よ」

「……まあまあ二人とも。あの、俺はゲーテさんを捨てたりしませんから、心配しないでください。それより、ここで立ち尽くしていても冷えますから、どっかでコーヒーでも飲みますか?」

「………このままこの化け猫といても言い合いになるだけです。私はまだここに少し用事がありますので、お二人は先にお帰りください。西さん、明日、よろしくお願いしますね」

「そうですか……。わかりました、それじゃ、俺たちは先に……ね、ゲーテさん」

西がゲーテの背に手を回す。

「明日、楽しみにしてますよ。パーティーなんて呼ばれるの初めてですから」

「そんな大仰なモノではありません、ただ少人数で集まるだけです。お正月にみんなで用もなく集まるようなものですよ。……それでも、料理やお酒は、いろいろとうるさい梅岡が用意しますから、期待していてください」

「はい、実はそれがいちばん楽しみです。……それじゃ、失礼します」

二人が霊園を去っていくのを見届ける。出口のところでチラとこちらを振り返ったゲーテが、ニヤリと笑った。キツネほど鼻は利かないが、勘の良さは飛び抜けてするどい男だ。見たり聞いたりしなくとも、"少し先のこと"を察することに長けている。


ー「クロさん、あなたのせいで機嫌を損ねたんじゃありませんか?」

駅までの道すがら、ゲーテがふらりとどこかに行かぬよう、その肩を抱きながら西が言った。

「あいつの無愛想は生まれついてのモンだ。怒っても楽しくてもずーっとあの調子さ。だいたい機嫌などいちいち気にしていたら奴とは付き合えんわ」

「それじゃ平八さんは大らかな男だったんでしょうね」

「大らかというより無神経に近い。クロ坊を怒らせるのも日本一うまかったな。だがそのあとの機嫌取りも世界一うまい男じゃ」

寂れているが人通りの多い商店街を歩く。男同士で密着する二人を見やる視線を、西はもうさほど気にしなくなっていた。

「クロ坊はあすこで人と待ち合わせをしておったのだろう」

「え……どなたと?」

「さあ。だがおそらくは、"となりの墓"の掃除をしに来た男さ」

「となりの墓……誰のお墓です?」

「こっちも俺やクロ坊の知り合いさ。おんなじくらい古くから有るが、平八のと違ってまだ脈々と血筋のモンが葬られとるところよ。何年か前に墓石も新しくしてな」

「その方のお墓と関係のある方ですよね?その人もキツネですか?」

「いいや。そいつはニンゲンだった奴だ」

「ニンゲンだった……」

「まあ幽霊のようなものだな」

「幽霊?……化け猫にお稲荷さんに幽霊か……すごいコミュニティーがあったものだ」

「はっはっは。安心せい、いずれ消えていくよ。まだまだ何百年とかかるだろうが、俺たちのような魑魅魍魎は、昔と比べたらずいぶん減ってきた。人間社会の中で淘汰されとるのさ。もうきっと、俺たちのようなモンはお前らに必要ないんだ」

「……化け猫が必要とされることなんて、今までありました?」

「今まさにお前が俺を必要としているじゃないか」

「そりゃお互い様ですよ」

そう言うと、ゲーテが西の腿を軽く蹴った。二人は人目もはばからず楽しげに笑い合いながら、たまには散歩でもしようと言って、駅を通り過ぎて歩けるだけ歩くことにした。
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